ヘイト規制 LGBT差別禁止 都議会委が条例案可決

ヘイト規制 LGBT差別禁止 都議会委が条例案可決
   
2018年10月4日 朝刊

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201810/CK2018100402000152.html

 二〇二〇年東京五輪・パラリンピックに向け、ヘイトスピーチを規制し、LGBTなど性的少数者への差別を禁止する東京都の人権尊重条例案が三日夜、都議会総務委員会で自民を除く賛成多数で可決された。五日の本会議で成立する見通しで、成立すれば都道府県で初めて。 

 条例は「いかなる種類の差別も許されない」とする五輪憲章の実現を目指すのが目的で、罰則は設けない。都は一九年四月の全面施行を目指す。

 条例案によると、ヘイトスピーチ対策では全国の自治体で初めて、都立公園など公共施設での不当な差別的言動を防ぐため、施設の利用制限基準を定めることを条文で規定。集会やインターネット上で差別的言動があったと知事が認めた場合、活動の概要や団体名、個人名を公表したり、ネット上の動画などを削除要請したりすることができる。

 表現の自由に配慮するため、ヘイトスピーチに該当するかどうか判断する際、学識経験者らでつくる審査会の意見を聞くよう定めた。これに対し、学者やフリーライターの有志は一日、都庁で記者会見し、表現の自由が抑圧される危険があるとして、条例制定への反対を表明していた。

 性的少数者に対しては、性自認(性に対する自己認識)や性的指向(好きになる相手の性)を理由に「不当な差別的取り扱いをしてはならない」と明記。都民の理解を深めるため、啓発の基本計画をつくることを盛り込んだ。

 採決で自民は「企業や区市町村、関係団体などの意見を聴くなどした上で提案すべきものだ」と反対。都民ファーストの会、公明、共産、立憲・民主などが賛成した。

◆東京都人権尊重条例案の骨子
 ▽目的は、いかなる種類の差別も許されないという五輪憲章にうたわれる人権尊重の理念が、都民らに浸透した都市となること

 ▽知事は、ヘイトスピーチを防ぐため、公共施設の利用制限基準を定める

 ▽知事は、ヘイトスピーチと認定した場合、内容の拡散を防ぐために必要な措置を講じる(ネット上動画の削除要請など)

 ▽ヘイトスピーチかどうかなどを審議するため、学識経験者による審査会を設置する

 ▽都や都民、事業者は性自認、性的指向を理由とする不当な差別的取り扱いをしてはならない

 ▽都は、LGBTなど性的少数者に関する啓発を進めるため基本計画をつくる


<論戦都議会>「不適切発言」巡り平行線 人権尊重条例案
   
2018年10月4日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201810/CK2018100402000128.html


 都議会総務委員会は三日、人権尊重条例案の審議を巡り会派間で見解が対立したため、開会は夜になり、賛成多数で可決した。日中、都民ファーストの会や公明は「二日の質疑で自民委員から不適切な発言があった」と指摘。自民は「問題はなかった」と主張し、平行線をたどった。

 二日の審議では、ヘイトスピーチを規制し、LGBTなど性的少数者への差別を禁じる同条例案の必要性などを巡り議論。自民の委員は「当事者の意見を聞くべきなのに、調整がつかないとの理由で実現できなかった」という趣旨の発言をした。

 都民ファや公明は「そのような経緯はなかったのに、事実のように発言するのは不適切だ」と反発。発言内容を確認するため、自民側が審議のテープ起こしを要求するなどして委員会は開会予定の午後一時になっても開かれず、午後九時すぎの開会になった。

 三日の財政委員会では、都立東大和療育センターの改修工事など十九議案を可決。文教委員会では私立高校などへの補助拡充を国に求める意見書を本会議に提出すると決めた。

<傍聴記>ヘイト対策と歴史認識
 今定例会最大の焦点となっている人権尊重条例案。二日の総務委員会では各会派から質問が相次ぎ、審議は夜まで長時間に及んだ。

 ヘイトスピーチの規制について都は、大阪市の条例や川崎市のガイドラインなどを参考に内容をまとめたという。一方、ヘイト問題に詳しい弁護士は、都の条例案は施設の利用制限基準を示していない点などで「先行例に比べ、あいまいだ」と指摘する。

 ヘイト問題では、共産が先月二十六日の代表質問で、関東大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を小池知事が取りやめたことを取り上げた。歴史認識を問われた小池知事は「何が事実かは歴史家がひもとくべきだ」と従来の見解を繰り返した。

 ヘイト対策を進めるには、過去の事実にきちんと向き合った上で、再発防止の決意を示すことも必要なのでは。

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「新潮45」休刊声明の嘘!

「新潮45」休刊声明の嘘! 杉田水脈擁護、LGBT差別は「編集部」でなく「取締役」がGOを出していた
2018.09.26

https://lite-ra.com/2018/09/post-4277.html

 昨日夕方、新潮社が「新潮45」を休刊にすると発表した。これはもちろん、同誌10月号に掲載された、右派論客らによる杉田水脈衆院議員擁護特集「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」をめぐって下された決定だ。周知のように、この特集のなかで、安倍首相のブレーンである自称文芸評論家・小川榮太郎が、「LGBTを認めるなら、痴漢の触る権利も保障せよ」というとんでもない差別的文章を掲載し、これについて、各方面から厳しい批判が寄せられていた。
 それは、同社と縁の深い作家や書店も例外ではなかった。『俺俺』など何作も同社から出版し新潮新人賞の選考委員を務めたこともある星野智幸は〈社員や書き手や読者が恥ずかしい、関わりたくない、と思わせるような差別の宣伝媒体を、会社として野放しにするべきではない〉と指摘し、「新潮」に掲載された「日蝕」で芥川賞を受賞し、多数の著書を同社から出している平野啓一郎も〈どうしてあんな低劣な差別に荷担するのか〉と批判。そのほかにも複数の作家や翻訳家らから「新潮社の仕事はしない」という表明が相次ぐ事態となっており、同社の書籍の取り扱いを拒否する書店も出ていた。
 そんななか、21日に佐藤隆信社長が声明文を出し、昨日とうとう休刊発表となったわけだ。しかし、これは、新潮社がグロテスクな差別を掲載した自社の責任に向き合った結果ではない。
 実際、新潮社がLGBT差別についてまったく反省していなかったことは、これまでの動きを見れば明らかだ。今回、新潮社は「新潮45」休刊の発表に際して、こんな談話を発表している。
〈ここ数年、部数低迷に直面し、試行錯誤の過程において編集上の無理が生じ、企画の厳密な吟味や十分な原稿チェックがおろそかになっていたことは否めません。その結果、「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現」(9月21日の社長声明)を掲載してしまいました。このような事態を招いたことについてお詫び致します。
 会社として十分な編集体制を整備しないまま「新潮45」の刊行を続けてきたことに対して、深い反省の思いを込めて、このたび休刊を決断しました。〉
 また、昨日夜の新潮社の広報担当役員の会見でも、該当号が役員らに配布されたのは発売当日朝だったと説明した。
 ようするに、編集部のずさんな体制、不備が招いたものだとすべての責任を編集部に押し付けたわけだが、実際はそうではない。10月号の杉田水脈擁護特集は、編集部レベルの判断でなく、担当取締役がお墨付きを与え、原稿もチェックしていたのだ。新潮社社員がこう証言する。
「実は、『新潮45』の若杉良作編集長は、もともとオカルト雑誌『ムー』の編集者で、右派思想の持ち主でもなんでもない。押しが強いわけでもなく、上の命令に従順に従うタイプ。最近のネトウヨ路線も、売れ行き不振の挽回策として、担当取締役の酒井逸史氏から命じられていた感じだった。酒井取締役は元『週刊新潮』の編集長でイケイケタイプですからね。10月号の擁護特集も酒井取締役が事前にGOを出している。会社は役員が読んだのは発売当日になってからという意味のことを言っていたが、そんなわけがない。少なくとも酒井取締役は事前にゲラも読んでいると思いますよ。それどころか、『ここで反論すれば売れる』と企画そのものを焚きつけた可能性もある」
 取締役の関与を証言しているのは、この社員だけではない。昨日の『羽鳥慎一モーニングショー』(テレビ朝日)でも、「新潮社の現役社員」の話として、「編集長、編集部のトップよりもさらに上の担当役員レベルのGOサインがあった」という情報を紹介していた。
いずれにしても、10月号のグロテスクな差別記事は、「編集部の不備」でもなんでもなく、取締役レベルで決定した確信犯的企画だったということらしい。

新潮社の社長声明はたんに「作家への対応」にすぎなかった

 しかも、「新潮45」10月号が発売され、批判が高まった直後も、上層部はまだ強硬姿勢を崩していなかった。たとえば、新潮社のSNS公式カウントのひとつ「新潮社出版部文芸」が、「新潮45」や新潮社を批判するツイートを次々とリツイートしたことが話題になったが、実は新潮社上層部は当初、これを削除させようとしていた。
 先日、AbemaTV『AbemaPrime』の取材に匿名で応じた新潮社の編集者がこう証言していた。
「朝いちばんに役員が編集部に来て『ツイートをやめさせろ』と言ったのですが、誰がツイートしているのかわからないので、できなかった」
 新潮社は「新潮社出版部文芸」のツイートについて、〈各部署、社員の個人の意見表明に関して言論統制のようなことは従来より一切行っておりません〉などと表明していたが、真っ赤な嘘だったというわけだ。
 では、強硬姿勢を示していた新潮社上層部がなぜ一転して、社長の声明発表、さらには「新潮45」の休刊という対応をとったのか。別の新潮社社員が語る。
「新潮社の社長が声明を出したのも、休刊の決断をしたのも、作家の執筆拒否の動きが広がるのを恐れたため。それが一番の理由です」
 たしかに、弱者には強く出る新潮社だが、売れっ子作家にはとことん弱い。たとえば、有名なのが、百田尚樹の『カエルの楽園』をめぐるトラブルだ。同社から出版された『カエルの楽園』は、中韓に対するヘイトを織り交ぜながら憲法9条を腐した“寓話”作品だが、百田氏は明らかに村上春樹氏をモデルにしたキャラクターを登場させ揶揄している。ところが、その村上氏のキャラについて、新潮社が百田氏に「(村上氏だとばれないよう)名前を変えてくれ」と求めてきたのである(過去記事参照https://lite-ra.com/2016/05/post-2259.html)。つまり、新潮社は、作中の中韓のヘイト表現はスルーする一方、村上春樹という看板作家を刺激することだけを問題視していたというわけだ。
 今回の対応もこうした同社の体質の延長線上に出てきたものだ。前述した19日の『AbemaPrime』でも「多くの作家がコメントしているので、上の人たちは作家対応をどうするか協議しているようだ」という新潮社社員の証言があったが、騒動直後から作家対策に奔走。社長の声明は『とくダネ!』(フジテレビ)や『5時に夢中!』(MXテレビ)などにも出演している同社の名物編集者・中瀬ゆかり氏らが主導するかたちで、まさに作家対策として行われたのだという。
「最近、中瀬さんは文芸担当取締役に昇進したんですが、社長に『このままだと作家に逃げられてしまう』と声明を出すことを進言したらしい。実際、21日の社長声明については文芸編集者にのみ事前に通達されました。完全に作家対策だったんですよ」(前出・新潮社社員)
 もっとも、これは逆効果になった。なにしろ、その声明というのが〈常識を逸脱した偏見や認識不足に満ちた表現〉があったとしながら、誰に対する、どのような問題があったと考えているのかは一切示さず、謝罪もなし。その上、〈今後とも、差別的な表現には十分に配慮する〉などと、いま現在も差別的表現に配慮しているかのように言い張るという、ひどいシロモノだったからだ。

すべてが「ショーバイ」でしかなかったことを露呈した「新潮45」の騒動

 いずれにしても、佐藤社長が中途半端な声明を出したことで、さらに批判は拡大。それで、今度は一気に休刊という事態に発展していった。
「休刊については、佐藤社長のツルの一声だったらしい。『新潮45』は部数低迷でいつ休刊になってもおかしくなかった。印刷部数で約1万6千部、実売は1万部を切っていた。おそらく年間数億円の赤字を出していたはずです。そんなところにこの問題が起きて、そのせいで、作家からの批判が殺到した。このままだと、もっと大きな動きになるかもしれない。だったら、いい機会だからすぐに休刊にしてしまおう、ということになったんでしょう」(前出・新潮社社員)
 そう考えると、今回の新潮社の対応は最初から最後まで、「ただのショーバイ」でしかなかったということだろう。雑誌を売るために、安易にネトウヨ、ヘイト路線に飛びついてLGBT差別の扇情的な記事を載せ、それに対して抗議が広がり、作家から執筆拒否をちらつかされたとたん、慌てて雑誌を休刊にしてしまう。「新潮45」の休刊決定をめぐっては、「言論の自由を奪う結果になった」という声が出ているが、そもそも、新潮社の側に「言論」という意識などあったのか。新潮社OBもこうため息をつく。
「新潮社は昔から『週刊新潮』などで、差別的、人権を侵害する問題記事を連発していましたが、それでもメディアとしての最低限の矜持があった。でも、いまは、たんにショーバイでやってるだけ。だから、やっていいことと悪いことの区別がつかないし、抗議を受けると、すぐに万歳してしまう。醜悪としか言いようがない」
 実際、新潮社は大きな抗議運動に広がり、作家が声を上げたLGBT差別については対応したが、一方で、中韓や在日、社会的弱者を攻撃するヘイト本や雑誌記事はいまも出版し続けている。
 しかし、これは他の出版社も同様だ。中小出版社だけではなく、小学館や文藝春秋などもヘイト本やヘイト記事を多数出しているし、講談社も、ケント・ギルバートによる中韓ヘイトに満ちた『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』を出版。ベストセラーになったことで、社員を表彰までしている。
 そして、これらの出版社の動機はすべて「ショーバイ」でしかない。出版不況で本が売れないなどという理由で、安易に売れ筋のヘイト本に群がり、その結果、差別や排外主義を蔓延させているのだ。
「新潮45」の問題をきっかけに、こうした出版社の姿勢そのものが見直されるべきではないのか。

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「部落差別の実態に係わる調査」は「部落の実態調査」ではない

「20186ken.pdf」をダウンロード

雑誌「人権と部落問題」2018.8掲載

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「破戒」のモデル・大江礒吉 生誕150年

「破戒」のモデル・大江礒吉 生誕150年、部落差別と戦った教育者/兵庫・丹波市  2018 丹波新聞社

9/5() 11:50

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180905-00010000-tanba-l28

 

島崎藤村の小説「破戒」のモデルとなったといわれている大江礒吉

 

 島崎藤村という有名な小説家に「破戒(はかい)」という作品があります。被差別部落出身の教師を主人公にした小説で、この作品のモデルになったといわれているのが、明治34年(1901)に33歳で兵庫県氷上郡(現・丹波市)の柏原高校(当時は柏原中学校と言っていました)の2代目校長になった大江礒吉(ぎきち)。今年で生誕150年を迎えます。礒吉は、その「生まれ」のためにいわれなき差別を受けましたが、差別とたたかいながら教育者として見事な生涯を生き抜きました。

 

母のせんべい「もったいない」

 礒吉は、明治元年(1868)、今の長野県飯田市に生まれました。もともとの名前は磯吉(いそきち)で、のちに礒吉と改めました。

 

 磯吉の祖父も父も「番太(ばんた)」という仕事をしていました。村の番人として警備の仕事をしたり、ときには変死体の処理や墓掘りをしたりしていました。「番太」は、いやしい職業とされ、さげすまれていました。

 

 磯吉は小さいころから利発な子どもでした。両親は「何としても学問で身を立たせてやりたい」 と願い、貧しさにあえぎながらも、必死の思いで磯吉を学校に通わせました。

 

 母親は、磯吉の学費や生活費をかせぎ出すため、せんべいを焼いて、遠くまで売り歩き、夜遅くに帰ってきました。こんな話があります。母親は、売れ残ったせんべいを磯吉に食べさせようとしましたが、母親がどれだけ苦労しているかを知っている磯吉は、せんべいを食べることが何とも申し訳なく、母親がいくら 「お食べ」と言っても、「もったいない」と食べませんでした。磯吉の人柄がつたわってくるエピソードです。

 

ランプ頼りに猛勉強

 磯吉は14歳で、中学校(今の飯田高校)に入学しました。中学校に入学できる生徒は少なかった時代です。にもかかわらず、磯吉が入学できたのは、近所の人たちらの支援があったからです。成績が優秀で、日ごろの行いも良かった磯吉は近隣の人たちから愛されていました。

 

 この中学校で、大きな出会いがありました。武信由太郎(よしたろう)という英語教師との出会いです。 武信は、我が国の英語教育に多くの業績を残した先生で、欧米の文明に明るく、自由主義を尊んだ人物でもありました。

 

 磯吉をかわいがった武信先生は、欧米諸国の文化を磯吉に紹介し、キリスト教精神に基づく自由や平等といった民主主義の考え方を説いて聞かせました。教育に対する磯吉の考え方には、自由と平等を尊ぶところがありますが、武信先生との出会いがその出発点になったのでしょう。

 

 貧しいために、辞書や参考書も買えない磯吉のために、武信先生らは英語辞典などを貸し与えてくれました。磯吉は毎夜、薄暗いランプを頼りに、それを写しながら勉強に励みました。中学校を卒業し、長野師範学校に進んでからも、磯吉は猛勉強をしました。「差別に打ち勝つには勉強しかない。勉強で負けないようにしなければ」と必死の思いでした。

 

「生まれ」理由に塩まかれる

 教育者の道を志した磯吉は、18歳で小学校の先生となりました。しかし、磯吉の「生まれ」が問題にされ、磯吉はその学校を追い出されるようにして去っていきました。

 

 20歳のとき、東京にあったわが国でただひとつの高等師範学校に入学しました。わが国の教育界で、最高の学校とされたところです。入学生はわずか30人。しかも磯吉はトップの成績で入学し、さらにトップの成績で卒業しました。

 

 卒業後、磯吉は母校の長野師範学校の教壇に立ちました。しかし、差別がなかったわけではありません。教育学の講習会が開かれたとき、磯吉の宿泊した宿が、磯吉の泊まった部屋の畳替えをし、 塩をまくという事件がありました。

 

 明治26年(1893)、磯吉は大阪師範学校の教諭となりました。このとき、磯吉は名前を「礒吉」に改めました。新たな人生を切り開くために、自分自身に何らかの変革を求めたのでしょう。しかし、わずか2年で大きな壁にぶつかりました。 「生まれ」があばかれたのです。

 

 ある日のこと。礒吉の母親が、学校にやって来ました。そのときの母親の言葉づかい、態度などに疑問を持った生徒が礒吉の身元調査をしたのです。礒吉を退ける動きが起こり、鳥取師範学校へ移りました。そして明治34年、柏原中学校の2代目校長として着任しました。

 

柏原中で「理想の学校」めざす

 礒吉は、柏原中学校で 「理想の学校」づくりをめざしました。その一つが、授業料の大幅な減額です。家が貧しいため、入学しながらも学校を途中でやめていく生徒が多く、経済的な負担を減らそうとしたのです。貧しく、しいたげられてきた礒吉です。社会的な弱者が、そこから抜け出すためには教育しかないという思いを強く持っていたのでしょう。

 

 生徒の自主性や自立心を高めるために、生徒の自治会活動や部活動を大いに奨励し、軟式テニス部やベースボール部、英語弁論部などをつくることを認めました。「学友会」という組織もつくりました。これは同窓生も加わった組織で、機関誌や雑誌の発行などを計画しました。

 

 当時は、上級生が下級生をげんこつでなぐってもいいという空気が校内にありましたが、礒吉はそれを強く戒めました。このように礒吉は、自由と平等を重んじ、人間性を尊ぶ教育をつらぬこうとしたのです。

 

 しかし、軍国主義が広がっていた当時、礒吉の教育を「なまっちょろい」と受け止めていた生徒たちがいました。このため、 柏原中学校で初めて行われた卒業式で、卒業生たちが式をボイコットしようという動きが起きました。

 

 担任の先生の説得で、式だけは行われましたが、 式のあと、卒業生が学校への不満をぶちまけた「声明書」が見つかり、先生たちの間で大騒ぎとなりました。しかし、礒吉は「いったん卒業証書を渡した以上は社会人であり、校則で律すべきではない」と、問題にしませんでした。生徒を信頼し、深い愛情を寄せたことを物語るエピソードと言えるでしょう。

 

のちの首相・芦田均から「ナマズ」とあだ名

 礒吉の「生まれ」は、生徒たちも知っていました。礒吉はそれをことさら隠すこともなく、教育に対する自分の姿勢を堂々とつらぬきました。そんな礒吉でしたが、病気のため、 明治35年(1902)に亡くなりました。

 

 ちなみに、柏原中学の校長時代、礒吉は生徒から「ナマズ」と呼ばれていました。このあだ名をつけたのは、のちに内閣総理大臣になった柏原中学の第3回生、芦田均でした。

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日本のヘイト対策「限定的で不十分」 国連委が強化勧告

日本のヘイト対策「限定的で不十分」 国連委が強化勧告
2018年8月30日
https://digital.asahi.com/articles/ASL8Z5HRYL8ZUHBI02B.html?rm=752

 国連人種差別撤廃委員会は30日、日本の人権状況と政府の取り組みへの見解をまとめた報告を公表し、ヘイトスピーチ対策の強化などを勧告した。ヘイトスピーチについては、2016年に日本が対策法を施行した後もなくならない現状に懸念を表明。対策が限定的で不十分だとの認識を示し、集会などでの差別的言動を禁止するよう求めた。

 同委員会は18人で構成し、日本も加入する人種差別撤廃条約の履行状況を包括的に調べる。国別に実施する定期審査をもとに「最終見解」と呼ぶ報告をまとめ、改善を求めて勧告する。日本への勧告は、01年、10年、14年に続いて4回目で、今回は日本政府代表が出席した対日審査の会合が16、17の両日に行われた。勧告に法的拘束力はない。

 日本のヘイトスピーチ問題をめぐって、委員会は前回14年に法規制を勧告した。今回、対策法の施行を歓迎しつつも、効力は限定的だと指摘し、法を改正して救済対象を外国出身者以外にも広げるよう勧告。集会やデモでのヘイトスピーチや暴力をあおる発言を禁止し、インターネット上でのヘイトスピーチに対しても効果のある対策を取るように求めた。さらに、司法部門で差別犯罪の捜査や処罰について研修を行うことも勧告した。公表後の記者会見で、対日審査を担当したマルク・ボスート委員は対策法について「被害者をはっきり特定できない場合に適用できないなど不十分」と指摘した。

 一方、日本政府は、人種差別撤廃条約で差別的言動を法律で処罰すべき犯罪としている条文の適用について、留保している。罰則導入は表現の自由を保障する憲法規定に抵触しかねず、ヘイトスピーチ対策法が罰則のない理念法になったのは国会の議論の結果としており、差別的言動には名誉毀損(きそん)や業務妨害などの刑法犯が成立するとしている。

 また、本来の訓練が受けられずに低賃金労働を強いられていると批判されている技能実習制度については、委員会は昨年の技能実習適正化法施行を歓迎しつつも、国の監督が弱いとして、同法順守の徹底を勧告した。

 慰安婦問題では、15年12月の日韓合意といった解決努力を評価しつつ、「被害者を中心に置くアプローチが十分でなかった」との認識を示し、元慰安婦が納得するような解決を求めた。

 委員会は全体で40項目以上を勧告。多くの分野で委員会と日本の立場に隔たりがあり、前回勧告から置き去りにされた点を再度勧告する形になった。(ジュネーブ=吉武祐)

国連人種差別撤廃委員会の日本への勧告の主な内容
●ヘイトスピーチ

・対策法の適用対象を外国出身者以外にも広げる

・集会でのヘイトスピーチや暴力の扇動を禁止

・ネット上のヘイトスピーチへの効果的対策を要求

●被害者中心のアプローチによる慰安婦問題の解決

●技能実習適正化法の履行徹底

●包括的な差別禁止法の制定

●広範な権限を持つ人権保護機関の設置

●外国籍者の住居や雇用の権利保障

●高校就学支援金制度を朝鮮学校にも適用

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国連人種差別撤廃委、ヘイトスピーチ対策などで日本に勧告

国連人種差別撤廃委、ヘイトスピーチ対策などで日本に勧告

news.tbs.co.jp/sp/newseye/tbs_newseye3460253.htm

  国連の人種差別撤廃委員会は30日、日本の人権状況について審査してきた結果を公表し、ヘイトスピーチ対策が十分でないとして、日本政府に対し対策を強化するよう勧告しました。
 国連の人種差別撤廃委員会は、今月16日から2日間の日程で日本の人権状況に対する審査を行い、在日韓国・朝鮮人など特定の民族などを標的に差別をあおるヘイトスピーチ問題や旧日本軍慰安婦問題などについて意見を交わしました。

 審査の結果、委員会は30日、ヘイトスピーチ問題について日本が「不当な差別的言動は許されない」とするヘイトスピーチ解消法を2016年に施行したことを歓迎するとしたものの、対策が十分でないと懸念を表明しました。

 さらに、法律の施行後もヘイトスピーチデモが続いていることや、インターネット上や公人によるヘイトスピーチが続いているとし、対策を強化するよう勧告。また、慰安婦問題では被害者中心の取り組みを進め、解決を図るよう勧告しました。

 法務省の調査では、2015年9月までのおよそ3年半に、ヘイトスピーチデモは日本全国で1152件確認されています。


沖縄への基地集中は「人種差別」 国連が日本政府に勧告
2018年8月31日
https://ryukyushimpo.jp/news/entry-794147.html

 国連人種差別撤廃委員会は30日、対日審査の総括所見を発表した。日本政府に対し、沖縄の人々は「先住民族」だとして、その権利を保護するよう勧告した。米軍基地に起因する米軍機事故や女性に対する暴力について「沖縄の人々が直面している課題」と懸念を示した。その上で「女性を含む沖縄の人々の安全を守る対策を取る」「加害者が適切に告発、訴追されることを保証する」ことなどを求めた。同委員会が勧告で、差別の根拠として米軍基地問題を挙げたのは2010年以来。
 同委員会は10年、沖縄への米軍基地の集中について「現代的な形の人種差別」と認定し、差別を監視するために沖縄の人々の代表者と幅広く協議するよう勧告した。14年の前回勧告は基地問題に言及しなかったが、今回は再び言及した。

 今回の総括所見は、日本政府が沖縄の人々を先住民族と認めていないことに懸念を示した。「琉球(の人々)を先住民族として認め、その権利を守るための措置を強化する立場を再確認すること」を勧告した。

 総括所見は16、17の両日にスイス・ジュネーブの国連欧州本部で開かれた対日審査の結果を踏まえ、まとめられた。

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デモは迷惑行為? 薄らぐ共感 新宿区、使える公園制限

デモは迷惑行為? 薄らぐ共感 新宿区、使える公園制限
2018年8月28日
https://www.asahi.com/articles/ASL8W5WKNL8WUTIL02L.html?jumpUrl=http%253A%252F%252Fdigital.asahi.com%252Farticles%252FASL8W5WKNL8WUTIL02L.html%253F_requesturl%253Darticles%252FASL8W5WKNL8WUTIL02L.html%2526amp%253Brm%253D614

 デモを出発できるのは新宿中央公園だけ――。東京都新宿区が8月から、こんな風に区立公園の使用基準を変更した。音量や交通規制に悩む近隣住民への配慮というが、デモは迷惑行為なのか。

 7月の日曜日午後。小さな滑り台やベンチがある新宿区立柏木公園に、青いシャツを着たり、旗を持ったりした約100人が集まった。ウイグル人に対する中国政府の政策を批判する人々で、仮面を着けた人もいた。警察官約20人が取り巻く中、公園を出ると「フリー、ウイグル!(ウイグルに自由を)」と叫びながら、新宿駅周辺の繁華街をデモ行進した。

 新宿区立公園出発のデモは昨年度77件で、新宿駅に近い柏木公園は最多の50件。だが、区が部長決裁で公園の使用基準を変え、近くに商店街や学校などがある柏木公園など3公園をデモに使えなくした。8月からデモの出発地にできるのは新宿中央公園だけだ。デモを主催した男性(48)は「新宿中央公園は繁華街から離れ、デモ行進の距離が延びる。道路使用を警察がすんなり許可してくれるだろうか」と心配した。

 外国人が人口の13%と都内の区市町村で最高の同区では、外国人排斥などを叫ぶヘイトスピーチが昨年度に13件(区調べ)。吉住健一区長は「近隣住民が困っている」とヘイトスピーチ対策の措置と説明するが、区幹部は6月の議会で「知らない人が家の近くに多く集まると、区民にはストレス」などと述べ、ヘイト以外のデモを住民から遠ざけたい意図を明かした。

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「ヘイト対応に特例を」 大阪市長が国に要望

「ヘイト対応に特例を」 大阪市長が国に要望

2018/8/28

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34690800Y8A820C1000000/

 ヘイトスピーチ抑止を目的に実施団体や個人名などを公表できるとする大阪市条例を巡り、吉村洋文市長は28日、法務省と総務省を訪れ、インターネット上のヘイトスピーチ動画の投稿者を特定できるよう、通信の秘密を定める電気通信事業法に特例を設けるなどの法整備を要望した。

 吉村市長は法務省で葉梨康弘副大臣に面会。インターネットのプロバイダーに対し、自治体の求めに応じて投稿者情報の提供や保存を義務付けることなどを求めた要望書を手渡した。その後、総務省にも同じ内容の要望書を提出。終了後、記者団に「(個人情報の開示は)法務省、総務省も少し慎重だ。ヘイトスピーチを無くす覚悟があるなら、一歩踏み出すことが必要だ」と述べた。

 市はプロバイダーに投稿者の情報開示を義務づける条例改正を検討していたが、市の有識者審査会は1月、電気通信事業法に抵触すると指摘。国に法整備を求めるべきとする答申を出していた。

 条例は2016年7月に全面施行され、市はネット上への動画投稿行為4件をヘイトスピーチと認定したが、いずれも投稿者の氏名は特定できていない。〔共同〕

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LGBT「杉田論文」女性議員は何を思う 稲田朋美(衆議院議員)

LGBT「杉田論文」女性議員は何を思う
自民党の杉田水脈衆院議員が月刊誌で「LGBTに生産性なし」などと主張した論文をめぐり、今も波紋が広がる。自民党は「配慮に欠く表現があった」として本人を指導したが、そもそも何が問題だったのか。iRONNAでは今回、3人の女性政治家に寄稿を募った。「杉田論文」の核心を同性の視点から考えたい。

稲田朋美手記「杉田さん、LGBTを尊重するのが保守の役割です」
『稲田朋美』 2018/08/10

https://ironna.jp/article/10432?p=1

稲田朋美(衆議院議員)

 平成28年2月、当時自民党政調会長であった私は、LGBTの当事者の方々が自分らしく、人として尊重され、活躍できる社会を実現するため、自民党の正式な会議体として「性的指向・性自認に関する特命委員会」を設置した。

 特命委員会の委員長には、古屋圭司元拉致問題担当大臣に就任いただいた。古屋委員長とは思想信条、歴史認識も近く、私は古屋委員長を、柔軟な中に信念を貫く、そして人権感覚も優れたベテラン政治家だと尊敬している。 

 かつて私と古屋委員長は人権擁護法案反対の論陣を党内でリードした仲だが、それは人権を軽視しているということでは決してない。何が「人権」なのか、という定義は難しく、「人権擁護」の名の下に他者の人権を侵害するということもある。むしろ、個別法で人権を守っていくことの方が現実的だという考えからの行動だった。

 政調会長時代には、二階俊博総務会長(当時)のご指導の下、「部落差別の解消の推進のための法律」も議員立法で成立させた。

 さかのぼると平成27年秋、自民党政調会長としてワシントンで講演した際に、LGBTのことを言及した。LGBTについて考えるきっかけは、息子の友人に当事者がいたという極めて個人的なことだが、ワシントンでLGBTの人権について言及した日本の政治家は私が初めてだろうと言われた。

 また、講演直前のことだが、サンフランシスコの慰安婦像設置にいち早く反対してくれたのは、実はLGBT団体だった。この問題が歴史認識やイデオロギー論争とは「無縁」と実感する良いきっかけとなった。

 私のことを「歴史修正主義者」「右翼」という人もいるが、まっとうな保守政治家でありたいと思っている。保守の政治というのは、個人の自由を大事にすることだ。それは当然、自分勝手を認めることではない。自分が自分らしく生きたいと思うように、他者もそのように思っている。そういった他者への思いやりや尊重を大切にしたい。

自民党の稲田朋美衆院議員(斎藤良雄撮影)
 その上で、人生100年時代の家族の在り方については、時代の変化とともにもっと柔軟なものであってよいのではないか。人々が自由にのびのびと生きられる社会、寛容な社会を実現したい。そうした風通しのよい社会こそがさまざまなイノベーションを生み、経済も成長させられるはずである。

 そのような思いから、講演では次のように述べた。

 「すべての人が平等に尊重され、自分の生き方を決めることができる社会をつくるために取り組みます。人は生まれつきさまざまな特徴を備えています。そのことを理由として、その人が社会的不利益や差別を受けることがあってはなりません。保守政治家と位置づけられる私ですが、LGBTへの偏見をなくす政策等をとるべきです」

 「自民党は日本における保守政党ですが、その思想は多様です。大切なことは、人それぞれの個性を評価し、人々がその潜在能力を完全に発揮できるように支援する社会をつくること、また一生懸命努力し成功する人を評価し、一生懸命努力しても成功しない、または成功できない人を支援する社会をつくることです」

ワシントンでの講演後、平成28年2月3日の衆議院予算委員会で、LGBTについて加藤勝信・一億総活躍社会担当大臣(当時)に質問をした。

 加藤大臣は「一億総活躍社会とは誰もが個性を尊重され将来の夢や希望に向けてもう一歩前に歩み出すことができる、そして多様性が認められる社会をつくるということでありますから、その社会を実現していく理念においてもLGBTといわれる性的少数者に対する偏見あるいは不合理な差別、こういったことはあってはならないのであります」と答弁している。多様性を認め、寛容な社会をつくることが安倍政権、そして自民党である。

 特命委員会では設立当初から、LGBT当事者で一般社団法人LGBT理解増進会代表理事の繁内幸治氏にアドバイザーとして就任いただき、精力的に議論を続け、その後政府に対しLGBT理解増進のための33の施策を提言した。

 しかし、その際、理解増進法を議員立法として自民党から提出することは断念した。あまりにも自民党内の理解が進んでいなかったからだ。その現実に愕然(がくぜん)とした私は、まずは党内の理解増進が先決だと痛感した。

 だが、提言をしたその年の夏の参議院選挙の公約には、LGBTについて「正しい理解の増進を目的とした議員立法の制定」とともに「社会全体が多様性を受け入れていく環境を目指す」と盛り込むことができた。

 人は、人として存在すること自体を尊重されなければならない。老いも若きも、障害がある人もない人も、そして性別がどうあろうとも、人が人として自分らしく、頑張って生きようとしている人々を応援する自民党でありたい。

 自民党が下野した際に、自民党の綱領を新しくしたが、新綱領の中で「われわれが守り続けてきた自由(リベラリズム)とは、市場原理主義でもなく、無原則な政府介入是認主義でもない。自立した個人の義務と創意工夫、自由な選択、他への尊重と寛容、共助の精神からなる自由であることを再確認したい」と書き込んだ。まさに「他への尊重と寛容」の社会をつくることが保守の役割なのだ。

 さらに、自民党が目指している理解増進法は、LGBT理解増進のために財政措置を講ずることができるとしているが、LGBTの方々やLGBTカップルを優遇したり特権を与えたりするものではない。

 なぜ、私たちが「差別禁止」ではなく、「理解増進」を目指すのか。いきなり「差別」を禁止して「罰則」を設けたのでは、なぜLGBTが人権問題なのかが理解されず、政策に説得力、ひいては実効性がなくなるからだ。まずはLGBTの基礎的な理解を広めることが重要だ。

2018年5月、葉梨康弘法務副大臣(右)にLGBTへの差別禁止の法整備を要請したアムネスティ・インターナショナルの担当者ら
 自民党では自由な議論が許され、党内の多様な意見が尊重される。憲法、人権擁護法案、女系天皇反対など、激しい議論の末に党の方針が決められる場面をいくつも見てきた。

 これからきたる臨時国会で、LGBT理解増進法の議員立法化に向けて関心を寄せてくれる議員が増え、議論が活発化することを期待している。

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松本龍・元環境相死去 6 7 歳 

https://www.asahi.com/articles/ASL7D4FXNL7DTIPE01N.html

2 0 1 8 年7 月2 1 日1 1 時3 0 分
松本龍・元環境相死去 6 7 歳 

民主党政権で復興担当相などを務めた元衆院議員の松本龍(まつもと・りゅう)さんが21日、肺がんのため福岡市内の病院で死去した。67歳だった。
 父の松本英一参院議員の秘書を経て、1990年、衆院旧福岡1区で旧社会党から立候補して初当選し、当選7回。菅直人内閣で環境相兼防災相や復興相を務めた。
復興相として東日本大震災の被災地を訪問した際の発言が高圧的などと批判されて、2011年7月引責辞任。12年の衆院選で落選し、政界を引退した。
 祖父は元参院副議長で、「部落解放の父」と呼ばれた松本治一郎氏。松本さんも部落解放同盟の副委員長を務めるなど、被差別部落問題に尽力した。

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