恐怖政治による飽くなき権力支配欲だけだ、菅内閣

広原盛明のつれづれ日記
2020-10-30

https://hiroharablog.hatenablog.com/entry/20201030/1604045069

この人物には思想もなければ知性もない、あるのは恐怖政治による飽くなき権力支配欲だけだ、菅内閣と野党共闘の行方(6)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その231)


やっと始まった菅首相の衆参両院所信表明演説だったが、2日間にわたる代表質問への答弁を聞いて、この人物には日本国憲法に関する基本知識もなければ、法治主義に基づく統治思想についても理解ゼロ(何も学んでいない)だということが腹の底からわかった。地方議員時代(横浜市議)から職員人事に介入することで権力者としての地位を獲得してきたとの自負があるのか、人事には異常な関心を示し、人事介入と人事操作を武器に権力階段を一歩一歩登ってきたという、その種の人間特有の不気味さと臭気が菅首相の身体全体から漂ってくるのである。

一時期は「令和おじさん」ともてはやされ、「パンケーキ」が好きな庶民感覚の政治家、あるいは秋田出身の「たたき上げ」の苦労人などといった田舎っぽいイメージを振りまいていたこともあったが、学術会議会員候補者の任命拒否によって「化けの皮」が一気に剥がれてしまったことは、当人にとっても予想外の出来事だったのではないか。国民の前で被っていた「令和おじさん」の仮面の下の素顔が丸見えになり、冷酷極まりない権力者の正体が露わになったからだ。

今回のような行為は、これまで人事権の掌握を通して国家官僚を思うがままに操作してきた官房長官時代の経験からすれば、日常茶飯事だったのかもしれない。しかし高級官僚なら自分の出世を考えて権力に迎合するかもしれないが、学者・研究者の場合はそうはいかない。学術会議会員候補者の任命が理由もなく拒否されるような行為は、多くの学者・研究者に対して「居間に土足で踏み込む」ような威圧感と恐怖感を与えることで、誰もが学問の自由、研究の自由が侵される危険が身近に迫っていることを察知したのである。

学者・研究者と同じく作家や芸術家、映画監督なども似通った反応を示している。毎日新聞夕刊「特集・ワイド」欄では、最近この問題に関連して大型インタビュー記事が掲載されるようになった。その中でも特に印象深かったのは、作家辺見庸氏の「首相の『特高顔』が怖い」(10月28日)、井筒和幸映画監督の「キナ臭いよな、権力むき出しの暴力、若者よ立ち上がれ」(10月29日)だった。辺見氏は次のように語る(抜粋)。

「菅さんってのはパンケーキだか何だかが好きだっていうね。可愛いおじさん? でも俺から見ると彼は昔の特高(戦中の特別高等警察)の仕事をしていると思うんだよね。日本学術会議の人選で容赦なく6人を外すっていうのがそうでしょ。前代の安倍さんもそうだけど、菅さんの場合は機密という意味のインテリジェンスがあっても、総合的な知性というインテリジェンスがないと思うんです。だから、この人は好かんな、怖いなというイメージがあります」

「菅さんっていうのはやっぱり公安顔、特高顔なんだよね。昔の映画に出て来る特高はああいう顔ですよ。で、執念深い。今まで(の首相が)踏み越えなかったところを踏み越えるような気がする。総合的な品格に裏付けされたインテリジェンスを持っていない人間の怖さだね。(略)安倍の方が育ちがいい分、楽だった。でも菅さんはもっとリアルで違うよ。今まで為政者を見てきてね、こいつは怖えなと思ったのは彼が初めてだね。(略)僕は戦争を引きずっている時代を知っているわけ。だから、ああいう特高警察的な顔をしたやつがいましたよ。たたき上げ、いわばノンキャリでさ。(情状の通じない)手に負えないという怖さがあるんだ」

また、井筒監督は次のように言う(同)。

「何やらキナ臭いよな。キナ臭いってのはさ、何がどうなるやらよう分からんって意味でしょ。すぐ我々映画屋に負荷がかかってくるとかいう話ではないと思うし、直ちに表現の自由を奪うかは別次元の問題だしね。それでも、なんかキナ臭いって感じてしまうんだなあ」

「科学はほったらかしにされても自由に育つもの。誰かが、ましてや政治が規制するものじゃない。研究者は言われなくても日々科学を深めますよ。排除された6人の研究領域は、政治や歴史検証など人文・社会科学の分野。そうした学問こそ、時の政権への忖度なしに研究が進められるべきものでしょ。なのに政府は彼らを除外することで、その学問の力まで弱めようとしている。政府がしていることは、『我々の歴史認識、政治手法に触れるな』という、これは恫喝だよ。安倍晋三政権を『継承』した菅内閣は、憲法を改変しようとするのではないか。目障りとなりそうな学者を排除し、日本を『次』のステージに進めるつもりでは」

さすがに、作家や映画監督の皮膚感覚は鋭い。学者・研究者ならまず言説や行動の分析から入るが、お二人は視覚と嗅覚で菅首相の権力者としての本質を一瞬にして見抜いている。そして、国民もまた視覚と嗅覚で菅という人物の陰湿な権力体質を薄々感じ始めているのではないか。これまでマスメディア相手に木で鼻をくくったような答弁に終始してきた菅氏が、漸く国会という表舞台で容赦なく国民の視線を浴びるようになった今、その本質が視覚と嗅覚を通して露わになるのも時間の問題だろう。

今国会の施政方針演説と代表質問のやり取りで明らかになったことは、菅首相が学術会議会員候補者の任命拒否に関して「変更するつもりはない」と何回も断言したことだ。これだけはっきりとした答弁を繰り返すのだから、彼自身はもはや後戻りできない状態に追い詰められているのだろう。おそらく予算委員会でも「総合的、俯瞰的に判断した」と、壊れたレコードのように繰り返すだけだ。

それでも野党は彼を徹底的に追い詰めなければならない。機械的答弁を繰り返す菅首相の傲慢な態度や冷酷な表情を白日の下に曝すことによって、国民が皮膚感覚を通して彼の陰湿な権力体質を理解する機会を提供することが何よりも重要だからだ。結果は次の世論調査であらわれる。おそらく男性よりも女性の支持率が下がるだろう。菅首相の本質を理解する上で、皮膚感覚に優れていることは必須条件だからである。

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ネット投稿AIで監視

コロナ中傷深刻、ネット投稿AIで監視
10/23(金) 13:12配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/0531d826246b9a104fb20296b25931727246668a

AIを活用したモニタリングのイメージ

 福井県は10月22日、新型コロナウイルス感染者らへのインターネット上の誹謗中傷や差別に対し、11月4日からモニタリング(監視)を実施すると発表した。中傷の書き込みがないか人工知能(AI)を使ってチェックする仕組みで、問題のある投稿があれば県が画像を保存し、被害者らからの相談に応じて提供する。中傷や差別の抑止、早期の投稿削除につなげていく。

 県によると、AIを使った仕組みは全国で初めて。杉本達治知事は22日の記者会見で「残念ながら、誹謗中傷が絶えない状況が全国でも県内でも多発している。AIで幅広くキャッチできるようにしたい」と期待を込めた。

 ネットに精通した専門業者に委託して実施する。会員制交流サイト(SNS)や掲示板、動画投稿サイトなどを対象に、特定のキーワードで自動検索した後、AIが中傷、差別に当たるものを選別。抽出された書き込みを人の目で最終確認した後、画像とともに県に報告する。

 県人権センターで被害相談を受け付けており、県は相談があれば、該当する画像を探して提供。訴訟を起こす際などに証拠として活用してもらう。投稿削除や法的手続きに向けた支援として、県は専門業者や弁護士無料相談の紹介も行う。

 県はこれまでモニタリングは行っておらず、担当者が個別に投稿を確認しており、ネット上の中傷の全体像を把握しづらかった。県によると、全国では20府県近くがモニタリングを実施しており、職員や委託業者が自ら検索して書き込みをチェックしているという。AIを使うことで、多くのサイトを大量に自動検索できる。

 中傷の投稿を把握しても、被害者が知りたくない場合も想定されるため、県は被害者に連絡しない。ただし深刻なケースは、必要に応じて警察や法務局など関係機関に情報提供する。

 相談窓口は福井市のアオッサ7階にある県人権センター=電話0776(29)2111。


ネット中傷、裁判手続きを創設へ 総務省が骨子案、被害者負担軽く

10/26(月) 18:41配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/53b0ea187bf565e3e038248a950fbd28b64c4aca

共同通信
 総務省は26日、インターネット上で誹謗中傷を受けた被害者の救済策を議論する有識者会議を開き、年内の最終とりまとめに向けた骨子案を提示した。悪質な投稿をした加害者を迅速に特定するため新たな裁判手続きを創設し、現在の情報開示訴訟より被害者の負担を軽くする。加害者が会員制交流サイト(SNS)にログインした際の通信記録を開示対象に含めることも盛り込んだ。

 この日の会議では、新たな裁判手続きを設ける方針について大筋で了承された。今後、制度の詳細を詰め、悪質化している中傷の抑止を図る。

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公安警察官僚が差配する菅政権 広原盛明のつれづれ日記

広原盛明のつれづれ日記

https://hiroharablog.hatenablog.com/entry/20201014/1602665645

2020-10-14
公安警察官僚が差配する菅政権、学術会議会員推薦者6人はこうして排除された、菅内閣と野党共闘の行方(4)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その229)

 時事通信は10月12日夜10時、「菅首相、『6人排除』事前に把握=杉田副長官が判断関与―学術会議問題」と電子版で報じた。内容は次のようなものだ。

 「日本学術会議が推薦した会員候補105人のうち6人が任命されなかった問題で、菅義偉首相がこの6人の名前と選考から漏れた事実を事前に把握していたことが分かった。除外の判断に杉田和博官房副長官が関与していたことも判明した。関係者が12日、明らかにした」

 「今回の人事を首相が最終的に決裁したのは9月28日。関係者によると、政府の事務方トップである杉田副長官が首相の決裁前に推薦リストから外す6人を選別。報告を受けた首相も名前を確認した。首相は105人の一覧表そのものは見ていないものの、排除に対する『首相の考えは固かった』という」

 「首相が105人のリストを見ていないと発言したことを受け、政府は12日、釈明に追われた。加藤勝信官房長官は記者会見で『決裁文書に名簿を参考資料として添付していた』と明らかにした上で、『詳しくは見ていなかったことを指しているのだろう』と説明。実態として把握していたとの認識を示し、首相発言を軌道修正した。同時に『決裁までの間には首相に今回の任命の考え方の説明も行われている』と繰り返し、人事は首相の判断により決まったことを強調した」

 ここで報じられている事実は、(1)学術会議から提出された105人の会員推薦名簿に関して、杉田官房副長官が6人を選別して推薦リストから除外した、(2)杉田官房副長官は、6人を除外する「今回の任命の考え方」を決裁前に菅首相に説明した、(3)報告を受けた菅首相は6人の名前を確認した、(4)6人を排除するとした「首相の考えは固かった」、(5)決裁文書には参考資料として学術会議からの会員推薦名簿が添付されていた、(6)菅首相は自らの判断に基づき6人を排除することを決裁した――というものだ。

ハフポスト日本版(10月13日)によると、杉田官房副長官は警察庁出身で「危機管理のプロ」とある。言い換えれば、生粋の「公安警察=思想警察」出身の国家官僚だということだ。官邸公式サイトでは、杉田氏は1941年4月生まれの79歳、1966年に東京大学法学部を卒業後、警察庁に入庁、鳥取県・神奈川県警察本部長、警察庁警備局長を歴任した。その後、1997年の橋本内閣では情報機関「内閣情報調査室」(日本版CIAといわれる)の室長に就任、2001年の小泉内閣では「内閣危機管理監」となり、2004年に退官するまで内閣の危機管理を担った。2012年12月の第2次安倍内閣発足に伴い内閣官房副長官に就任し、菅内閣でも続投したことで約8年間にわたって官房副長官の地位にある。副長官としての在職日数は歴代2位であり、2017年からは中央省庁の幹部人事を一元管理する内閣人事局長も兼ねている。

ハフポスト日本版は、安倍内閣時の2017年7月13日、朝日新聞デジタルが杉田氏について次のように報じていたことを紹介している。「杉田氏の執務室は官邸内で首相と同じフロアにあり、各省庁幹部が政策の説明や人事案の相談で頻繁に出入りする。歴代の事務副長官は旧自治省、旧厚生省の出身者が少なくないが、杉田氏は警察庁出身。情報収集を得意とする「警備畑」を長年歩んできた。その経験を生かして霞が関ににらみを利かせ、首相や菅氏の意向を踏まえて差配する」。

このように「警備畑=公安畑」の経験を生かして「霞が関」全体に睨みを利かせ、安倍首相(当時)や菅官房長官(同)の意向を踏まえて官僚機構を差配してきた杉田氏が、今度は学術会議会員の交代期を利用して会員人事に介入し、あわよくば学術界全体を差配して学問研究を政治支配下に置こうとしたことが、今回の事件の本質だろう。任命から排除された6人の1人、松宮立命館大学教授(刑事法学)は、京都新聞のインタビューに答えて次のように語っている(10月3日)。

――任命されなかったことについて率直な気持ちは。

「率直に言うと、『とんでもないところに手を出してきたな、この政権は』と思った。学術会議というのは、まず憲法23条の学問の自由がバックにあり、学術は政治から独立して学問的観点で自由にやらなければいけないということでつくられた学者の組織だ。もちろん内閣総理大臣の下にはあるが、仕事は独立してやると日本学術会議法で定められている。そこに手を出してきた」

「しかも法律の解釈が間違っている。日本学術会議法では会員の選び方について、学術会議の推薦に基づいて内閣総理大臣が任命すると書いてある。推薦に基づかない任命はないかわりに、基づく以上は『任命しない』もないのだ。どのような基準で推薦しているかというと、結局その分野の学問的な業績、そして学者としての力があるということを見て決める。これも日本学術会議法17条に書いてある。推薦に対して『不適格だ』というなら、それは研究者としての業績がおかしいと言わなければ駄目だ。ところが、その専門家でない内閣総理大臣に、そのようなことを判断できる能力はない。だから結局、機械的に任命するしかないのだが、今回それをしなかった。任命しないのならその理由を問われるが、総理には言うことができないだろう」

京都新聞は全紙を使ってこの大型インタビュー記事を掲載しているが、私が最も強い印象を受けたのは、「政権 とんでもないところに手出した」という見出しだった。この記事を読んだ何人かの仲間と議論したが、異口同音にこの見出しが一番印象に残ったという。菅政権の蛮行に対する学会や研究者仲間の気持ちをあらわすのに、最もぴったりする言葉だからだ。

これは私の単なる憶測かもしれないが、法政大学時代の菅青年は空手道に熱中して憲法をあまり真面目に勉強しなかったのではないか。安倍前首相の成蹊大学時代の恩師(憲法学)も同じようなことを言っていたところをみると、両者は案外似ているのかもしれない。学生時代にあまり勉強せず、学問研究に対するリスペクトもなく、政治世界に飛び込んだ政治家にとっては権力だけが全てであり、権力さえあれば全てを支配できると思い込みがちだ。「たたき上げ」という言葉がそんなキャラクター・イメージと重なることになれば、本当の苦労人は心外だと思うに違いない。

だがしかし、この間の新聞雑誌はもとよりテレビ番組でもこの問題が頻繁に取り上げられるようになり、一般社会には縁遠かった学問研究の世界に関する理解が格段に進んだことが注目される。憲法23条に保障された〝学問の自由〟を否定し、思想統制が広がれば、それはいつか庶民生活にも及んでくることがおぼろげながらも理解し始められている。10月末から始まる国会論戦で本格的な議論が始まると、菅政権のファッショ的性格はますます露わになり、「たたき上げの庶民政治家」のイメージは一挙に崩壊することだろう。すでにNHK世論調査で内閣支持率の低下傾向が表れている。これに続く各紙の世論調査でどんな結果が出て来るか、「とんでもないところに手を出した」菅政権に対する審判が、早晩明らかになることだろう。(つづく)

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岡田正則さんが菅首相の「105人のリストを見ていない」発言に批判コメント!

【特報】
岡田正則さんが菅首相の「105人のリストを見ていない」発言に批判コメント!
https://kosugihara.exblog.jp/240622530/

東京の杉原浩司(軍学共同反対連絡会/武器取引反対ネットワーク[NAJAT])
です。[転送・転載歓迎/重複失礼]

菅首相によって日本学術会議会員の任命を拒否された一人である岡田正則
さん(早稲田大学教授)によるコメントを、ご本人の了解を得て公開します。

菅首相による任命拒否が、何の道理も論理もない違法なものであることが
明らかにされていると思います。どんどん広めてください。メディア、政
党関係者などの皆さんには、ぜひ岡田さんの意見を汲み取り、活用してい
ただきたいと思います。ご本人にもご取材ください。

<関連>
6人除外前の名簿「見ていない」 菅首相インタビュー(10月9日、朝日)
https://www.asahi.com/articles/ASNB96HSRNB9ULFA01Y.html

----------------<以下、転載>---------------

昨日、学術会議が推薦した105人のリストを首相自身が見ていないという
ことが、首相発言で明らかになりました。その意味は、菅首相の「任命行
為の違法性」がますます明確になった、ということです。総理大臣が推薦
段階の105人の名簿を見ることなく任命行為を行った、ということであれ
ば、法的には当然、次のようなことになります。

(1)「推薦段階の105人の名簿については「見ていない」」、「自身が
決裁する直前に会員候補のリストを見た段階で99人だった」ということは、
日本学術会議からの推薦リストに基づかずに任命した、ということです。
これは、明らかに、日本学術会議法7条2項「会員は、第17条の規定による
推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する。」という規定に反する行為です。

(2)6人の名前を見ることなく決裁した、ということは、学術会議から
の6人の推薦が内閣総理大臣に到達していなかった、ということですから、
改めて6人について「推薦に基づいて、内閣総理大臣が任命する」という
行為を、内閣総理大臣は行わなければなりません。任命権者に推薦が到達
していないのですから、任命拒否はありえないし、なしえないことです。

(3)任命権を有する内閣総理大臣に推薦リストが到達する前に何者かが
リスト上の名前を105人から99人に削除した、ということであれば、総理
大臣の任命権に対する重大な侵害であり、日本学術会議の選考権に対する
重大な侵害です。リストを改ざんした者は、虚偽公文書作成罪(刑法156
条)の犯罪人です。

(4)推薦のあった6人を選ぶことなく、放置して「今回の任命について、
変更することは考えていない」という態度をとることは、憲法15条に違反
します。なぜなら、国民固有の権利である「公務員を選定する行為」を内
閣総理大臣は放棄できないところ、その職務を行わないことは、憲法と法
律によって命じられた職務上の義務に違反するからです。

このようなあからさまな首相の違法行為と職務怠慢は、即座に是正されな
ければなりません。

10月10日(土) 岡田正則(早稲田大学)

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【総長メッセージ】日本学術会議会員任命拒否に関して 法政大学総長 田中優子

お知らせ

【総長メッセージ】日本学術会議会員任命拒否に関して
2020年10月05日
https://www.hosei.ac.jp/info/article-20201005112305/

日本学術会議会員任命拒否に関して

日本学術会議が新会員として推薦した105名の研究者のうち6名が、内閣総理大臣により任命されなかったことが明らかになりました。日本学術会議は10月2日に総会を開き、任命しなかった理由の開示と、6名を改めて任命するよう求める要望書を10月3日、内閣総理大臣に提出しました。

日本学術会議は、戦時下における科学者の戦争協力への反省から、「科学が文化国家の基礎であるという確信に立って、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与する」(日本学術会議法前文)ことを使命として設立されました。内閣総理大臣の所轄でありながら、「独立して」(日本学術会議法第3条)職務を行う機関であり、その独立性、自律性を日本政府および歴代の首相も認めてきました。現在、日本学術会議の会員は、ノーベル物理学賞受賞者である現会長はじめ、各分野における国内でもっともすぐれた研究者であり、学術の発展において大きな役割を果たしています。内閣総理大臣が研究の「質」によって任命判断をするのは不可能です。

また、日本国憲法は、その研究内容にかかわりなく学問の自由を保障しています。学術研究は政府から自律していることによって多様な角度から真理を追究することが可能となり、その発展につながるからであり、それがひいては社会全体の利益につながるからです。したがってこの任命拒否は、憲法23条が保障する学問の自由に違反する行為であり、全国の大学および研究機関にとって、極めて大きな問題であるとともに、最終的には国民の利益をそこなうものです。しかも、学術会議法の改正時に、政府は「推薦制は形だけの推薦制であって、学会の方から推薦いただいたものは拒否しない」と国会で答弁しており、その時の説明を一方的に反故にするものです。さらに、この任命拒否については理由が示されておらず、行政に不可欠な説明責任を果たしておりません。

本学は2018年5月16日、国会議員によって本学の研究者になされた、検証や根拠の提示のない非難、恫喝や圧力と受け取れる言動に対し、「データを集め、分析と検証を経て、積極的にその知見を表明し、世論の深化や社会の問題解決に寄与することは、研究者たるものの責任」であること、それに対し、「適切な反証なく圧力によって研究者のデータや言論をねじふせるようなことがあれば、断じてそれを許してはなりません」との声明を出しました。そして「互いの自由を認めあい、十全に貢献をなしうる闊達な言論・表現空間を、これからもつくり続けます」と、総長メッセージで約束いたしました。

その約束を守るために、この問題を見過ごすことはできません。

任命拒否された研究者は本学の教員ではありませんが、この問題を座視するならば、いずれは本学の教員の学問の自由も侵されることになります。また、研究者の研究内容がたとえ私の考えと異なり対立するものであっても、学問の自由を守るために、私は同じ声明を出します。今回の任命拒否の理由は明らかにされていませんが、もし研究内容によって学問の自由を保障しあるいは侵害する、といった公正を欠く行為があったのだとしたら、断じて許してはなりません。

このメッセージに留まらず、大学人、学術関係者はもとより、幅広い国内外のネットワークと連携し、今回の出来事の問題性を問い続けていきます。

2020年10月5日

法政大学総長 田中優子

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菅首相、学術会議人事に介入

菅首相、学術会議人事に介入
推薦候補を任命せず
安保法批判者ら数人

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik20/2020-10-01/2020100101_01_1.html

 1日から任期が始まる日本学術会議の新会員について、同会議が推薦した会員候補のうち数人を菅義偉首相が任命しなかったことが30日、本紙の取材で分かりました。推薦者が任命されなかったのは過去に例がありません。任命されなかった科学者のなかには安保法制や共謀罪を批判してきた人も含まれています。新政権誕生後、菅首相による恣意(しい)的な人事が明らかになったのは初めてで、学問の自由に介入する首相の姿勢が問われます。(取材班)

前例ない推薦者外し
 日本学術会議法は、会員(210人)を同会議の推薦に基づいて、首相が任命すると定めています。会員の任期は6年間で3年ごとに半数が交代します。1日から半数の新会員の任期が始まります。会員は特別職の国家公務員(非常勤)です。

 同会議から新会員として推薦されていた立命館大学大学院法務研究科の松宮孝明教授によると、29日夕方に同会議の事務局長から「(首相の)任命名簿に名前がない」と連絡がありました。他にも数人、名前がなかった科学者がおり、「間違いではないか」と考えた事務局が政府に問い合わせると、「間違いではない。理由はノーコメント」と返ってきたといいます。

 松宮教授は2017年に国会の参考人質疑で共謀罪法案について「戦後最悪の治安立法」などと批判していました。松宮教授を知る学術会議のある会員は、「松宮教授の学術的な貢献は申し分ない。会員を外されたのは、政治的判断としか思えない」と話します。複数の関係者によると、ほかにも安保法制に反対した科学者が任命されていないといいます。

 同会議は約87万人の日本の科学者を内外に代表する機関。首相所轄ですが、政府から独立して政策提言などをします。17年には、当時の安倍政権が進めていた大学など研究機関による防衛省の軍事研究への参加について、「政府による研究への介入が著しく、問題が多い」との声明を出し、防衛省の軍事目的の研究に参加しない姿勢を明らかにしました。

 同会議の事務局は「1日に公表予定であり、現在は答えることはできない」と回答。会員に推薦した科学者が任命されなかったことは「過去にはなかった」としています。

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菅首相が学術会議の任命を拒否した6人はこんな人

菅首相が学術会議の任命を拒否した6人はこんな人
 安保法制、特定秘密保護法、辺野古などで政府に異論
2020年10月1日 21時01分

https://www.tokyo-np.co.jp/article/59092

 政策提言を行う国の特別機関「日本学術会議」が、新会員として内閣府に推薦した法律・歴史学者ら6人の任命について、菅義偉首相が拒否していた問題。6人は安全保障関連法や特定秘密保護法などで政府の方針に異論を示してきた。政府の意に沿わない人物は排除しようとする菅政権の意図が浮かぶ。
 ■東京大社会科学研究所教授の宇野重規しげき教授(政治思想史)
 2013年12月に成立した特定秘密保護法に対し、「民主主義の基盤そのものを危うくしかねない」と批判。「安全保障関連法に反対する学者の会」の呼び掛け人にも名を連ねていた。07年に「トクヴィル 平等と不平等の理論家」でサントリー学芸賞受賞。
 ■早稲田大大学院法務研究科の岡田正則教授(行政法)
 「安全保障関連法案の廃止を求める早稲田大学有志の会」の呼び掛け人の1人。沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設問題を巡っては18年、他の学者らとともに政府の対応に抗議する声明を発表。
 ■東京慈恵会医科大の小沢隆一教授(憲法学)
 15年7月、衆院特別委員会の中央公聴会で、野党推薦の公述人として出席。安保関連法案について「歯止めのない集団的自衛権の行使につながりかねない」と違憲性を指摘し、廃案を求めた。
 ■東京大大学院人文社会系研究科の加藤陽子教授(日本近現代史)
 憲法学者らでつくる「立憲デモクラシーの会」の呼び掛け人の1人。改憲や特定秘密保護法などに反対してきた。10年に「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」で小林秀雄賞を受賞。政府の公文書管理委員会の委員も務めた。
 ■立命館大大学院法務研究科の松宮孝明教授(刑事法)
 17年6月、「共謀罪」の趣旨を含む改正組織犯罪処罰法案について、参院法務委員会の参考人質疑で、「戦後最悪の治安立法となる」と批判。
 ■京都大の芦名定道教授(キリスト教学)
 「安全保障関連法に反対する学者の会」や、安保法制に反対する「自由と平和のための京大有志の会」の賛同者。

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「前例ない決定、菅首相がなぜしたかが問題」

「前例ない決定、菅首相がなぜしたかが問題」
学術会議任命外された加藤陽子氏コメント

毎日新聞2020年10月1日 21時38分(最終更新 10月1日 21時44分)

https://mainichi.jp/articles/20201001/k00/00m/010/354000c


 政府から独立した立場で政策提言をする「科学者の国会」とも呼ばれる「日本学術会議」の新会員の任期が、1日始まった。しかし、菅義偉首相は学術会議が推薦した候補者105人のうち、6人を任命から外した。その一人の加藤陽子・東京大教授が、毎日新聞にコメントを寄せた。

 加藤教授は小泉純一郎政権での政府の公文書管理についての有識者懇談会に参加し、公文書管理について政権にアドバイスをしてきた日本の第一人者だ。2010年に設置された内閣府公文書管理委員会委員だったほか、現在は「国立公文書館の機能・施設の在り方等に関する調査検討会議」の委員を務める。皇室にも熱心な読者を持つ、日本近代史の有力な研究者でもある。

 今、多くのメディアは、任命されなかった私たち6人に「なぜ任命されなかったのか」を尋ねている。いかなる研究者の、いかなる研究内容が官邸に忌避されたのかを、国民の知る権利についての付託に応えるために探るのは、もちろん理解できる。

 しかし、「なぜ任命されなかったと考えているか」を被推薦者に尋ねる思考回路は本末転倒でもある。首相が学術会議の推薦名簿の一部を拒否するという、前例のない決定をなぜしたのか、それを問題にすべきだ。この決定の背景を説明できる協議文書や決裁文書は存在するのだろうか。

 私は学問の自由という観点からだけでなく、この決定の経緯を知りたい。有識者として、小泉政権で福田康夫官房長官が始めた公文書管理についての有識者懇談会に参加し、公文書の作成管理についての政府の統一ルールを定めた公文書管理法の成立を福田元首相や上川陽子法相とともに見届けた人間として、この異例の決定の経緯を注視したいのだ。

 学術会議は、新会員の推薦を極めて早くから準備していた。今年2月初旬の段階で、内閣府は被推薦人の名前、業績などをつかんでいたはずである。8月末には内閣府から官邸へ名簿と写真もあがっていたはずだ。にもかかわらず、新しい学術会議が発足する2日前の9月29日夕に、任命拒否を連絡してくるというのは、どうしたことだろうか。これは、多くの分科会を抱えており、国際会議も主催すべき学術会議会員の、国民から負託された任務の円滑な遂行を妨害することにほかならないのではないか。学術会議の担う任務について、官邸は考慮に入れていなかったのか。人事の話だから公にできないというのであっても、早期に内閣府や学術会議へ連絡し、より適切な、優れた学術の成果のある人に代えればよいだけの話だ。

 なぜ、この1カ月もの間、(学術会議会員の人事を)たなざらしにしたのか。その理由が知りたい。そのうえで、官邸が従来通りに、推薦された会員をそのまま承認しようとしていたにもかかわらず、もし仮に、最終盤の確認段階で止めた政治的な主体がいるのだとすれば、それは「任命」に関しての裁量権の範囲を超えた対応である。念のため、付言しておく。

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■円山町・神泉という土地の記憶

2007年08月07日
東電OL殺人事件から10年を経て
■すべては佐野眞一著『東電OL殺人事件』からはじまった

http://silhouette.livedoor.biz/archives/51011871.html

5月28日、渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで「モディリアーニと妻ジャンヌの物語展」を仲間の女性3人で観たあと、至近距離にある円山町に立ち寄り、東電OLの足跡をたどった。
東電OL殺人事件については自分が書くべきことはないと思っていたが、実際に現場を歩いたことで、自分なりに書いてみようという気分になった。
Bunkamuraのシアターコクーンはわたしの好きなホールで幾度か足を運んでいたが、円山町は未踏であり、その異界ぶりをたしかめたかった。そう思いながら、すでに数年が経過してしまった。
円山町は京都の先斗町に土地のもつ空気が似ていると感じた。いずれも花街(かがい)だったのだから当然なのだ。
われわれが歩いたのは5月末の夕方だったので、まだ空は明るい。そのせいで円山町のホテル街は死んだようだったし、意外とわたしはそちらに眼がいかなかった。
わたしが東電OLの精神性に興味があるからだろう。

佐野眞一は円山町について、
《都会の隠れ里を思わせる小さな街区である。かりそめの空間ともいうべきその不思議な地理感覚が、円山町をなお一層、地上から浮遊した亜空間じみた色合いに染めあげている》
と記している。(『東電OL殺人事件』p.18~p.19)
この感覚を体感できたことが、わたしにとって最も大きな収穫だった。ホテル街さえなければ、わたしには好もしい空間だった。「この世の外」という感じで、ひっそりとしている。
円山町も神泉駅近くの殺害現場(古びたアパートの空室)も、現世に居場所がないかのような東電OLにとって、居心地のよい異界だったのだろう。

1997年3月8日、東電OLこと渡辺泰子は、井の頭線・神泉駅の踏切近くにある木造モルタルの古ぼけたアパート・喜寿荘101号室で、最後の売春相手とおぼしき何者かに絞殺された。遺体が発見されたのは、11日後の3月19日。
この東電OL殺人事件が起きたころの記憶が、わたしにはない。したがってこの事件の報道が過熱し、被害者である渡辺泰子の母親がマスコミ各社に抗議の手紙を送ったことも知らなかった。世間は過剰な反応をしたらしいが、わたしにはまったく無縁だった。
わたしにとって渡辺泰子が忘れられない存在になったのは、佐野眞一著『東電OL殺人事件』(新潮社/2005年5月)を読んでからである。
444ページというけっこう部厚い本であるにもかかわらず一気に読みおえ、翌日、一気に再読したほどインパクトを受けたのである。以後、幾度読みかえしたか数えきれない。
なぜそれほど読みかえしてしまうのか? わたしには渡辺泰子の心理がまったく理解できないからである。それに加えて、円山町という土地の記憶に不可思議な興味をそそられた。

わたしはこの事件で佐野のように発情しないし、「黒いヒロイン」として渡辺泰子を崇める心理は解せない。佐野が彼女に「巫女性と予言性」をみいだそうとする姿勢には違和感しかない。もしわたしの周囲に彼女がいたら、友だちになりたいとは思わないだろう。
わたしの興味は、肉体的にも精神的にも娼婦として不向きな彼女が、どうして夜鷹のように円山町を徘徊していたのか、に尽きる。潔癖性だったという彼女が、反転して汚濁願望を実践する、その病理について考えさせられる。
拒食症で痩せほそった肉体で1日4人以上を相手に毎晩売春し、終電で帰宅する生活は、凄絶というしかない。おそらく仕事に集中するエネルギーは残されていなかっただろう。
彼女が売春をしていたことを、家族(母親と妹)や、東電の社員が知っていた、というのにも驚かされる。
一方、冤罪としか思えないネパール人・ゴビンダの行方が気になる。『東電OL殺人事件』には、警察の怪しい動きが記されている。

午後5時、勤務先の東電本社を退社した渡辺泰子は、地下鉄銀座線の新橋から渋谷駅で降り、109の女子トイレで変身する。泰子が変身して売春していた、素の自分ではないという点は重要だと思う。
泰子は手帳に「売春日記」をつけていたらしく、その行動には合理性が貫かれている。
なお泰子の自宅に残っていた最も古い手帳は1992年で、事件現場に残されたショルダーバッグのなかから発見された手帳には、1996年から事件当日の97年3月8日まで記載されていた。
泰子のアドレス帳には、東電時代の上司や東電の幹部も入っていたらしい。東電の泰子の机のなかから、ワープロで作成した顧客に対する売春行為の申し込み書や、ワープロ打ちされたホテルに対する詫び状などが見つかったという。
殺害された当時39歳の彼女は、「東京電力本社企画部経済調査室副長」という肩書きをもち、1000万円近い年収があった。また売春で得た1億円近いといわれているお金は、銀行に預けていたらしい。
ただ堕ちるだけではなく、しっかり経済活動をしている点にわたしは注目している。


■道玄坂地蔵はみていた 

われわれは泰子がおでんを買ったというセブン-イレブン円山町店の店内には入らなかったが、わりに小さな店でひっそりしている。
そこからちょっと迷いながら神泉駅にきた。意外と渋谷駅から近い。殺害現場である喜寿荘は線路を渡ってすぐなので、迷いようがない。
喜寿荘は周囲の建物からとりのこされたような古びた建物で、1階の廊下は荒れていて、殺害された部屋にはひとが住んでいる気配がない。2階の窓が開いていた(網戸はない)ので、ひとが住んでいるのだろう。
地下にある「まん福亭」(真上が殺害された部屋)という居酒屋から中年の男性がでてきて、店の横にある発泡スチロールの箱から鰹を勢いよくとりだし、鮮度をたしかめるようにながめた。これからさばくのだろう。
連れのひとりが「道玄坂地蔵はどこにありますか」と訊くと、視線をわれわれからはずしたまま無表情で「知らない」という。ほんとうに知らないのか、説明するのが面倒なのか、わたしには判別できなかった。

わたしがみたいと念願していたのは、この道玄坂地蔵だった。
109で変身した泰子は道玄坂地蔵という小さなお堂のまえで、5年間日課のように客を引きつづけたという。
われわれは円山町をうろうろしたが、道玄坂地蔵を発見できなかった。
自然と道玄坂にでてしまい、道玄坂上の交番をみつけた瞬間、「まん福停」のまえで訊いたのと同じ彼女が勢いよく交番のなかに入り、道玄坂地蔵の場所を訊いた。
交番には20代の巡査が3人いて、いずれもさわやかな顔をしていた。そのうちのひとりが、一瞬やや意味ありげな笑みをみせ、すぐに職業人の顔にもどり、親切に交番から出て教えてくれた。それが職業だとはいえ、「まん福亭」の男性との差が際だつ。

交番のすぐ先を右折すると、驚くほど近くに道玄坂地蔵はひっそりと立っていた。
「ヤスコ地蔵」とひそかに呼ばれ、手を合わせにくる女性たちの姿が絶えないといわれていたお堂だが、事件から10年を経たせいか、それほど手入れがゆき届いているようにみえなかった。またその唇は塗られた口紅で赤く染まっていたらしいが、わたしがみた時点ではその痕跡はなかった。
中央に新しい仏花が2束供えられていて、左手にわりに大きなガラスの花瓶があり、水が濁っている。そこに持参していた花束を入れるのに抵抗があるので、しばらくみつめていたが、観念した。潔癖性のわたしは、自分の全身が汚濁したような気分になりながら花束を入れ、手を合わせた。「安らかにお眠りください」と念じて。
同行したふたりは、わたしより先に手を合わせていた。

『東電OL殺人事件』(p.340)によると、道玄坂地蔵は宝永3(1706)年、道玄坂上に建立された。円山町あたりは江戸時代火葬場があったため隠亡谷と呼ばれ、近くには地蔵橋という橋もあった。花街として発展するのは明治24(1891)年頃からで、新橋から赤筋芸者と呼ばれた客に不都合のあった16人の芸者衆が、花柳界を開いたという。
戦後、道玄坂から円山町に移されて以来、地蔵の前に設けられている賽銭箱の金は道玄坂地蔵の名義で近くの八千代信用金庫に預けてあり、慈善事業活動に役立てているという。
しかしわたしが眼にした限り、この賽銭箱はみあたらなかった。

ネット上には東電OLに関する画像がたくさんアップされているが、『COSMOPOLITAN』(2002年12月号)に掲載された、【開かれた「パンドラの匣」】と題された佐野眞一の一文に挿入されている、藤原新也の写真が抜群にいい。この雑誌が発売された当時から気に入っていたが、現場を眼にしたいまのわたしは、さらに彼の表現者としての手腕に感心する。
記事はp.129~p.135にわたり、写真はつぎの3ページ全面。
①p.131……闇のなかで円山町のホテル街を横切る猫
②p.133……夜のまん福亭
③p.135……灯りのともる夜の道玄坂地蔵


■円山町・神泉という土地の記憶

『東電OL殺人事件』に佐野眞一は、作家の大岡昇平が日本人には珍しい精緻な地理的感覚の持主だったことも、幼少期を過ごした渋谷という町の地理的感覚とおそらく無縁ではない、と記している。
ちなみに大岡昇平の家に近い富永太郎の家は代々木富ヶ谷1456番地(現神山町22番地)にあった。太郎が道玄坂を散策していたことが、遺された手紙からわかる。
余談だが、大岡は太郎の弟・次郎と同い年で成城学園中等部で同級。ふたりが知り合ったのは太郎が死んだ1925年11月12日から1ヵ月もたたない12月の上旬で、太郎の死んだあとの雰囲気がまだ富永家にあったという。

佐野によると、円山町が花街から旅館街にかわる流れの先鞭をつけたのは、岐阜グループと呼ばれる、富山県境に近い岐阜の奥飛騨にある御母衣(みぼろ)ダムの工事にともなって水没した村の人々だったという。
ついでながら、「水になった村」(監督・撮影/大西暢夫)という映画が、8月4日から東京都中野区のポレポレ東中野で公開されている。舞台は日本最大のダム湖に沈んだ旧・岐阜県徳山村である。

佐野は円山町という土地の記憶についてさまざまな角度からアプローチしているが、その意味で中沢新一著『アースダイバー』(講談社/2005年5月/装幀・菊地信義)は、とても興味深い。巻末に折り込み Earth Diving Mapがついている。
なお本書は『東電OL殺人事件』から5年後に刊行されている。
若い友人にコンセプトを伝えて、コンピューター上で描いてもらったお手製のアースダイバー用の「縄文地図」と現在の市街地図をもって東京を散策した中沢は、現代の東京が地形の変化の中に霊的な力の働きを敏感に感知していた縄文人の思考から、いまだに直接的な影響を受け続けていることを発見する。
わたしが『アースダイバー』を入手したのは円山町を歩いたあとなのだが、中沢新一の皮膚感覚に共感できる。
円山町と神泉に関する興味深い箇所を引く。(『アースダイバー』p.064~p.065)

《渋谷はまず、この道玄坂の中腹あたりから発達しだした。
 ひとつには、そこに江戸の人々にとって最大の信仰であった「富士講」の本部がおかれたからである。この信仰では、富士山が巨大な幻想の女体にみたてられ、山麓に点在する「風穴」と呼ばれる洞窟にもぐりこんで、象徴的な死と生まれ変わりを体験して、気分も新しく江戸に戻ってくるという、とても不思議なことがおこなわれた。その死と生まれ変わりの空間にむけて、人々はこの渋谷から出発したのだった。
 しかし、興味深いことには、道玄坂の裏側の谷には、別のかたちをした死の領域への出入り口が、つくられてあった。うねうねと道玄坂を登っていくと、頂上近くに「荒木山」という小高い丘があらわれた。いまの円山町のあたりである。この荒木山の背後は急な坂道になっていて、深い谷の底に続いていく。そこに「神泉」(しんせん)という泉がわいていた。
 この谷の全域がかつては火葬場で、人を葬ることを仕事とする人々が、多数住みついていた。神泉の谷は、死の領域に接した、古代からの聖地だったので、このあたりには、聖(ひじり)と呼ばれた、半僧反俗の宗教者が住みついていた。彼らは泉の水をわかして「弘法湯」(こうぼうゆ)という癒しのお湯を、疲れた人々に提供していた。地下からわいたお湯につかることで、人は自然の奥底にひそんでいる力に、直接触れるのである。だから、お湯へつかることは、また別の意味の、「小さな生まれ変わり」を体験することでもあった。   
 道玄坂はこんなふうに、表と裏の両方から、死のテーマに触れている、なかなかに深遠な場所だった。だから、早くから荒木山の周辺に花街ができ、円山町と呼ばれるようになったその地帯が、時代とともに変身をくりかえしながらも、ほかの花街には感じられないような、強烈なニヒルさと言うかラジカルさをひめて発展してきたことも、けっして偶然ではないのだと思う。ここにはセックスをひきつけるなにかの力がひそんでいる。おそらくその力は、死の感覚の間近さと関係をもっている》

渡辺泰子は売春を重ねるたびに、死の領域に近づいていったのではないか。拒食症のせいで痩せほそり、さらにダイエット錠を常用していたという彼女にとって、売春は強力な死への牽引力だったのではないだろうか。
それにしても、そもそもセックスを商品化するとは、どういうことなのか?
わたしには本質的に商品化できないものとしか考えられないのだが。
エコノミストで合理主義者の彼女が、貧弱な自分の肉体を商品化していたところが、なんとも哀しい。


■京王井の頭線・渋谷発0時34分の吉祥寺行き最終電車

渡辺泰子が殺害される日からさかのぼった約2年間、同じ終電によく乗り合わせていた女性がいた。彼女の自宅は井の頭線の西永福駅から徒歩5分で、渡辺泰子と同じ駅で降りていた。彼女はフリーライター・椎名玲で、『文藝春秋』(2001年6月号)に寄稿した【現代のカリスマ 円山町OL 淋しい女たちの「教祖」になるまで】と題する一文は、じつに興味深い。
渡辺泰子に思い入れが強いが面識のない佐野眞一には描けない、なまなましい渡辺泰子像が浮かんでくる。
上記から印象的な箇所を列記する。

①終電の最後尾より二両目の後方ドア前が定位置だった。
②何度か、車中で酒のつまみのようなものをむさぼるように食べている姿を見かけた。
③黒いショルダーバッグをゴソゴソとかき回して口紅を取り出し、電車の窓を鏡にして、唇の輪郭からはみ出すのを気にせず口紅を塗っていた。
④故鈴木その子のような真っ白い化粧と真っ赤な口紅は、どこかレトロで生気のない顔を作りあげていた。腰までありそうな長い髪の鬘をかぶり、けだるくため息をつく。トレードマークのように真冬でもバーバリーのコート姿。コートの前はとめることなく、中の洋服が見えていた。印象的なブルーのツーピースを好んで着ていた。
⑤走る電車の窓を見ながらよく笑みを浮かべていた。不思議な人だった。お世辞にもきれいとは言えないが、現世に魂がないかのようで、異質な吸引力があった。
⑥電車の揺れで、ころびそうになった彼女を支えたこともあったが、驚くほど軽い。足に包帯を巻いて辛そうに立っていときも「大丈夫ですか」と声がかけられない。やすやすと声をかけることができない、次元の壁を彼女から感じていた。
⑦彼女の異変に気が付いたのは殺される半年ほど前からで、さらに激痩せして、頬の肉は削げ落ち、首筋が浮かび上がっていた。コートの下から見える足も異常にに細くなっていまにも折れそうだった。電車にゆられていると、呼吸さえも苦しそうに見えた。自宅のある西永福駅に到着し電車から降りたとたん、強風に煽られて反対側のホームの下へ落ちそうになったこともあった。
⑧一度、彼女の手に偶然触れたことがある。体温がまったくないような冷たい感触。この先この人は生きていけるのだろうかと、胸騒ぎを感じた。

109で変身した泰子は、帰りの終電の車内でもそのままの姿だったようだ。
自宅で長髪のカツラをはずし、濃い化粧を落とす。売春手帳に書きこむのが1日の締めくくりだったのだろうか。
そんな彼女の姿を想像していると、ダブルフェイスの境界線はどこに引かれていたのか、と考えてしまう。
売春行為によって自我のバランスをとっていたと思える泰子は、虚像が実像を呑みこんでしまう寸前に何者かによって生のピリオドを打たれた、という解釈もできる。
佐野によると絞殺されたとき抵抗しなかったらしいが、とうのむかしに渡辺泰子は死んでいたのだろう。
その時期を厳密にいうなら、過剰なまで尊敬していた父親を亡くした20歳のときだったのではないか。父親とは精神的な意味での近親相姦はあったらしいから。
東電の重役になる一歩手前で父親がガンで他界したとき、康子は慶応大学の学生だったが、このとき最初の摂食障害が起きている。そしてお嬢さん育ちの母親に代わり、一家の大黒柱として生きてゆくことを決意したという。


■殺害された1997年3月8日(土)の渡辺泰子の足跡

『東電OL殺人事件』から事件当日の泰子の足跡をまとめてみよう。
11時25分、定期で西永福駅の自動改札口をくぐり、渋谷で下車。東急本店でサラダを買ったあと、山手線で五反田に向かった。西五反田2丁目のホテトル「魔女っ子宅急便」に着いたのは12時30分。「魔女っ子宅急便」につとめはじめたのは1996年の6月か7月で、源氏名は「さやか」。勤務日東電が休みの土・日・祝日。
5時30分頃まで客からの電話を待ったが、ひとりも客はつかず、5時30分過ぎに、すすけた感じのブルーのツーピースの上にベージュのコートをはおって退店した。「さやか」は退店後30分ほどしてから、客から電話があったかどうかを確かめるため、渋谷の公衆電話から必ず連絡してきた。だが、3月8日に限っては、その電話がなかった。「さやか」は仕事熱心というか積極的な娘で、「どんなお客さんでも回してね」といつもいっていたという。
なお、泰子がクラブホステスのアルバイトをはじめたのは1989年頃で、渋谷界隈で売春をはじめたのは、事件の6年くらいまえからだという。

6時40分頃、渋谷駅近くでかねてからの客(60がらみの風采のあがらない男)と待ちあわせた泰子は、渋谷109の前を右折して東急本店方向に向かい、東急本店側に渡らず、左側を道なりに歩いて、セブン-イレブン円山町店に立ち寄った。そこでシラタキやコンニャクなど油っこくない具を一つ一つ小さなカップに小分けして買い、いつもの通り「汁をたっぷりいれてね」とアルバイトの女店員に注文をつけた。
店を出て50メートルほど行って左折し、円山町のラブホテル街に向かった。初老の男と午後7時13分に円山町のラブホテル「クリスタル」(連れ込み旅館のようなたたずまい)に入って4万円で売春した。
(泰子が客を直引きしていた売春の最低価格は2000円まで落ちていたらしい)

午後10時16分に「クリスタル」をチェックアウトしたあと、泰子はラブホテル街をつっきり、初老の男を道玄坂上交番付近まで見送り、道玄坂から神泉駅方面に向かう路地を歩いていった。そのあと道玄坂方面に戻るという奇妙な行動にでて、「ねえ、遊びません、ねえ、遊びません」といって大っぴらに客引きをはじめた。
深夜の11時45分頃、喜寿荘101号室に東南アジア系の男と一緒に入ろうとしているところを目撃されている。
殺害される寸前まで、まことに"勤勉な生活"というほかない。


■佐野眞一著『東電OL症候群(シンドローム)』

『東電OL症候群(シンドローム)』(新潮社/2001年12月)は、『東電OL殺人事件』の続編である。本書に「渡辺泰子さんというのは、すべての事象を透視して見るまなざしの持ち主だったんじゃないかというのが、私の仮説です」(p.191)という佐野の発言が記されているが、わたしには納得できない。
本書の末尾に、佐野はなぜ東電OL殺人事件に「発情」したかについて触れている。
《行間には私個人の親と子、兄弟にまつわる誰にも話せない闇と哀しみを潜ませたつもりである》《宇宙にたったひとりで放り出されたような極北の孤独が「発情」の根源だ》といわれても、なおさらわからない。

本書に、東電OLのどこに女性読者が感応されたのを知りたい、という思いで佐野が会った女性読者が紹介されている。
小夜子さん(仮名)は、わたしが思うにはお門違いである。どちらかというと、ケッセルの小説『昼顔』に近いと思う。わたしは観ていないが、映画ではセヴリーヌをカトリーヌ・ドヌーブが演じたらしい。さぞかし妖艶だっただろう。ただし、セヴリーヌは夫を深く愛しながら売春宿で働いていたが、小夜子さんは夫に醒めている。
わたしが共感できたのは、1960年生まれで、父親が東電に勤めていたという柴田千晶さんの詩集『空室 1991-2000』(ミッドナイト・プレス/2000年10月)である。
柴田さんは佐野に手紙ではなく、この詩集を送ったという。
本書で一部が紹介されているのを読んで、すぐにわたしはこの詩集を入手した。が、いまは品切れらしい。
柴田さんは「泰子は私だ」と思って詩篇を書いたという。わたしは柴田さんの感性には惹かれるが、それはわたしがとらえている泰子の感性とは異なる。

佐野眞一が『東電OL殺人事件』を著していなければ、これほど話題にはなっていなかった、とわたしには思える。
読者たちはそれぞれの器量に応じて、渡辺泰子に共感しているのだろう。
いまのわたしは渡辺泰子に対する謎はさらに深まり、「ヤスコ地蔵」を崇めた女性たちのその後が気になる。


■「週間新潮」2007年3月22日号に掲載された元大学教授の述懐

松田美智子(作家)が東電OL馴染みの元大学教授(経済学)から聞いた話が「週間新潮」に掲載された。東電OLが殺害されて10年後である。
印象に残った箇所を列記する。

①事件の3年前の夜、道元坂地蔵近くの路地で声をかけられ、最後に会ったのは事件前日の3月7日。3年間で彼女に支払った金の総額は168万円。
②コンサートや美術館、京都で仏像巡りをなんども誘ったが、実現しなかった。
③「私なんかリストラでいつ飛ばされるか分らない。あそこ以外では使い物にならないから」と言うので、経済調査室は情報の中枢をなす部署なんだから、無くなったりしないよ、と慰めた。
(註・『東電OL症候群』によると、泰子がつとめていた「経営企画室」は、組織改革されてなくなった)
④僕がなによりひかれたのは彼女のクレバーさ、上品さ、気持ちのよさ。職業柄、ドクターコースの女性を大勢知っているが、きちんと理論が整理されているのは、彼女がトップ。
⑤叶うことなら、彼女のお骨の前で懺悔したい。ご家族にもお詫びしたい。
⑥事件から数ヵ月後、30年近く奉職していた大学を定年退職。彼女の冥福を祈りながら、余生を過ごしたい。
⑦約1年後、彼女が葬られている墓地を見つけ、やっとお参りができた。大好きだったお父さんと同じお墓で、本当によかった。

彼の述懐を読んでわたしが疑問に思うのは、最後まで金銭が介在した関係だったところだ。
彼が渡辺泰子に対して親身に接していたとしても、彼女にとっては顧客のひとりでしかなかったのではないのか。
それでも、これほど泰子のことを死後も大切に思う人間が客のなかに存在していたとしたら、わたしは安堵する。
佐野眞一は彼に会わなかったのだろうか。


〔参照〕

東電OL殺人事件(新潮社のホームページより)

佐野眞一『東電OL症候群』(新潮社PR誌「波」2001年12月号より)
「ガラスの天井」を生きる女性たち
バレリー・ライトマン

ほぼ日刊イトイ新聞 - はじめての中沢新一。

新たなランドマーク出現で変貌する 道玄坂坂上~円山町周辺事情(シブヤ経済新聞)

渋谷三業地

雑誌における女性被害者報道の分析要約
武蔵大学:武蔵社会学論集「ソシオロジスト」No.1 
1999(平成11)年3月22日

東電OL殺人事件 無実のゴビンダさんを支える会

 

 

 

 

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10月25日投開票の日程?

有田芳生
@aritayoshifu
·
8月29日


 


10月25日投開票の日程が広がっています。菅さんが総理になれば、ない。そう判断しています。
菅さんの権力観をご本人から聞いているからです。
総理になれば来年9月の任期まで解散しないでしょう。
麻生さんが安倍さんに何度も勧めた解散を阻止したのが菅さんです。
選挙をやって敗北したら退陣です。


 


 

有田芳生
@aritayoshifu

次期総理について取り沙汰されていますが、二階派が官房長官を推せば「菅総理」が誕生します。
多少なりともご本人の本音を知っている立場からすれば、来年9月の総裁任期まで解散はしないでしょう。
選挙で大敗すれば退陣だからです。麻生副総理の解散推進を何度も止めてきたのは菅官房長官でした。

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