福岡 一斉監査請求

全国人権連機関紙「地域と人権」3月15日号

福岡 監査請求
     
解同地協運営分担金の公費支出は違法

関係11自治体で全国初の一斉住民監査請求

福岡県南の久留米市、大牟田市、八女市など11の自治体で、日本共産党議員や市民らが「16の自治体が年間2300万円もの解同地協の運営分担金(補助金)を支出しているのは違法とする住民監査請求を2月21、22日に行いました。複数の自治体で一斉に解同補助金を摘発する住民監査請求をおこしたのは全国初のとりくみです。
解同(部落解放同盟)筑後地区協議会が使用する筑後地区解放会館(久留米市)は久留米市の施設。1972年4月、同市が解同筑後地協と交わした契約書によれば、同市は解同に「筑後地域住民の福祉の増進をはかる各種の行事に使用」することを目的に、無料で貸しつけています。ただし、施設の維持管理費などの費用負担は契約書では「すべて解同の負担」になっています。
ところが施設(解放会館)の維持管理費は筑後一帯の16市町村が72年以来、毎年、合計2千3百万円の分担・補助金として支出しています。(表を参照)
監査請求書は、国において同和行政が終結したにもかかわらず、特別扱いの同和対策予算が執行されている。久留米市と解同の契約書では「使用料は無料」「維持管理費は解同地協の負担とあり、公金を民間団体の解同地協の運営費として支出することは違法としています。
22日までに住民監査請求を起こした自治体は3市のほかに筑後市、柳川市、小郡市、大川市、広川町、立花町、太刀洗町です。
また久留米市では甲斐征七生市議が、解放会館運営決算書を同市が開示しなかったことについて、同日、久留米市長に対し全面開示を求める異議申し立てをおこないました。




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弓矢「差別事件」の真相 本人が語る

同和教育の名で簡単に人権を踏みにじる三重県の異常な実態をあばき、校長先生の無念をはらしたい
  弓矢 伸一

 三重県立松阪商業高校校長自殺(1999年12月15日)の真相解明と、県教委の懲戒処分に抗してたたかう「弓矢先生を支援する」つどいが2000年10月28日、三重県教育会館で開催されました。この日、「差別者」のレッテルをはられ、県教委から処分されたことに対して、自らの名誉をかけて不服申し立てをおこなっている県立紀伊長島高校の弓矢伸一(ゆみや・しんいち)教諭が約一時間にわたっておこなった「報告と決意」の大変を紹介します。

 高いところから失礼します。ちょうど一年前(1999年)、この時期のことを思いますと11月5日の糾弾会に向けて、毎日、反省文をどのように書くか、居残りの毎日でした。日が経つにつれ帰宅時間が、最初は9時だったものが、10時、11時、最後はもう夜中の2時に帰宅せざるを得ないというところまでどんどん、わたしの反省がいかに表現できるかを、厳しく問われていた時期です。
 わたくしの人生においてこんな目にあわせられるなんて、夢にも思っていなかったことが起こり、これに対してたたかっていくということも生まれて初めてのことで、何をどうやればいいのか分かりませんでした。少しずつ「県民の会」のみなさまにご支援をいただいて、ここまでやってまいりました。わたし自身から発言するというのが、初めての機会でございますが、すべてを洗いざらい正直に申し上げます。またなんなりとご質問をしてください。
 ことの起こりは、昨年(1999年)の4月1日から始まります。昨年と申しましても、実際自分が家を建てて住んでおりました1年間という前の状況がございます。そこのところから話をさせていただきます。

 なぜ住民運動を始めたのか…
 なぜ、わたしが住民運動を始めたかというところです。新しい団地というのは道路はありましたが、家が建っただけという形で、ゴミを捨てる場所(ゴミステーション)は歩いて300メートルぐらいのところで、また、防犯灯も何もありません。わたしが住んでいる区画だけ、同じ町内なのに真っ暗なのです。なおかつ排水問題もありますが、私どもの家は、町内会の境界をなす水路に流すことは許されていたわけですが、それ以外のお家はその水路に流せないものですから、家の前に台所や便所の汚水を流すように家の設計がされておりました。夏になると便所の臭いがプンとにおいますし、虫もたくさん飛んでくるものですから、「非常に不衛生な環境だなあ」と思いながら生活を続けておりました。また、わたしの下の子どもは2歳で、紙おむつをしています。毎日、毎日おむつの処理をするのですが、ゴミを出す日になりますと黒いビニール袋を3つも4つも運ばなければならない。300メートルも歩いて持っていきますと指がちぎれるばかりの痛みを覚える、という状況下にありました。「不便やなぁ、家を建てたのになんでこんな不便なことになっているのか」と、住んでみてその不便さを実感したわけです。
 3月の終わり、春休みになりましたので、「1年間ここに住んでいてずいぶん不便なことがあるんやけども、お宅、家を建ったときどうやったんですか?」と近所の奥さんにお話を聞いたわけです。そうしたら家を建てるときに「排水路に水を流せないし、団地内のお隣にあるお家は、塀にぴったりつけてゴミ置き場が設置されて、ゴミのにおいが漂ってくるのに、そこへはゴミを捨てることすら許されてない」というようなお話を聞いて、これなんとかならんのかなあと…。ちょうど境界をなす水路と道路があり、そこを管轄しているお隣の町内会長さんに「なんとか助けてもらえんやろうか」という思いで相談に行きました。そしたら「あんたところは隣の町内会やけども、田んぼをはさんで向こうのほうに町ができている。あんたとこだけ飛び地のようにぽかんと団地ができて、逆にうちところの町内に接しとるから、なんやったらうちのところに入ったらどうや」という提案をしていただいたのです。わたし自身「ええ!そんなことできるのですか」と、想像もつかないことを教えていただいた、ということでびっくりしました。その可能性をさぐっていくと、団地の方の全員の賛同をいただいて、なおかつ自分の所属をする町内会の会長さんにお許しをいただいたら、分離していただけるのではないかと、そういう道筋を教えていただきました。
 そのお話をいただいて、4月1日から団地の方のところへお話をしにいきました。もちろん、昨年度の団地の世話役である組長さんにこのお話をして、「なんとか住んでいる環境を少しでもよくしたいから、なんとかご協力をいただけませんやろか」とお願いし協力をしていただいたわけです。
 そうやってスタートいたしましたもので、天地神明にかけて差別心でここを離れたいというようことは一切ございません。4月2日にこのお話をもっていったお家で、奥様から「これは世間には言えないことやけど、ここから離れられたらうちの娘にとってもええんさ」と言われました。わたし、このお話を聞いて「差別発言、なんとしよう」と心の中で思いましたが、新しく団地で集まった人間関係ですので、ここでその奥さんに対して「それはあまりにもむごい、差別発言や」と言うことが、あとあとの人間関係を考えて言えなかったのです。
 たいへんなことを聞いてしまった、これはもうぼくの心の中にしまいこんでおこうと判断し、そのお宅を辞したわけです。そうして心の中にしまい込んだ発言を、まさかその次の日に最後の団地の方に、分離の話をもっていった矢先、「お宅が一番最後になる、よそさまもみんな賛成しておられる」ということを同行していただいた組長さんがおっしゃって下さった。そうすると奥様も「うちとこだけが反対をしておってもあかんし、皆さんの総意に従います。賛成します」と言って下さいました。なんとかその奥様も賛同をいただきました。
 そのあとで、わたしが不用意な発言してしまったわけです。言った瞬間、息が止まりました。奥様から「それはどういう意味ですか!」と叱責の抗議を受けました。わたしはその瞬間から「申し訳ございません。わたしがこの団地の運動をはじめたのは差別心からではございません。自分の子どもの通学路がきっかけではございますが、なんとかこの1年間住んで、ゴミの置き場もない、防犯灯もない、そういう町内会から見捨てられたような存在になっているこの状況を少しでも改善したい、その思いで動いてきたわけです」という形で、自分の不見識な発言を謝罪しました。

 同推教員から罵声・恫喝ともなう「取り調べ」が開始される
 その日はもう眠れませんでしたが、皆さんの賛同を得た、ということで運動のほうを皆さんといっしょに進めていったわけです。小さな団地、たった11軒です。それをお隣にくっつけるというようなことも自治会のルール等で簡単にいくものではありません。結局、その話は自分の所属する町内会長さんから、「できない」という形で断られるわけです。その断られるときと、今回のわたしの発言をもとに差別事件だというふうに、あえてわたしは取り調べと言わしていただきますが、取り調べがなされた時期が重なりあいます。
 6月1日、朝登校したら校長先生にすぐに「弓矢さん、ちょっとこっちへおいで」という形で言われました。校長室に入っていきますと同推教員3人が待ちかまえておりまして、わたしの団地のなかでの運動を詳しく知っていて、「あんたこんなことやってきたんやろ」と、4月から5月にかけての内容をこと細かく言われて、わたし自身は、「なんでこんなこと知っているんやろ。自分の住んでいるところの運動で、職場の方にだれにも話してこなかった。なんで分かっているのやろ」というふうにいぶかしげに思いました。ただ、そのあとで「あんたは〇〇さんのお家でこんな差別発言をしているのやけども、どやな」という事実確認が始まりました。
 わたし自身、そういう発言をしたということは6月1日の段階で記憶から薄れておりました。ですので首をひねって「そんなむごい発言、わたししたんでしょうか」ということで、5時間ほど校長室での取り調べが続きました。あまりにも記憶がないということで、団地の組長さんのところへ行きました。「わたし、4月3日こんな不見識なむごい発言をしたのでしょうか」というふうに確認に行ったら、そこで組合長さんから「あんたそんな発言したんやよ」という形で言われ、わたしはそこでもう人間として恥ずかしい発言をしたということをそこで再確認をし、その発言をされたお宅へ謝罪に行きました。けれども、そのあと日を追うにしたがって、同推教員の中心人物であるM教諭から罵声やら、恫喝やらをあびて参りました。
 私どもの学校のなかの組織について言いますと、同推委員会という会がございます。さきほどの同推教員M氏を中心に各担任の先生から一人ずつと、生徒指導・進路指導とか各仕事別からも代表を出すという大きな会があるわけです。その同推委員会でいちいちわたしの取り調べた結果を報告し、さらにそれに基づいて職員会で学校の先生全員に報告をしていく、という形をとっていきます。
 けれども、校長室において同推教員と校長、教頭先生のたった6人、密室でどんな話をされているかということは同推委員の先生すら分からない状態です。だから今回、わたしが県民の会の皆さまに書いていただいたビラや、報告文章のなかで初めて「ああ、弓矢さんほんまにこんなことされとったん。われわれも何もわからなかった」という声を聞くありさまでした。

「解放同盟とパイプがある人に逆らわず指示を仰ぎなさい」と・・・
 次に追って話をしていきますが、6月のはじめに「自分のしたことについて反省の色がない」という形で机を蹴り上げられ。わたし自身なんでそんな目にあわされないといけないのか、精一杯自分の言ったことについて反省心はもっております。なんでそこまで乱暴なことをやられないかんのか、と校長先生に泣いて抗議をした覚えがあります。
 けれども翌日に自分が泣いて抗議したことをなだめるかのように、教頭から「M先生の指示を仰ぎなさい。あの人は解放同盟とのパイプがある。あの人に任せておいたらあんじょうしてくれる。せやからあの人に逆らってはあかん」という形で諭されました。その晩、家内に「おれはもう今日から洗脳されたみたいにしていくわ。そうせんとこの先やっていけへんわ」と自分にも言い聞かせるためにも言いました。その結果、次々と自分のところに県教委ですとか、あるいは松阪市、三重県の県民局、いろんなところから差別意識の調査や、あるいはそれにもとづく「研修会に出てこい」という指導が加えられてきました。
 いまでこそ、人権という名の下に、わたし自身の人権が踏みにじられてきたと言えますが、その当時はもうたたかれるまま、「すいません」「すいません」「すいません」と頭を下げて、相手の方に逆らわない、相手の方の言う通りするのが自分の誠意をみせるものや、人間としての行いなんや、という思いだけできたわけです。
 さらに、「自分の教え子を差別したんや」というふうに言われたときほどショックはありませんでした。実際「いま授業を担当している生徒、同じ町内に住んでいる生徒をあんたは差別したんや。その子の心を踏みにじったんや。これをどう償うのや」と言われたときには、まさかその子が同和地区の出身の生徒であり、奨学金をもらっている生徒とは知るよしもありません。そんな情報は担任の先生しか知らない話です。ですから、そういうことまでわたしに明かされ、わたし自身が良心の呵責に堪えきれず、このまま教員を続けることがええものかどうか、「辞表も書こうか」というところまで気持ちが追い込まれました。同推教員は「弓矢さん、辞表書いたらあかんよ。あんたのこの行いを徹底的に究明するためにはやめたらあかんよ」というような形で、励ますというよりも、わたしを教材に使い、生き証人を残していく方針での説得がありました。
 7月にかけては、生徒さんのことに絡んで、自分が地域の生徒に対してどんな思いやったとか、自分の教え子に対してどういう指導をしてきたか、人権感覚のなさが今日のおまえを生んだものや、という厳しい叱責が続いておりました。8月に入りますと、「このままただ単に研修しているだけでなく、いっぺん東京で全国の奨学生が集まる解放同盟主催の解放奨学生大会へ行って来い。そこでの生徒がどんな苦しい思いをしているか、生の声を聞いてこい」というような形で奨学生大会に参加をしました。

 「なんでもかんでも正直に言えよ!! あとが恐いぞ」…
 8月の間には、解放同盟の聞き取りが2回ありますし、これに向けてのわたしの自分を見つめての文章、このなかの事実確認や、それから差別意識が生まれたときからどう根づいてきたのか、まさしく自分を見つめての文章をもとに確認、確認と言ってもわたしの自己の内面について鋭く問われ、プライバシーの問題など自分で思うことすら許されない、糾弾会が始まる前に「なんでもかんでも正直に言えよ。言わんかったらあとが恐いぞ。その代わりに正直に言うたら、あんたは心がラクになるんや」というふうに解放同盟の幹部さんに言い含められ、その会に望んだわけです。第1回目の会議は、まだ自分を見つめての文章をもとに、自分の確認をする段階ですが、8月の2回目の会議においては、「おまえの両親のことが文章に書いてない。自分の母親の差別心を、あるいは差別をもっている父親や母親を隠す意図があるのか」というところまで言われました。さらにその会が終わったあと、学校に戻りましたら、今度は同推のM教員から「実はあんたとこの親御さんがやっとったお店の元従業員の発言を解放同盟の人らが調べあげて、いろいろ話を聞いてきた。あんたのお母さん、昨日貸したお金をすぐにでも返せとゆうて、つらくあたるそんな人やったんやなあ」と、わたしの両親が差別者という形で言われたわけです。
 このやり口はいま振り返ってこそ、糾弾会に向けて両親も差別者というふうに、わたしの口から言わせるためのものやったんやと判断できますが、その当時は、自分の大事な両親まで、差別者やなんて絶対に許せんと思いました。祖父は明治生まれで、ずいぶん差別的な言動もあったのは子ども心に承知しています。けれども両親はわたしを育てるのに、そういう姿をみてこなかった。わたし自身両親からはちっとも差別心を受け継いでいないという、心の砦というものがあったわけですが、それすらもM教員はズカズカと踏みこんでわたしの心を踏みにじっていきました。でもその言葉に対して、わたしが堅く心を閉ざすと「なんやおまえ、解放同盟の人から言われたことがそんなに苦になるのか。そんなおまえの姿よりか、おまえの発言で傷ついてる生徒のことをどう思っとるのや。そっちのほうが大事やろ」という形で、自分がどんなに人を傷つけるかということについての話は一切ありません。

 「校内報告集会」も着々と仕組まれる 
 もう一つあります。その糾弾会が終わった夏休みのあと、「校内報告集会を開かなあかん」という話が出てまいりました。糾弾会ともう一つ、学校内の生徒を集めて壇上でわたしが謝罪をする集会を開くべきや、という話がいきなり出されました。わたし自身、こちらの話がものすごくショックでした。謝罪せなあかんという気持ちはありますけれども、自分の罪を謝罪しても、生徒からわたしに対しての信頼が100%失われるだろう、ということがもう目に見えてわかることですし、それをやったあと自分が教壇にたてるかどうか…、わたしが悪さをした生徒を注意しても、「なんやおまえ。差別したおまえに言われる筋合いがない」と、指導ができなくなる。あるいは人間としての信頼感も100%なくなる。こういう恐怖心がさきに立ちました。その話が校長室でなされたとき、わたしは校長先生に助けを求めるような形で、「するべきやと思いますが、校長先生このお話いかがでしようか」という形でこの話をふったわけです。校長先生が「仕方がない。ぜひやれ」と発言されれば、「あ、これは校長先生からの業務命令や」みたいな形で自分の心に言い聞かせて、これに向かっていくために自分を納得させようと考えたわけです。そのときの校長先生のお返事は「わたしにもわからん」というお話でした。これが8月28日です。
 9月、10月と糾弾会に向けて、わたしにも取り組みがなされていきます。それと同時平行して、同推教員が奨学金をもらっている親御さんや生徒さんのお家に、松阪商業の教員がこういう差別事件を起こしたという報告を家庭訪問でする、という話がなされていきます。その結果、どうなるかと言いますと、人の口に戸を立てられないと言いますか、小学生の親御さんや生徒さんの口からわたしの名前が自然と、「弓矢が差別事件を起こした」という形で生徒の間に広まっていきます。
 11月5日の糾弾会が終わりましたら、すぐに校内報告集会を開かないとあかんという形で話が出てまいりました。この話は実は8月の末に、わたしや校長先生の前で言われたわけですが、そのときは同推数員は「弓矢さんができなかったら、まあ無理やろな」と、言葉を濁して引っ込めたわけです。9月にわたしが参加していない同推委員会のなかで、密かに校内報告集会をどうやって実行するかの話し合いがなされていました。そのことが10月頭の職員会議でいきなり出されました。
 一番最初に驚いたのは、解放同盟の幹部をこの集会に参加させる。集会の様子はビデオにとって録画をする。なおかつ小・中・高の同推教員すべてをこの松阪商業の報告集会に参加させ、集会でわたしの謝罪と、今後に向けての新たなる決意の報告、それから校長先生のお話、同推教員の話とおわったあと、各ホームルームで生徒と担任とで差別事件についての討論会、という形になっておりました。
 同推委員会に参加していた他の教員の中から「外部の団体を呼ぶことについては私たちは反対をしていた。この案については同推委員会で採決もされていない。その案をいきなり職員会で出してきて『どうですか』というのはおかしい」という形で、10月最初の職員会議がありました。ちょうどそのときわたしは、この会議の司会をやっていましたので、もう生きた心地がしませんでした。司会を別の先生に代わっていただいて、わたしは報告集会の提案をメモする記録係りの仕事をするのが精一杯でした。この話は職員会議でなんら決められておりません。どんどんと同推教員の中心的存在であるM教員が解放同盟松阪支部の人と、M教員は必ず携帯で解放同盟の支部とやりとりしている姿をずっとみてきたわけですが、そのなかでどんどん推し進められておりました。
 ときの経過でいきますと11月の後半、同推委員会で校内報告集会について「校長先生、どう思われます」と質問された社会科の先生がおられました。わたしはてっきり、「これはぜひやらなあかんのや」というふうに校長先生からの返事があるもんやと思ったわけです。しかし校長先生は「わしにもわからん。やる自信がない」というふうにおっしゃったわけです。

 椅子を蹴りあげ校長先生を恫喝し、責めたてる
 わたしはとなりに座っていて、「校長先生あかん。あんたがこんなことゆうたらあかん。同推教員にあと何をされるかわからん」と心のなかで必死に叫んでおりましたが、口に出すことはできず、案の定、M教員が激高しまして、椅子を蹴り上げて「あんたがそんなこと言うてどうすんのや。松商の同和教育を推進せなあかん立場のあんたが、後ろ向きの発言をしてどうすんのや。あんたがそんなこと言うから、でけへんのや。ほんなんやったらこの報告集会やめましょうか」という形で恫喝し、憤まんやるかたない形で校長室から出ていきました。
 そのあと、もう一人の同推教員Iという教員ですが、校長先生に対して「M先生があんなに怒るのは校長先生、あんたの責任ですよ。あんたが悪いのです。みんながこの件について一生懸命に取り組んでいるのに、後ろ向きの発言をしてどうするのですか」と言って、M教員のあとをついで校長先生を責め立てておりました。わたしもその場に居たわけですが、いたたまれずそこから逃げるように校長室から出て行きました。
 そのあと、11月28日あたりに、わたしに「会いたい」と解放同盟の県の幹部がいきなり訪問してきました。「なにしにきたんやろ」といぶかしげに思っていますと、「弓矢さん、あんた健康状態どうや。この間、10月の三同教大会であったとき、あんた随分体がまいとった。実はなあ、県連の書記長からあんたの『健康状態調べてこい』という命令を受けてやってきた。12月21日に第2回目の糾弾会を開こうという計画やけど、あんたそれに堪えられるかどうか、心配してやってきたんや」と。
 わたしは「ぽかーん」としてしまいました。わたしの健康を気づかってくれるのはええけども、「第2回目の糾弾会に向けての思惑できたんか。なんや自分のことを気づかってくれているわけやない」というふうに憤然としたわけです。その時、わたしは「わたし自身の健康状態はええけれども、校長先生あぶないんや。頬がもうげっそりこけてきて、ぼくでも心配です」というふうに言った。ましてやその数日前に、M教員から校内報告集会について「後ろ向きの発言」ということでやり玉にあがったそのあとですから、「校長先生、どんな目にあうんやろ」という不安でいっぱいでした。
 12月に入って同推教員のM教員は、「3年生が卒業するまでになんとしてでもこの弓矢の謝罪会を開くのや」ということで遮二無二やっておりました。12月15日がタイムリミットみたいな形になっていました。当初は12月15日に弓矢の報告集会をやるということでした。そこにおける決意文が、わたしが満足に書けなかったということで、もう少し時間がかかる、延期をしようと。しかし、職員会議でこの校内報告集会をやるかやらないかの機関決定、学校全体の承諾を得る日は15日、というふうに設定をされていました。
 その日に向けて12月の初旬から担任の先生や、あるいはその他の先生方が、わたしの報告集会について二の足を踏む原因を集めだし、そのやれやんという原因をつぶせば、実施できると。
 冒頭にも言いましたが、わたしが謝罪集会をやったときに、今度は弓矢さんの差別心だけではない、担任である自分のほうにも差別心を問う声が生徒からかかってくる、そうなったときにどう対処したらいいのか、あるいは自分の差別心をどのように克服してきたか、あるいはそれについての取り組みをこうやってきた、という確たるものを言わなければいけない。しかし、それがいまの段階で言えるやろか、というふうに悶々としたお気持ちをもっておられました。

 「解放同盟の県連に言われてやって来た」と県教委が…
 その悶々とした部分を、どんどんとこれはこうすれば解決できる、ああすれば解決できるというふうに同推教員から提案していけば、その不安ややれんやんという気持ちをつぶしていけるわけです。そして校内報告集会を実施する、ということが実現に運ぶわけです。まさしくそれをどうするか、ということで2日間連続で会議を開いたり、あるいはまた同推委員会を開いたり、という形で会議ばっかりやっていました。
 そこへひょこんと12月3日、同推委員会の席上に、県の同和教育課の職員がやってきました。最初は同推委員会において、弓矢さんの報告がどんなふうにできるか、あるいは生徒が下を向くようなそんな報告集会にならないか、というふうにあれこれチェックをいれる。ずいぶん、時間も経過して、もうそろそろ会議を終わろうかというときに、「実は」と言って、県教委の職員が「実は解放同盟の県連に言われてやってきたのです。県連は松商が報告集会を1回やっただけで、終えてしまおう。われわれに勝手な行動をしとるからそれを止めてこい、と言われてやってきました」という発言があったのです。
 同推委員会の先生方も県が必要にあれこれチェックを入れて、校内報告集会をなんで引き留める発言ばっかりをするんやろ、もう不満不信に思っていて、県の担当者と喧嘩まがいの口論をしたあげくの話です。松商の先生にとっては、一生懸命に前向きに取り組んでいる。なんで県の人らがわれわれの行動を止めるような発言ばっかりするのや、というふうにやり合いをしたあとです。松商の同推委員会に出ている先生方は、あっけにとられました。わたしもそうです。同推のM教員は、報告集会やれやれと言って遮二無二推進してきた。これは解放同盟松阪支部と連携しあって進めてきた。それなのに同じ解放同盟の組織のなかで、県本部がわれわれに勝手なことをするな、と止めにかかったわけです。いったいどっちを信用したらええんやろ。また外部の団体である解放同盟に「なんでそこまでふりまわせれんとならんのか」という思いをその席にいるみんなの先生がもちました。そこで、同推教員のM教員が、「県連といっぺん意見調整してきます。校長さんといっしょに言って話し合ってきます」という形でその場の話を打ち切りました。12月9日に校長先生を連れて県連のほうに行き、県連の態度も「校内報告集会は一回かぎりじゃない。また糾弾会と同じように何回も続くのや」ということを確認し、逆に後押ししてもらうような形で話をもって帰りました。とうとう12月14日、15日という日が来るわけです。

 「危機管理がないからこういうことを招いた」と校長の自殺にむち打つ同推教員
 15日の朝のことを申し上げます。わたしは自分のこの報告集会が、自分のみている職員会で賛成多数で決定されるのはみたくない、もうその場にいたくないという思いで、きょうはもう休みをとろうと、明日職員会で「決まった」と言われたら、そのときはその指示に従うだけと思って、教頭先生のところへ朝7時に電話を入れました。教頭先生の奥さんが出られて「うちの主人はなにか訃報があったみたいで学校へ行きました」と言われたわけです。
 わたしも何があったのか、という思いで学校へ電話を入れ、「なにかあったの」と聞いたのです。そうしたら事務員が「校長先生が自殺をされました」というショッキングな答えでした。その日一日もう何も手が着きませんでした。なんで校長先生が死なないとあかんのか、死ぬのはわたしと違うのか、そればっかり、一日中考えていました。
 そういう状況においても、同推教員であるM氏は、同推委員会を召集という形で、午後から委員会が開かれました。そこでは同推委員会に参加されている先生は、校長先生がずっと苦しんでみえたということを知っていますから、「わたしたちが校長先生を迫い込んだと違うやろか。もっと校長先生が、自由に心の内を言えるような雰囲気をつくってこなかった私らに責任があったのと違うやろか」というふうに口々で言い合ってました。けれどもM教員は、「校長さんは松同推の会長であって、日の丸・君が代問題を反対する立場にありながら、県からそれを掲げるように言われて苦しんでおった。危機管理がないからこういうことを招いた」というふうに掃いて捨てるように言ったわけです。
 居合わせた先生から「死者にむち打つような言葉は言わないで下さい」というような声があがり、本人は沈黙をしましたけれども、わたしはここで、この人間の鬼のような心の一端をみたような思いです。けれども校長先生がお亡くなりになっても、わたしに対する取り組みはやむことはありませんでした。
 年があげて1月、週刊新潮の報道があるや、あるいはこちらにお集まりの「県民の会」の方の集会があると、わたしに対する風当たりはもっときつくなりました。「週刊誌にこの差別事件のことがあがったから、この報告集会をせなあかんのや」、あるいは「松商の情報をもらしているのは弓矢さんあんたと違うか」と言って、情報提供者イコール裏切り者という形で、同推教員から2時間や3時間にわたる取り調べがありました。そういう苦しみ抜いた生活を続けてきたなかで、3月になって人事異動が言われました。わたし自身、いま現在勤めております紀伊長島高校への異動は希望しませんでした。校長先生が亡くなられるちょうどそのときに、どこへ移りたいかという希望をとる時期だったわけです。校長先生にわたしは「先生、わたしみたいなものに異動する権利があるのでしょうか。わたしの身柄はもう県教委にお任せしますから、松商に残すなり、あるいはどこかにとばすなり好きにして下さい。ぼく自身希望書く資格ありません」と校長先生にお話をしました。けれども校長先生は「あんたにも異動希望を書く権利があるんやから好きなところを書いたらええやん」とやさしく言うてくださったわけです。
 1月10日から新しく赴任をした校長先生から、また1月末に校長室によばれました。「前の校長さんのときに話があった始末書・身上書、あれどうなっとる。急に県教委からはよ出せと言うてきた」ということでした。校長先生が亡くなられるちょうどそのときにわたしもそれを提出するように言われていましたが、校長先生あのような悲劇があったあと、県教委からは何も言ってこなかったものが、いきなり1月になって慌ただしく「5日間で書き上げろ」というふうに催促をされました。

 「始末書」を書き換えさせられたあげくの懲戒処分
 自分自身、もう慌てて「過去の自分をみつめて」の文章から、謝罪する文章をかき集めてこしらえたわけです。そのなかでこう言われたのはぼく、はっきり覚えています。「この始末書はやがて情報公開されて、解放同盟の目にとまるやろ。そのときにこの一番最後に書いてある『どうか寛大なる処置をお願いします』という文章は、いただけやんなあ。ぜひとも書き換えよ。同和教育を推進するために一生を捧げます、という文章に直しなさい」と言われて、わたしはそれにも従いました。そのあげく、その始末書を元に5月29日付けで懲戒処分を受けたわけです。
 そのあと、わたしは、長島高校へやってきた県教委の教員が「弓矢さん、あんたいまどんな気持ちでおるんや」というふうな言葉で、いまのわたしの気持ちを確かめるように言いました。そのときわたしは「校長先生が亡くなられたあと、ずっと後を追って死ぬことばっかり考えていました」というふうに申したわけです。
 そうしたら県教委の人は「弓矢さん、校長先生が死んだのは、あれは原因不明なんや。あんたは考え違いしたらあかん」という形で、バッサリとわたしの気持ちや、校長先生への思いを踏みにじりました。こんな連中に、わたしは指導を受けてきたのか、人ひとり死なせておいてその責任すら何にも感じないのか、校長先生を死に追いやったきっかけは確かにわたしにあったかもわからんけど、そのあとどんどん校長先生を指導し、追い込んでいったのはあんたらと違うのか、あんたらに責任の一端を感じる感情すらあらへんのか、という怒りに燃えました。そこでずいぶん悩んだわけですが、その話を聞いてから、わたしはやはり本当のことを言わなあかん、ずっと差別者のレッテルを貼られたままこのまま生きていく、これだけはしたらいかん、という思いにかられて今回の不服申立をする決意を行いました。
 たいへん長い発言で時間を浪費して申し訳ありませんでした。わたし自身三教組、解放同盟、この下にいる県教委三位一体で差別者という形で処罰を受けておりました。もういわば組織的にわたしはこてんこてんにやられ、かつ、このわたしを差別事件の教材として使っていこうというふうに話されている現状です。県教委などの組織を象に例えれば、ありんこみたいなちっぽけな存在ですが、自分の信念を貫いてこの異常な同和教育という名の下に人権を簡単に踏みにじる、三重県の異常さをあばき、校長先生の無念をはらしたいという思いでたたかっていきます。どうぞご支援をよろしくお願いいたします。


松阪商業高校元教員による自治会分離運動差別事件
に関わる慰謝料不当請求の控訴審判決に関する見解
2006年4月25日 
部落解放同盟三重県連合会 

http://www1.odn.ne.jp/miekenren/newpage6.htm

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弓矢裁判とはなんだったのか

(資料)
弓矢人権裁判闘争の終結にあたって

支援する会事務局長 前島格也
 2006年10月31日、上告申立を受理しないという最高裁決定により、3月に出された名古屋高裁判決が確定しました。
 私たち「支援する会」は、これまで7年間、全国の皆様に支えられて、本当に多くのことを学び、教えていただきました。このたたかいの経験と教訓を生かして、今後の運動を展開していかなければならないと考えています。
 今回確定した高裁判決の積極面は、公務員が確認・糾弾会に出席することは、公務の範囲を逸脱すると、明快に断じたことにあります。
 未だに確認・糾弾会を「差別の現実に学ぶ学習の場」と考えて対応している三重県教育委員会の見解は、即刻正さなければなりません。
 弓矢人権裁判は終わりましたが、三重県の偏向教育を正すたたかいはこれからが本番です。これまでのご支援の輪を力に、自策自励、一歩一歩とたたかいを前進させてまいりたいと思います。ともにがんばりましょう。ありがとうございました。


お礼のご挨拶
       弓矢伸一
 ご支援をいただいた全国の皆様、そして県内各地の皆様、ほんとうに長い間ご支援、ご指導をいただきましてありがとうございました。身に余る光栄と心から御礼申しあげます。
 私と家族がここまで裁判闘争をたたかってこれたのも、弁護団の皆様をはじめ、全国の真の人権と民主主義を守るために奮闘してみえる皆様方のご支援のおかげです。ほんとうにありがとうございました。
 この7年間、糾弾を受けた当時の自分を思うと、眠れなくなる日も何度かありました。しかし皆様方にささえられ闘いとおしてこれたおかげで、弓矢伸一としての自信と誇りをとりもどすことができました。
 まだまだ三重県の教育現場は「解同」との連携が続いています。この裁判闘争で得ることができた経験と教訓を力として、偏向した三重の教育を正すために、今後ともたたかいぬく決意を表明して御礼のご挨拶とさせていただきます。ほんとうにありがとうございました。
 2006年12月25日


裁判終結にあたってのご挨拶、お礼 
支援する会代表 落合郁夫

 21世紀の幕開けを前にした1999年の暮れでした。定年を3ケ月に控えた校長先生が自らの命を絶たれるという悲しい出来事が起こりました。居住地で交わした一教師の会話が「差別」と断定されて、学校を中心に確認・糾弾が繰り返されていたさなかのことです。
 私たちは、一カ月後に「県立松阪商業高校長自殺の真相を明らかにする県民の会」を立ち上げ、手探りのような活動に入りました。その過程で、事件の発端となった弓矢伸一先生ご自身から報告を受け、部落解放同盟(解同)、県教育委員会、校内の同和教育推進教員らによる極めて不当な支配の実態を知るようになります。「弓矢先生を支援する会」の結成は、「事件」化されて、すでに1年2ケ月が経過していました。
 三重県における同和行政・同和教育行政の歪みについては、熟知していたつもりの私たちでしたが、運動団体への屈服・迎合・癒着のひどさや、確認・糾弾というものがいかに人権を侵害し人間の尊厳を踏みにじる恐ろしいものであるかを改めて知らされます。
 支援する会は、三重県教育委員会による弓矢先生への懲戒処分の撤回を求め、さらに、確認・糾弾に携わった関係者に対する損害賠償請求という裁判に取り組みました。
 津地裁に提訴して4年3ケ月、中村亀雄弁護士のご尽力をいただき、2004年11月25日には、弓矢先生に対する反省文作成の強要や、確認・糾弾会出席の強要などを違法として、県当局に220万円の慰謝料支払いを命じる判決が下されました。その点では勝利でしたが、私人間の対話を差別発言として確認・糾弾を行ったこと自体についてはあえて踏み込まぬ不十分な判決でした。
 私たちは、その不十分さを正そうと、石川元也弁護士を団長とする26名の弁護団を結成し、名古屋高裁へと控訴しました。30回に及ぶ弁護団会議、6回の公判を闘って、2006年3月20日には、違法行為を一審判決以上に確定して、慰謝料を330万円に引き上げた判決を得ました。しかし、解同の確認・糾弾行為を、「限界」の範囲では許されるという重大な誤りは正すことができませんでした。
 その誤りの是正を求めて最高裁に上告受理申立をしましたが、最高裁は、憲法違反、法令違反など極めて門口が狭く、半年後の10月31日、民事訴訟法を根拠に上告審として受理しないと決定したため、この時点で高裁判決が確定しています。
 支援する会は、中央人権共闘会議、日本国民救援会、全国人権連、国民融合全国会議などとともに最高裁への要請署名のご協力をお願いしましたが、最高裁決定通知直前であったため、折角の皆さんの誠意が十分に生かされなかったことについて、誠に申し訳なく思っています。
 判決の確定によって、公務員の糾弾会出席は公務の逸脱であり、教育委員会が「学習の場」という名のもと参加を求めるなどが許されなくなったことをはじめ、解同の教育支配・介入や、行政の解同路線への屈服・癒着はいよいよ幕引きを迎えなければならない段階にいたっています。
 私たちの前には、7年に及んだ闘いの到達点を踏まえ、今、判決の積極的な意義をしっかり受け止め、三重県の歪んだ同和行政・同和教育行政をきっぱり改める新たな闘いが待ち受けています。裁判で断じられた違法行為に対する責任追及や、本裁判判決に基づいて出された文部科学省の8月1日付指示文書の完全遵守・実施、さらには、広く人権を守る運動、民主主義を発展させる運動に、勇躍して挑む所存です。
 私たちは、この闘いを着実に前進させることこそが、裁判で勝ち得た「財産」をより豊かにする道筋であり、ご支援をいただいた全国の皆さんのご友情、ご期待に応える道であろうと、いっそう決意をみなぎらせているところです。
 この間、全国の広範な組織・団体・個人各位から寄せられた物心両面にわたる大きな力添えが、私たちの闘いをどれほど励ましていただいたことか、お礼のことばを見出せません。ほんとうにありがとうございます。
 今、心からなる感謝の気持ちを込め、新たな闘いへ立ち上がる決意を申し述べて、弓矢裁判終結のご挨拶、お礼をいたします。


弓矢人権裁判の結果について
     弁護士 石 塚  徹(弁護団事務局長)

 最高裁(第3小法廷)は、平成18年10月31日、三重県の上告を棄却し、三重県と弓矢さん双方からの上告受理申立を受理しないとの決定を下しました。これにより、平成18年3月20日の名古屋高裁の判決が確定しました。この確定をふまえ、弓矢人権裁判の結果につき確認すべき点を整理します。

1 一審判決
  平成16年11月25日言い渡された一審判決は、同推教員森山・板谷の糾弾会提出のための「反省文」作成強要行為と県教委の確認会・糾弾会の出席強要行為を違法とし、三重県に対し慰謝料220万円の支払いを命じた。
  しかし、弓矢さんの自治会分離運動を「部落差別によるものと疑われるべき十分な事情があ」るとし、弓矢さんの「お嬢さんの将来にいいかもしれませんね」という趣旨の発言を「部落差別の意図から出た不当なもの」とした。
  弓矢さんと三重県は控訴し、名古屋高裁へと舞台が移った。

2 高裁判決
  平成18年3月20日、名古屋高裁は、一審判決に加えて、「反省文」に限らず「自分を見つめて」や糾弾会後の「感想文」の作成強要も違法とし、さらに、森山が弓矢さんの居住する団地住民に「自分を見つめて」を配布した行為も違法とした。
しかし、弓矢さんの上記発言を結婚に関する部落差別発言とし、自治会分離運動も含めて、一審判決以上に「比較的重大な部落差別事件」としたため、慰謝料は110万円増やし330万円とするにとどまった。
  この高裁判決は、
  ① 確認、糾弾会への出席強要の違法性を再確認し、それに向けての準備行為として「自分を見つめて」という自己批判文書や反省文・感想文などの作成強要や、それら文書を本人の意思に反して配布する行為などの確認、糾弾会をめぐる関連行為を広く違法と断じたこと
  ② 公務員が糾弾会に出席することは公務の範囲を逸脱すると明快に断じたこと
  ③ 学校教育法に定められている「校長が校務をつかさどり、所属職員を監督する」という校務運営の原則をふみにじって、森山・板谷ら同推教員が、ほしいままに、同僚教諭らを指導・監督するようなことは、「同推教員の地位や権限に問題があった」としていること
  ④ 確認、糾弾での追及につき、内心の自由やプライバシーの侵害は許されないとして限界のあることを示したこと
 などにより、その積極的な意義は大きい。
  他方、高裁判決は、生活改善のための自治体分離運動や不適切ではあるが当事者レベルで解決可能な失言を部落差別と断定し、解同の確認、糾弾会での追及行為を違法ではないとする重大な誤りを犯した。

3 今後の展望
  以上の高裁判決が確定したことにより、高裁判決の誤りを是正することはできなかった。
  しかし、積極的な意義をもつ面が確定したことにより、今後、同推教員や県教委による確認、糾弾会への出席強要、およびそれを前提とした準備行為は許されないことになった。
従って、解同が主導しても、確認、糾弾会の開催は事実上困難になると考えられ、運動面での意義は大きい。
以 上
(以上、弓矢先生を支援する会ニュース「はらから」 2006年12月25日NO19最終号より)


解同の確認・糾弾とのたたかい
寒川高校小野解雇事件、松坂商業高校弓矢事件報告
弁護士  則武 透

第1,はじめに
  この4年間で2件の解同による確認・糾弾の違法性が争点となった裁判を担当した。いずれも、解同が高校教諭の「差別事件」を確認・糾弾の標的とし、それを解同と癒着した教育行政が全面的に容認し、深刻な被害を引きおこしたという共通点を有する事件である。
  私は東京で7年、岡山で7年、計14年、弁護士業務に携わってきたが、2002年1月に寒川高校小野事件の相談を受けるまで、解同問題の事件を担当した経験はなかった。子どもの頃に八鹿高校事件などの新聞記事は読んだ記憶はあったが、21世紀となった今日でもこのような時代錯誤の解同による教育介入や、それを容認する教育行政が罷り通っていることを知り、驚きを禁じ得なかった。
  本日は、この2つの事件を紹介することで、いかに解同の糾弾路線やそれを容認する教育行政が深刻な被害を引きおこすものであるかを皆さんにご理解頂きたい。

第2,寒川高校小野事件
1,この事件は、香川県内の藤井学園寒川高校の小野教諭が、「差別発言」をしたとして確認・糾弾の対象とされ、それに従わなかったために最終的に解雇に追い込まれたという事件である。
2,解雇事件のきっかけとなった解同による教育介入は、2001年5月に学園、学事文書課、解同香川県連に各々なされたという「匿名電話」に始まった。この匿名電話は小野教諭の担当する社会科の授業で差別発言があったと決めつけるものであった。さらに、同年6月には「匿名投書」なるものが問題とされたが、これは同和地区出身の体育講師が起こした体罰事件を学園がもみ消しにしようとしていたことに対し、小野教諭が事実関係を明らかにし同種事件の再発を防止すべきだと主張したことが「差別発言」だとするものであった。こうして、同年7月には解同の主催する確認会への教員全員に対する参加強要へと発展した。その後も、学園の「小野差別発言問題」への対応が生ぬるいと決めつけた解同は、2度にわたり学園前や丸亀市内などでの街宣車やビラによる宣伝攻撃を行い、最終的に小野教諭らを解雇に追い込もうとした。
3,一方、香川県学事文書課は、こうした解同の動きをバックアップし、学園に対し、解同の主催する確認会へ小野教諭らを出席させるように、行政指導の形で一貫して圧力を掛け続けた。その後、学園の紛糾を改善するために学事文書課が乗り出したが、その紛争を収拾するために出した紛争収拾案の中で、学園理事の総入れ替えを行うと共に、「問題の2名の教員については、早い段階でしかるべき対応を図るものとする。」と小野教諭らの解雇を示唆するに至った。学園は、この学事文書課の紛争収拾案を全面的に受け入れる形で、新たな構成による理事会を開催し、小野教諭の解雇を内部決定した。
4,こうした状況の下で、小野教諭は解同主催の確認会への出席強要禁止を求める仮処分を申し立てるなどして、抵抗を試みた。しかし、同仮処分が弁護士の助力のない本人訴訟であったことなどが災いして、2002年1月、高松地裁丸亀支部は残念なことに小野教諭の仮処分申請を退けた。その10日後に、満を持した学園は小野教諭らを解雇した。学園は本件解雇により、解同の介入に批判的で学園の自主性と適切な運営を求めていた小野教諭らを学園から排除し、紛争の収拾を図らんとしたのであった。
5,解雇直後の2002年1月、小野教諭ら2名が不当解雇されたとの相談を受けた。これまで、解同関係の事件を担当した経験が全くなかった私は、解同問題に詳しい大阪の石川元也弁護士、伊賀興一弁護士、福山の服部融憲弁護士、林隆義弁護士、そして地元香川(現在は東京)の塙悟弁護士に呼びかけ、弁護団が結成された。その後、直ちに地位保全・賃金仮払いの仮処分の申立が行われ、2002年12月には、小野教諭の解雇を無効とする仮処分決定が下された。さらに、2003年2月には地位確認・賃金請求の本訴の提起が行われ、2004年10月6日、高松地裁(豊永多門裁判長)において、全面勝訴判決が下されるに至った。
6,高松地裁判決の主なポイントは以下の3点である。
 第1に、判決は真正面から解同の教育介入の不当性を断罪した。判決は解同の確認会が地対協で問題視され、法務省でも出席すべきではないと指導されていたことを前提に、「本件解雇に対し、解放同盟香川県連の思惑が少なくとも間接的に介入したものといわざるを得ないから、本件解雇の有効性を判断するにあたっては、当該影響についても考慮されなければならない」と明快に述べている。この点は、同じく小野教諭が勝訴したとはいえ、先行の仮処分では解同の教育介入に対する判断が回避されていたことと対照的である。
 第2に、判決は「被告に対し強く働きかけることのできる立場にある学事文書課をはじめとする関係行政機関も、このような被告の方針(解同の介入を排除しない方針)に異を唱えることなく、むしろ解同香川県連が介入するのを容認」、「被告を監督、指導すべき立場にある学事文書課をはじめ香川県の関係部署の職員らも、上記法務省の指導に従わず、いわゆる差別発言事件に関し、解放同盟香川県連が主催しあるいは解放同盟香川県連の関係者の参加が予定されている確認会であることを認識しながら、自らそれに出席し、あるいは原告に対し出席を要請」したなどと、香川県学事文書課が果たした負の役割についても論及している。
 第3に、以上のことを前提にすると、学園が小野教諭の解雇を決定した賞罰委員会の判断は「被告が解同香川県連の影響下にあったという事情も踏まえれば、同委員会における判断は、必ずしも公平になされたものとはいい難い」とし、他に学園が形式的に解雇理由として掲げたものはいずれも解雇の理由とはならず、結論として本件解雇には合理性が認められないと判示した。
7,その後、学園が高松高裁に控訴したため裁判が続いたが、2005年7月4日、学園が解雇を撤回するとともに解決金を支払うとの勝利的和解が成立し、事件は終了した。

第3,松阪商業高校弓矢事件
1,この事件は、1999年、三重県立松阪商業高校の弓矢教諭が行った居住地での町内会分離運動やその際の「お嬢さんの将来に良いですしね」との発言が解同、三重県教委、同和教育推進教員らにより「差別」とされた事件である。弓矢教諭は、「みずからの『差別心』を掘り起こせ」と、反省文(謝罪文)を書くことを強要され、400人が動員された「糾弾会」でつるしあげられるなど、長期にわたって執拗、陰湿な追及と糾弾を受け、心身共に疲弊し、本人も家族も自殺の一歩手前まで立ち至った。弓矢教諭とともに松阪商業校長も解同から追及の矢面に立たされていたが、校長はその渦中で自殺に追い込まれるという悲惨な結果となった。また、弓矢教諭も戒告・転勤処分にされた。弓矢教諭は、自分や校長に対する解同や県教委の追及が不法行為にあたるとして、三重県と解同幹部らに対して損害賠償(慰謝料の支払い)を求める訴訟を提起した。
2,2004年11月25日、津地裁において、弓矢事件の一審判決が下された。一審判決は解同の確認・糾弾会への出席を強要した三重県に220万円の損害賠償を命じたが、解同幹部の責任は一切不問に付された。津地裁判決を不服として、弓矢教諭は直ちに名古屋高裁へ控訴した。
3,しかし、一審津地裁での裁判を担当した三重県の中村亀雄弁護士が体調不良で辞任されたため、2004年12月、後任の弁護団が大阪の石川元也弁護士を中心に結成された。この時期は、小野事件が高松地裁判決での全面勝利判決を経て控訴審の高松高裁へたたかいのステージが移っていた時期であったが、小野事件で石川弁護士らの全面的なバックアップを受けていた私としては、弓矢弁護団への就任を断るわけにはいかなかった。最終的に結成された弓矢事件の常任弁護団は、大阪の石川元也弁護士、伊賀興一弁護士、地元名古屋の石塚徹弁護士、長谷川一裕弁護士、福山の服部融憲弁護士、神戸の山内康雄弁護士、姫路の竹嶋健治弁護士、そして岡山の私の計8名であり、解同問題のエキスパートをそろえた強力な布陣であった。
4,いかに強力なメンバーとはいえ、西は福山から東は名古屋までの全国にまたがった弁護団であり、しかも控訴審から事件を引き継ぐという困難な前提ではあったが、1,500回にも及ぶメーリングリストのやりとり、計26回の弁護団会議(1回の会議は5~6時間)を経て、集中的に討議を重ねた。こちらが名古屋高裁に提出した準備書面は9通、総計257頁にも及ぶ。その結果、2006年3月20日、名古屋高裁(熊田士郎裁判長)において、弓矢事件の控訴審判決が下されるに至った。名古屋高裁判決は、いくつかの問題を抱えつつも、津地裁判決を一部変更し、三重県の損害賠償金額(含む弁護士費用)を220万円から330万円に引き上げた一部勝訴判決であった。
5,名古屋高裁判決の評価すべき主なポイントは以下のとおりである。
  第1に、判決は、解同の主催する確認・糾弾会に公務員が参加することは、正当な職務の範囲に属するものではなく違法であると認定した。同判決に従えば、今後、三重県が解同主催の確認・糾弾会に教職員を参加させることは許されない筈である。
  第2に、判決は、確認・糾弾会への出席強要が違法であるとの大前提の下、その前後の行為を「準備行為」や「確認行為」として違法性の認定の範囲を広げた。その結果、同推教員の行った弓矢教諭に対する反省文(「自分を見つめて」と題されている)の書き直しについて、両親や祖父の「差別心」等の言及を強要したことを新たに違法と認定した。また、同和推進委員が弓矢教諭を連行して、弓矢教諭の自宅近所を戸別訪問させ、「自分を見つめて」を配布した行為も違法であるとした。
  第3に、判決は結論として、津地裁判決の慰謝料220万円を330万円に増額した。これも、この種の行政を被告にした裁判での慰謝料額としてはかなり高額のものとして評価に値する。
6,しかし、名古屋高裁判決には、以下の点での限界があることも事実である。
  第1に、高裁判決の最大の限界は、本件分離運動及び本件発言が「比較的重大な部落差別事件」であるとの大前提に立っている点である。この大前提が、原告の権利侵害の認定を後退させる強い論拠となっており、かつ結果的に一種の過失相殺のような形で慰謝料額の減殺要因ともなっている。これがなければ慰謝料額はさらに大幅に跳ね上がったと推測される。
  第2に、高裁判決が、同推教員により弓矢教諭が計10回にわたる書き直しを迫られた反省文の7回目以降の作成強要が違法であると認定したのであれば、もう一歩踏み込んで6回目以前の作成強要も違法であると認定すべきであった。前に述べたように、高裁判決の最大の特徴は確認・糾弾会への出席強要が違法であるとの大前提の下、その前後の行為を「準備行為」や「確認行為」として違法性の認定の範囲を広げたところにある。とすれば、正に、同推教員は弓矢教諭を確認・糾弾会へ出席させる「準備行為」として、当初からの反省文の作成強要を開始したのであるから、反省文の作成強要行為の違法認定の出発点はここにこそ置かれるべきであった。
  第3に、高裁判決がせっかく同推教員や三重県による弓矢教諭に対する権利侵害を肯定したにもかかわらず、解同幹部の関与について違法性を認定しなかったことは返す返すも残念なことである。高裁判決が解同のメンバーによる行為の違法性認定を様々な箇所で否定し、解同のメンバーを免責していることは、ある意味では司法が解同との正面対決を回避しているとも受け取られかねない。
7,その後、双方上告により、現在事件は最高裁に係争中である。
  結論として名古屋高裁判決は限界を抱えながらも、一審の津地裁判決よりも深く弓矢教諭の受けた被害の深刻さを受け止め、特に弓矢教諭が祖父や父母の差別性に言及することまで強要された反省文の作成強要行為、配布行為につき正面から権利侵害と認めたことの意義は大きい。

第4,まとめ
1,この2つの事件を通じて明らかとなった香川県、三重県の同和教育の異常な実態は、まことにすさまじいものであった。
2,例えば、三重県では、同和問題に積極的に取り組む人間になることが児童、生徒に対する教育の指導目標とされ、部落解放同盟が主催する様々な学習会や集会に生徒が参加することを奨励している。同和教育を推進するための教員配置のための予算も三重県が支出している。また、教員を解同が主催または共催する研修会等に参加させ、糾弾会にも参加させている。今回の弓矢事件でも、解同主催の糾弾学習会(事実上のつるし上げの場であった)には約400名が参加しているが、そのうち200名以上は、三重県下の教職員であった。名古屋高裁判決は、糾弾学習会への参加は正当な職務ではなく、違法であるとしたが、三重県教委は「糾弾学習会は研修と学習の場」と平然と述べる始末である。また、三重県では、民間団体との連携の名のもとに解同と教育現場、教育委員会との一体化が進められ、「差別事象」なるものが学校現場で発生すると、直ちに解同にも情報が伝わる仕組みになっている。こうした中で、教育現場では、部落問題について、自由に発言できない状況が作られ、「部落はこわい」、「解同を批判したら大変なことになる」という雰囲気が醸成されることになっていったのである。このような三重県の同和教育の現状は、直ちに是正されなければならない。
3,30数年継続した同和対策事業が2002年をもって終了したことに見られるように、今日、同和問題は基本的に解決の方向に向かっている。それは同和関係者を特別扱いすることは必ずしも部落問題を解決する上で適切ではないことを示すものである。こうした時代の流れに逆行する香川県・三重県の同和行政、解同による教育介入を許さないためにも、この2つの事件の判決で勝ち取られた成果を血肉にすることが求められている。


三重県における人権感覚のバロメーター
                     三重県地域人権運動連合会
                       書記長  橋本 進

国際的な動きでは人種差別撤廃・女子差別・子供の権利など戦争や内戦による餓死や難民問題など人権問題は深刻な問題とされています。このような背景から1994年の国連総会で「人権教育のための国連10年」が策定され、わが国でも1997年(平成9年)実施されました。
三重県では「人権教育のための国連10年」三重県行動計画が推進本部を設置し、全庁的に検討がすすめられました。1997年(平成9年)に「人権が尊重される三重をつくる条例」が県議会で承認、国連10年県行動計画専門部会の意見をふまえて行動計画を策定したのでした。三重県はこの計画で人権と同和問題とを混同してしまっているのです。
「人権=同和問題」「まず同和問題」「なによりも同和問題が優先」「差別事象が跡をたたない」など、三重県の文書上このような記述がそれこそ跡を絶たない状況です。
運動体・学識経験者・労働組合代表など「部落解放同盟」に組した代表委員で構成された部会が出したものです。県議会ではオール与党で議会が構成されているのも実態です。
2004年10月に第38回部落解放研究全国集会が三重県伊勢市で開かれ1万人(主催者解放同盟発表)参加の中で、地元報告「三重県における差別事件の現状と課題」と称し、野呂三重県知事も出席した集会での発表を紹介します。

『まず、確認したいのは、ここに差別があるのかないのかということです。差別があるから解放運動があり、同和教育がある。同和教育があるから差別が残るという人がいます。原因と結果のはきちがえです。傘があるから雨が降るのではない、消防車があるから火事があるのではない、逆立ちしています。いま同和教育から人権教育へという流れがあります。基本的には賛成ですが、しかし気をつけたいのは、人権が部落を素通りするおそれがある。人権教育の中に同和教育が埋没してしまう危機感がある。そのように感じてなりません。差別の現実から深く学ぶという精神を忘れてはなりません。・・・いま「人権侵害救済法」の制定運動に取り組んでいますが、これは非常に大事だと思います。「法は人の行為を変え、態度を変え、心を変える」といいます。今日は私、会場へ車で来ました。私がシートベルトをしはじめたのは、ペナルティが出来てからです。「法律で決められないと出来ないのか、弱い奴や」と言われるかもしれません。すみません、弱い人間なんです。でもその弱い人間もペナルティがあると、シートベルトをし、飲酒運転もしません。法律がすべてではないけれども、ものごとをする時の裏づけになり武器になります。「人権教育・啓発推進法」ができました。今度は「人権侵害救済法」制定をみなさんと共にめざしていきたいと思います』(部落解放同盟三重県連合会・松村智宏)

解同に近い関係者(三重県内大学教授)ですら、鳥取県の条例には異議を唱えているのに、三重県における人権条例については制定を急いでいます。
アンケート調査をよりどころに、よく三重県は同和(人権))問題の現状認識をいいますが、調査の目的を初めから「差別はまだある・している」を前提に設問しているから集計の答えは「まだまだ残っていて深刻で、他の差別より優先すべき」となっているのが三重県の感覚ではないでしょうか。

弓矢人権裁判について
1999年12月15日三重県立松阪商業高校校長の自殺という痛ましい事件がありました。週刊誌が「部落解放同盟」による確認・糾弾があったことも報道され社会的な問題となりました。
この校長先生の自殺により、その後は弓矢教諭や、学校側にも確認・糾弾は1度も行われていません。校長先生を自殺まで追い込む原因は何だったのでしょうか。
松阪商業高校教員であった弓矢伸一教諭が居住地の自治会分離運動の中での発言が「部落差別発言」と同和教育推進教員(同推教員)に認定されたことから話しは大きくなっていったのです。すぐに「解同松阪支部」(マニュァルに従い)に連絡、県教育委員会と一体になり、解同主導で松阪市や県行政も参加する中で校長先生をはじめ、弓矢教諭に確認・糾弾会がくり返されたのでした。  
校長先生の心労の原因は、同推教員や「解同」に全生徒の前で「差別者でした」と謝罪する「全校集会」の日程でした。解同から「早く開催しろ、冬休みに入ったら三年生がいなくなる、全校集会にはならないぞ」とおどされ、その全校集会をするかしないか決断をする職員会議の朝の自殺でした。
三重県では、差別事件と「解同」が判断すれば、県教委や自治体が全面協力する体制になっています。会場も自治体が段取りし、動員も出張費もつけて(研修という名目)参加動員する。差別したもの(解同が判断した差別事件)には人権はないのです。徹底的に確認・糾弾会に引きずられて「ぼろぼろ」にされるのが三重県でした。
解同の糾弾対象は、昔の落語に「風が吹けば桶屋が儲かる」方式で、全々関係のないところに飛び火するのが特徴です。今回の事件でも自治会での発言ですから地元自治会、町内会で解決できたものです。ところが、教員だったから学校に、校長に、学校全体に、町内に、たまたま二人の教員が居住していたのでその学校まで広がり(分離運動を阻止しなかったのは人権教育の先頭に立つ教貝として)糾弾会に参加させられています。
解同差別事件特集に同じようなケースがあります。ある自動車学校の教官が差別をした。すると、この教官の卒業した学校も糾弾の対象になり、果ては自動車学校の経営する関係会社にまで入り込み人権学習を行っている状況です。
差別か、差別でないかは三童県の場合「解同」(もしくは同調する行政職員・教師)が判断・認定する。「解同」が差別といえばすべて差別、というのが三重県です。
三重県同和教育研究会が県内の学校に「部落の子」の調査依頼をしました。この内容は部落民あばき以外なにものでもない重大な差別事件であることは明らかであるが、「解同」も県教委も何故か騒がない。糾弾会も開催しない。「大風吹いたが桶屋は儲からない」からか。このような感覚で県は人権施策をやっているので、県民はたまったものではありません。
最後になりましたが、弓矢人権裁判には、傍聴の参加をはじめ、署名、カンパ、パンフの購入など物心両面にわたりご協力を頂き有りがとうございました。

(以上、06年9月・第3回地域人権問題全国研究集会山口開催・第4分科会「人権侵害救済法の在り方」の報告から)

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島根県・事業終結へ

同和対策事業を終結  島根県が人権連に表明

島根県地域人権運動連合会 
事務局長  片寄 直行

はじめに
     
 
 島根県地域人権運動連合会(略称=しまね人権連、大西修議長)は、2004年7月、全解連から発展的転換をはかりました。転換以前から毎年、自治体との懇談を行い、昨年12月には島根県から「来年度(2007年度)から同和対策事業はやめ、一般対策へ移行するよう協議中」との回答を引き出しました。
 島根では、特別措置法による事業に477億円を投入。物的事業は改善したと総括しました。また、県は「特別措置法失効後、経過措置として実施してきた自動車運転訓練事業や融資制度は一般対策へ移行し、所得制限を設けた上で生活福祉資金の貸付制度で対応する」と述べました。全解連時代から終結を求めてきた運動の成果であり、同和行政・教育の完全終結にむけた大きな前進です。
次に、最近の島根県内における情勢と今後の課題について報告します。

同和団体への補助金を廃止・縮小へ
       
 2002年初頭、特別措置法終了後の補助金のあり方について、当時の全解連大田支部(その後、大田地域人権運動に改組)は、補助金からの脱却を提案しました。この議論を受けて大田市は5年間で団体運営補助金を全廃することを決定。2006年度からは全廃となりました。島根県は行政改革の一環としても補助金の削減に手をつけざるをえず、法失効後の5年間で15~20%の削減を行いました。島根県も県内の大田市以外の自治体も補助金の削減をしつつありますが、「民間運動団体との連携は不可欠」として補助金の廃止の考えは今のところ示していません。松江市では2004年に同和団体への補助金の使途、会計処理をめぐって問題が発覚。松江地域人権運動(筆者が会長)との協議の中、松江市執行部は同和団体に対する初の会計検査を行いました。市は指導・監督が不十分だったことを認め、補助金の厳正な審査と補助額の減額(2005年度から)を実行しました。
 島根県内の自治体は、補助金以外に「法令外負担金」として同和会県連に負担しています。隠れ補助金です。ところが、同和会県連の予算、決算にそれが計上されず、会費の費目の中に入れられていました。しまね人権連はこの問題と法令外負担のあり方をとりあげ、計上費目の点では改善させました。

「解同」路線に追随の島根県行政
      

 2000年以降、県立高校において「差別」発言だとする問題が相つぎました。松江工業高校、浜田高校、三刀屋高校における生徒・学生による発言です。そして、島根県教育委員会や部落解放同盟(「解同」)との協議を経て、各高校のまとめ文書が作成されました。人権侵害の具体的事実はなにもありませんので、私は差別発言とは思いませんが、部落差別を温存助長するものだとして、県教委や高校側は差別発言と断定したのです。
差別事件の場合、かつては部落解放同盟の表立った「確認・糾弾会」が行われていましたが、全解連時代からの私たちの反論もあって、やり方は柔軟になったようです。名称も「運動団体との協議」に変更されていますが、基本的流れはかわりません。むしろ、県教委の指導資料が「確認・糾弾」にお墨付きを与え、レールを敷いたといえます。部落解放同盟の介入をごく自然に受け入れ、教育の中立性を自ら犯す行為は許せません。
 まとめの文書で共通しているのは、①差別発言を招いた責任は本校にあり、差別の現実に学ぶという視点が欠落していた、②今後は教職員が同和地区に出かけ、差別の現実から深く学ぶ、③同和教育推進体制の確立、中学校との連携、進路の保障、同和教育をすべての教育活動の基底に据えた教育実践などです。それは、県教委の発行した同和教育指導資料第19集「同和教育をすすめるために」や第20集「差別事象から学ぶために」などの考えを踏襲しているからです。
これら一連の高校での問題が決着してから、県教委は2006年3月、「島根県における同和問題の歴史」を刊行。同時に、同和問題学習の展開例を小学校、中学校、高等学校別に示した同和教育指導資料第22集「島根県における同和問題の歴史」―学校教育活用編―を発行しました。江戸時代から昭和戦後期までの島根での「差別された人々」の状況、部落解放運動、同和行政・教育の変遷について記述しています。県教委は、今後、社会教育編(仮称)の発行に取り掛かるとしています。
 22集で滑稽なのは、水平社宣言の引用中、「人の世に熱あれ 人間に光りあれ」(下線筆者)と記述しているところです。大正十一年三月三日に採択された宣言は「人の世に熱あれ 人間に光あれ」となっていますが、22集は、「光」の後にひらがなの「り」がついているところがいくつかあります。この間違いは、部落解放同盟のホームページや解放出版社の書籍と共通しています。県教委は間違いを認め、今後「訂正する」としています。22集にもとづいて、授業に取り入れたのは同和教育指定校の2校だけで、他校での実践例は今のところありません。

同和行政、同和教育の完全終結を
      
 島根県は、同和対策事業の終結はするものの、依然として差別意識が根深く残っているとして、啓発・教育の分野で同和教育を「基底に据える」路線の再構築をはかる姿勢です。同和問題は人権問題のひとつであり、ましてや同和教育を教育の基底に据えることなどとんでもないことです。基礎自治体では地区の住民に対して、一律に固定資産税の減免をしたり、地区の子どもだけを対象とした「学力促進学級」を行っているところがあります。
同和行政、同和教育の完全終結こそ同和問題の解決です。公正で民主的な社会をきずくため県民のネットワークをはかりたいと思います。           
(かたよせ なおゆき)

日本共産党松江市議会議員(4期歴任)
http://www.mable.ne.jp/~n.katayose/

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加配教員の適正化課題

http://homepage3.nifty.com/zjr/topics72.htm

            2007年2月9日
 各都府県教育委員会
  義務教職員定数担当課長
  指導事務担当課長   殿
         全国地域人権運動総連合
             議 長  丹波 正史

児童生徒支援加配教員の目的外勤務の是正と適正な配置をもとめる(要請)
  
 前略
 文部科学省は2002年3月31日で地域改善対策特定事業に係る財政上の特別措置に関する法律が終了したことをうけ、従来の同和教育推進教員の加配制度を廃止し、あらたに児童生徒支援加配教員の加配制度を設けました。同4月1日付けの文科省初等中等教育局財務課長通知で児童生徒支援加配の趣旨、定数加配の対象となる特別の指導の範囲、定数加配を行う上での留意事項を明示しました。
 しかしこの間、少なくない教育委員会では文科省の留意事項が形骸化され、児童生徒支援加配の配置実態および服務内容は旧同和教育推進教員となんら変わるところなく、特定「解放運動団体」の政治社会運動方針を学校教育に持ち込んだり、任意であるべき同推協(人権推進協)や「子ども会」などの学外諸行事にもっぱら従事する事態が見られます。
貴殿におかれては、実態把握の上、文科省通知に逸脱する事案の是正を要請します。

1、児童生徒支援加配教員の配置及び服務が、同和(人権・同和)教育推進等の目的外使用になっている実態があれば、厳格に是正すること
2、児童生徒支援加配教員が同和教育研究団体等の事務局業務等に従事している実態があれば、悪質な目的外使用になるので、きびしく是正すること
3、児童生徒支援加配教員の配置は、いま社会問題になっている学校での「いじめ自殺」等の諸課題をなくすために適正に行うこと
4、児童生徒支援加配教員をはじめ教職員は、教育公務員としての服務に専念し、勤務時間中の研究団体等の社会運動との区別を明確にし、教育の中立性を確保させること
5、問題や課題の見られる市教育委員会に対しては国庫補助金の返還を求めるなど厳格な態度で臨むこと 

             2007年1月30日

 文部科学大臣
 伊 吹 文 明 殿

         福岡県地域人権運動連合会
            会 長  平 塚 新 吾

児童生徒支援加配教員の目的外使用を是正し、適正な活用をもとめる申入れ
  
申入れ事項

1、児童生徒支援加配教員の配置及び服務が、同和(人権・同和)教育推進等の目的外使用になっている実態が福岡県では顕著であり、厳格に是正すること
2、児童生徒支援加配教員が同和教育研究団体等の事務局業務等に従事している実態があり、悪質な目的外使用になっており、きびしく是正を指導すること
3、児童生徒支援加配教員の配置は、いま社会問題になっている学校での「いじめ自殺」等の諸課題をなくために適正に行うこと
4、児童生徒支援加配教員をはじめ教職員は、教育公務員としての服務に専念し、勤務時間中の研究団体等の社会運動との区別を明確にし、教育の中立性を確保させること
5、2002年度から2006年度までの福岡県はもとより各都府県の児童生徒支援加配の配置及び服務の実態を把握し、貴省通達の三つの留意事項に抵触する実態のある都府県・政令市教育委員会に対しては再度、指導を徹底すること
6、以上のように福岡県は当然として、悪質な目的外使用の実態のある都府県・政令市教育委員会に対しては国庫補助金の返還を求めるなど厳格な態度で臨むこと
  
申し入れ理由

 一、文科省通達と違う福岡県教委通知

文部科学省(以下、文科省)は2002年3月31日で地域改善対策特定事業に係る財政上の特別措置に関する法律が終了したことをうけ、従来の同和教育推進教員の加配制度を廃止し、あらたに児童生徒支援加配教員の加配制度を設けました。同4月1日付けの文科省初等中等教育局財務課長通知で児童生徒支援加配の趣旨、定数加配の対象となる特別の指導の範囲、定数加配を行う上での留意事項を徹底しました。
 しかしこの間、福岡県下の各市町村教育委員会では文科省の留意事項が形骸化され、児童生徒支援加配の配置実態および服務内容は旧同和教育推進教員となんら変わるところはありません。福岡県下では貴省通達の三つの留意事項は有名無実となっています。
 なぜならば、2002年3月の福岡県教委の各市町村教委への児童生徒支援加配の説明で同和教育課、教職員課は「同和教育の推進については、特に、一般対策として措置される国の児童生徒支援加配教員及び県単少人数指導加配の運用については、有効に活用する必要がある。児童生徒支援加配教員は、同和問題の課題解決や人権・同和教育の推進のためにも活用されるものであり、人権・同和教育に関する研修会等へも参加すべきである。授業のために配置されたものではない」と文科省通達を換骨奪胎して、指導しています。
 さらに、2003年3月に福岡県人権・同和教育研究協議会(福岡県同教)への教員の研修派遣の是非が問われた住民訴訟で「派遣は違法、教育行政の主体性、中立性を欠く」と判決され、同和教育行政の是正求められたにもかかわらず、県教委は翌2004年2月に「小・中学校における教員加配定数の活用について」という通知で「なお、教職員が各地区人権・同和教育研究協議会等を通じて、人権・同和教育に関する情報収集等の業務に従事する場合には、学校教育活動との関連性を一層明確にしつつ適正な服務管理が行われるようお取り計らいください」と児童生徒支援加配教員が同和教育推進に従事できるようフリーハンドを与え、依然として同和教育偏重の悪質な目的外使用を推奨しています。

 二、解放同盟に屈服した県教育行政の体質

昨年9月、県同教副会長に部落解放同盟(解同)役員が常時就任しているのは教育の中立性に抵触する旨等の高裁判決が確定したが、県教委と解同、県同教は高裁判決を無視し、依然として解同役員が県同教副会長にとどまっている状態を是正していない。三つの留意事項が福岡県下で周知徹底されなかった背景には、このように県教委が解同と歴史的に屈服、癒着した構造があります。
このため、県下の市町村教委はもとより学校現場では①狭山裁判の「節目の日」に特設授業を行うなどの「解放教育」の蔓延②児童生徒支援加配教員が勤務時間中に「出張」名目で市・同研究団体の運営に従事している実態③糾弾学習会を学校で開催し、県教委が情報収集の名目で参加している実態④解同が教職員人事に介入し、解同に同調する教員を育成している実態⑤解同の影におびえ、教職員が学校の中で自由にものが言えない状態⑥解同の恫喝に屈服し、歪んだ教育を放置している市町村の首長・教委の無責任な事なかれ主義の実態がみられます。

三、児童生徒支援加配教員の目的外使用の実態

行橋市、久留米市、筑紫野市、朝倉市、田川市郡などでは児童生徒支援加配教員の悪質な目的外使用の実態が顕著に現れています。
行橋市では文科省もすでに把握しているように13人の児童生徒支援加配教員が月に20日間前後、公務中に民間団体の業務のために出張をくりかえしています。
久留米市では小学校7校、中学校5校の児童生徒支援加配教員が民間団体の久留米市人権同和研究協議会の会議参加要請で2年間、延べ2250回も出張しています。
筑紫野市では2005年度に、複数の児童生徒支援加配教員が解同いいなりに地域の隣保館に配置され、解同の運動を代理していました。2006年度は6人の児童生徒支援加配教員が同和教育関連行事のため、解同福岡県連事務所や解同筑紫地協事務所に出張しています。
朝倉地区では朝倉地区人権同和教育推進連絡協議会の事務局を6人の児童生徒支援加配教員が担当し、年4回、狭山偏向教育の「節目の日」教育を唱導しています。
田川市郡では児童生徒支援加配教員が公務中、解同役員と一緒に運動をしている実態があります。
このほかの地区でも児童生徒支援加配教員が、同和教育または解放教育運動に関っている実態が見られ、福岡県では旧同和教育推進教員制度が廃止された後は、一般対策として配置されたはずの児童生徒支援加配教員が実質上、これらの運動の実動部隊になっています。福岡県では、文科省が厳禁した目的外使用を県教委自らが蹂躙し、解同や県同教など民間運動団体が児童生徒支援加配教員を社会運動の要員として使用している悪質な実態が顕著にみられます。

以上のように福岡県では解同に屈服し行政の主体性を喪失している県教委および各市町村教委の行政姿勢のもとで、児童生徒支援加配教員が運動団体等言いなりに同和教育推進のための要員にされています。文科省としてはこのような悪質な実態にメスをいれ、一罰百戒の厳格な態度で臨まれ、児童生徒支援加配教員の適正な配置及び服務を実現されるよう強く申し入れます。

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弓矢人権裁判の終結にあたって

弓矢人権裁判の終結にあたって
   2007年1月15日 
     中央人権共闘会議
     全国地域人権運動総連合
     国民融合全国会議

 昨年10月末、最高裁判所は弓矢人権裁判について三重県の上告を棄却し、それぞれの上告受理申立を受理しないと決定した。これにより、名古屋高裁の判決が確定した。
 高裁判決は、県教委の確認会・糾弾会出席強要と同推教員らによる糾弾会提出のための「反省文」作成強要を違法とした一審津地裁判決に加え、三重県教委らの違法行為をさらに広く認定して賠償責任の根拠と認め、330万円の慰謝料支払いを三重県に命じた。
 一方で高裁判決は、事案の核心をなす「お嬢さんの将来にいいかもしれませんね」との弓矢教諭発言と町内会分離運動を「比較的重大な部落差別事件」と断定し、なにが差別かの論拠も示さないまま、この断定に寄りかかって確認・糾弾会を主催し実行した「解同」関係被告の責任を不問に付すという重大な誤りを犯している。
 にもかかわらず、判決が内心の自由への侵害は違法として確認・糾弾に制約を課し、その確認・糾弾会への出席強要と反省文、感想文の作成強要やそれの配布など、糾弾の準備行為、関連行為を明確に違法としたことには意味があり、確認・糾弾行為の強行実施を不可能にするものである。「解同」、県教委、教職員組合を含む同和教育体制とそれを梃子とした学校・教員支配、県下すべての市町村における差別撤廃条例の制定という「解同」翼賛体制のもとでのたたかいとして大きな前進と言うべきであろう。
 我々は、違法・不当な暴力・糾弾とそれに迎合・同調した行政・教育に裁判上の決着をつけるたたかいと位置づけ共同して支援を訴えてきたが、今回の判決が持つ積極的な意義を確認するものである。とはいえ、判決確定をもって事態がすべて解決するものでないことは言うまでもない。判決を武器として三重県の不公正な行政・教育を正すたたかいはむしろこれからである。
 今日、大阪、京都、奈良における「解同」利権と行政の乱脈・不正に対する怒りは、新たな世論の広がりをつくりだしている。「解同」問題は三重県行政、教育においても最大の弱点の一つであり、この問題を追及することによって大きな転換の展望を開くことも不可能ではない。我々はひきつづき三重県民のたたかいを励まし、連帯するものである。

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京都市の「選考採用」についての見解 府連委員会

京都市の「選考採用」についての見解
    2006年12月3日
    京都地域人権運動連合会府連委員会

はじめに
 京都市職員の相次ぐ犯罪・不祥事に関連し,京都市長がその原因として「同和の優先雇用に甘い採用があった」とマスコミに発言したことに端を発して,京都市で行われてきた「選考採用」の問題点が,大きく取り上げられています。
 「選考採用」については,これまで京都市も関係運動団体も,その実態を明らかにしてきませんでした。このことが問題を複雑化させ,市民の信頼を損なう大きな要因となっています。
 よって京都地域人権運動連合会は,京都市職員の犯罪・不祥事を根絶し,部落問題を真に解決するとともに,これからの私たちの運動に対する市民の信頼が回復できるよう,「選考採用」の功罪について見解を明らかにするものです。

「選考採用」の歴史的経過
・「選考採用」積極面
 「選考採用」は,一時期積極的な意味を持ちました。同和地区住民が失対就労を定職とし,臨時工や社外工,日雇いなどの半失業・不安定雇用が大半であった時期,市職員への採用は,単に経済的安定という枠を越え,閉鎖的であった同和地区住民の生活を質・量ともに変え,社会参加を促進させました。このこととあいまって,同和地区住民の要求は,文化や教育・健康問題への急速に高まり,同和地区の教育・文化等の向上に大きく貢献しました。

・「選考採用」を利用した「解同」の教育への介入と市教委の中教組弾圧
 現在の「選考採用」の原型は,京都市教育委員会によって試行されました。1960年代前半,市教委は「解同」朝田善之助氏と癒着し,朝田氏の要求に応じて,「解同」幹部を学校用務員などに採用させました。当時,学校現場では,部落内外の生徒を分断する「進学ホール」の是非を巡って,朝田「解同」・市教委と京都市中学校教職員組合(中教組)が対立しており,学校現場へ「解同」幹部を送り込むことにより,市教委と一体となって中教組に対する攻撃を強めました。
 学校現場へ潜り込んだ「解同」幹部は,「進学ホール」に反対する先生に対して激しく糾弾し,時には不当配転も行うなど,市教委と一体となって中教組弾圧を強めました。
 学校現場は次第に「解同」に支配され,「同和問題についてはものが言えない」「「選考採用」で採用された人には逆らうな」という状況がつくりだされました。

・窓口一本化による「選考採用」を利用した「解同」の住民支配
  1969年に京都市は,「同和地区住民の市職員への採用を促進する」ことを方針化し,中高年者を対象にした,同和地区住民の「選考採用」を開始しました。当時京都市は,解同京都府連の分裂以降,正常化連を排除し,「解同」を唯一の窓口とする「窓口一本化」を方針としていたため,「選考採用」による採用は,「解同」に組織された者に限られていました。
「解同」は,内部の権力闘争もあり,その勢力争いから,1970年に入ると「選考採用」の採用局,採用数の拡大を要求し,「中高年対策」から若年者を含む「雇用促進対策」へと拡大させ,「選考採用」を利用した住民支配を進めました。

・「窓口一本化」の打破と不公正・乱脈な同和行政是正の取り組み
 京都人権連(旧全解連)は,同和対策事業を「解同」が独占管理する「窓口一本化」の打破,不公正・乱脈な同和対策事業の是正を掲げ,地域住民や民主勢力とともにたたかってきました。その結果,「窓口一本化」を是正させるとともに,1983年に発覚した同和対策事業をめぐる公金詐取事件の発覚を契機に,同和行政の一定の見直しを前進させました。しかし,この見直しは百条委員会の設置が議会で見送られるなど,疑惑の徹底解明がなされませんでした。またこの時期から「選考採用」の公募を廃止し,運動団体への採用枠の振り分けをおこなうという,現在問題となっている「採用権の丸投げ」が行われるようになり,架空請求が大問題となった「京都市同和対策地区事業助成要綱」による,同和団体補助金制度が確立されました。このように同和対策事業はますます闇の中になり,市民の目の届かないものとなりました。

職員の犯罪・不祥事と「選考採用」の問題
 「解同」は,「部落民にとって不利益なことは差別だ」とする特殊な理論のもと,同和行政の継続を求めています。よって「解同」に推薦された市職員は,「自分に不利益なことは差別だ」として,部落問題や「解同」を利用して職場で自由に物が言えない状況をつくりだしました。また,「選考採用」をめぐっては,運動団体との金銭の授受が指摘されており,「運動団体にお金を払って採用してもらった」と公言する職員もいます。こういった職員は,「お金を払って採用されたのだから,上司の言うことを聞く必要はない」と考えており,適正な服務規律や勤務態度が担保できることは,到底ありえません。さらに京都市は,「解同」の要求に応じ,その受け皿組織として各支部段階に京都市幹部も参加する「まちづくり協議会」を組織し,「解同」べったりの体制をつくるに至りました。この「協議会」は,ときには「糾弾」の場になることもあったといわれ,「解同」に推薦された市職員には「役所では怖いものなし」という感情が芽生えたと思われます。
 こういった「解同」と京都市の癒着関係の中,職場の所属長は指導することもできず,労務管理の放棄が服務規律の乱れを生み出し,労働意欲をなくすこととなるなど,職場の団結を弱めることとなりました。

「選考採用」に対する旧全解連の対応の問題
 旧全解連は,「窓口一本化」の打破,不公正乱脈な同和対策事業の是正を求めるとともに,「選考採用」においても,すべての市民を対象にした「公開」・「公募」を京都市に要求し,一般公募を実現させました。また,民主的な職場風土の確立,「同和の特別扱い」の廃止のため,職場で奮闘してきました。しかし一方で,「窓口一本化」の打破とともに行政との窓口が開かれて以降,「選考採用」の運動団体枠を長年に渡って受け入れ,推薦してきました。この「選考採用」枠の受入は,採用数の各支部割り当てをめぐって,市協と支部の主従関係を強めるとともに,市協に結集する支部間に疑心暗鬼を生みだしました。また支部と会員の関係でも,支部幹部と会員との間に不審と不満を生み,組織の不団結を生むこととなりました。
 さらに,旧全解連が同和行政の終結を運動方針として掲げながら,長年にわたって「選考採用」枠を受け入れてきたことは,会員や住民の強い要求があったとはいえ,運動の弱点というべきものであり,市民的に理解されないものであったと言わざるを得ません。

・京都市職員の犯罪・不祥事の根本原因
 このように,京都市職員による犯罪・不祥事の根本原因は,長年にわたって同和対策事業を市民の目の届かないところに隠し,一方で「解同」との癒着を深めてきた京都市の同和行政にあります。さらに今日に至っても「一般行政の中で同和行政を推進する」という「同和の特別扱い」を終結しようとしない京都市の姿勢にあります。とりわけ京都市幹部として,同和行政・教育に中心的に関わってきた桝本市長の責任は重大です。
京都市職員の犯罪・不祥事に対する自らの採用者,管理監督者としての責任をうやむやにし,その主要な原因を「選考採用」制度に求める桝本市長の態度は,問題の解決につながりません。桝本市長のするべきことは,これまでの京都市の同和行政・教育の問題点を明らかにし,「同和の特別扱い」を一掃し,「解同」一部幹部との癒着を断ち切ることです。このことが,職場での自由な論議を保障し,市民に喜ばれ,働き甲斐のある職場を確立することとなります。

・犯罪・不祥事根絶に役立たない職員削減と服務監察チーム
市長は,環境局職員の犯罪・不祥事が特に多いことから,ゴミ収集業務の民間委託を進め,職員を50%削減することとしています。しかしこのことは,今回の犯罪・不祥事を利用した,公務労働の民間への投売りであり,公務労働の放棄と言わざるを得ません。職場の規律や職員の服務態度の改善と職員の50%削減は何ら関係なく,このことで現在の問題は解決しません。とりわけ市長も発言しているとおり,多くの職員はまじめに働いており,職員50%削減案はそれらの職員をも敵視する,許されざる行為です。
また市長は,警察OBを含む服務監察チームを新設し,抜き打ち査察等を実施するとしています。本来,職場の服務規律や職員の服務態度の改善は,職場での管理職を含む職員の民主的な討論で改善すべきです。京都市による自浄能力を放棄した,警察OBらによる強圧的な調査・指導は,問題を潜在化させるだけで,犯罪・不祥事の根絶には何ら役にたちません。
民間委託による職員50%削減を撤回し,市民に信頼される直営によるごみ収集業務への改善を進めるべきであり,警察OBを含む服務監察チームは新設せず,市長を先頭に問題解決にむけた徹底した論議を職員とともに積み上げ,職員一丸となって自浄能力を発揮した民主的職場の確立,服務規律の改善を行うことが,問題解決に向けた一番の早道です。

・「同和の特別扱い」の終結,「解同」一部幹部との癒着根絶を
 今日部落問題は,様々な格差は是正され,社会的交流も大きく進展するなど,基本的に解決した状態を迎え,同和の特別法もすでに廃止されています。これ以上の「同和の特別扱い」の継続は,市民との間に新たな垣根をつくることとなり,部落問題を解決するどころか,かえって問題を複雑にします。
私たち京都人権連(旧全解連)はこの間,みずからも職務免除による活動を自主的にあらため,行政からの補助金や市幹部からのカンパも同和の特別法廃止に先だち返上してきました。しかし京都市は,「同和の特別扱い」や「解同」一部幹部との癒着を改めようとせず,補助金の支出や「選考採用」を漫然と継続してきました。今回の不祥事の原因は,「同和の特別扱い」,「解同」一部幹部との癒着を是正せず,見逃してきたことに大きな要因があります。
京都市が先ずやるべきことは,京都市行政全般に巣食う「同和の特別扱い」,「解同」一部幹部との癒着の終結です。
私たち京都人権連は,職員の犯罪・不祥事の根絶のため,市長の責任を徹底的に追及するとともに,市民に信頼される京都市の再建を目指して,「同和の特別扱い」や「解同」一部幹部との癒着を終結させ,民主的な職場風土の確立をはかるとともに,市民に喜ばれ,誇りをもてる仕事の確立をめざして,地域・職場で全力をあげて奮闘する決意です。

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福岡県の支援加配教員の実態

 県教委文書が目的外使用を容認
  福岡県の支援加配教員の実態
   人権連福岡事務局長 植山光朗

 
1 元凶は県教委通知の「なお書き」

 今回のリポートは児童生徒支援加配教員の異常な勤務実態である。これまでも本誌で再三、指摘してきたように、福岡県に毎年配置されている四五〇人前後の児童生徒支援加配教員の勤務状況は、旧同和教育推進教員の任務であり、文科省が厳禁している「目的外使用」の実態を告発する。今回はその後の状況を具体的な調査と裏づけ資料などで赤裸々に報告したい。福岡県の児童生徒支援加配の実態は、文科省の三つの留意事項などどこ吹く風といった按配である。
十月十三日、人権連福岡県連は福岡県と〇七年度の予算協議を行った。午後は県教育委員会と九つの要求項目で二時間にわたって協議をした。とりわけ児童生徒支援加配の同和教育に偏向した配置の実態、旧同推と変わらない任務実態の是正を求めることに焦点を絞った協議になったのはいうまでもない。
県下で支援加配の目的外使用が野放しになっている元凶は、これまでも再三、機会あるごとに指摘してきたことだが、県教委の文科省方針のすりかえ、捏造した通達である。
最初は「児童生徒支援加配(仮称)」についての県教委の説明資料(二〇〇二年二月―?)である。この説明資料には文科省の三つの留意事項はばっさり削除し、県教委独自の「その他」事項をわざわざ加え、支援加配の活用にフリーハンドを与えたものである。
二回目は「基準外定数加配の活用方法について」(〇二年四月一日)の県教委の事務連絡である。県教委が県下の各教育事務所に説明した指示文書(口頭か)である。この文書には支援加配教員は同和・人権教育を推進、人権同和の研究会への参加、情報の収集など活用すべきであり、児童生徒支援のための配置でない旨、位置づけられている。(十三日の協議で県教職員課は「文書はないというが」)
三回目は、県同教への教員派遣は違法、派遣教員への給与支払いは不当とする〇三年三月の県同教裁判の福岡地裁判決をうけて、県教委が同和教育行政のあり方を一部、手直しした。地裁判決の尊重を求める私たちや県議会質疑で、支援加配教員の適正な運用をもとめられて作成した「小・中学校における教員加配定数の活用について(通知)」(〇四年二月十九日)である。
この通知のなかで県教委は「なお、教職員が各地区人権・同和教育研究協議会等を通じて、人権・同和教育に関する情報収集等の業務に従事する場合には、学校教育活動との関連性を一層明確にしつつ適正は服務管理が行われるようお取り計らいください」と付記したいわゆる「なお書き」が、支援加配の活用にフリーハンドを与える結果を招いているのである。
十三日の協議で私たちは「なお書き」の削除を求めたが県教委は「この、『なお書き』は、学校教育活動と関連がない業務は公務とは認めないとするものであり、今後も、この文書に沿って、より適切に指導する」と繰り返し、目的使用の口実になっている実態を認めようとしなかった。私たちは支援加配教員の月に十八回に及ぶ学外への出張はこのなお書きにある「各地区人権・同和教育研究協議会等を通じて、人権・同和教育に関する情報収集等の業務に従事する」ことを理由に、校長に反対の裁量を許さないシステムになっていることを指摘、なお書きの削除、見直しを執拗に迫った。
県教委もようやく「なお書き」については(削除、通達の書き換えなどをふくめ)検討したいと約束したのである。
まず冒頭にこのことを報告して以下、福岡県の今日の状況をリポートする。

2 内部告発に文科省走る

今年六月、福岡県行橋市の小学校PTA役員と名のる保護者から文部科学省に一通の電話があった。「いつ学校に行っても加配(児童生徒支援加配教諭)の先生がいない。どうなっているのか?」という内容であったらしい。
六月には全解連行橋地協の大川義彦書記長(行橋市議)らが議会質問の調査で、以前から問題になっていた行橋市内十三校に配置されている児童生徒支援加配教諭の勤務実態の学校ききとり訪問をおこなっている。六月市議会で大川市議は支援加配の勤務実態について市教委の見解をただした。本会議場には傍聴の市民がつめかけた。当然、市民、とりわけPTA関係者の関心は高い。
文科省への匿名電話は、察するに議会質疑の後らしい。児童生徒支援加配の任務は、学習・生活・進路指導上で、特別配慮が必要な児童、生徒にたいして援助支援をおこなうことである。その加配教諭がいつも学校にいないとはなにごとか。行橋のPTA役員からそう指摘された文科省は、即、福岡県教委に実態の調査を命じた。
文科省からの電話指導にびっくりした県教委は、行橋市内の支援加配配置校を訪れ、加配教諭たちの勤務実態を調査している。
さて、その後の県教委の調査だが、たぶんに地元の京築教育事務所に調査を命じたのであろう。この県教委の実態調査がまことにおざなり、型通りのものだったことが、今度は七月末、全国人権連本部へのEメールをつかった二つの内部告発で明らかになった。

3 Eメールで追い討ち

 メール送信者は匿名、当方にも皆目見当がつかない。すこし長いが、匿名氏の二つのメールを引用する。それによれば「行橋市は、いまだに学校と部落解放同盟の結びつきが色濃く、困っております。徳永教育長自らが、この団体を擁護する発言が目立つ」として、同教育長の発言を「①支援加配教員の業務については、(授業をうけもたなくてもいいように)配慮してほしい②(同和地区児童を対象にした)促進学級はやめないで続けてほしい③(解放同盟と関係が強い)人権研究会の業務は、他の研究会業務と同じだ」と列挙。
 匿名氏は「人権研の業務には、狭山住民の会事務局会、解放文化祭事務局会、経験交流会など解放同盟の下請け業務があり、夏休みに解同が主催する解放文化祭には、校長自らが出演する者もいる。これらが出張に値するのでしょうか」と疑問を投げかけている。
そのうえで支援加配問題にふれている。「先日、支援加配教員の勤務について、福岡県の調査が入りました。ところが調査官自身が、解放同盟弁護の方策をほのめかしたと聞きました。なんの調査なのでしょうか。厳しく対応してもらいたいと思います。
 また、提出された書類には、偽物もあります。特に、支援加配が授業に入っている学校は、数えるほどしかないのに、調査では、どの学校も週にかなりの時間、授業に入っているようになっています。
 支援加配教員の目的外使用については、実態と書類とをつきあわせる必要があります。行橋市は、教育長自ら、目的外使用を認めるような発言をしているのですから。
 支援加配教員が授業をしない傾向は、中学校の方が甚だしいのです。善良な教員は困り切っています。なんとかならないものでしょうか」というものである。
 
 4 一ヵ月に最高九割、平均で七割が
学外出張の実態

匿名氏の指摘に信憑性があるのか。六月の京築地協の聞き取り調査一覧表とすり合わせてみると、内部告発の実態はぴったり一致した。調査は五月の一ヶ月間の支援加配教員十三人の学外出張状況調べ。大型連休と土日の除く登校日は二十日。行橋中の支援加配教員はなんと十八日間出張、ついで多いのは椿市小支援加配教員の十七日間、今元中と長峡中の同教員の十六日間。十三人全員の平均出張日は十四日間。なんと七割が出張なのである。この状況では、PTA役員がいつ学校に行っても支援加配教員がいないという苦情はうなずける。
 ではこの十三人の支援加配教員はどこに、何の行事で出張していたのか。同地協の一覧表によると地区労会館で毎週月曜日、市人権研事務局会(五回とも十三人はほぼ全員出席)、同水曜日の人権同和教育担当者(研修)会(四回)。この二つの行事は定例会である。
このほかに促進学級運営委・役員会、郡市解放保育実践交流会、第四十六回県同教定期総会(金曜日開催)、二十八日(日)から三十日(火)の三日間、宮崎市での部落解放第二十六回全九州研究集会など延べ二十七行事に出張している。五月の二十日間で二十七行事、一日一・三五の行事回数である。これらの行事のほとんどが人権研や解同・県同教などの任意団体の行事であり、運動である。その推進役が支援加配教員である実態も、同地協の調査で明らかになった。

5 支援加配が促進学級運営事務局を担当
 
 二〇〇六年度行橋市促進学級運営委員会役員・事務局員名簿によれば、会長から会計監査十四人のうち、事務局長が中京中の支援加配教員、事務局次長二人も仲津小と行橋中の支援加配、会計に今元中の支援加配、事務局員五人中二人が椿市小と延永小の支援加配。事務局員のほかの二人は行橋市総務部人権・男女共同参画課の職員、残り一人は解同京都行橋地協委員長である。この有様は、〇三年までの福岡県同教そっくりの役員構成であり、元県同教行橋版といっても過言ではなかろう。
この実態は文科省が厳に戒めている目的外使用でなくて、なにが目的外使用といえるのか。
 促進学級とはなにか。同委員会の会則(案)によればその二条・目的に「促進学級は、学級に参加する児童・生徒に対して人権・部落問題を正しく認識させ、差別をしない、差別と闘う子どもの育成をめざし、・・」とあることから、どうやら学校教育とは無関係に「部落差別と闘う解放の戦士」の育成を目的にしている。「解放の戦士」の育成は、解同といういち民間団体の運動論であり、部落民以外は差別者とするルサンチマンに彩られた部落排外主義で子どもたちを洗脳する、極めて非教育的な妄動である。教育基本法、学校教育法に則り学校教育をつかさどる教育公務員のやることではない。
 促進学級運営委員会は十月二十八日の第三回京都行橋促進学級交流会で「石川さんの闘いは自分たちの闘いであることを再認識し、促進学級に参加することの意義を確かめあわせる」ことを目的に開催するとしている。今年六月の第一回交流会でも「石川さんの無実を証明する闘いは、自分たちの闘いであることを確認する」ことを目的に開いていることから、狭山偏向教育が促進学級の基底となっていることはハッキリしている。
 このように、してはいけないことを行橋市の十三人の児童生徒支援加配教員が、日常的にそれを学校教育より優先させて行っている。もはや文科省のいう目的外使用の域を大きく逸脱し、解同の「解放の戦士」づくりに狂奔しているのである。彼ら、彼女ら十三人の教師は、何もわからずに「解放の戦士」に仕立て上げられ成長する子どもたちの人生に最後まで、教師として責任を持つ自覚があるのだろうか。
 

6 支援加配教員の年間授業時間

北九州市では、以前、元教育長が「小中学校で支援加配の先生には基本的には年間五百時間の授業をめどにしている。学外の民間団体の仕事は、授業外、学校の業務終了後にかかわるのがのぞましい」と説明している。
その後、実態はどうかと市議会を通じて市教委に支援加配教員の年間の勤務実態を請求した。
市教委が公表した昨〇六年度の北九州市内の支援加配教員の授業時間数は、市教委資料で見てみると、五百時間割れが多い。昨年度の同市の支援加配配置数は小学校三十八人、中学校二十七人。小学校での最少授業時間は小倉北区足原小の百七十時間、小倉南区北方小のA教員百八十二時間、同小B教員の二百二十四時間、小倉北区足立小の二百八十七時間。三百時間台が七人、四百時間台が七人もいる。
中学校では若松中の支援加配教員が九十時間と最少、ついで八幡西区淺川中が百二十時間、若松区の高須中の百五十二時間、小倉南区沼中の百五十五時間、若松区洞北中の百七十九時間。二百時間台は四校、三百時間台五校、四百時間台七校と中学校の場合、二十七人中二十一人が五百時間を割り込んでいることがわかった。

7 解同と考えちがうと支援加配排除

 その北九州市で、昨年度、同市八幡東区の小学校の男性教員が「支援加配配置問題」に関して〇五年十二月二十二日付けで、北九州市の教育委員長、教育委員三人、教育長の五人に対し公開質問状を送付した。児童生徒支援加配配置が解同べったりの実態や市の同和教育行政の基本姿勢を問うことで、市教委に文書回答をもとめたものだ。同和教育に関連して現職の教員が実名入りで市教委に堂々と公開質問したことは同市では前代未聞のことで大変勇気のいる行動であった。  
公開質問状の要旨はつぎのとおり。
 ・・・昨年度児童支援加配教員を選ぶ際、児童支援加配教員に立候補した私は学校長より、「あなたは、児童支援加配教員に立候補しているが、同和教育に対する考え方や思想が違うので、児童支援加配教員にはさせられない。」と言われました。
 私は「児童支援加配教員は、同和地域に配置されているのではない。同和教育に対する考え方や思想が違うから児童支援加配教員にはなれないというのはおかしい。」と反論しました。
 しかし学校長は、「現実は、南同連(八幡地区南部校区人権同和教育連絡会議)などにおいて部落解放同盟との関係があるので、同和教育に対する考え方が違っていては児童支援加配教員にはさせられない。」とのことでした。・・・とした上で、
1、児童生徒支援加配教員は、解同との関係で、「同和教育に対する考え方、思想が違う者」にはさせないと指導しているのか?
2、同和問題についての考え方・思想が違うとなれない教員が、公教育の学校現場に存在するのか?
3、児童生徒支援加配教員は、同和地域限定して配置しているのか?文科省の留意事項に相反する?
4、特定の民間教育団体(県同教)へのレポートを、公教育の教職員全員に強制して良いのか? 
 5、様々な部落問題に関する運動体があるが、公教育が解同という特定の運動団体とだけ連携してもよいのか?
6、児童生徒支援加配教員が、いまだに以前の同和推進教員と同様に解同などの特定団体と連携した取り組みを行っている。南同連の学校では、初任者・転任者の同和教育学習会の講師を解同の役員に依頼。
この六項目について市教委はどう考えているのか、文書で回答をもとめた。
 しかし、市教委は文書回答をせずに、同教諭の所属する学校長に回答するよう責任を転嫁。校長は「市教委と連携をとり協議した。内容は校内のことなので私から答えた方がいいと私が判断した」と市教委擁護に終始したのである。
 
 8 目的外使用を明文化

 福岡県内第三の都市、久留米市では児童生徒支援加配の任務を「人権・同和教育担当者会議設置要綱」(久留米市人権・同和教育室)の中ではっきり明記している。
 それによれば第一条の目的で「人権・同和教育担当者会議は、市内の公立小中養護学校等の人権・同和教育の推進及び充実を期するため、人権・同和教育担当者会議を設置し、人権・同和教育の推進に関する研修や各学校間の交流を行う」としている。五条の会議の招集で「児童生徒支援加配教員は、担当者会議内容充実のため、毎月第二金曜日一五時三〇分より、推進委員会を持つ」と堂々と明文化。
今年四月の第一回人権・同和教育担当者会議では、同会議の運営体制について、主催は市教委人権・同和教育室として、運営に当たっては、同市に配置された児童生徒支援加配教員二十一人中、十七人が「内容の充実・向上のため支援する」(同三条)としているのである。
久留米市と同じく同和教育の推進役を担わされている事例は、田川市郡でも顕著。市郡内の小学校の事例を参考までに上げておきたい。
今年四月のB小学校加配活動計画による。活動目的に、校区内の小・中学校の「同和」教育を基底とした交流会を推進していく。町「人権の教育街づくり『中・長期計画』推進委員会に所属し、課題解決の方策を提起」。
その具体的活動として①「中学校区での取り組み」では、町「同和」教育推進協議会学校教育部会「学力保障委員会」に所属、学力保障委員会は原則毎週火曜日十四時から十七時。「同推」・加配学習会を行い、研修を深めていく。
②「校内での取り組み」では、「同和」教育の視点での学力保障の推進をめざし、・・・「同推」や「同推」委員会、研究推進委員会と連携しながら、その中心的役割を果たす。
また「授業への関わり」でも「午前中は、加配として地区児童を中心とした低学力児童の指導に当たる」
③「同和」教育推進委員会の運営として、同推と連携を図りながら、校内における「同和」教育の推進、毎月「同和」教育推進委員会を開き気になる子の交流や人権学習の交流を行う、「同和」教育研修への参加体制の確立、につとめる。
④部落解放子ども会の学習会の企画運営として「部落解放子ども会の学習会が円滑に運営できるように、校内での世話を行う、部落解放子ども会の学習会のお知らせプリントの作成・配布、人権集会への関わり(プロジェクトチームの立ち上げと運営と世話)」を担当する。
⑤地域との連帯では「部落解放子ども会への関わり、解放学級への参加及び全教職員を参加体制の確立」のために奮闘する。
⑥「同推」の事務補助として「謝金の計算と配布」、まで担当させられる。
この学校の事例では、一般対策としての支援加配教員と旧同和特別法下での同推教員との任務内容は、まったく違うところはない。
行橋、北九州、久留米、田川市郡でみられるケースは、まさに同和教育推進のための児童生徒支援加配の配置だ。「児童生徒支援加配は、従来の同和加配とは異なり地域を限定して、加配するものではない」とした文科省の指導を全面的に否定する福岡県教委の支援加配活用通知が、県下で地元解同、地区同研、支援加配に目的外使用のフリーハンドを与えていることを証明しているのである。三つの留意事項を否定されている実態に、今後の文科省の指導のあり方が問われていることを指摘して、福岡県からの現地報告とする。

(二〇〇六年十月十四日記) 

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山口に県内外から1800名参加。

憲法と人権を守ろう
 全国人権連が研究集会

  「しんぶん赤旗」9月24日付報道より

 第3回地域人権問題全国研究集会(旧・人権と部落問穎全国研究集会)が23日、山口県山口市で開かれました。全国人権連(全国地域人権運動総連合)の主催で、1800人が参加。24日までの日程で、地域の住民運動や「解同」(部落解放同盟)の横暴を許さない課題を交流します。

 
 丹波正史全国人権連議長があいさつし、部落問題が基本的解決に向かう力となった国民融合論の研究・普及に果たした集会の役割を紹介。東京都教育委員会による「日の丸・君が代」強制を違憲とした判決にふれて「戦後民主主義が大きな岩盤として日本社会を支えている」とのべ、憲法や教育基本法の改悪を許さない運動を地域の連帯で広げる決意をのべました。

 基調報告で新井直樹全国人権連事務局長は、人間らしく住める地域をつくる連帯の重要性とともに、人権擁護法案や鳥取県人権救済条例の危険性を指摘。規定があいまいな「差別的言動」を罰則で規制する内容で、「解同」による人権侵害の「確認・糾弾」を許すことになるとのべました。一部自治体でなお残る同和行政・教育の終結の必要性を強調しました。

 京都大学大学院の岡田知弘教授が「社会的格差の拡大と地域運動の課題」と題して記念講演。山口県・市、部落問題研究所、国民融合全国会議代表らとともに、日本共産党の仁比聡平参院議員が連帯あいさつしました。

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教科書の部落問題記述を批判する

新中学校教科書の部落問題記述を批判する
    大阪歴史教育者協議会委員長
    小牧 薫

一.2006年度用中学校用教科書の問題
 身分制研究の進展と部落問題の解決、同和教育の終結をうけて、教科書の記述は変わったのでしょうか?
 1972年の小学校教科書に「その他の身分」として「賤民」についての記述がなされ、74年の中学校歴史教科書には、「えた・ひにん」について詳しく記述されるようになりました。それから30年以上たつのですが、小・中の教科書は基本的には変わっていませんでした。その間、鈴木良さんが『教科書のなかの部落問題』(初版1989年、改訂増補版90年,部落問題研究所)で、小・中学校の教科書批判を展開されました。私たち歴史教育者協議会の会員も旺盛に教科書批判を続けてきました。そうした甲斐もあってか、2006年度用の教科書のなかには大きく改善されたものもあらわれました。しかし、まだ旧態依然たるものもありますし、政治起源説を払拭しきれないものもあります。帝国書院の教科書は、2002年度用で「ケガレ」説を書きましたが、今回の改訂でも、その内容は変わっていません。また、いくつかの教科書が「現代の課題」で、いまだに同対審答申を引用し、「部落差別は根強く残されている」というような記述をしています。
 現行の学習指導要領(99年版)の問題点については、すでに多方面で批判されています。なかでも社会科の内容は、科学性・系統性を無視して、「国土と歴史に対する愛情を育てる」ことが目標に盛り込まれたように、いっそうの改悪がすすみました。そのうえ、歴史修正主義者たちの攻撃や文部科学省による教科書記述に関する介入・干渉によって、教科書会社の自主規制もおこなわれ、日本の侵略戦争の実態、なかでも日本軍慰安婦、南京大虐殺、沖縄戦などの記述はおおきく後退させられました。97年以来、教科書問題というと、「つくる会」などの攻撃による教科書記述の改悪、「つくる会」の扶桑社版中学教科書の採択問題があげられますが、いまだに近代以前の身分制と部落問題についての記述は捨ておけない重要問題です。
 2006年度用の中学校教科書採択が終わり、「つくる会」の扶桑社版『新しい歴史教科書』の採択率は0.4%にとどまりました。市民の良識の勝利ではありますが、5000冊近くが子どもたちに手渡されます。日本の侵略戦争肯定、天皇中心の教科書で学ばされる問題もありますが、この教科書の身分制度と部落問題の記述も大きな問題をもっています。そして、採択率51.2%の東京書籍(以下「東書」)も、身分制度と部落問題に関する記述内容に大きな問題があります。
 本稿では、部落問題・民族問題についての記述がどう変化したのを明らかにするとともに、中学校の歴史や公民の授業でこの問題をどう扱うべきかを提起してみたいと思います。

以下の文章は、PDFファイルでご覧ください。

「06819.pdf」をダウンロード

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