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「士農工商、〇〇」

ウエブ連載第216回 
メディアにおける差別表現問題その5
「士農工商、〇〇」はなぜ差別表現なのか

http://rensai.ningenshuppan.com/?eid=238


●「士農工商、〇〇」をめぐる抗議

『週刊ダイヤモンド』(3月7日号)に、[「士農工商・情報・物流」。かつて、社内において情報部門、物流部門の地位が低いことをこう表現していた]との記事が載る。

 見出しは、[「士農工商」最下層部門の危機 物流音痴が会社を滅ぼす]と仰々しい。 

今回のウエブ連載でも、「士農工商○○」をめぐる抗議事例にふれている。

また、5月出版予定の小早川明良著『被差別部落の真実2』の中でも、この差別表現にふれているので、記しておきたい。

2019年、元アナウンサーの長谷川豊(日本維新の会から参議院議員選挙に出馬予定していた)が、政治的な集会で発言。自らYouTubeにアップしたのだが、それがとんでもない部落差別発言だった。

「江戸時代には、士農工商の下、穢多非人、人間以下の存在がいた。でも人間以下と設定された人たちも、性欲などがあります。当然、乱暴なども働きます……」

抗議をうけた長谷川は、歴史の「事実」をのべたので問題ないと居直った。

だが、「士農工商の身分制度の下、人間以下と設定された賤民がいて犯罪者集団だった」というのは、歴史の事実ではない。

長谷川のいう江戸時代の被差別民は、犯罪者集団ではなく、犯罪を取り締まる「役」を担い、つねに奉行所や各藩の管理下で、犯罪の探索、犯罪人の捕縛、行刑の執行など、藩や奉行所の命をうけて出動した。

長谷川のように、悪意をもって事実に反する発言をすることは、今日の被差別部落の人びとを毀損する。

だから長谷川豊の発言は差別発言であり、抗議されるのは当然のこと。

●江戸社会の身分制

江戸幕藩体制の身分は大きく「武士・平人(百姓・町人)・賤民」。

ただし、ピラミッド図のような序列にあったのではない。

被差別身分は最底辺でも社会外でもない。

被差別身分の人びとは、直接、藩(江戸では奉行所)に帰属し、その命令指揮系統のもとで、さまざまな「役」を務めた。また、ふだんは農村に住み、農業にいそしむ人が多かった。

つまり、「士農工商、〇〇」は封建社会の身分制を正しくあらわした表現ではない。

いまや学校の教科書にも載っていない図式である。

●「士農工商、〇〇」表現が、なぜ被差別部落の人びとを毀損するのか

今回のダイヤモンド誌での「士農工商・情報・物流」は、いわば、「物流部門は企業の最下層であり、社会の最下層の穢多非人のような扱いをうけている」と嘆いてみせる。

社会的に立場の弱い、疎外されている自己を自嘲的にあらわす「士農工商、○○」という比喩は、封建的賤視観念、つまり「部落および部落出身者は蔑視される存在」という世間のもつ差別意識を前提としている。

つまり、その前提=部落への賎視観ぬきには成り立たない比喩表現なのである。

さきにのべたように、「士農工商、〇〇」は、江戸社会の身分制を正しく表したものではない。にもかかわらず、「士農工商、〇〇」表現が、今日の被差別部落の人びとを直撃し、毀損する。

それは、現代の部落差別(近代以降につくられたもの)を「江戸時代の封建身分差別が残ったもの」ととらえている人が多いこと、「江戸時代の被差別民がダイレクトに今日の被差別部落民に繋がっている」ととらえている人が多いことである。

*** ***

さて、本題に戻ろう。

まず、差別表現は、つぎの三つとは直接関係しない。

⑴ 差別語の使用 

⑵ 内容が事実かどうか 

⑶ 悪意があるかどうか

●差別表現は主観的な「悪意」とは関係しない

今回は、(3) 「悪意があるかどうか」とも関係しない、についてのべていこう。

500件近く、メディアにおける差別表現問題に取り組んできたが、ほぼ9割以上が、「ついうっかり、そうとは知らずに、何気なく」差別表現をしてしまった、という事件だった。

つまり、冒頭のトピックでのべた長谷川豊のように、主観的な差別意識をもって差別表現が行われた例は、ほとんどなかったといってよい。

 

具体例は挙げればきりがないが、2007年に亡くなった、作詞家で小説家の阿久悠さんのことについて触れておきたい。

●「士農工商、代理店」記述について――阿久悠さん

阿久悠さんが、東京新聞に連載していた「この道」(1984年12月10日付夕刊)に、「士農工商代理店」のタイトルで、「広告代理店は自ら『士農工商代理店』と蔑むほど立場が弱かった」と記述。

 典型的な「士農工商、〇〇」の自虐的差別表現だが、抗議に対して、東京新聞から、阿久悠さんが連載の最終回でお詫びの文章を書きたいとの連絡がくる。

最終回(12月28日夕刊)のタイトルは、「冬の墓」。

「(前略)ぼくは、今、その寡黙な父の教えの中でも、一番心にしみているはずの〝人のいたみ“ということに関して重大なあやまりをおかしてしまった。

 十分な認識を持っていたつもりでありながら、他者を誹謗するつもりはない、あくまでも、自身の経験の中でのこと、自分のこと、という考えが配慮を欠く結果につながり、多くのご迷惑をかけることになったことを深く反省しているのである。

人を尊敬し愛すること、人を見つめること、人のいたみに深くふれ合うこと、そして、自らの才を謙虚に正すこと、多分、何も言わないまま激動の昭和の、権力と庶民の接点の部分であえぎながら一生を送り、寡黙にならざるを得なかった父はそう言うに違いない。(後略」)」

●連載最終回でのお詫び

兵庫県淡路島出身の阿久悠さんが「士農工商代理店」と表現したとき、部落差別を助長するつもりも、部落に対する悪意の一片もないことはあきらかであった。

部落問題についての知識もあると思われる、これだけの知性と感性を持つ人でさえ、無意識に差別表現をしてしまうことの怖さがある。

阿久悠さんの場合もそうだが、メディアの担当者に差別問題についての知識と理解があれば、掲載前に訂正を要請することができるが、東京新聞社では、担当者を含め、だれ一人気づかなかった。

 直接の抗議は東京新聞社に対して行われたが、阿久悠さんの知名度が高く、社会的影響力も大きいこともあり、直接の話し合いを要望したが、その返事が、先の「冬の墓」を読んでほしいとのことだった。

 抗議の意味を真摯に受け止めている、この反省文を読んだ後に、話し合いの必要はないと判断した。

*次回は事件報道における差別表現事件について


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