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表現の自由が絡む問題については、規制という手段には慎重すぎるくらいでいい

憲法の使い方:「権力者には余計なことをさせない」
2015年05月01日
http://mainichi.jp/feature/news/20150430mog00m010019000c.html

 ◇専修大・田村理教授インタビュー

 憲法は、実は、私たちがいろいろな問題を考えるときにとても「使える」。ただし、上手に使いこなすには、憲法の根っこにある「立憲主義」と「人権」という考え方を知っておく必要がある。日本国憲法などの近代憲法は、「人はみな、生まれながらに自由で平等である」という権利(基本的人権)を持ち、それを国家が好き勝手に侵すことがないよう枠をはめておく(立憲主義)という発想で成り立っている。専修大の田村理教授(憲法学)に、こうした憲法の意義や、同性婚やヘイトスピーチなど現代的な問題をどう考えるべきかを聞いた。【聞き手・石戸諭】

 ◇憲法で公権力の使い道を定める

 −−まず、いきなりですが「立憲主義」ってなんですか。

 ◆私の定義はすごく簡単で、国や内閣といった公権力は余計なことをしてしまうこともあるので、その使い道を憲法で定めておこう、という考え方です。憲法を使って権力を縛ってしまうという考えだと思ってください。

 公権力に歯止めをかけて、自分たちに必要なことをさせ、余計なことをさせないようにする。それが憲法がある理由です。こうした考え方は近代ヨーロッパで発展しました。ところが、日本では「立憲主義」はまだまだ浸透していませんね。これはしょうがないことでもあります。

 毎日新聞が日本国憲法施行1年後の1948年5月3日付朝刊で当時の芦田均首相、衆院議長、最高裁判所長官が語り合っている鼎談(ていだん)を企画していますね。

 そこでも「立憲主義」なんて言葉は出てこないし、趣旨も論じていない。いかに憲法の精神を国民に浸透させるか、という観点で3人が話しています。

 実はこれ、とても不思議な話なんですね。3人ともご自身こそが、最も縛りを受ける立場だという観点がすっぽり抜けています。大事なのは、民主的にできた政府をさらに制限するというのが立憲主義的な考えなのですが、議論はそこまで至っていない。

 一方で感じるのは、まずは民主主義を定着させることが重要だという熱意です。民主的に政治家を選び、物事を決めることが大事だと国民に唱える。憲法の民主主義を日常生活や社会生活にまで浸透させる「生活化」が真剣に論じられています。戦後政治の原点を感じます。しかし、そこで止まってしまって、立憲主義が論じられることが少なかったのでしょう。

 民主主義を徹底しても、権力が少数者に集中するという事実は変わりません。仮に権限が集中しても、制限を設けることで権力の暴走を防ぎ、コントロールするという視点が抜けては意味がない。しかし、憲法の専門家レベルでもこうした議論が始まったのは70年代から80年代前半にかけてです。

 メディアでは2010年代に入ってから「立憲主義」という言葉が目立つようになりましたね。

 −−メディアで使われるようになった背景はなんだと思いますか。

 ◆冷戦構造も終わり、湾岸戦争以降、日本の国際貢献と安全保障のあり方が議論されるなか、「9条を守れ」「護憲」と言えば支持が集まる時代ではなくなったことが大きいと思います。そもそも憲法とは何のための法なのか、別の言葉で憲法を語る必要があり、そこで「立憲主義」に注目が集まった。

 しかし、立憲主義という言葉が本当に理解されているのか。「護憲」の言い換えになってはいないか、という疑問はあります。

◇9条「護憲」「改憲」への疑問 

 −−護憲派の議論には疑問がありますか。

 ◆あります。9条の条文を変えるなといっても、かつては、安保はもとより自衛隊も違憲だと言っていたのに、今では自衛のための戦力は9条に反しないことは当然だ、という主張が有力になっている。条文さえ変えなければいいのか。一方で、改憲論に対しても疑問はあります。どちらも立憲主義の観点からです。

 最近、9条は変えなくても自衛隊は合憲、国際貢献も大事だという論調も目にするようになりました。これが私には疑問です。

 この論理では立憲主義が成り立ちません。例えば自衛隊という公権力に対し憲法でどのような歯止めをかけるのか。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」という憲法9条2項の言葉の枠内でしか歯止めはできません。そして、素直に読めば、自衛隊が「陸海空軍その他の戦力」にあたる力であることは、どんな理屈を塗り重ねても、改憲派はもちろん、護憲派も分かっているのではないでしょうか。

 これでは、権力のあり方を憲法で縛るという立憲主義に私たちはリアリティーを感じられません。憲法9条が日本の平和に貢献し、武力行使の容認に傾く権力のコントロールに絶大な力を持ってきたことは、集団的自衛権行使容認の賛否を問う世論調査を見てもよく分かります。それでも、立憲主義の理念からすれば、自衛隊を認めるなら、憲法で歯止めをかける必要がある。そのためには憲法改正するしかないのでは、と思います。

 これは改憲の議論をしないまま認めた集団的自衛権も同じことが言えます。

 私自身は集団的自衛権や9条改正、自民党が打ち出す「国防軍」の創設には一市民として賛成しません。しかし、国防軍という形で軍隊を持つ、あるいは同盟国と一緒に軍事行動をして国際貢献するため、素直に憲法を改正するという考えは理解できます。国民の合意をもとに、憲法で軍隊を縛るという選択はありえると思うし、議論の筋は通っています。

 少なくとも、9条の条文を変えずに集団的自衛権を認める、という立憲主義の骨抜きよりはよい。権力に歯止めをかける立憲主義をぐらつかせてはいけません。

 ◇日本人に憲法は合っていない? 使われてきた憲法

 −−日本人に今の憲法が合っていないという声が根強くあります。その一方で、男女同権といった憲法の理念が実現されてきた面もある。これをどう考えたらいいのでしょうか。

 ◆確かに憲法の考え方は日本社会に合っていないかもしれない。でも、合っていないからといって捨ててしまっていいのでしょうか。捨てるとして、立憲主義に代わって「公権力の乱用」を防ぐ、何かがあればいい。でも、私にはそれがわからない。「公権力を信じて、すべて任せる」では政治を考えなくていいので楽でしょう。でも、それは独裁に陥るかどうかを、権力者の資質や人格に委ねてしまうようなものです。

 合わないといっても、これまでの歴史の中で、憲法を使って少しずつ現実を動かしてきた人たちがいます。いろんな運動や訴訟を通じて、権利を獲得していった。

 男女同権もそう。男女の定年は今でこそ同じですが、差をつけられていた時代もありました。これはおかしい、と声を上げた訴訟(※日産自動車事件−−就業規則で男は55歳、女は50歳が定年と定められていることの違法性が争われた。1981年、最高裁は男女で定年に差をつけることは違法であると、平等を定める憲法14条を根拠に判断した)があって、男女同権の思想が現実になっていく。

 結婚した男女の間に生まれた子供と結婚をしていない男女の子供では、財産の相続に差があった。これも2013年に最高裁が違憲と判断しました。家族のあり方にこだわる政治家もいますが、それよりも「親が結婚をしているかどうかで、子供を差別するのはおかしい」という国民の意識の変化が判決を動かした側面もあります。

 まだまだ不十分という人もいますが、憲法を使い、権利を勝ち取り、公権力を動かしてきた現実もあると思います。

◇憲法からみるヘイトスピーチ、同性婚

 −−現実の課題に対して憲法はどう使うことができるのか。ヘイトスピーチと「表現の自由」の関係をどう考えたらいいのでしょう。法規制は必要ですか。

 ◆ヘイトスピーチの解消に「憲法は役に立たない」と言われるかもしれませんが、個人的には「ヘイトスピーチ」に対して新たな法規制をすることに関しては警戒しています。

 何が「ヘイトスピーチ」で、何がそうでないのか。これを権力が判断するのは危険だと考えているからです。政権への批判的なデモも、恣意(しい)的にヘイトスピーチだと判断される可能性もあります。表現の自由が絡む問題については、規制という手段には慎重すぎるくらいでいいと思います。

 理想は、市民の間の自律的なやり取りで解決することです。対抗言論を強め、既存の刑法の名誉毀損(きそん)や民事上の不法行為で対処する。

 規制はあくまで最後の手段です。

 −−最近、話題になっている同性婚はどうですか。憲法24条は「両性の合意」で結婚できるとしていますが、素直に読むと「男女」の合意です。

 ◆国は「両性の合意」以外の余計なことを婚姻の条件にするな、というのが条文の趣旨です。ポイントは同性婚を認めてはいけない、と権力に命じているのではないこと。したがって私は、同性婚を法律で認めることを禁じた規定とは読みません。

◇憲法を守るだけでは意味がない

 −−あくまで公権力を縛る、という観点から憲法を活用することが大事だということですね。

 ◆憲法は「何か良いことが書いてある」ものではないのです。条文があって、それを後生大事に守っていても意味がない。書いてあることに近づけていく。問題が起きたときに、憲法を使ってこちら側から政治に対して解決を働きかけることが大事なのです。

 例えば、若者が関心を持っているブラック企業の問題もそうです。自分たちで必要なことを考え、憲法27条に書いてある勤労の権利から、政治に対して必要な法整備を求めていくことが大事です。憲法、特に人権については、これまで勝ち取ってきた成果もありますからね。

 −−憲法を生かす、という観点から、まだ足りない点はありますか。

 ◆立憲主義の根本である、権力から自由であることについて、まだ関心が低いように思います。メディアも含めて日本社会はいろんな「保護」や「規制」を権力に求めてしまう。

 それが必要なことはあります。しかし、それだけでは権力の暴走は止められません。

 立憲主義の考え方でいえば、民主的に代表を選ぶのは大前提。その上で、民主的に選定された人たちに、さらに縛りをかける。民主的に選ばれたから何でもできるわけではない、という点についてまだ理解できていない政治家がいます。

 最近、自民党が「放送倫理・番組向上機構」(NHKと日本民間放送連盟で作られる通称・BPO)について、政府が関与する仕組みを検討すると報じられています。

 びっくりしました。「表現の自由」に対する露骨な介入につながります。そんな制度が作られたら、政府の考え方が「客観」で、他の考えは「偏向」しているという考えが強まるのではないでしょうか。いろんな考え方がメディアに反映されていることが何より大事なのに。

 私が繰り返し述べていることは、憲法を使って、権力に必要なことはさせるが余計なことはさせないということなんです。

 これは面倒だし、大変です。ある程度、国家が決めて、保護や規制があったほうが楽です。でも、保護と支配は表裏一体ですよね。国だけが正しいという考えで支配されるよりは、多少、大変でも自由な社会がいいと私は思います。

   ◇

 たむら・おさむ 1965年新潟県生まれ。専門はフランス憲法史、憲法学。福島大学行政社会学部助教授などを経て専修大学法学部教授。主要著書に「憲法を使え! 日本政治のオルタナティブ」(彩流社)など。

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