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2015年1月に作成された記事

差別表現、法的規制は必要か

勝間和代のクロストーク:feat.瀧波ユカリ/150 差別表現、法的規制は必要か

毎日新聞 2015年01月28日 東京朝刊
http://mainichi.jp/shimen/news/20150128ddm013020037000c.html

 今回はヘイトスピーチの取り扱いを議論したいと思います。

      

 まず、ヘイトスピーチの定義ですが、人種、民族、宗教、性別などに基づく憎悪や差別を正当化、もしくは助長する表現です。今回、問いたいのは、公的な規制を行うべきか否か、また、ヘイトスピーチを抑制するにはどのようなアイデアがあるかです。

 最近、ヘイトスピーチが問題になっているのは、人種、民族、宗教に起因した衝突や犯罪が生じているからです。

 フランスの週刊紙「シャルリーエブド」はイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を繰り返し掲載し、そのことに起因して編集長らがテロ行為により殺害されました。この事件でも宗教に関するヘイトスピーチを誘発するのではないかと懸念されています。

 欧米諸国では、「表現の自由」の視点から大規模デモが起こり、テロに屈しない出版社に対して好意的な意見が相次いでいます。一方、フランスの約1割の住民はイスラム系です。多くのイスラム系移民はさまざまな国で差別され、職に就けずに苦しい生活を送っています。

 すなわち、表現が自由だからといってヘイトスピーチを認めると、そのことにより差別が助長され、差別された側がヘイトスピーチを行っている側に報復するという負の連鎖が生じるのです。

 昨年12月に実施された衆院選に際し、毎日新聞が行った全候補者アンケートでは、当選者475人のうち、なんと282人(59・4%)の議員が法的規制に賛成していました。また、日本政府が海外での日本へのヘイトスピーチについて、調査を求めていると報道されています。

 現状で、日本にヘイトスピーチを禁止、規制する明確な法律はありません。昨年8月、ヘイトスピーチの規制制度を安倍晋三首相が検討しているというニュースが流れただけで、ネットでは反対派の意見が相次ぎました。

 私は、ヘイトスピーチは法律で規制するのにはそぐわない分野だと思います。平たくいうと「悪口を言ってはいけない」という法律を作ることと同じだと思うからです。それよりは、ヘイトスピーチを行うことが、全く理にかなっていないことを義務教育でも、もっと強く伝えるべきだし、社会の学習、規範として共有すべきでしょう。

 多様な文化や価値観を知り、相手の立場を理解する。そして、異なる集団に対して尊敬する習慣を身に着けさせるべきです。また、ヘイトスピーチは自分に跳ね返ってくる可能性があること、自分に向けられて来たときの対応などを学ばせましょう。

 みなさんのヘイトスピーチ規制の是非、そして、ヘイトスピーチをどうやって収めていくのか、アイデアをお寄せください。(経済評論家)

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応能応益的家賃に - 奈良市改良住宅

応能応益的家賃に - 奈良市改良住宅
http://www.nara-np.co.jp/20150123093323.html

2015年1月23日 奈良新聞

 奈良市が同和対策で整備した市内4カ所の改良住宅(605戸)の家賃を、平成28年度から「応能応益的家賃制度」とする方針を固めたことが22日、分かった。同市の改良住宅は「定額制」で家賃改定もほとんど行われておらず、最高でも月額1万1600円に抑えられている。新制度では最高月額が5万5000円程度となるため、市は激変緩和措置として開始後7年間を「負担調整措置期間」とし、完全施行は35年度から。ただ市が昨年末までに行った地元説明会では「家賃改正は市の一方的言い分」として入居者らが一斉に反発。対立姿勢を見せている。

 ■長年家賃据え置き

 改良住宅は市の公営住宅の一つ。住宅地区改良事業で昭和45年~平成13年度に整備した。タイプは集合住宅と戸建て(2戸1棟)で、間取りは2K、2DK、3DK、3LDK、4DKがある。限度額内定額制家賃で、店舗付き住宅を除き月額6500~1万1600円と低額…

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ヘイトスピーチはダメ!

ヘイトスピーチはダメ!
http://www.hou-nattoku.com/topic/109.php

2015年1月21日


 上川陽子法相は、1月16日の記者会見で、法務省は特定の人種や民族への差別をあおるヘイトスピーチ(憎悪表現)の防止を訴えるポスターを作成し、来週から中央省庁や出先機関、自治体などに1万6000部配布、啓発活動に役立てるということを発表しました。また、同日、大阪市においては、ヘイトスピーチによって被害を受けた人が加害者に対して訴訟を起こす場合の費用を支援することを検討しているという報告をまとめています。
 ヘイトスピーチについて様々な対策が立てられていますので、今回は、ヘイトスピーチについてみてみたいと思います。

 ヘイトスピーチとは、人種、宗教、性別などの要素に対する差別や偏見に基づく憎悪を表す表現行為のことを言います。
 ヘイトスピーチは平等の理念を否定して、少数集団に属する人々の自尊心や民族的な誇りを傷つけ、少数集団に対する深刻な被害をもたらすものですので、日本も批准している「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約(人種差別撤廃条約)」が禁止している「人種差別」に該当します。

 ある団体が学校法人に対して拡声器等を用いて街宣活動を繰り返し行った事件において、2013年に京都地裁は、ヘイトスピーチは「人種差別撤廃条約4条で犯罪として取り締まるべきとされる極めて悪質な行為」と批判し、その二審にあたる大阪高裁判決も、一審判断を維持しました。2014年12月9日には、最高裁が団体側の上告を退ける決定を行い、最高裁において初めてヘイトスピーチの違法性を認めた判断が確定しました。団体側は1200万円の損害賠償と周辺での街宣活動の禁止を命じられました。

 これらの流れを受けて、ヘイトスピーチについて法規制を求める意見書等が地方議会で相次ぎました。海外ではヘイトスピーチを規制する法律を制定する国が多くあります。例えば、カナダでは肌の色や人種、民族的出自等によって区別される集団に対する嫌悪を煽動した者は最低でも2年、最高で14年の懲役と定められています。このように先進国がヘイトスピーチに対する法規制を有する中で、わが国が法規制をしないことは恥ずかしいことであるという意見も多いようです。
 他方、ヘイトスピーチを法で規制することは、憲法が保障する重要な権利である「表現の自由(憲法21条1項)」の侵害になるためすべきでない、という意見もあります。
 ヘイトスピーチを法律で規制するかについては、まだまだ慎重な検討が必要でしょう。

 とはいえ、法で規制されていなくとも、一部の人々に対して憎悪の言葉を吐いたり、差別的な態度をとることは、人々の人格を不当に傷つけるものですので、厳に慎まなければなりません。








サザン桑田の謝罪にショック…ヘイトスピーチ規制に影響も

2015年01月21日 11時00分
http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/358186/

 サザンオールスターズ・桑田佳祐(58)の謝罪にショックを受けている人たちがいた。桑田は昨年の年越しライブでのパフォーマンスを謝罪。17日のラジオ番組で自ら真意を説明することまでした。大きな批判は紫綬褒章をめぐるやりとりに集中したが、楽曲「ピースとハイライト」の歌詞にも物言いがついた。

 ヘイトスピーチ規制に動いているある野党国会議員は「謝罪する必要なんかなかったのに。サザンとしてというより、事務所として謝罪をしたかったんじゃないかな」とぼやく。

 同曲が発売されたのは2013年8月。日本でヘイトスピーチが問題となり始めたのは同年春ごろだった。「何気なく観たニュースで お隣の人が怒ってた」「硬い拳を振り上げても 心開かない」といった歌詞から、ヘイトスピーチ問題を連想する人が多かった。また、サザンのライブでヘイトスピーチのデモをする映像が使われたことも「サザンは反ヘイト派」という印象を後押ししていた。

 所属事務所と桑田が連名で出した謝罪文には、「特定の団体や思想等に賛同、反対、あるいは貶めるなどといった意図はございません」と説明してある。さらに、桑田は17日のラジオで同曲についてこう語っている。

「これについて私の意図とは違う解釈をされていることに驚いています。この曲は一昨年の夏に発売して、歌詞は春に作りました。集団的自衛権が話題になる前のことで、東アジア全体で起こっている問題として作った歌詞です。二度と戦争が起きないように仲良くやっていこうよ、という思いを込めたつもりなんです」

 桑田の想定外の解釈とは「都合のいい大義名分(かいしゃく)で 争いを仕掛けて裸の王様が牛耳る世は…狂気」の部分。これが集団的自衛権の行使容認を憲法解釈の変更で済まそうとする安倍晋三首相(60)を批判したとされたのだ。「それこそが都合のいい解釈」(桑田)だった。

 法務省は啓発強化のため19日から全国に「ヘイトスピーチ、許さない。」と書かれたポスターを配った。前出の議員も「こんなことで謝罪をしなくちゃいけない世の中はおかしいですよ」と語る。

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沖縄をめぐる問題

https://twitter.com/ihayoichi/status/5577292377557852162015117

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ヘイトスピーチ、大阪市が認定・公表へ 独自対策案

ヘイトスピーチ、大阪市が認定・公表へ 独自対策案
http://digital.asahi.com/articles/ASH1J5G6CH1JPTIL015.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_ASH1J5G6CH1JPTIL015

2015年1月18日07時16分

 ヘイトスピーチ(差別的憎悪表現)への対応策を話し合っている大阪市の検討部会は16日、独自の対策案をまとめた。外部専門家による調査や判断を踏まえ、市がヘイトスピーチを認定して改善を促すことが柱。被害者個人の救済も盛り込まれた。橋下徹市長は新年度にも実行に移す考えだ。

 橋下氏が昨年9月、市人権施策推進審議会に諮問。大学教授や弁護士らでつくる検討部会で議論した。

 対策案では、ヘイトスピーチを「特定の人種・民族の個人や集団に対する社会からの排除や差別の扇動のために侮蔑、中傷する行為」などと定義。被害者からの申し立てを受け、有識者や弁護士らでつくる審査機関が調査し、その報告を受けて市がヘイトスピーチにあたるか認定する。

 認定すれば、ヘイトスピーチを行った団体に改善勧告し、スピーチの概要や市の認識、対応をホームページ(HP)で公表。被害者が訴訟を起こす場合、費用は市が支援する。市の施設利用を制限することや罰則も検討したが、「国の法律で罰則が規定されていないなかでは難しい」として見送られた。

 案は判決内容に応じて訴訟費用の返還を求めるか判断すべきだとしている。橋下氏は記者団に「個人の権利救済につながるようなお金の支出はある意味、僕の判断でできる。敗訴でも一定、費用免除ということもありうる」と言及。判決にかかわらず市が費用を肩代わりすることも検討する。

 検討部会の報告を受け、審議会は来月にも橋下氏に対策案を答申する。市は新年度に必要な条例を整備して実施する方針だ。ヘイトスピーチの内容が掲載されたサイトの管理者に削除を求めることも検討するという。





大阪市人権施策推進審議会
http://www.city.osaka.lg.jp/shimin/page/0000007141.html

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名張・再審認めず 証拠は検察のものか

名張・再審認めず 証拠は検察のものか

 

2015年1月14日

http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2015011402000112.html

社説

 触らぬ神にたたりなし、ということなのか。検察側の倉庫に眠ったままの証拠は、今回も、調べられることがなかった。証拠開示への逃げ腰は、司法に対する国民の信頼を損ないはしないか。

 奥西勝死刑囚(89)の再審開始を認めなかった名古屋高裁の名張毒ぶどう酒事件異議審決定は、昨年五月の請求棄却決定と同様、弁護団が新証拠として提出した三通の意見書を「再審請求の要件を満たさない」と一蹴した。弁護団は「検察官の証拠隠しを許したまま非情な決定を出したことは許し難い」と高裁の対応を非難している。

 証拠隠し、とは、裁判所にも弁護側にも見せていない検察側の手持ち証拠の存在を指す。

 検察側はかつて、裁判所と弁護団との三者協議で「証拠はまだ膨大にある」と認めていた。弁護団は、その中に奥西死刑囚の無実を明らかにする手掛かりがある可能性が高いとみて証拠の開示を求めてきたが、裁判所も検察側も応じぬまま、異議審も終結した。

 近年、証拠開示が突破口になった再審開始が相次いでいる。

 二〇一二年に再審無罪となった東京電力女性社員殺害事件では、被害女性の爪に残された皮膚片などが開示され、DNA鑑定で真犯人が別にいる可能性を示した。昨年、再審開始決定が出た袴田事件も、血痕付き衣類のカラー写真など新たに開示された六百点が確定判決への疑問を深めた。

 裁判員制度導入に際し、公判前に争点を整理するため、検察側が段階的に証拠を開示する制度が施行されたが、再審請求審の証拠開示は制度化されておらず、裁判所と検察庁の裁量任せだ。

 東電、袴田両事件では、証拠を出し渋っていた検察側が裁判所に促されて開示を決断したが、今回の名張事件では、裁判所も消極的な対応に終始した。

 公権力が公費を使って集めた証拠は、一体、だれのものだろう。

 一九六四年の一審判決は無罪、〇五年に一度は再審開始決定。未開示証拠を検察側が独占したまま二転三転した死刑判決を維持することは、国民の目に、司法の正義と映るだろうか。

 弁護団は十四日、特別抗告し、舞台は最高裁に移る。「再審制度においても、疑わしきは被告人の利益に、という刑事裁判の鉄則が適用される」とは、その最高裁の白鳥決定である。扱いが分かれる証拠開示の問題でも、白鳥決定に即した対応を望みたい。





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爆笑問題太田がサザン桑田のパフォーマンス擁護

爆笑問題太田がサザン桑田のパフォーマンス擁護 「あれがなぜ安倍政権批判?」「どんだけ日本を明るくしてくれたんだ」

http://news.nifty.com/cs/entame/showbizddetail/jcast-20150114-225215/1.htm

じぇいきゃすとにゅーす

2015年1月14日(水)19時11分配信 J-CASTニュース

   「サザンオールスターズ」が2014年末に行った年越しライブでのパフォーマンスに対する反発が収まらない。2015年1月11日午後には東京・渋谷区にある所属事務所前で抗議活動が行われ警察が出動する騒動まで起きた。

   そうした中、お笑いコンビ「爆笑問題」の太田光さんがラジオ番組で「あれがなぜ安倍政権批判になるのか?」などとサザンを擁護した。そして、「どれだけ日本を明るくし元気付けて来たと思っているんだ!」と訴えた。
「桑田佳祐さん称賛」朝日コラムに、大根監督「馬鹿なのかな?」

   今回の騒動は14年末のNHK紅白歌合戦にライブ中継で登場したリーダーの桑田佳祐さん(58)がちょびヒゲを付けていて、発売当初から「反日ソング」などと一部で何かと話題となった曲「ピースとハイライト」を披露したことから始まった。特に歌詞の「何気なく観たニュースでお隣の人が怒ってた」「歴史を照らし合わせて助け合えたらいいじゃない」「都合のいい大義名分(かいしゃく)で争いを仕掛けて裸の王様が牛耳る世」などといった部分が問題だ、などというものだった。また、テレビ放送が終わった会場で桑田さんがジーパンのうしろポケットから紫綬褒章を無造作に取り出すパフォーマンスにも「失礼だ」と一部で批判の声が上がった。

   もっとも、紅白でのパフォーマンスについては素晴らしい、感動したなどと絶賛する声も多い。法政大学の水島宏明教授はハフィントンポストへの1月1日付寄稿で、

    「日本では珍しい平和へのメッセージソング。その歌詞の意味を改めて噛み締めたい。歌ったサザン、そして放送したNHKの勇気が伝わってきた」

と絶賛している。朝日新聞の1月8日付け夕刊のコラム「素粒子」も、

    「ヒトラーばりのちょびひげで紅白に登場した桑田佳祐さんに称賛。毒にいたらぬカフェインほどの刺激とはいえ」

と評価した。だが、このコラムに対して、映画「モテキ」などで知られる大根仁監督が翌日にツイッターで、このコラムの写真をアップし、

    「馬鹿なのかな?」

とツイートしたところ、

    「桑田氏あんた本物の馬鹿!そんなに日本が嫌いなら居てもらわなくて結構!」

などと多くの賛同を集めることになってしまった。そして1月11日午後には東京渋谷にあるサザンの所属事務所・アミューズ前で抗議活動が行われて、警察が出動する騒ぎになった。
「太田氏個人はそう思うってだけのことでしょ?」

   もともと「ピースとハイライト」自体は世界平和を願って作られたものであり、何の先入観もなしに聞けばサザンらしくノリのいい「名曲」なのだが、どうしたわけかかなり前から「反日」のレッテルが貼られ、何でもないような歌詞でも看過できないと騒ぎになる傾向がある。

   そうしたサザンへの「誤解」を解こうとしたのか、桑田さんと親しいという爆笑問題太田光さんが2015年1月13日深夜放送のTBSラジオ「爆笑問題カーボーイ」でこう擁護した。

   サザンの社会風刺は今に始まったことではなく、40年近い前のデビュー当時からやっていることだと指摘し、

    「『ピースとハイライト』も日本のことを歌っているのではなく、近隣諸国やアジア全体の揉め事があったけれど、それは20世紀で懲りたはずだからお互い仲良くやっていこうと言っているのであって、あれをなぜ安倍政権批判と思うのか不思議だ」

との見方を示した。そして、「反日」などと言われていることについて、

    「桑田佳祐がどんだけ、どんだけ日本を明るくしたか。どんだけ日本人を勇気付けて来たか」

と必死に訴えた。

   これに対しても、

    「日本(政府)を批判する意図がないってのは桑田氏本人が言ってるんじゃなくて太田氏個人はそう思うってだけのことでしょ?」

と疑問を呈する人もいる。

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仏新聞襲撃事件と「表現の自由」についてコラムニストが論考

仏新聞襲撃事件と「表現の自由」についてコラムニストが論考

http://news.ameba.jp/20150113-402/

2015年01月13日 16時00分
    提供:NEWSポストセブン

 フランスの週刊新聞「シャルリー・エブド」襲撃事件は、犯人の2人を射殺して終わった。「表現の自由を守れ」と、現地で開かれた大集会を見てコラムニストのオバタカズユキ氏は違和感を感じたという。

 * * *
 フランスのパリでおきた風刺週刊紙の事務所襲撃事件。ヒトゴトではないと緊張した。私もライターとして、さまざまな対象を揶揄してきたからだ。

 単行本のデビュー作は、「田原総一朗からビートたけしまで、もの言う文化人」201人にツッコミを入れた『言論の自由』(1993年刊)というお笑い本。その後も、有名人のみならず、「会社」や「大学」や諸団体のたたずまいや主義主張をとりあげて、おもしろおかしく表現をし、読者の笑いを誘う仕事をたくさんこなしてきた。

 しかし、こうしたツッコミ芸は、さじ加減を少し間違えただけで、単なる誹謗中傷行為にズレる。いや、どんなにうまく表現しても、ツッコまれた側の人々の気分を害する可能性はなくならない。だから、この手の仕事をするときは、相手側から倍返しをされて当然、という腹の括りが必要で、同時に、そこまでして自分はその対象を笑いたいのか、といった自問自答をしないわけにはいかない。

 今回の襲撃事件の報があって、私はすぐに、その週刊紙がどんな風刺をしてきたのか知ろうとした。グーグルで「charlie hebdo」を画像検索すると、同紙の表紙を中心に無数の風刺画が出てくる。「muhammad」をアンド検索すれば、画面のものはイスラム教に対する風刺画にだいたい絞られる。

 当然のことながら風刺画に添えられた文字のほとんどはフランス語で、残念ながら私には読解力がないため、これはと思った絵についてはできれば日本語、なければ英語で訳しているサイトを探した。そんなこんなを一晩中やっていた。

 そうしてみて改めて思ったのは、笑いは容易に他人と共有できない、という現実だ。風刺週刊紙の風刺画をじっと見ても、どれひとつとしてクスリと来るものがない。「風刺」は「笑い飛ばす」ことだけが目的ではなく、<社会制度に見られる構造的な欠陥や、高官の言動にうかがわれる人間性のいやしさなどを、露骨に非難せず、やんわりと大所高所から批評すること>(『新明解国語辞典第五版』)だとしても、「これが批評ねえ……」という違和感ばかりが募ってしまう。

 ネットで拾った限りだが、『シャルリー・エブド』紙の風刺画は、あまりにも露骨な非難に偏り、ちっとも「やんわり」なんかしていないのだ。さじ加減がどうのこうのといった次元ではなく、バケツでどばどば毒の原液をぶちまけている感じ。人によってその感じ方は違うだろうから、個々でご覧になってほしいが、風刺というより侮蔑のオンパレードだと思った。たいていは、自分の中のNGラインを超えていた。

 ところが、事件当日の7日だけでも、フランス国内で計10万人規模の抗議集会が開かれた。「表現の自由を守れ!」という叫びがあがり、「私たちは皆シャルリーだ!」と書かれたプラカードも方々で掲げられていたという。

 それはずいぶんと支持者の多い風刺週刊紙なのだなあ、と思えば、発行部数は約3万部とのこと。愛読者は決して多くないようだ。でも、襲撃事件を抗議する人々は、「テロ反対!」だけではなく、「表現の自由を守れ!」を前面におしだす。私の感覚からしたら、『シャルリー・エブド』紙の絵は、風刺と侮蔑の線引きとしてNGなものばかりだが、少なくとも3万人のフランスの人々はそう思わないようだ。その感覚ってどんなものなのか?

 日本のマスメディアで『シャルリー・エブド』紙に相当するものを私は知らない。が、<政治家、宗教から軍隊に至るまであらゆる権力を風刺することを目的としており、そのイデオロギーの根は左翼的で無神論的だ>(ウォール・ストリート・ジャーナル)という解説からすると、月刊誌『噂の真相』がわりと近かったといえるかもしれない。

 2004年に黒字のまま休刊した『噂の真相』は、「反権力」「タブーなき雑誌」を標榜するスキャンダル誌で、マスコミ従事者を中心に読者が多く、休刊時も12万部ほどの実売があったという。そして、その攻撃的な制作スタンスの結果、もめ事も大変多く、しばしば多数の訴訟案件を抱えていた。2000年には抗議で同誌編集部を訪れた右翼団体の構成員らが刃物を取り出し、編集長以下男性スタッフの多くが負傷した。

 勝手にネガティブな想像をして申し訳ないが、あの時もし襲われた編集部の誰かが命を落としていたら、「表現の自由を守れ!」というデモが起きただろうか。数十人数百人規模の抗議集会は開かれてもおかしくないが、何万人もの日本人が立ち上がり、「私たちは皆ウワシンだ!」と書かれたプラカードが掲げられるか。そのイメージは、私の頭の中でまったく描けない。

 なぜかと言うと、あのスキャンダル誌は人気があったが、たいていの読者は「下衆な野次馬根性」を自覚しつつ、こそこそ読んでいたからだ。「表現の自由」が云々といった高尚な話にからめにくいのだ。『シャルリー・エブド』だって下ネタ満載だし、人前で堂々と読む新聞とは考えにくい。だが、テロにあえば、そこから盛大に「表現の自由」の声が巻き起こる。

 だから日本人は遅れているとか、フランス人は進んでいるとか、そういうことを言いたいのではない。ただただ私は、テロに走った過激派メンバーらの思いも理解不能だが、「表現の自由」を声高にする人々の思いも実はよく分からないという事実を書き残しておきたいのだ。

「表現の自由」の価値づけが、自分と彼らとでは意外なほど違う。西洋文化にどっぷり浸かっているつもりでも、いやいや全然そんなことはない、という「発見」は今回の事件の個人的収穫である。テロ、殺しがいけないことは言うまでもなく、だ。

 理解不能なよその文化圏のあり様に口を出すのは違うと思うから、一般論として付記したい。では、私にとって、「表現の自由」はどんなものか。それは無制限に守られなければならないものではない。「自粛」という言葉はそれこそ際限なく委縮してくイメージをともなうので、「自制」のほうを使いたい。

 表現をする者には自制心が不可欠だと思う。からかいたい対象はからかってもいい。が、まず、どんな反撃が来てもおかしくはないと、覚悟せよ。そして、「笑い」が、相手を蔑むばかりの「嗤い」にならないよう、自己コントロールせよ。自由な表現を続けたかったら、最低限のルールを自分に課せ。

 以上を、他人に強いるつもりはない。が、そんなことを自分の肝に銘じさせる事件であった。

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「しのだづま考」有馬勇氏事件弁護団主任弁護士  伊賀興一

ご 通 知
                2014年12月19日

「しのだづま考」応援団の代表及び呼びかけ人の皆様
代   表  永   六 輔 殿
呼びかけ人  大谷  昭宏  殿
       鎌田   慧  殿
       金城   実  殿
       辛   淑玉  殿
       角   敏秀  殿
       中山  千夏  殿
       ふじた あさや 殿

        〒530-0047
        大阪市北区西天満4丁目6番4号 堂島野村ビル601号室
                      伊賀総合法律事務所
           有馬勇氏事件弁護団主任弁護士  伊 賀 興 一

拝啓
 当職は、有馬勇氏を支援する弁護団で主任を務める弁護士と

して、「しのだづま考」応援団の代表及び呼びかけ人である貴

殿らに対し、本書面を差し出します。

 さて、有馬勇氏は、中西和久氏から、1998年頃に演劇「しの

だづま考」に関し差別発言をしたと名指しされ、いわれなき非

難を受けています。

 この件では、すでに当職を差出人とする申し入れ書(201

4年7月4日付)を中西和久氏に発送し、有馬勇氏が差別発言

をした事実は存しないこと、差別発言があったと決め付ける言

動が有馬勇氏の名誉や人格を傷つけること、全国演劇鑑賞団体

連絡会議の業務を妨害する事態となっていることをお伝えし、

厳重に抗議する旨を通告しました。本日に至るも、

中西氏からは何らの回答がな

されていないこと、極めて遺憾に思っています。

 また、有馬勇氏本人を差出人とする当職気付の申し入れ書(

2014年9月1付)を貴殿らに発送し、中西和久氏が指摘す

るような差別発言は存しないこと、応援団の行動が全国演劇鑑

賞団体連絡会議の信用を棄損し、その業務に支障を来す事態に

発展していることをお知らせしました。有馬勇氏としては、貴

殿らにおいて、事実経過を正確に把握していただき、善処され

ることを期待して、前記の申し入れに及んだものです。

 そうしたところ、「しのだづま考」応援団事務局長を名乗る

清原ふみ子氏を差出人とする2014年12月5日付の文書が

当職の事務所に郵送されてきました。この文書は、当方(有馬

勇氏およびその弁護団)に対し、唐突にも、公開討論会の開

催を呼びかけています。

 しかし、第一に、清原ふみ子氏の文書にある公開討論会は、

有馬勇氏が差別発言を行ったと決めつけて、議論の前提とする

ものですが、当方は、差別発言など行っていないことについて

、申し入れ書(2014年9月1日付)及び添付資料におい

て、十分に説明を尽くしており、これ以上討論すべきことはあ

りません。

 第二に、公開討論会なるものは、意見の異なるテーマについ

て、双方の意見をたたかわせ、聴衆に意見を披露し、その賛同

を得ることを競うものですが、本件のように一方的に「差別発

言を行った」と断定され、「傍観者は加害者だ」などと主張す

る側からの「公開討論」申し入れは不適切で、社会常識に反す

るものではないで しょうか。

 したがって、当方は、このような公開討論会に応じる義務も

意思もありませんので、その旨を明言しておくことにします。

 最後に、有馬勇氏の申し入れ書(2014年9月1日付)は

、演劇の発展を含め、社会的にも多方面でご活躍されている貴

殿らに信頼を寄せて、事実を正確に把握して頂けたならば、応

援団の行動についても善処して頂けると信じ、応援団の代表と

呼びかけ人の皆様に対し個々に申し入れを行ったものでありま

す。したがって、 書面についても、清原ふみ子氏ではなく、

貴殿ら個々に宛てて、発送するものとします。

敬具

□添付資料
 ・清原ふみ子氏を差出人とする2014年12月5日付の文書
 ・「公開討論会をしましょう!」と題するビラ







「しのだづま考」応援団

2014年12月19日

私たち応援団は公開の真摯な討論を求め続けています。

差別発言当事者阪和演劇鑑賞会事務局長有馬勇氏より、永六輔

さんをはじめ「応援団」の全呼びかけ人に「弁明に伺いたい」

との申し入れ書が届きました。そこで「呼びかけ人会」からは

公開討論会の提案を行い、12月15日までの回答を求めましたが

、未だ届きません。遅くなりましたが、応援団よりの文書を公

開します。

                     2014年12月5日
〒530-0047
大阪市北区西天満4丁目6番4号
  堂島野村ビル6階
  伊賀・笠松法律事務所
有馬勇氏弁護団主任弁護士     
       伊賀興一様

            『しのだづま考』応援団呼びかけ人
                 大谷昭宏
                 鎌田慧
                 金城実
                 辛淑玉
                 角敏秀
                 中山千夏
                 ふじたあさや

 拝復

  先般はお便りを頂き有難うございました。貴殿から送付さ

れた「申し入れ書」に関するご回答を申し上げます。

 『しのだづま考』応援団は中西和久氏の演劇活動を応援する

ために結成されたものです。

 このたびの「四つの女の話」発言問題を「こじらせ」ている

原因は、この国ではいまだに民主主義が途半ばにあるというこ

とでしょう。

 公益社団法人日本劇団協議会々長西川信廣氏がこの「四つの

女の話やろう」発言について、「私たち演劇をやるものは、た

とえ見解が違っても、また激しい議論になったとしても、向か

い合って直接自分の言葉で語り合うことが必要」と組織を代表

して述べておられるように「虚心坦懐」にことにあたれば難な

く解決することと存じます。

 民主主義の根幹である「人権尊重」の基本理念が未だに確立

されていないことは残念の極みと言わざるを得ません。

<ご提案>

 貴殿からの申し出に「直接に話が聞きたい、ということなれ

ば、是非ともお伺いしたいと存じます」とありますので、以下

の提案を致します。

(1) 公開討論会の設定

中西氏から伺った説明と、貴殿より寄せられた「申し入れ書」

の中身に著しい齟齬があると存じますので、有馬勇氏、中西和

久氏は勿論、『しのだづま考』応援団を含め、まずは公開での

討論会の設定をしていただきたい。

(2) 早急に日時場所の打ち合わせを望みます。

以上のことを提案致しますので、ご回答を本年12月15日までに

下記の事務局まで文書でお寄せください。

尚、永六輔氏は健康上の理由によりこのたびの提案文書にお名

前を掲載してはおりません。今後、他の「呼びかけ人」へのご

連絡も下記の事務局へお願いいたします。

    敬具
            〒104-0045
             東京都中央区築地7-16-3-403
              『しのだづま考』応援団事務局
               事務局長 清原ふみ子



すべての人の人権がまもられる世に!
いま語る「しのだづま考」シンポジウム開催

☆と き:2015年1月28日(水)18:30〜20:30
☆ところ:西新宿・芸能花伝舎 稽古場S-3 (裏面に地図あり)
     地下鉄丸ノ内線西新宿下車徒歩6分
     (〒160-8374 東京都新宿区西新宿6−12−30 
℡03-5909-3066)
☆参加費:無料(カンパ歓迎)
☆パネラー:鎌田慧(作家)
      辛淑玉(人材育成コンサルタント)
      金城実(彫刻家)
      中西和久(俳優)

 中西和久ひとり芝居『しのだづま考』に対し全国演劇鑑賞団

体連絡会(以下、演鑑連)幹部から「四つの女の話やろう?」

との極めて悪質な差別発言がなされました。

この発言は絶対に許せない、そして中西和久さんの演劇活動を

応援しようとの思いから、永六輔さんを代表に『しのだづま考

』応援団が2013年秋に結成されました。

 これまで、演鑑連と公益社団法人日本劇団協議会(以下、劇

団協)等へあらゆる方法で対話を求めてきました。しかし、差

別発言当事者からはなぜか「社会常識に反する」との理由で、

演鑑連は「差別発言はなかった」との理由で拒否されました。

この間の現状報告もかねて今回は「応援団」の呼びかけでシン

ポジウムを開催いたします。演鑑連と劇団協へは今後も対話を

求め参加要請を続けていきます。

「応援団」にお入りいただいている皆さん、そしてこの事件に

ついて興味を持たれた方はどうぞ、ご友人・知人お誘いあわせ

の上、ご参集ください。                 

         

☆主催:『しのだづま考』応援団
   東京都中央区築地7−16−3−403 応援団事務局
☆お問合せ:TEL:090-3474-0931(清原) FAX0

3−3545−0933
☆ ご参加いただける方は下記に記入のうえFAX、もしくは電話

でお知らせください。
当日ご参加も歓迎です。
シンポジウム参加申込(FAX03−3545−0933)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お名前                
お電話
ご住所 〒

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
差別発言事件の経緯はFacebook『しのだづま考』応援団&ホー

ムページ『しのだづま考』応援団をご参照ください。差別発言

の録音はYouTube「全国演鑑連幹部による部落差別発言事件」に

アップされています。

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ヘイトスピーチは論外だが特別永住者制度見直すべきとの提言

ヘイトスピーチは論外だが特別永住者制度見直すべきとの提言

http://www.news-postseven.com/archives/20150109_296195.html
2015.01.09



 いわゆる「在日特権」が論じられる際、しばしば俎上に載せられるのが「特別永住者制度」の問題だ。在日コリアンなどに認められたこの制度について、いまどう考えるべきか。法学者の八木秀次・麗澤大学教授が問題提起する。

 * * *
 先日、在特会(在日特権を許さない市民の会)の元幹部と話をする機会があった。彼は「当初、在特会の主張には説得力があり共感する人も多かったのだが、途中からヘイトスピーチをするようになり、違和感や嫌悪感を抱いた人々が次々と会を離れていった。自分もその1人だ」と、脱会の理由を語っていた。

 私も在特会の主張の仕方には断固反対だ。ヘイトスピーチは単なる民族差別であり、彼らの言動により保守の言論・運動までもが「レイシズム」と十把一絡げに論じられる風潮に憂慮の念を禁じえない。

 そもそも「在日特権」に関わる言説は、在日の人々へ向けられるべきものではない。日本の制度上の問題点を問うべき性質のものだ。

 そこで本稿では、一般の外国人や、一定の要件を満たし永住を許可された「一般永住者」と異なり、原則無条件で日本に永住できる「特別永住者制度」を考察する。

 特別永住者とは1991年施行の入管特例法で定められた在留資格で、日本の占領下で日本国民とされながら、終戦後に日本国籍を失った(母国に生活基盤を持たない)韓国・朝鮮人、台湾人とその子孫に付与されている。戦後の混乱期にさまざまな事情で母国に帰還できなかった人々に対し、日本への定住性を考慮し永住を許可したものだ。

 そうした歴史的背景が当時としてはあった。とは言え、戦後70年、日韓基本条約の締結から50年が経ち、在日コリアンは5~6世も登場している。すでに特別永住者制度の役割は終わったのではないだろうか。

 2013年末時点の特別永住者は37万3221人。そのうち韓国・朝鮮人が占める割合は全体の99%、36万9249人に上る。

 今日、特別永住者は事実上日本の「準国民」として扱われており、参政権を除けば日本国民とほぼ同等の権利を有している。外国人である特別永住者に参政権がないのは当然で、民族差別とは別問題だ。

 現行の日本国憲法が保障する権利や自由は、広く外国人も含め保障されるものと、日本国民だけを対象とするものを性質によって分けている。これを「権利性質説」と言う。

 参政権や社会保障などの社会権は本来、日本国民だけを対象としたものだ。国家の意思形成に参画する権利、つまり参政権まで「在日の権利」と主張するのは無理があるのではないか。参政権が必要であれば、日本国民となり権利を享受すれば良いと私は考える。

特別永住者は事実上、年金や生活保護などの社会保障でも日本人と同等の扱いを受けている。2014年7月には最高裁が「外国人は生活保護の対象にはならない」という判決を出したが、運用は自治体任せというのが実態だ。

 本来、社会保障は国籍のある本国に第一義的責務があり日本が代行する義務はない。「国家は防衛共同体であり、その構成員を助け合う」というのが社会福祉の趣旨だからだ。たとえば軍人恩給は、国のため戦い傷ついた人を国が面倒を見る、という発想に基づいた制度で、これが現在の年金制度の土台になっている。

 国民年金については、難民条約批准による法改正で1982年に国籍条項が撤廃され、外国人である在日コリアンも年金に加入できるようになった。

 その上でなお、彼らは当時35歳以上だった人が年金加入資格を満たせず「無年金者」となったことに対し、各地で「障害者無年金訴訟」や「高齢者無年金訴訟」を起こした。これらは最高裁まで争われたが、いずれも原告が敗訴している。在日コリアンはこれを民族差別とするが、あくまで年金制度の不備によるものだ。

 歴史的な事情は各国で異なるが、長いこと海外で暮らしながら、居住地の国籍を取得しない韓国・朝鮮人がこれほど多い国は日本だけだ。在米コリアンの多くが米国籍を取得するのはなぜか。国籍を持たない者は、制度上の差別に直面するからだ。職業が限定され、州によっては税制面で不利益を被るケースもある。

ところが日本では、国籍を取らなくても何らデメリットが生じない。むしろ、事実として特別永住者は日本と母国を自由に往来し、無制限に財産を形成できるメリットまである。再入国も容易だ。特別永住者にとって、日本がとても居心地の良い国であることは間違いないだろう。

 これは在日コリアンの意識の問題ではなく、あくまで制度としての問題である。

 在日コリアンの中には、日本国籍取得のハードルが高いという声もあるが、1990年代以降は特別永住者に対する帰化申請の手続きも緩和されている。日本政府が本腰を入れてこの問題に取り組むのであれば、日本国籍取得のサポートをより拡充すべきだ。

 在日コリアンの方々に対しては外国人(一般永住者)として生きるのか、帰化して日本のフルメンバーになるのか、選択を迫ることになる。それでも、外国から見て明らかに不自然なこの制度は、やはり戦後70周年を節目として見直すべきだと考える。

※SAPIO2015年2月号

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本年もよろしくお願いいたします

20141226

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