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ネットでヘイトスピーチを垂れ流し続ける中年ネトウヨ「ヨーゲン」(57歳)の哀しすぎる正体【後編】 (取材・文/安田浩一)

ネットでヘイトスピーチを垂れ流し続ける
中年ネトウヨ「ヨーゲン」(57歳)の哀しすぎる正体【後編】

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41047
(取材・文/安田浩一)

決め手となった1枚の写真

今年1月5日。この日も私はいわき市内で聞き込みを続けていた。
だが、歩いても歩いても、彼の所在はわからない。人物像だけで住所を「当てる」ことは難しい。しかもその段階において男が犯罪者であるという確信を持っていたわけでもないので、通常の事件取材とは違い、聞き込みするにあたっても最低限のプライバシー配慮をせざるを得ない。捜索は困難を極めた。

途方に暮れていた時、一通のメールが私のスマホに届いた。ヨーゲン情報を集めていた、例の在日女性たちである。

メールには一枚の写真が添付されていた。ヨーゲンが不用意にネットへアップした自室の写真である。外の風景や家屋の外観が映っているわけでもない、ただの室内写真だ。こんな写真で何かわかるというのだろう。

呆れる私に対し、彼女はメールで次のように記してきた。

「窓枠に特徴があります。このタイプの窓枠は集合住宅に多く使われるものです。よって、ヨーゲンはアパートやマンションに住んでいる可能性が強いと思われます。この窓枠の形に注目して探してみてください」

目の付け所が、さすがに女性らしい。注意深く、そして繊細な視点だ。
私は窓枠の形に最大の注意を払い、市内の集合住宅を訪ねまわった。

数時間も歩き回った後、私は一軒の二階建てアパートの前で棒立ちになった。窓枠の形が、まさにメールに添付されていた写真のものと一緒だったのだ。

アパートの部屋をひとつひとつ確認してみる。ほどんどの部屋に表札はかかっていない。集合ポストにもネームプレートはなかった。だが、ある部屋の前で、私は再び足が止まった。

「NHKの集金、お断り」

そう記されたステッカーが貼られていたからである。

ヨーゲンは日ごろから、メディアに対する敵意を露骨にネットに書き込んでいた。なかでもNHKと朝日新聞は「左翼の牙城」だとして、常に攻撃の対象となっていた。

そこがヨーゲンの自宅であると100%の自信があったわけではない。だが、なぜか背中の筋肉が強張った。事件取材などで、重要な証言者にめぐりあったときの感覚と似ている。

私はとりあえずその場を離れ、近所の酒店で少しばかり高価な日本酒を購入した。私の目的は彼を恫喝するためでも、脅すためでもない。なぜにヘイトスピーチを繰り返すのか、それを聞いてみたかった。そしてできるならば、在日女性に対する攻撃をやめてもらえるよう頼むことにあった。だからせめて酒でも一緒に飲みながら話すことはできないかと思ったのだ。

酒を手にした私はアパートに戻り、ドアのインタホンを押した。
「はい」と応答したのは女性の声だった。彼の妻であろう。

私は「御主人はいらっしゃいますか」とだけ告げた。

「お待ちください」と返答があってからしばらくした後、男性の声が響いた。

「どなたですか?」

少し前にプロダクトキーの販売サイトに電話した際、応じた男の声と同じだった。

さて、どうしたものか。ここでヨーゲンであるかと訊ねたところで、否定されてしまえば終わりだ。私は「安田です」とだけ名乗って反応を待った。

少しの間、インタホンからは何の応答もなかった。いったいどこの安田なのかと考えているのか、あるいはスコープ越しに私の姿を確認しているのか。

もしも「どこの安田なのか」と問われた場合には、私は正直に答えるつもりでいた。
しかし、インタホンからは意外な反応が返ってきた。

「帰れ! なんで来たんだよ! 帰れ!」

怒声が響いた。彼は私を確認することもせず、突然に激昂したのである。
当たりだ。完全にヨーゲンだ。

面前では何も言えない男

しかしヨーゲンは私が来意を告げようとしてもそれを無視し、ひたすら「帰れ!」と怒鳴るだけだった。とりつくしまがないとはこのことだ。ヨーゲンは散々に怒鳴り散らした後、インタホンを切った。再び話しかけても何の応答もない。

しかたなく私は一度その場を離れ、近くの喫茶店に入った。私はヨーゲンのツイッターアカウントに向けてDMを送信した。

突然に訪問した非礼を詫び、あらためて取材を申し込んだのだ。
すると、これまた意外な返信が届いた。

「30分後に来てくれ」

あれだけ激昂しながら、今度は自宅まで来いというのだ。気が変わったのか、それとも何かの罠か、いずれにせよ会ってくれるというのだから、私にとっては悪い話ではない。

私は30分後に再訪した。
喫茶店から大通りを突っ切り、踏切を超えて細い路地を歩く。ヨーゲンの住むアパートが見えてきた。ここで、風景が少し前と違っていることに気が付く。

私の視界に飛び込んできたのは、アパート横の空き地に停められたパトカーだった。

状況は飲み込むことができた。ヨーゲンは警察に通報したのであろう。とはいえ、記者稼業をしていればこうしたことは珍しいものではない。ましてや週刊誌屋にとっては日常茶飯事だ。

私はその後の展開を予測しながらも、再びインタホンを押した。
ドアが開き、姿を見せたのは案の定、制服姿の警察官だった。
その際、玄関に立っているジャージ姿の男が見えた。初めて目にするヨーゲンである。

室内だというのに、なぜかヨーゲンはサングラスで顔を隠していた。私に顔を見られたくなかったに違いない。それにしても自室でサングラスとは、なんとも奇異な姿であった。
私はヨーゲンに話しかけようとしたが、警察官はそれを制し、私を室外に押し出した。

警察官によると「安田という男が脅しに来た」という通報があったという。
私は身分を明かし、目的は取材であることを説明した。警察官は「そうだったんですか」と驚いた表情を顔に浮かべ、「じゃあ、私どもがもう一度、彼に取材を受けるかどうか聞いてみます」とまで言ってくれるではないか。親切な警察官だった。

私は警察官と一緒に三度目のインタホンを押した。警察官が私に代わって「取材で来たようですよ」と説明してくれる。私も脅迫目的ではないと横から訴えた。しかしヨーゲンは「帰れ」「個人情報保護法違反だ」などと喚き散らすだけだった。結局、再びドアが開くことはなかった。

「無理みたいですね」と警察官も苦笑しながら、引き揚げたらどうかと促す。

仕方がない。相手が嫌だと言ってるのに敷地内に留まれば不退去罪だ。

私は後ろ髪をひかれる思いでアパートを後にし、その日のうちにいわきを離れた。

さて、その後──
間を置かずして彼の反撃が始まった。

「安田が襲撃に来た」「朝鮮人を引き連れて自宅まで襲いに来た」などと、妄想まみれの言葉をツイッターで書き連ねたのである。

私に電話してきたこともある。一方的に罵声を飛ばしたかと思えば、一転して、あなたも悪い人じゃない、などと口にすることもあった。

要するに彼は身元がバレたことで混乱していた。初めての経験に戸惑っていた。
私がときたま記事を発表している講談社の「g2」編集部に電話をし、担当編集者ばかりか社長を出せと詰め寄ったこともあった。

あるときには「私がネットで違法なビジネスをしているという噂が出ている。安田も取材しているようだが、そんな事実はまったくない。だから記事にするならば、私のビジネスについては一切触れないという誓約書を出せ」と編集者に迫ったこともあった。私はそのときにあらためて、彼が自らの商売に後ろめたさを感じていることを悟った。

いずれにせよ、ヨーゲンのこうした反応は予測できたことでもある。むしろ、それでよかった。少なくとも彼が私への敵意を募らせている間に関しては、在日に対するヘイトスピーチは抑制されていたからだ。いや、彼にとってはそれどころじゃなかったのかもしれないが。

一方、今回の件(ヨーゲン取材のあらまし)を私がツイッターに書き込むと、私に対する批判、非難も相次いだ。

「自宅を急襲した」「脅した」といったヨーゲンの書き込みを信じた者たちが、一斉に声をあげたのである。

「安田を許すな」「ひどいことをする」

そうした書き込みがネット上に氾濫した。

また、「匿名空間を破壊した」「個人情報を安田が暴露した」といった批判も少なくなかった。

ちなみに私はヨーゲンの本名も、正確な所在地もネットに書き込んだことはない。また、ヨーゲンの「被害者」を名乗る人々から彼の個人情報がほしいと何度も迫られたが、すべて丁重にお断りをしてきた。「仇討ち」の心情は当然理解できるが、それを煽ることが私の仕事ではないからだ。

とはいえ私が匿名であることを隠れ蓑としてヘイトスピーチに明け暮れる者を、現実社会に引きずり出したことは事実だ。しばらくの間、「安田許すまじ」の声はネット空間を飛び交った。

なかでも必死に安田批判の書き込みを重ねていたのは、ヨーゲンの取り巻きたちだった。

不毛だった「ニコ生対決」

「命を賭けてヨーゲンを守る」とまで豪語する女性は、イタリアのマフィアに私の殺害を依頼したかのようなツイートを書き込んだり、あるときは「オウム真理教の幹部が刺殺された事件を思い出せ」といった内容のメッセージを発することもあった。

余談ではあるが、私の殺害を示唆し、在日コリアンへの誹謗中傷を繰り返していたこの女性に関しても、所在を確認した上で私は自宅に直接足を運んでいる。

千葉県内に住む50代の女性だった。ひなびた漁師町で、彼女は夫と、年老いた父親との3人で暮らしていた。ネット上の彼女はときおり、都心での優雅で華やかな日常を記していたが、暮らしぶりからはそうした気配を見ることはできなかった。

玄関先で来意を告げると、彼女は私の顔を見るや否や「なんで、ここにいるのよ!」と素っ頓狂な声を発し、雨戸をぴしゃりと閉めた。そして室内から「警察に通報します!」と叫んだのち、二度と顔を見せなかった。このあたりの対応はヨーゲンと同じである。

その後、彼女はツイッターのアカウントに鍵をかけ、自らのツイートは公開していない。

話をヨーゲンに戻そう。彼もまた、周囲に煽られるように奇行に走った。

「安田対策」と称し、ネット通販で手錠や警棒型スタンガン、ボーガン、催眠ガススプレー、手錠などを購入し、その写真をネット上にアップするなど"武装"を整えたのである。

彼は次のような書き込みをしている。

「催眠ガススプレーはほんとうにゴキブリのように警察が来るまで地面でのたうちまわり動けなくなるらしいです。そのあとスタンガンで狙い撃ち、手錠、もし逃げたらボウガンを発射」

「平常心でできると思うな。やっぱ武器はいいわ」

いくら突然に取材をかけられたとはいえ、ここまでくると、まさに「平常」ではない。私も呆れるしかなかった。

それでも私はその後も幾度か取材を申し込んだが、ヨーゲンはそれを拒むばかりか、私への誹謗中傷をエスカレートさせていた。

そのうち、私がまったく関知していない別のグループが、そのころネット情報だけでヨーゲンの所在をつかみつつあった。それがツイッターなどで明らかになると、おそらくはヨーゲン周辺の人物がさらに新たな情報をネットに書き込むなどして、私の思惑を超えた形でヨーゲンも追い詰められていた。

それがネットの伝播力でもあり、また、怖いところでもあった。

こうした状況のなかで事態は思わぬ方向に動いていく。
追い詰められていたヨーゲンが突然、突飛な提案を私に振ってきたのである。

「スカイプで対決しよう。その模様をニコ生(ニコニコ生放送)で実況中継したい」

直接に私と向き合うのは嫌だが、スカイプであれば議論してもよいというのだ。しかも、実況中に顔出しするのは私だけで、ヨーゲン自身は声だけの出演にしたいなどと、なんとも身勝手な提案だった。

私は即座に断わった。そんなの取材じゃない。そもそもネット音痴の私はスカイプなど利用したことがないし設定の仕方もわからない。それに悪意あるコメントが流れるニコ生も好きじゃない。

だが、ヨーゲンは諦めなかった。提案を放置している私に対し、「安田は逃げている」「安田は臆病」などとツイッターに書き込んで挑発した。

結論から言えば、私は挑発に乗ってしまったことになる。「逃げている」と言われ続けることに我慢ならなかったのだ。そのあたり、私も「スルー力」が足りない。

ネットに疎い私は、すぐに知人に頼んでスカイプの設定をしてもらった。生まれて初めてニコ生のアカウントも取得した。私にとっては極めて難作業であった。

さらにヨーゲンは「双方に中立な司会者」を用意するよう注文をつけてきた。自分から提案をしておきながら、ニコ生のアカウント取得から司会者の選定まですべて私任せである。しかも司会者はヨーゲンが納得する人物でなければ許可しない、というメチャクチャな要求であった。

幸いなことに、私とヨーゲンのやりとりを見ていた人物から、司会役を引き受けたいとの申し出があった。その人物が保守的な思考の持ち主であることから、ヨーゲンも二つ返事でそれを受け入れた。

かくして1月19日の夜10時、「朝鮮人の手先である安田と愛国者ヨーゲンの対決」(ネットに書き込まれた文言 前編/後編)が相成ったのである。

このときの様子はいまでも動画サイトに残っているので、興味ある方はご覧いただきたい。

自分で記すのもなんだが、おそろしくレベルの低い「対決」であったことは間違いない。到底、議論と呼べるものではなかった。

しかたなく「ニコ生対決」に付き合った私は、どこか投げやりで、しかもぞんざいな態度でまくしたてるばかりであった。一方ヨーゲンはロジックも話芸もなく、自分から仕掛けたわりには、思春期の子供のように稚拙な罵倒を繰り返すばかりである。


復活してしまったヨーゲン

「今後、朝鮮人がウチを襲いに来たらどうするんだ」と私の取材を非難し、「朝鮮人の反日思想こそが問題」だと自らの正当性を訴える。私が少しでも反論しようものなら、「やめてくれ」とわめくだけだった。

やたら「朝鮮人」を連呼し、自身のヘイトスピーチは「反日に対する抵抗」なのだと主張するヨーゲンは、まさにネットの文言そのままの一本調子で何のひねりもない。

いま、あのときを振り返りながら、こうして書き起こしているだけで気恥ずかしくなる。いや、なんともバカバカしい。やはり、こんなのは取材じゃない。オーディエンスを意識している以上、私も好きなことが言えない。ヨーゲンの本名すら口にすることができないのだ。私はつくづく映像向きの記者ではないと実感した。

ただし唯一興味深く感じたのは、彼が在日コリアンを嫌悪することになったきっかけとして「生活保護問題」を挙げたことにある。

ヨーゲンは興奮した口調で次のように述べた。

「朝鮮人が生活保護を受給できていることが許せない。日本では生活保護が受給できないことを理由に、年間1万人もの人が自殺している。それは朝鮮人などが不当に生活保護を奪い取っているからだ。つまり60年間で60万の日本人が朝鮮人のせいで死んでいる。いま日本に住んでいる朝鮮人と同じ数の人間が、これまで命を奪われてきたことになる」

日頃から在特会などが主張していることでもある。実にメチャクチャなロジックではあるが、彼の憎悪が、そうした「奪われた感」に基づいたものであろうことは、ぼんやりと理解できた。結局、ネット上の真偽定まらぬ怪しげな言説に飛びつき、どうにか自我を保っているのだろう。

この「ニコ生対決」を終えてからも、ヨーゲンは懲りなかった。相変わらずネットで暴言、珍説をまき散らしていた。しかし"ニコ生効果"で必要以上に有名になりすぎたせいか、おかげでツイッターを運営する米ツイッター社にも「問題発言の多いユーザー」として認知されてしまったようだ。おそらく差別発言に対する同社への"通報"が相次いだのだろう。3月を過ぎたころには何度か「アカウント凍結処分」を受けている。

「ネトウヨ界の大物」を自称していたヨーゲンも、いつしか過去の人になりつつあった。
そしてある日突然、彼はツイッター上から消えてしまう。
彼の最後のツイートは6月17日である。
実はその日に彼は商標法違反で栃木県警に逮捕されたのであった。

裁判の過程においてヨーゲンは、多額の借金を抱えていることでプロダクトキーの販売を思いついたこと、それが犯罪だという認識が薄かったことなどを陳述した。

また、妻に対するDV(ドメスティック・バイオレンス)など、家庭内における様々な問題も露見することとなった。

朝鮮人を皆殺しにするとネットで吼えまくり、愛国者だとおだてられ、「大物ネトウヨ」を自称していた男も、法廷では虚勢を張ることもできず、叱責を受ける子どものようにうなだれているだけだった。

「もうネットに関連した商売はやらない。二種免許を取得して運転代行の仕事を始めたい」

憔悴しきった声でヨーゲンは更生を誓った。
哀れさをさらに誘ったのは、それまでヨーゲンを持ち上げ、同志だと豪語していた者たちが一人も法廷に姿を現さなかったことである。

冷たいものだ。「ネトウヨの連帯」など、その程度のものである。
ネットで踊り続けたヨーゲンに肩を差し出す者は誰もいなかったのだ。
そして10月15日、宇都宮地裁栃木支部の判決公判──。
同支部による判決は「懲役2年執行猶予4年、罰金100万円」というものだった。
今回が初犯であり、さらに更生を誓ったことが考慮され、執行猶予付きの判決となった。

その日、ヨーゲンは4か月ぶりの帰宅が許された。

量刑は妥当なところであろう。それでもなにか釈然としないものが残るのは、結局、彼のヘイトスピーチは何ら裁かれることはなく、しかも釈放された翌日から彼はツイッターを再開し、早くも私に対する罵倒を始めたためである。

まあ、私への罵倒程度ならばかまわない。しかし、彼の攻撃を受けた人々の傷は残ったままだ。なんら被害救済されることなく、ヨーゲンの復活に暗澹たる気持ちでいるに違いない。

取材の過程で、ヨーゲンを逮捕した栃木県警関係者から、私はこんな言葉を耳にした。

「容疑はすぐに認めたが、取り調べの最中にも極端に偏向した言説を口にするなどして担当者を困らせたらしい」

その様子が目に浮かぶ。取調室でも、ヨーゲンはヘイトスピーカーであり続けたのであろう。

ヨーゲンは確かに追い込まれた。今後、特定の人物に向けたヘイトスピーチが再開されれば、所在も本名も明らかとなったヨーゲンは即座に被告席に戻されることになろう。

だが、彼はおそらく変わっていない。ネットの自家中毒から覚めてはいない。
そしていまも、ネット上には無数のヨーゲンがいる。憎悪と差別と偏見を拡散する差別主義者が跳梁跋扈している。

そうした現実とどう向き合っていけばよいのか。このままでよいのか。ヘイトスピーチは裁かれないままであってよいのか。

差別を野放しにしている社会を変えるために何ができるか、私はいま、それを考えている。

<了>


安田浩一(やすだ・こういち)
ジャーナリスト/1964年静岡県生まれ。週刊誌、月刊誌記者などを経て2001年よりフリーに。著書に『ルポ 差別と貧困の外国人労働者』(光文社新書)、『外国人研修生殺人事件』(七つ森書館)ほか。主著『ネットと愛国』(講談社)で2012年度講談社ノンフィクション賞、JCJ(日本ジャーナリスト会議)賞を受賞。現在は2015年春の出版を目標に、『ネットと愛国』の続編を鋭意執筆中。

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