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時代の正体(36) ヘイトスピーチ考 表現の自由と対立せず

時代の正体(36) ヘイトスピーチ考 表現の自由と対立せず

カナロコ by 神奈川新聞 10月22日(水)11時56分配信

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141022-00107712-kana-l14

パトリック・ソーンベリー 
英キール大名誉教授。専攻は国際法。2001年から14年1月まで国連人種差別撤廃委員会委員。同委員会「一般的勧告35・人種主義的ヘイトスピーチと闘う」の起草者

 在日コリアンの排斥を唱え、差別と暴力、憎悪をあおるヘイトスピーチ。国連人種差別撤廃委員会から規制を求める勧告がなされたが、法規制については表現の自由を制限するとして慎重論もある。前人種差別撤廃委員会委員のパトリック・ソーンベリーさんはしかし、言う。「ヘイトスピーチ規制と表現の自由を対立させる考えは誤りだ」。条約の第一人者が語った、社団法人自由人権協会主催のシンポジウムでの講演を紹介する。

 国際的な義務として人種差別撤廃条約が締約国に何を要請しているかというと、第一に人種差別を違法とする法制度を設けること、第二にヘイトスピーチを禁止することだ。

 哲学的になるかもしれないが、ヘイトスピーチの禁止と表現の自由を対立させる考え方はいかがなものかと考える。なぜならヘイトスピーチから自由であるということも人権の一つであると考えるからだ。つまりヘイトスピーチの禁止は自由を狭めるのではなく、ヘイトスピーチがない状態で人としての尊厳が守られて生きるということは、権利として認められるべきだと私は思う。

 人種主義者を表現の自由のヒーローのように捉えるべきではない。人種主義者がやっているのは、弱い立場の人たちの言論を沈黙させることにほかならない。

 どんな社会にも完全な表現の自由というものは存在しない。タブーがあり、限界はある。それは児童ポルノであったり、国際的にはジェノサイド(大量虐殺)を扇動する言動であったりする。いかなる社会にも許容可能な言動と許容できない言動があり、無制限に認められる権利というものはないものだ。

     ■境 界

 ヘイトスピーチを規制する法律を作る際に問題になるのは、線引きが不明確になされることだ。それはしかし、境界線をきちんと画する努力によって解決可能だ。そのためのガイドラインが、人種差別撤廃委員会が2013年に作った「一般的勧告35」だ。

 ヘイトスピーチにも程度の違いがあって、聞いた人が単に気分を害するというものもある。それであれば刑法で処罰する必要がないと私は考える。対して人間の尊厳を踏みにじり、同じ社会に存在することを否定する類いのものは許されるべきではない。

 条約の1条で差別の事由として挙げられているのは人種、皮膚の色、世系、民族的、種族的出身の五つだ。4条で禁止しているのは人種主義の扇動、人種的優越または憎悪に基づく思想の流布、そして人種主義的暴力の扇動や人種差別の扇動などである。

 思想の流布の方法には直接、間接的なものだけでなく、示唆することも含まれる。人種主義を想起させるシンボルを使うことがそれに当たる。

     ■責 務

 日本は一部留保しているが、4条は特定の行動について刑罰をもって対処すべきだと定めている。

 この点、前述の「一般的勧告35」は、ヘイトスピーチと闘うためには、刑罰のみならず、あらゆる資源を動員しなければならないことを明確にした。最低限必要なのは人種差別撤廃のための刑法、民法、行政法にまたがる包括的な立法であり、対抗言論や人種差別に関する教育などでバランスを取っていかなければならないということも説明している。

 そして条約を守るべき主体だが、国際法の原則からすれば、政府とは国の領土全体に責任を負うものを指し、この責任は黙示的に、地方公共団体やそのほかの地方組織、公人に対する責任も負うと当然導かれる。

 また、国内法を国際的な責務を否定するために使ってはならないという原則もある。つまり、国内法が国際的に求められている責務と合致していないのなら、それを果たせるよう国内法を変更していくというのが国際法上の原則だということを付言しておきたい。

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