« 米NBAオーナー「黒人連れてくるな」 | トップページ | 人権守る第三者機関を ハンセン病市民学会 »

いのちの尊厳取り戻すため闘った 谺雄二さん死去

いのちの尊厳取り戻すため闘った 谺雄二さん死去

編集委員・高木智子

2014年5月12日05時25分
http://www.asahi.com/articles/ASG5C4T10G5CPLZU001.html

 ハンセン病国賠訴訟の勝訴判決からちょうど13年の11日、裁判の先頭に立っていた谺(こだま)雄二さんが亡くなった。完成まで死ねないと語っていた負の遺産「重監房」の再現を見届け、82年の生涯を閉じた。
谺雄二さん死去 ハンセン病原告団協議会長

 断種、堕胎、ホルマリン漬けにされた赤ちゃん……。いのちが軽んじられた療養所で、谺さんは7歳から生きた。「人間らしく扱われなかった。どんなことが行われたか、国は永久に語り継ぐ責任がある」

 2001年5月11日に勝訴を勝ち取った谺さんは、「これからが人間回復だ」と語った。その宣言どおり、自らが住む療養所「栗生楽泉園」にあった監禁施設「重監房」の復元を求める運動に取り組んだ。反抗的とされた入所者が各地の療養所から送り込まれ、23人が命を落とした施設。04年に10万人余りの署名を提出して国とかけあい、資料館の実現に道筋をつけた。

 体は限界だった。09年に左腕を切断し、義手をつけた。時間を惜しんでパソコンに向かい、自由の利かない右手で証言を打った。

 「せっかくライにかかったんだからさ、この経験を役立てようと思ってねえ。このままじゃ死ねないよ」

 資料館の開館式典を2日後に控え、谺さんの出席が危ぶまれた。仲間たちから「これだけ頑張ってきて、出なくていいんかい」と病床で励まされ、「行く」とうなずいた。式典があった先月30日。ストレッチャーにのった谺さんがトレードマークのベレー帽と背広姿で現れた。もう声を絞り出す力は残っていなかった。

 いのちの尊厳を取り戻す。その闘いに全身全霊を捧げた人生だった。

|

« 米NBAオーナー「黒人連れてくるな」 | トップページ | 人権守る第三者機関を ハンセン病市民学会 »

つれずれ」カテゴリの記事