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2014年1月に作成された記事

王将 大東社長射殺事件

王将 大東社長射殺事件、前社長の同和関係者への90億円巨額融資が関与か? 上杉昌也・佐一郎氏など裏社会との交際清算がトラブルに発展か?

http://danshi.gundari.info/ousyou-kaidou.html?utm_source=rss&utm_medium=rss&utm_campaign=ousyou-kaidou

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全国人権連 政府交渉(1/24)などを実施

http://zjr.sakura.ne.jp/?p=861

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人権と部落(同和)問題セミナー

主催  全国地域人権運動総連合

場所 神田エッサム本社ビル4階(神田駅徒歩5分)

2014年1月23日
13:30 開会 主催者代表挨拶

13:45 第1部 講演
「秘密法状況のもとでの人権機関を考える」
講師 上智大学文学部新聞学科・田島泰彦教授

15:00 休憩

15:15 第2部 講演
「被爆者の現状及び『はだしのゲン』の文化性と関わって」
講師 日本原水爆被害者団体協議会事務局次長 木戸季市氏

16:00 意見交換(各地からの報告など)

16:25 閉会

参加費 3000円

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<憲法から考える>①針路照らす最高法規 百年の構想力が問われる

<憲法から考える>①針路照らす最高法規 百年の構想力が問われる(1月1日)

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/513112.html

 日本は今、勢いをつけて曲がり角を進んでいる。戦後守り続けてきた平和国家から決別する路線である。

 日本版NSCの設立、特定秘密保護法の制定…。安倍晋三首相は「積極的平和主義」と呼ぶが、軍事偏重路線に他ならない。国民の権利制限をも含む危険な道だ。

 すでに曲がり角をかなり進んでいると見るべきだろう。今までの政治情勢から言えば、歯止めをかけるのは容易ではないかもしれない。

 しかし私たちは流されるわけにはいかない。道しるべは憲法である。

 憲法は、第2次大戦の敗戦という痛切な教訓が残した遺産である。だが過去の文書ではなく、今後も日本国民の針路を示し、世界に向かって日本の立場を宣言する価値ある最高法規だと、私たちは考える。

 憲法を前面に、この国のあり方をあらためて問い直していきたい。

■目先に走る対中政策

 敗戦から69年、日本は曲がりなりにも平和を享受し、経済発展を遂げて世界に存在感を示してきた。

 世界各国の力関係は変化しつつある。拡張主義を隠さず周辺国との摩擦を招いている中国との関係が、いまの日本の大きな関心事であることは間違いない。

 安倍政権の安全保障政策は、こうした情勢を踏まえたものだろう。しかし、あまりに短絡的だ。

 1956年に首相になる石橋湛山は、ジャーナリストとして戦中も自由主義的言論を貫いた人だが、日米開戦前の41年夏、「百年戦争の予想」と題する論説を発表した。

 第1次大戦が始まった14年を起点として、戦争状態は100年程度続くと見立てて、「時局(第2次大戦)後の世界ないし日本はどうなるのだ、という問題を検討して見て、それから逆に現在の政策を樹(た)てなければならない」と説いている。

 ことしが第1次大戦から100年に当たる。湛山の見立ては原爆投下で修正されることになるが、長期の構想力の必要性は、今日も重要だ。むしろ一層増しているだろう。

 将来はもちろん見通し難い。中国の今後に対しても楽観論、悲観論が交錯している。さまざまな備えは必要だろう。

 一方、100年後も中国は隣にあり続けるという素朴な事実がある。

 米中関係や東アジア諸国の現状を踏まえ、長期的で広範な未来図を描かなければならない。

 いま、困難な問題を抱えている国は多い。中国もその一つだ。解決すべき分野でできる限りの協力をする。そうした行動を相互の信頼と利益につなげていくことこそが「戦略的互恵関係」だ。

■開かれた民主国家に

 日本が享受してきた平和は、自らの努力で獲得してきたものでもある。憲法に基づく平和外交の成果だ。そしてそれが世界の尊敬も集めてきた。誇っていいことである。

 憲法前文の「平和を維持し、…国際社会において、名誉ある地位を占めたい」との言葉は、単なる願望ではなく、構想力を示したものだったと言える。この道を追求したい。

 石橋湛山は、病気のためわずか65日の首相在職だったが、その後も政治への提言を続けた。憲法9条擁護を明確にし、軍備の拡張については「国力を消耗する」「国防を全うすることができないばかりでなく、国を滅ぼす」(68年)と鋭く批判した。

 国民が主役の真の民主国家、という国の姿をより確かなものにしていくことも重要だ。

 経済のグローバル化で、「開かれた国」といえば貿易面だけが強調される。しかし、政治的に開かれ透明性が高いことこそ、国民のためにも対外的にも重要ではないか。

 安倍政権の保守的政策はどうか。靖国神社参拝は各国の批判を浴びたが、安全保障政策の中に「愛国心」を書き込むなども、内外に違和感を広げるだろう。

■尊厳ある雇用の場を

 憲法は、国民の生存権や幸福追求権も保障している。

 財政赤字が増え続け、社会保障は将来の給付削減が必至の段階にある。文字通り「百年安心」の実現のために政治力の結集が必要だ。

 就業の場を広げるとして雇用の流動化に傾斜するのも疑問が多い。

 そうでなくても雇用の質の低下が目立ってきた。尊厳や自己実現に結びつかないばかりか、憲法が禁じる「奴隷的拘束」や「苦役」に該当しそうな例さえあるのが現実だ。

 消費税率引き上げ後は、貧富の格差がますます広がる心配が大きい。

 東日本大震災の被災地。米軍基地の圧力に悩まされる沖縄。被災住民や県民は、「差別」を感じている。

 これらを放置しては憲法が泣く。

     ◇     ◇

 憲法の3原則は「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」。それぞれについて次回以降、考えていく。


<憲法から考える>②揺らぐ国民主権 「普遍の原理」を守りたい(1月3日)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/513286.html

 政治の主役は国民だ。今年はその原理が覆る分水嶺(れい)となりかねない。

 安倍晋三政権は年内に特定秘密保護法を施行する方針だ。「国民の知る権利」を制限し、情報を意のままに秘匿することができる。そこには国民より国を優先する思想がある。

 憲法前文は「国政は国民の厳粛な信託によるもの」として、国民主権を明確にしている。この理念は「人類普遍の原理」であると断じる。

 安倍政権の改憲志向は、主権者である私たち一人一人に突きつけられた挑戦と受け止めるべきだ。

 統制を強めようとする政権に厳しい目を向けていく必要がある。

■デモは意思表明の場

 特定秘密保護法成立前夜の昨年12月5日、札幌・大通公園は抗議する約千人の群衆で埋まった。

 「知る権利を脅かすな」「強行採決は許さない」―。参加者は声を張り上げた。主催した北海道憲法会議の斎藤耕事務局長は「改憲の地ならしをして戦争に向かうのではとの危機感の表れだろう」と語った。

 こうした活動がいずれ制限されるのではないか。そんな懸念を抱かざるを得ない状況が到来しつつある。

 自民党の石破茂幹事長は「デモはテロ」との発言は撤回したものの、「本来あるべき民主主義の手法とは反する」と主張した。

 議会制民主主義において、議論の場は国会だ。反論があるなら整然と議場内で行うべきで、屋外で大声で訴えるべきではない。そう言いたいようだ。だが、本当にそうか。

 選挙が終わったら何も言えないのでは不完全な民主主義だ。投票で個別政策の賛否を一つ一つ問うわけではない。デモは選挙を補完する国民の意思表明の手段と言える。為政者の都合で抑圧してはならない。

 国民を主権者と位置づけるからこそ、憲法は広範な自由を保障している。国と国民の利害が対立した時、国民の側を優先するのが基本だ。

 安倍首相はこの考えに否定的だ。

 2006年の著書「美しい国へ」では他国による支配という極端な想定を持ち出して「個人の自由を担保しているのは国家なのである」と訴えている。国民を国家の下に置く考えは筋金入りと見ていいだろう。

 自民党の憲法改正草案は、国民の自由を制限する条件となる「公共の福祉」を「公益並びに公の秩序」という言葉に変えて統制色を強めた。

 安倍政権は憲法の基本原理を大きく変質させようとしている。

■伝統を補充して進む

 国民主権の概念は18世紀のフランス革命などにより確立した。「人権宣言」は君主による暴政への歯止めとして、「あらゆる主権の原理は本質的に国民に存する」と規定した。

 日本の明治憲法は天皇による統治を明記したが、官僚の台頭や軍部の独走を許し、敗戦により国は破綻した。現在の憲法はそうした反省に立ち、国民主権を明確にした。

 自民党はこうした権利概念が外国のものであり、日本の伝統とは違うと主張する。郷土や自然を通した愛国心を根付かせて、「国家」の存在を大きく見せようとしている。

 しかし、どこに起源があろうとも、普遍性のある原理を政治に導入することに何の問題もない。

 歴史家の家永三郎は「歴史のなかの憲法」で「一国の歴史はその民族的伝統に欠けている普遍人類的なものを外から移植、同化して伝統を改造あるいは補充しながら進む」と述べている。

 天皇を象徴としつつ、国民主権の理念を打ち立てた憲法が定着していること自体、現在の日本の伝統と言えるのではないか。簡単に覆すべきではない。

■積極的に政治参加を

 必要なのは国民主権をしっかりと根付かせていくことだ。そのために国民各自が主権者としての自覚を強く持つことが不可欠である。

 基本になるのは選挙だ。一昨年の衆院選で道内の投票率は約59%、昨年の参院選は約54%だった。主権者としての権利行使を怠って政治を白紙委任してはならない。

 埼玉県北本市は先月、住民投票での圧倒的反対を受けてJRの新駅設置を断念した。市長選、市議選の立候補と投票の年齢を引き下げる「若者政治参加特区」も目指す。政治参加の拡大の試みは参考になろう。

 負託を受けた「国民の代表」の役割も重要だ。「国政の権力は国民の代表者が行使し、その福利を国民が享受する」。それが憲法の原理だ。

 国民が身近に感じられない政治が続いている。政治とカネの不透明な関係や、離合集散を繰り返して漂流する政党の姿に、国民の失望感は深まる一方だ。

 首相が公然と憲法に背く異常な状況にある今こそ、国民とその代表が一致して政治をつくり上げていく必要がある。それこそが憲法が国民に求める「不断の努力」なのだろう。




<憲法から考える>③真の平和主義 9条の精神生かしてこそ(1月4日)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/513390.html

 安倍晋三政権が掲げる「積極的平和主義」によって、日本は平和国家から「戦争が可能な国」に変えられようとしている。

 首相は日本版国家安全保障会議創設法と特定秘密保護法を成立させ、国家安全保障戦略では武器輸出三原則見直しを打ち出した。

 今年は集団的自衛権の行使を禁じる現行の憲法解釈見直しに踏み切る構えだ。その先には憲法9条改定による国防軍創設を見据える。

 首相のこうした姿勢は昨年暮れの靖国神社参拝と相まって中国や韓国の反発を招き、両国との関係は冷え込んだまま修復のめどが立たない。

 積極的平和主義は先の戦争への深い反省に基づく日本の戦後の歩みを逆戻りさせかねない。9条がアジアの安定に果たしてきた役割を再認識し、真の平和主義に基づく安保外交政策を打ち立てなければならない。

■中国への警戒あらわ

 米海兵隊のりゅう弾誤射事故が昨年6月に起きた道東の矢臼別演習場を訪ねた。りゅう弾の落下地点は国有地で、町道からわずか数十メートルだ。

 案内してくれた酪農家の森高哲夫さんによると、一帯は町民が牧草地として使い、山菜採りをする場所という。米軍は事故から4日後、地元了解も得ないまま訓練を再開した。

 国家安保戦略は中国の軍事的台頭を「国際社会の懸念事項」と強調し、海洋進出を「力による現状変更の試み」と厳しく批判した。

 その中国に対抗するため、米国の相対的な力の低下を日本の役割拡大で埋めるのが積極的平和主義だ。首相は日米の軍事的役割分担を定めた日米防衛協力のための指針(ガイドライン)を今年中に見直し、集団的自衛権の行使を反映させる考えだ。

 安保戦略に基づく新防衛大綱は北海道を「訓練適地」と位置付けた。道内陸上自衛隊の師団・旅団を、中国との有事の際などに派遣する機動部隊に改編することも打ち出した。

 今後は矢臼別をはじめ道内の演習場で自衛隊や米軍の訓練が増加し、危険性が指摘される新型輸送機オスプレイを使った訓練も予想される。

 森高さんは「憲法に記されている平和に生きる権利が踏みにじられるのは許せない」と憤る。首相はこうした声に真摯(しんし)に耳を傾けるべきではないか。

■ナショナリズムの影

 安倍政権の軍事偏重の動きは近隣諸国への敵対的メッセージになる。首相は中韓両国との「対話のドアは開いている」と再三強調するが、靖国参拝でそのドアを自ら閉ざした。

 昨年11月、宗谷管内猿払村で予定されていた式典が中止になった。戦時中に旧陸軍浅茅野(あさぢの)飛行場建設にかり出されて犠牲になった朝鮮半島出身者の追悼碑の除幕式だ。

 犠牲者の遺骨収集に当たった市民団体などによる実行委が村有地に追悼碑を設置したことに対し、村役場に約100件の抗議の電話やメールが殺到。村は設置許可が未申請だったとして式典中止を求め、実行委はその後、追悼碑を自主撤去した。

 市民団体共同代表で深川市の僧侶、殿平善彦さんは「安倍政権がナショナリズムに偏り、韓国や中国とは融和よりも対立のスタンスになっている。猿払村で起きたことがその流れにあるのは確かだ」と語る。

 安保戦略には国民の「愛国心」を養うことが盛り込まれた。中国の脅威を強調して偏狭なナショナリズムをあおり、防衛費増大に理解を得ようとする首相の意図は明白だ。

■安定の鍵は専守防衛

 中国は過去10年で国防費を約4倍に増やし、尖閣諸島周辺での挑発行為も絶えない。こうした中で、日米同盟を強化し、中国に対抗しようという首相の積極的平和主義は一見、国民の目にもっともらしく映る。

 だが、それは中国との軍拡競争を招き、逆に地域の不安定化を生む。

 9条に基づく専守防衛は決して現実離れした概念ではない。侵略された場合に反撃することも、その反撃を外交手段が尽きたときに必要最小限度にとどめることも、国連憲章と現行の国際法が求める水準だ。

 奥平康弘・東大名誉教授(憲法学)は、9条に基づき日本が海外で武力行使しないことがアジアの安定に貢献してきたと指摘した上で、「積極的平和主義は、その安定を壊す概念だ」と断言する。

 首相は9条で日本の安全は守れないとして改憲を目指している。だが実は9条の理想を実現することが、日本、ひいてはアジアに平和と安定をもたらすことを認識すべきだ。

 矢臼別演習場に食い込むように広がる牧場がある。反戦地主として知られた故川瀬氾二さんが最後まで国に売らなかった土地だ。

 川瀬さんは米海兵隊訓練が始まった2年後の1999年、牧場の青いD型ハウスに黄色いペンキで9条の条文を書いた。その文字は9条の精神と同様、今も色あせていない。




<憲法から考える>④基本的人権・生存権 弱者の「居場所」を確実に(1月5日)

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/513515.html

 景気回復の兆しが伝えられる一方で、暮らしが上向いたと実感できる人はどれだけいるだろうか。

 安倍晋三政権は企業活性化を通じて家計を潤すシナリオを描くが、恩恵は庶民にまで浸透していない。4月からの消費増税でむしろ生活が苦しくなる人は増えるだろう。

 深刻なのは、年収200万円以下の働く貧困層が増え、1千万人を超えている点だ。正社員であっても、リストラや病気で仕事を失いかねない。若者も就職難で、大学新卒者の2割が非正規雇用だ。

 今や世代を問わずだれもが貧困に直面する可能性がある。貧富の差が広がれば一層社会不安は増す。

 憲法25条は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利(生存権)を保障しているが、現実は暮らしの安心や安定とはほど遠い。何よりも生存権の理念がすべての国民にとって、現実となる方策が求められる。

■看過できない孤立化

 昨年、SNEP(スネップ)(孤立無業)という言葉が流行語大賞の候補になった。20~59歳の未婚者のうち働かず、ふだんは1人で過ごすか、家族しか一緒に居る人がいない層を指す。

 東大の玄田有史教授の調査によると、SNEPは2011年現在で全国で約162万人、道内は約5万人に上る。10年間で倍増したという。

 背景には日本型雇用の変質がある。企業は終身雇用や年功序列で、従業員やその家族の生活を曲がりなりにも守ってきた。

 だが、バブル崩壊後、リストラは常態化し、身分が不安定な非正規雇用は全労働者の4割に達した。初めから就職そのものを諦めたり、過労による精神疾患などで再就職を断念したりする人も増えた。

 無業になれば家族から援助を受けていてもいずれ行き詰まり、生活保護に頼らざるを得ない。

 社会的関係も断ち切られ、孤立しやすい。婚姻率の低下や少子化にも拍車がかかるだろう。まさに生存権にかかわる新たな課題だ。社会として看過できない。

■「緩和」より安定化を

 憲法に保障された基本的人権は侵してはならない権利だ。生命や財産、内心の自由など多岐に及ぶ。

 その中でも生存権は、国に実現を要求できる請求権と呼ばれる。具体的には医療や介護、年金、雇用など社会保障がそれに当たる。

 自民党は憲法改正草案に「自由と権利には責任と義務が伴う」と明記し、昨年の参院選公約でも社会保障は自助と自立を強調している。

 安倍首相も先の所信表明演説で「意志さえあれば、必ずや道は開ける」と力説したが、自助努力や自己責任にはおのずと限界があるのは自明の理だ。憲法に生存権が盛り込まれたのもそのためである。

 生活を維持するには、一定の待遇が得られる職が欠かせない。

 ただ、企業は容易に正社員を増やさない。自己責任を強調したところで就職が進むわけではない。社会全体で雇用機会を確保しなければ解決は難しいのは明らかだ。

 国は、派遣労働者の期限撤廃など労働規制緩和に傾斜しすぎている。むしろ求められるのは、企業に雇用や待遇改善を促す政策だ。

 非正規と正規の格差を縮めるために「同一価値労働は同一賃金」の原則を定着させなければならない。

 今後、暮らしが成り立たない人も増えるだろう。高齢者や障害者、働くことが困難な人のためのセーフティーネット(安全網)の目をきめ細かくする必要がある。

 避けて通れないのは財源問題だ。少子高齢化が進む中で、現在のように現役世代が負担の中心となるのではたちゆかなくなる。高齢者でも高収入の人は負担を増やすなど、支払い能力を重視した形にすべきだ。

■住民巻き込み共助も

 もちろん公助ですべての問題が解決するわけではない。生存権を補完する共助も充実すべきだろう。

 釧路では全国に先駆けて市や市民団体が中心となり、失業者や定職に就いた経験がない人の自立支援に取り組んでいる。02年の太平洋炭鉱閉山以降、失業者が増えたためだ。

 12年4月に釧路社会的企業創造協議会を結成し、高齢化で担い手が減った漁網の補修や介護予防運動の器具づくりに携わっている。

 今のところ月3万円程度の収入にしかならないが、「居場所」を確保し、孤立化を防ぐ効果が出ている。

 櫛部武俊副代表は「自立支援は地域と人を耕す」という。

 高齢者の見守り、除雪など地域で需要がありながら、解決できない課題は多い。

 それを仕事に結びつければ雇用の受け皿になるばかりか、住民の要望にも沿うはずだ。

 国や行政、企業、住民がそれぞれの役割を果たしてこそ、生存権を実質化できる。(この項おわり)



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