黒人女性大臣への差別発言が示すフランスの人権感覚
プラド・夏樹
2013年12月13日
http://webronza.asahi.com/global/2013121300004.html
人権の国、フランスで人種差別が広まりつつある。そのことをはっきりと認識したのは、10月25日、アンジェ市を訪れた、黒人であるクリスチャーヌ・トビラ(Christiane Taubira)法務大臣が、11歳の女の子に「このバナナは誰のでしょう?雌猿のです!」と野次られた事件を通してだ。
クリスチャーヌ・トビラ法務大臣 フランス領ギアナの出身。Claude Truong-Ngoc / Wikimedia Commons
南アフリカのアパルトヘイト、前世紀のフランス植民地時代を思わせるような光景だ。最近の人種差別は文化的、宗教的差異を理由にしたものが多く、見かけや肌の色を揶揄することはもうあまり聞かなくなっていただけに、時代が数世紀後退したかのようなショックを受けた。
トビラ法務大臣は、就任以来、極右翼のみならず、穏健右派の政治家からも多くの攻撃、嫌がらせを受けてきた。フランス本国ではなく南米にある仏海外県ギーヤンヌ出身の黒人女性が法務大臣という要職に任命されたことに対する嫉妬なのだろうか?
2001年に、フランスが「過去の奴隷制度は人道に反する罪であった」と認める法が成文化したのも、その結果、公立学校では奴隷制に関する授業や討論会を義務づけられるようになったのも、また、今年から同性カップルの結婚が可能になったのもトビラ大臣の業績である。彼女に対するバッシングは能力の欠如ゆえではなく、出身、肌の色を理由にしたものであることが明らかだ。
今回、アンジェ市を訪問中のトビラ大臣がこどもに「雌猿」と侮辱された直後、メディアは口を濁すようなコメントしかなかった。そうこうするうちに極右翼政党国民戦線のアンヌ・ソフィー・ルクレール氏が「トビラは政府ではなくて木にでもぶらさがっているほうがいい」というtweetをする。また、極右翼雑誌『Minute』は「猿のように賢いトビラはバナナをみつける」というコメント入りで表紙を発表するなど、ヘイトスピーチが目に余るほど増長するにいたって、やっとエロー首相が『Minute』誌を提訴し、国会で「このようなことは許せない」と発言した。
次いで、新聞にトビラ大臣を擁護する記事が連なるようになったのは1週間後、11月になってからだった。この反応の遅さ、鈍さはなんだろう? フランスらしくない、と思った。トビラ大臣自身、リベラシオン紙の11月5日のインタビューで「今回の事件は私たちの社会が躓きはじめていることの証拠であるのに、誰もそれに対して声高に異議を唱える人がいなかったことにショックを受けている」と語っている。
このインタビューのなかで、トビラ大臣は「私が受けた侮辱は、口が滑ったというようなものではない。もはやこの社会から、言ってはいけないことのリミット、禁止線が消滅しつつあることの証」と強調している。法務大臣が人種差別的侮辱を受けるのならば、一般の人々にとっては日常茶飯事であると想像できるからだ。
私がフランスで生活を始めたのは25年前、ミッテラン政権下だった。人種差別的な発言を公の場でするのは、社会から脱落した人々か、精神的に問題のある人々の憂さ晴らしとされていた時代であった。穏健でド・ゴール派であったシラク政権下でも同様だった。
しかし、サルコジ政権下で、ヘイトスピーチがじわじわと日常生活のなかで浮上するようになり、やがて珍しくないことになっていった。現在のフランスは過去より人種差別が激しくなってきているのだろうか? 訴訟件数だけで評価することは難しいが、2012年、人種差別的発言や行為で訴えられた件は1530件、前年より23%増、20年前と比べると5倍に跳ね上がっている。
サルコジ大統領のグルノーブル演説とダカール演説を、ヘイトスピーチの皮切りとみなす社会学者は多い。グルノーブル演説は、2010年夏、カジノを襲撃したロマ人を警察が射殺したことに端を発したロマ人の暴動の直後に行われた。ロマ人キャンプの50%を3カ月内に破壊すること、移民出身で仏国籍をもっている者が警察官や軍人を傷害あるいは殺人した場合は国籍を剥奪すること、移民出身で犯罪歴がある未成年者には成人後の国籍取得を阻むなど、移民、特にロマ人を標的にしたヘイトスピーチ的な内容で、右派内でも非賛同者が多かった演説だ。
ダカール演説は2007年、セネガルの学生や教授を前に行われた。フランスによるセネガルの植民地支配を認めたが謝罪はせず、「アフリカの悲劇は、人類の歴史のなかでいまだ大きな業績を残していないことである」と述べて非難された。人類の歴史はアフリカから始まったことを知らないのかと、多くの人々の嘲笑と憤りを買った演説だった。
パリ政治学院ヨーロッパ研究・センターの研究員ノンナ・メイエー氏によれば、1990年から2010年にかけて、外国人排斥は降下していたが、グルノーブル演説以降上昇したと言う。また、パリ第8大学政治科学教授エリック・ファッサン氏は、「数値としての人種差別が増加したかどうかは定かではないが、サルコジ政権以来、人種差別的発言も合法的なオピニオンとして市民権を得るようになった」と言っている。(※注)
同時期に、元左派でありながらサルコジ元大統領の思想に賛同して右傾化した人々、ネオ・コンセルヴァタールと呼ばれるインテリ層やジャーナリストが、それまでタブーとされていたヘイトスピーチを露骨にメディア上で行うようになった。
彼らは、「ポリティカリー・コレクトなことばかり言っていても仕方ない、みんなが心の底で思っていることを敢えて言おう」というスタンスで、イスラム教徒やユダヤ人、ロマ人や黒人に対する、以前ならば禁句であったショッキングな差別的発言を行ない、注目を浴びるようになった。いまや、ポリティカリー・インコレクトな発言をする人々が、テレビのプライムタイムでスターとなっている。
その際たる例は、「イスラム教とフランス共和国法は共存できない」と言うジャーナリストのエリック・ゼムールだろう。
「麻薬の密売をする人のほとんどはアラブ人と黒人、だから彼らが警察の身体検査や身分証明検査の標的になるのは当然」とテレビ番組で発言。ラジオ番組では「アラブ人や黒人を雇わないという雇用者側の権利を認めるべきだ」と言い、人種差別発言として罰金刑を受けたが、その毒舌ぶりはあいかわらず人気を得ている。
このような傾向は、刺激的で物議をかもす発言を重ねる橋下徹市長や石原慎太郎前都知事が、あたかも「勇気ある発言をする人」かのように大人気を得ている日本と同じかもしれない。
ポリティカリー・コレクト(政治的に公正)という言葉は1980年代からアメリカ合衆国で使われるようになった言葉である。もともとは左翼の人々が「マルクス主義者の僕が4つ星レストランで食事するのはポリティカリー・コレクトではない」、「私はフェミニストだから、あまりポリティカリー・コレクトではないけど、今日はマニキュアを塗ろう」というように、自分たちのドグマ的態度を自嘲するために使っていた言葉だった。
その後は、女性、黒人、スペイン系、ホモセクシャルなどのマイノリティーを擁護する左派の多文化主義をもさすようになったが、保守派はそれを逆手にとって、左派の人々のマイノリティー擁護が度を越すことを「ポリティカリー・コレクト」と言って批判するようになった。フランスでは、1990年代から米国と同じ意味合いで使われるようになり、前出のエリック・ゼムール氏がショック発言をするときの決まり文句は、「ポリティカリー・コレクトなことばかり言っていると論議が発展しない」というものである。
フランスの哲学者ジャック・デリダは、「ポリティカリー・コレクト」という言葉を武器のように振り回すことで、あらゆる批判的思想や民主主義国家の原則が無効になってしまうのは危険だと述べている。その反対に、「ポリティカリー・コレクト」は倫理的枠組みとして重要ではないだろうかと、エリザベト・ルディネスコとの共著、『De quoi demain』( Fayard-Galillée,2001)のなかで述べている。
現在のフランスは、政治家やジャーナリストなど、国民に大きな影響力をもつ人々が、「ポリティカリー・コレクトはもうたくさん」とさえ言えば、あからさまにヘイトスピーチをすることがまかり通るようになってきているように思える。トビラ大臣が「雌猿」と侮辱されたことに対して、オランド大統領は、閣僚会議で「注意に値する」と述べただけだというが、それではあまりに生ぬるい。
こういうときこそ、フランスでは「人種差別的発言はオピニオンですらない、れっきとした犯罪である」ことを明言し、大統領として、「この国の倫理観とはなにか」を明確に打ち出すべきだったのではないだろうか。そう悔やまれてならない。
(※注)La radicalisation du discours politique légitime le racisme, Le Monde vendredi 8 novembre 2013
【Global Press】http://globalpress.or.jp/
プロフィール
プラド・夏樹(ぷらど・なつき)
慶応大学文学部哲学科美学美術史学科卒。ギャラリー勤務、展覧会企画、パリ・ポンピドゥーセンターで開催された『前衛の日本展』の日本側準備スタッフを経験後、1988年に渡仏。美術書翻訳、音楽祭コーディネーター業、在仏日本人向けコミュニティー誌「Bisou」の編集スタッフを経て、フリーライターとして活動している。歴史・文化背景を正確にふまえたうえでの執筆がモットー。
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