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西岡智×上原善広──橋下徹から解放運動まで

今、そこにある同和問題とは?
【特別対談】西岡智×上原善広──橋下徹から解放運動まで部落解放同盟の重鎮、同和問題を語る
2011.12.18 日

http://www.cyzo.com/2011/12/post_9319.html

──西岡智、80歳──。一般にはあまり馴染みのない名前かもしれないが、被差別部落出身者に対する冤罪疑惑事件を糾弾した「狭山差別裁判糾弾闘争」を牽引し、部落解放同盟大阪府連書記長、中央本部書記次長などを歴任した、かつての部落解放同盟の重鎮である。そんな西岡氏に、被差別部落出身のノンフィクション作家・上原善広氏が昨今の同和問題、そして解放運動の"今"をたずねた──。


 2012年3月に前身である全国水平社の創立90周年という節目を迎える部落解放同盟。その長い歴史の中で行われてきた部落差別撤廃への闘争により、差別の実態も大きく変わってきた。今回は戦後の部落解放運動を牽引し、その生き証人である西岡智氏に、ノンフィクション作家の上原善広氏が話を聞いた。自身が体験してきた部落解放運動とその現状、出自が話題になった橋下徹氏、そして運動の今後のあり方とは?

上原 今回は部落解放同盟で数々の要職を歴任し、狭山差別糾弾闘争を牽引してこられた西岡智さんに、怒られるために来ました(笑)。

 今の解放運動に喝を入れられるのは、西岡さんしかいないと思ってます。「同和地区出身」と語った橋下徹(元大阪府知事)氏の話は後ほど伺うとして、10月には岐阜で行われた部落解放研究第45回全国集会に"鳥取ループ【註1】"という、鳥取や滋賀の部落地域をインターネット上で公開して物議を醸したサイトの管理人たちが現れるという事件がありました。彼らは大勢の解放同盟関係者の前で自らの行動の正当性について発言したのですが、司会を務めていた部落解放同盟大阪府連合会委員長の北口末広氏はじめ、参加者たちは糾弾どころかまともな反論もできなかったと聞いています。

西岡 なんやそれ。

上原 また、今年の3月には奈良の水平社博物館の前で"在特会"【註2】という右翼に所属する男がハンドマイクを使って「"エッタ"出てこい!」など差別発言を繰り返すという事件があったのですが、そんな演説を聞いていながらも、奈良県連の誰も出て行かずに言わせ放題だった。そういうことが続いて、解放同盟も舐められていると言われています。

西岡 信じられん......。事実とすれば、徹底糾弾ものだし、今の解放同盟はただのお人よし集団と見られても仕方ない。

上原 しかし、一方で糾弾という手段は、部落が怖いものというイメージを持たれる元凶という批判もあります。糾弾闘争をしてきた西岡さんはどう思われますか?

西岡 そもそも糾弾とは、差別者を解放者にするのが本当の糾弾で、ただ相手をやっつければいいというもんじゃない。教師と生徒の関係と一緒でね、相手に伝わらんかったら教える側に問題や責任がある。説得であり、教育なんや。僕の師匠である松本治一郎【註3】さんも言うてたけど、解放同盟から糾弾を除いたら、それは歌を忘れたカナリヤと一緒や。差別、迫害を受けてハングリー精神が出て、そこから解放のための糾弾闘争で人が育ってきたんやから。弱虫、泣き虫、本の虫だった僕も、解放運動の中で成長してきた。

上原 西岡さんは僕の生まれた松原・更池の隣、大和川を挟んだ向こう側にある矢田の部落出身ですよね。

西岡 そう、矢田部落(現在の大阪市東住吉区あたり)や。戦時中は愛国少年団の団長。もう1年戦争が続いていたら、神風特攻隊に志願していた。そんな愛国少年だった。労働は中学から。行商やくず買い。朝、学校に行く前に市場に仕入れに行くんやけど、その道中に自転車に乗りながら勉強した。リズムに乗ってよく覚えられる。今でも書く字が小さいのは、自転車の上で勉強してた時の癖や。その後、定時制の高校に通っている時に「戦争とは、いったいなんだったんだ」という思いや疲労から虚無主義に陥った。藤村操というエリート学生が(将来を悲観して)華厳の滝に飛び込んで自殺したやろ? 彼に憧れたりして自殺志願者が増えた時代で、僕もその傾向が出てきた。ただ、長男である自分がもし死んだら、父は体が弱かったし、母や弟や姉妹たちが困る。それで4~5回は自殺しかけたが、なんとか思いとどまった。

上原 まだまだ差別が厳しい時代ですよね。どんな差別体験がありましたか?

西岡 同じ地元に女優の山本陽子さんに似た初恋の人がおったんやけど、その人が東北の大地主のせがれと結婚する前に、相手の親が身元調査を行い、部落出身ということで別れさせられて、首を吊って自殺をした。その子のお父さんも、娘の自殺を悲観して野井戸に飛び込んでな。すごいショックやったよ。そういうことがあって、慶應義塾大学法学部の通信制に在籍していた頃、治一郎さんのところに駆け込んだわけや。住み込みの書生みたいな感じで。自殺願望もあったせいか、治一郎さんには「君はそのままだと死ぬぞ」と言われて鍛えられた。治一郎さんに教えられた「山より大きな猪は出ない【註4】」という言葉が、どんな時もずっと頭の中にあった。言うなれば、革命的楽観主義。治一郎さんは、僕の師匠であると同時に恩人や。

上原 西岡さんの地元・矢田支部ができたのは、大阪の中でもとても早かった。当時は、やはり仕事がなくて、グレてヤクザになるような人も多かったんですか?

西岡 多かった。あとはとにかく、ヒロポンやってるやつばかりやった。売人で「ヒロポンの王様」って呼ばれているやつがおって。そいつがヒロポンのやりすぎで体から膿がいっぱい出て、死にかけたのを助けてやった。病院に連れていって、ちゃんとした家に住まわしてね。それで、命が助かったそいつが「ご恩返しをしたい」と、これまで自分がヒロポンを売り歩いた家を一軒一軒「俺みたいになったらいかん」って言って回って、結果、ヒロポンは絶滅した。

上原 更池でも元極道の人が「わしのようになったらアカン」と言って回ってたと聞きます。

西岡 そうそう。それでヒロポンを止めさせた次にやったのが、自動車学校を作ること。

上原 車友会【註5】ですね。

西岡 その頃、西成が空襲で焼けてたやろ。だから西成でやっていた皮革製品の下請けを矢田でやるようになっていた。職人たちはその仕事で一本道を西成まで単車に乗って往復するわけやけど、みんな無免許やから、そこで張ってる警察にいつも捕まる。罰金は親方と若い職人が半分ずつ払うことになっていたから揉めごとばかり起こっていて、日当も罰金でほとんどなくなってしまう。それで、若い者たちに免許を取らす運動を始めたんや。それは若い職人と親方の双方の要求、つまり民衆の要求を組織したんや。すべて民衆のための奉仕。それが運動で一番大事な根本やろ。免許があればできる仕事も増えるし、警察としても、若い者が免許を取ってカタギの仕事をするようになればヤクザにならんでいいと、僕の運動を認めてくれて、時間制限で地元の公園を開放して運転の練習をさせてくれたよ。字が読めんやつには明星や平凡といった雑誌やマンガで勉強させたな。

上原 西岡さんは矢田教育差別事件【註6】など、教育問題に取り組んだのも早かったですね。

西岡 解放運動は、教育に始まって教育に終わると思ってるから。城は石垣、事業は人なりや。人がすべてを決定すんのやから。

■今こそ光るべき──解放運動の現状

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西岡智氏。

上原 事業といえば、大阪市長選で話題を呼んだ橋下徹氏に注目が集まっています【編註:本対談が行われたのは大阪市長選の結果が出る以前の11月15日】。僕も「新潮45」(新潮社)で、橋下氏の出自や生い立ちを追った記事を発表しました。

西岡 橋下さんは、民衆を扇動する名人やね。勘が鋭い。今の市役所見てみ、役人の3分の1は遊んでるよ。市民はもう信頼してない。二重行政もひどいもんや。彼は、そこをピシーッと突いてるわけや。大阪市は切開手術してがんを全部取り除かなきゃいかんちゅうことがわかってる。現職の市長はええ人やと思うけど、手遅れやなと。いざ選挙となって、今はものすごく闘志を燃やしてやってるけど、最初からあの調子でいかなあかん。橋下さんの選挙カー見たけどな、勢いが違ったよ。あれは勝つ車やね(笑)。大衆が、わかりやすい英雄を求めてるってことやろうね。僕は彼を独裁者やと思うけど、やらせてみたらええ。切開手術が必要なのは解放同盟も同じやけどな。

上原 うーん、どこまでも僕と同意見で驚きます(笑) だから西岡さんは組織内で煙たがられ、僕は一匹狼になってしまったのかもしれません。大阪といえば、近年では解放同盟は飛鳥会事件【註7】などで大きな批判を浴びました。

西岡 あの小西邦彦という男は、大賀正行さん【註8】に憧れて解放同盟に入ったという話だった。それを考えれば、あの問題は大賀さんにも大きな責任がある。小西は飛鳥支部長として10年の間、一度も支部大会やってないんやで。それは上の人間が、指示なり注意なりせなあかんやろ。大賀さんは、そういうことも一度もしてない。それと、市役所と銀行が彼を利用していたということも読まなきゃならんよ。市役所には、エセ同和やら利権を狙ったやつらがいろいろタカリに来るやろ。それを調整・整理してくれる人が欲しいわけや。それで小西を使ってた。銀行は銀行で、借金の取り立てをするのに小西に口利きを頼んでいた。(07年11月に小西が死去し)死人に口がないからって、飛鳥会の責任をすべて小西に押し付けるのはいかんと思う。

上原 それと最近で言えば、松本治一郎の孫で部落解放同盟副委員長でもある松本龍氏【註9】が岩手、宮城の両知事への失言によって、復興相と防災相を辞任するという事件もありました。

西岡 実は僕は彼が学生の時分、よう面倒見とったんや。彼は僕に頭上がらへんよ(笑)。だからって何も龍君の肩を持つ気はひとつもないけどね、あの発言については自治体が復興について"おんぶに抱っこ"で来てたから、「それは自治体も考えなければいかん!」ということを言うつもりやったんやろ。それを居丈高な態度で言うからね、マスコミに狙われたんや。もともとは素質のええ子で、環境大臣の頃は期待の星やった。責任感が強くて人間が真面目すぎるから、僕みたいな革命的楽観主義になれんで、いろいろ考えすぎたんや。それに、解放同盟の福岡県連にも責任はある。自分のとこの土壌が彼を作ったのに、失言後、何もしないで龍君にすべてを押し付けてんねん。ちゃんと自分たちの組織のあり方を、もう一度考えなあかん。今からでも遅くない。一兵卒になってガレキ拾いをするなら、僕もお供するけど(笑)。

上原 解放同盟の中でも「武闘派」として知られる西岡さんにとって、解放運動とはどうあるべきものですか。

西岡 井の中の蛙やなしに、大海を知って、より魅力のある活動をするべき。人の世に熱あれ、人間に光あれ【註10】の言葉通り、全人類解放の希望の星にならなきゃいかん。今こそね、解放同盟は輝くべきで、「ピンチはチャンス」なんや。あと、僕は武闘派じゃなくて穏健派。

上原 水平社宣言の頃の初心に戻れということですね。「ピンチはチャンス」もいい言葉ですね。

西岡 そもそも「実るほど頭を垂れる稲穂かな」というように、本来は謙虚な気持ちで運動をやってかないかんのに傲慢無礼になってるよ、今は。10年7月の参院選で(部落解放同盟中央書記長の)松岡徹君【註11】が落選したでしょ。あの時彼は「自分の不徳の致すところです」なんて通り一遍のこと言ってたけど、彼はずっと順風満帆で、地獄の底を見てないところがある。だからいつも高いところからものを言う。要するに傲慢。誰が見てもわかるよ。もっと民衆の中に入っていかな。治一郎さんは、ずっとそうやった。変革とか改革、革命っちゅうのは民衆が立ち上がったときに起きてるわけやろ? 松岡君の地元の西成の支部も、足元が全然固まってへん。全国的に民主党が負けたというのは外因。地元をちゃんとオルグできてなかったのが内因や。

■部落解放同盟は解体して出直すべし!?

上原 現在の若い世代では、解放運動や部落差別を知らないという人も多くなってきています。こうした若い人たちに対して、思うことはありますか?

西岡 若い人たちはええんよ。それより、若い人たちを引っ張るリーダーが問題。阪神淡路大震災や今回の東北の大震災でも、若者はボランティアに飛んで行ってるやん。そういう若者たちを引っ張って、震災復興から継続発展させて、町おこし、村おこし、人づくりの中心にしていかなあかん。僕が好きな言葉で言うと、若者という点を線にし、面にして一点突破、全面展開や。それができるリーダーがいないことがいかんねん。若い人たちに責任があるんやないよ。

上原 それは解放同盟についても同じことがいえると思います。

西岡 そう。それぞれの地域に、すごい若者もたくさんいる。それをバンバン引き抜いて出直さな。僕の持論では、解放同盟の中央は賞味期限切れや。解体的に出直さなあかんよ。本来なら運動家は民衆の中へ入っていって、差別され、圧迫されている人たちの側に常に身を置くもんや。ところが、今は上しか見ないヒラメ人間ばっかりや。組坂繁之中央執行委員長もね、調整能力は抜群よ。ヒゲも似てるしリトル松本治一郎みたいなもんや(笑)。ただ、洞察力や先見の明に欠けてるところがあると思う。

上原 僕も解放同盟が解散して、新たに組織されるような"解体的出直し論"は賛成ですが、そういうこと言うと、嫌われるんですよね。これは関係者から聞いたのですが、部落解放研究所の出版部門「解放出版社」と関係の深い小林健治氏にも嫌われてるらしいです。

西岡 小林健治さんも、ちょっとわかってないところがあるよな。ええ機会やから、「西岡のおっさんがそう言うてる」ってちゃんと書いとけ。文句あるならいつでも僕のとこに来いと。

上原 西岡さんにそこまで言ってもらえるとは思わなかったな(笑)。今後、解放同盟はどういった行動を起こすべきだと思いますか?

西岡 12年は解放同盟の90周年やろ。それを契機にして勇退の道を開いてね、上層部がみんな一回引いたらええ。お人よしのヒラメ人間ばかりじゃ、先はないよ。僕の信念でもあるんだけど、道のないところに道を開き、道ができたら後輩に道を譲るべき。もし失敗したら、その失敗から学ばせればええ。ただ、一部の解放同盟幹部が揉めていて、組織が真っ二つに割れる、という話も耳にしている。

上原 内輪揉めをしている場合ではないですよね。

西岡 もうすでに2つに分かれて揉めてる支部もある。

上原 これで来年、組織が割れたら、解放同盟は完全に終わりですね。

西岡 だから、そんなことにならんように、来年までにいろいろタマ込めて準備せんとね。

上原 西岡さんがそういう言い方すると、本気だけに迫力ありますね(笑)。

西岡 3~4年前か、大賀正行さんに「改革のために一期だけ書記長をやってくれ。僕が委員長になったる」なんて話したこともあったんやけどね。そしたら大賀さんも喜んで、普段彼はあまり酒を飲まないんだけど、祝いの乾杯したな。結局、その話は立ち消えになったけど......。

上原 西岡さんは、これからどのように運動にかかわっていかれるのですか?

西岡 タイのチェンマイに行こうと思ってるねん。ただの静養やないよ。昔の矢田みたいにヒロポンが蔓延しているところがあるというから、自分のかつての経験を生かして、そういう青年らを助けにいく。タイは微笑みの国なんていわれてるけど、本当に寛容の精神が高いところやねん。僕はそこに惚れてね。第二の故郷として現地の青年を救うことを受け皿にして、チェンマイから新たな解放運動ののろしを上げていこう思うてる。これからは、国際的な視野から見ていかんとダメなんや。

上原 確かにそういう意味での視野の広さというのは必要ですよね。活動は地道にやらなきゃいけないんだけど、視野はあくまでも広くないといけない。だけど西岡さんが海外に出てしまうのは、ちょっと寂しい。まだまだお元気ですしね。仕方ないのかもしれませんが。

西岡 僕は人に年を聞かれたら38歳って答えるようにしてるんやけど、そう言い続けてるとその気になってしまうねん。精神年齢はまだまだ若いよ(笑)。

上原 38歳ってというと、ちょうど僕と同い年ですね(笑)。

(構成/橋富政彦)

上原善広(うえはら・よしひろ)
1973年、大阪府生まれ。ノンフィクション作家。被差別部落からNYハーレムの路地まで、国内外のルポを寄稿。『日本の路地を旅する』(文藝春秋)で第41回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。主な著作に『被差別の食卓』『異形の日本人』(いずれも新潮新書)、『私家版 差別語辞典』(新潮選書)など。

西岡智(にしおか・さとる)
1931年、大和川に近い、矢田の被差別部落に生まれる。中学時代から行商しながら勉学し、松本治一郎宅に寄宿。慶応大学法学部通信課程中退。58年に部落解放同盟矢田支部を結成し、初代書記長に就任。以来、大阪府連書記長、副委員長、中央本部執行委員、書記次長などを歴任。狭山事件では狭山闘争中央本部事務局長として差別糾弾闘争を牽引するなど、戦後の部落解放同盟の運動における大きな功労者のひとり。

[注釈]
【註1】 鳥取ループ

「差別をネタに行政や企業にたかる行為全般を追うジャーナリスト」を自称し、同和地区、同和行政にかかわる情報の公開を求めて活動中。

【註2】 在特会
「在日特権を許さない市民の会」。在日朝鮮人、在日韓国人が"在日特権"を保有しているとし、その剥奪を目的とする右翼団体で過激な抗議活動で知られる。当該事件で在特会は「水平社博物館前の抗議活動は在特会としての活動ではなく個人のもの」と主張している。水平社博物館は、名誉毀損で男を提訴した。

【註3】 松本治一郎
政治家。戦前の全国水平社中央委員議長であり、戦後も部落解放同盟の初代委員長を務め、"解放の父"とも呼ばれた部落解放運動の指導者。66年に死去。

【註4】 山より大きな猪は出ない
ことわざ。その人の許容範囲を超える物事は、その人に起こらない。つまり、どんな試練でも自分に解決できるものしかやってこないの意。

【註5】 車友会
西岡智氏が55年に始めた自動車学校。学科の勉強は識字運動にもつながった。

【註6】 矢田教育差別事件
69年、大阪市の教職員組合の役員選挙に立候補した教師の挨拶状を、部落解放同盟の大阪府連矢田支部が「差別文書」として認定。解放同盟による教師への糾弾、教師による解放同盟への刑事告訴など事態は紛糾し、教師の側についた共産党が解放同盟を「暴力集団」と非難する文書を配布。この事件により、部落解放同盟と共産党の対立は決定的なものとなった。

【註7】 飛鳥会事件
財団法人「飛鳥会」の小西邦彦元理事長が、大阪市開発公社から業務委託された西中島駐車場の収益を不正に着服した業務上横領罪、暴力団元組長らの健康保険証を詐取した詐欺罪などの罪で06年に逮捕された事件。小西被告が元暴力団幹部だった経歴など、暴力団との癒着が大きく報道され、この事件を機に大阪市は同和行政全般の見直しに着手した。

【註8】 大賀正行
部落解放・人権研究所名誉理事。部落解放同盟大阪府連合会日之出支部長を32年間務め、大阪府連書記長、大阪府同和事業促進協議会会長、部落解放同盟中央執行委員などを歴任。

【註9】 松本龍
政治家。部落解放同盟副委員長。衆議院環境委員長、環境大臣(第15代)、内閣府特命担当大臣(防災担当)などを歴任。11年7月、東日本大震災の被災地入りした際の、岩手・宮城両知事への発言が問題視されて大臣を辞任した。

【註10】 人の世に熱あれ、人間に光あれ
22年に全国各地の部落代表者2000人が集まって結成された全国水平社による、解放のための決意「水平社宣言」の結びの言葉。

【註11】 松岡徹
政治家。部落解放同盟中央書記長。04年に参議院議員通挙に民主党公認で比例区より立候補して初当選を果たした。10年7月、参議院議選挙で再選を目指し、民主党公認で比例区より立候補したものの、落選する。

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