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2013年1月に作成された記事

大分県民の人権意識向上へ 県が講師養成に力

大分県民の人権意識向上へ 県が講師養成に力

[2013年01月28日 14:40]

http://www.oita-press.co.jp/localNews/2013_135935169988.html大分

 人権問題に対する県民の意識向上を目指し、県と県教委は人権セミナーの講師の養成に力を入れている。県内は児童相談所に寄せられた児童虐待に関する2011年度の相談件数が過去10年間で最高となるなど、人権侵害に関する問題は軽視できない。県、県教委は今後講師の数やセミナー実施回数を増やす方針。

 県教委人権・同和教育課と県人権・同和対策課にはそれぞれ、人権問題の講師を育成する講座がある。教育関係者や保護者、企業の担当者など誰でも受講できる。講座を修了すると希望者は講師として、自治体や学校、企業などが主催する人権セミナーに派遣される。県教委には36人、県には74人が登録済み。
 「介護や医療現場では患者さんの立場になり、相手を肯定して、自分の気持ちを伝えてください」。1月中旬、JA大分厚生連の病院職員向け人権研修で、講師の生山留美さん(55)=宇佐市=が障害者の介護など身近な例を挙げて話した。厚生連は毎年、全職員対象の人権セミナーを開いている。「日々の医療活動の中で人権問題への意識づけができる」と研修担当者。
 県中央児童相談所(大分市)では昨年度、学校や地域住民からの児童虐待に関する相談が777件と、過去10年で最高となり、全相談件数の15%を占めた。相談所は「近所の人間関係が希薄化しており、継続的な啓発活動が必要」と指摘する。
 講師の一人、佐藤弘代さん(52)=別府市=は「コミュニケーション能力を高めて人間関係を築けばいじめや虐待を防ぐことができる」。通信系企業に勤務しながら講師を務める大久保和則さん(58)=大分市=も「難しく考えず、人権を考えるきっかけにしてほしい」と積極的なセミナー開催を呼び掛ける。
 講師の派遣には県や県教委への申請が必要。県教委の担当者は「人権侵害の根底には問題への無関心がある。自治会や地域のサークルなどでぜひ、セミナーを企画してほしい」と訴えている。

 <メモ>県は人権の重要課題として▽同和問題▽女性の人権▽子どもの人権▽高齢者の人権▽障害者の人権▽外国人の人権▽医療をめぐる人権▽プライバシー保護など、その他の人権―の八つを挙げている。2008年に実施した人権に関する県民意識調査で、人権問題に「あまり関心がない」「関心がない」と答えた人が45.4%を占めた。福岡県(30%台)や長崎県(10%台)など九州各県の同様の調査結果と比べて無関心の傾向が強い。

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ネット人権侵害の相談、過去最多 法務省統計

ネット人権侵害の相談、過去最多 法務省統計
http://www.asahi.com/national/update/0126/TKY201301260098.html

 【田村剛】インターネット上の掲示板で中傷を受けたなどとする相談が急増している。昨年1年間で全国の法務局に寄せられた件数は3903件(速報値)で、過去最多だった前年の3113件を上回った。法務局の働きかけでプロバイダーが削除に応じるケースもあり、法務省は「困ったときは相談してほしい」と呼びかけている。

 法務省人権擁護局によると、相談の大半は名前や顔写真などの個人情報をさらされ、中傷されたというもの。名前や携帯電話のアドレスとともに、性的な写真が掲載されている▽中学生の娘を中傷する書き込みがある――などの相談が寄せられている。実際に就職活動に影響が出たり、精神的に不安定になって外出できなくなったりした深刻なケースもあるという。

 人権擁護局が統計を取り始めた2001年は191件だったが、ネットの普及とともに昨年までに約20倍に急増した。11年10月に大津市の中学生が自殺した問題では、学校関係者やいじめたとされる少年らを実名で非難する書き込みが続き、実際には無関係だった人まで標的にされた。

 人権侵害にあたる書き込みに対しては、被害者がプロバイダーや掲示板の管理者に削除を求められるが、実効性がない場合もある。被害が広がるおそれがあれば、被害者に代わって法務局が削除を要請している。削除の手続きがわからない人への助言もしている。

 11年に法務局が名誉毀損(きそん)やプライバシー侵害にあたると判断したのは624件。法務局はうち559件で削除要請の方法などを被害者にアドバイスし、62件で直接削除を要請した。

 要請に強制力はなく、最終的に削除するかはプロバイダーの判断になる。しかし、被害者本人の要請には応じなくても、法務局からの要請には応じるケースもあるという。

 悪質な書き込みは刑法の名誉毀損罪に問われることもある。人権擁護局は「無責任なうわさは人権侵害につながりかねない。匿名でも発信者の特定は可能で、書き込みには責任が生じるとの認識が必要」と呼びかけている。

 電話相談は無料。受け付けは平日午前8時半~午後5時15分。全国共通人権相談ダイヤル(0570・003・110)へ。

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世田谷区、出生届ないまま住民票作成 婚外子に異例対応

世田谷区、出生届ないまま住民票作成 婚外子に異例対応

http://www.asahi.com/national/update/0122/TKY201301220404.html


 非嫡出子(ひちゃくしゅつし、婚外子)が戸籍法で差別されているのは憲法違反だとして訴訟を続けている「事実婚」の夫婦の次女(7)について、東京都世田谷区が21日付で、出生届を受理しないまま住民票を作成するという異例の対応をした。「成長期にある児童の現在や将来を考慮した」という。

 夫婦は、2005年3月に生まれた次女の出生届に婚外子と書くことを拒否。区は受理せず、住民票も作成しなかった。このため夫婦は区などを相手取り、住民票の作成や損害賠償を求めて提訴。一、二審判決とも請求は退けたが、婚外子かどうかを出生届に書かせる戸籍法の規定について「合理性はない」と指摘していた。

 区はその後、妻の本籍地の自治体に対して「出生届の提出がない」ことを通知。記入漏れがある際は市町村長が訂正できるとした戸籍法の規定に基づき、この自治体が職権で次女の戸籍を作成した。これを受けて世田谷区は住民票を作成したという。

 夫の介護福祉士・菅原和之さん(47)は会見し、「次女の戸籍と住民票が作成されたことには感謝したいが、婚外子に対する法的な差別は残っている。撤廃に向けて活動していきたい」と話した。裁判は上告しており、今後も続けるという。

 保坂展人区長は「児童の人権に配慮する立場から、法令の規定に基づいて住民票を作成した」とのコメントを出した。

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憲法改正の議論

片山さつき氏 憲法の天賦人権説由来の規定改める必要指摘

2013.01.19 07:00

http://www.news-postseven.com/archives/20130119_166614.html

 憲法改正を掲げた自民党の安倍晋三政権が発足し、今後憲法改正の議論が高まることが予想される。

 自民党は1955年の結党以来、現憲法は「米国によって押しつけられたもの」として自主憲法制定を掲げてきた。石原慎太郎・日本維新の会代表の「憲法破棄論」は極端にしても、同じ問題意識を持つ保守政治家は多い。国民が自らの手で憲法を見直し、議論すべきだという考え方に異論は少ないだろう。

 しかし、その場合、そもそも憲法は「国家権力から国民の権利を守るためのもの」か、逆に、「国家統治のために国民に守らせるためのものか」という憲法の立脚点を誤ってはならないはずだ。

 中学校の教科書では、「平和主義」と並んで「国民主権」「基本的人権の尊重」が現憲法の3原則と教えられた。

 その基本的人権の由来について第10章「最高法規」の97条ではこう書かれている。

〈この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである〉

 ところが、自民党の改正案では、基本的人権の尊重や自由権の条項の多くは残されているものの、18条の奴隷的拘束からの自由は削除、さらに基本的人権の由来を定めた97条の条文が丸々削除された。かわりに、〈全て国民は、この憲法を尊重しなければならない〉(新102条)――という国民の憲法擁護義務が盛り込まれている。

 改正案の起草者の1人、自民党の片山さつき代議士は、「基本的人権を守ろうとすれば、それを侵そうと思っている人に対抗して守らなければならない。それができるのは国家です。現行憲法は国家について否定的すぎる。もっと国家の役割を前向きに位置づけていいだろうという考えです。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると思われるものが散見されることから、改める必要があると考えました」と語る。

※週刊ポスト2013年1月25日号

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人権委員会設置法案に関する質疑について 1月8日

法務大臣閣議後記者会見の概要

平成25年1月8日(火)

http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_00382.html

人権委員会設置法案に関する質疑について

【記者】
 人権委員会設置法案について,大臣は就任時の会見で,そのまま国会に出すことは考えていないと御発言されましたが,改めて,通常国会での提出は断念するということでよろしいでしょうか。また,将来的に法案を修正した上で再提出するということは,大臣として,今,前向きに考えていらっしゃいますか。

【大臣】
 人権委員会設置法案については,就任時の記者会見でも申し上げましたが,従前から様々な議論があったことを承知しております。そして,これらの議論を踏まえ整理して,どのようにしていくかということを考えていかなくてはいけないのですが,現段階では,まだ確固たる見通しを申し上げるところまではいっていないということです。

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基本計画の改正を了承/香川県

基本計画の改正を了承/県人権・同和政策協

2013/01/16 09:36

http://www.shikoku-np.co.jp/kagawa_news/administration/20130116000134

 香川県人権・同和政策協議会(会長・高野真澄香川人権研究所顧問)は15日、香川県庁で会合を開き、2004年度にスタートした「県人権教育・啓発に関する基本計画」の見直しについて、女性や子ども、障害者らの人権課題の解決に向けた取り組みを充実させる県の提案を了承した。県は来年度、パブリックコメントを行い、結果を踏まえて同計画を改正する方針。

 この日の会合には、県や学識経験者、人権団体の代表ら14人の委員が出席。04年度以降、見直しが行われていない同計画の内容について、県の担当者が▽女性への暴力根絶や雇用面での男女格差の是正▽里親制度の普及啓発や児童養護施設などでの自立支援策の強化▽障害者の虐待防止やハローワークなどと連携した就労支援―などの取り組みを強化する改正案を提案した。

 役員改選では、会長に高野氏、副会長に天雲俊夫副知事をそれぞれ再任した。

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西岡智×上原善広──橋下徹から解放運動まで

今、そこにある同和問題とは?
【特別対談】西岡智×上原善広──橋下徹から解放運動まで部落解放同盟の重鎮、同和問題を語る
2011.12.18 日

http://www.cyzo.com/2011/12/post_9319.html

──西岡智、80歳──。一般にはあまり馴染みのない名前かもしれないが、被差別部落出身者に対する冤罪疑惑事件を糾弾した「狭山差別裁判糾弾闘争」を牽引し、部落解放同盟大阪府連書記長、中央本部書記次長などを歴任した、かつての部落解放同盟の重鎮である。そんな西岡氏に、被差別部落出身のノンフィクション作家・上原善広氏が昨今の同和問題、そして解放運動の"今"をたずねた──。


 2012年3月に前身である全国水平社の創立90周年という節目を迎える部落解放同盟。その長い歴史の中で行われてきた部落差別撤廃への闘争により、差別の実態も大きく変わってきた。今回は戦後の部落解放運動を牽引し、その生き証人である西岡智氏に、ノンフィクション作家の上原善広氏が話を聞いた。自身が体験してきた部落解放運動とその現状、出自が話題になった橋下徹氏、そして運動の今後のあり方とは?

上原 今回は部落解放同盟で数々の要職を歴任し、狭山差別糾弾闘争を牽引してこられた西岡智さんに、怒られるために来ました(笑)。

 今の解放運動に喝を入れられるのは、西岡さんしかいないと思ってます。「同和地区出身」と語った橋下徹(元大阪府知事)氏の話は後ほど伺うとして、10月には岐阜で行われた部落解放研究第45回全国集会に"鳥取ループ【註1】"という、鳥取や滋賀の部落地域をインターネット上で公開して物議を醸したサイトの管理人たちが現れるという事件がありました。彼らは大勢の解放同盟関係者の前で自らの行動の正当性について発言したのですが、司会を務めていた部落解放同盟大阪府連合会委員長の北口末広氏はじめ、参加者たちは糾弾どころかまともな反論もできなかったと聞いています。

西岡 なんやそれ。

上原 また、今年の3月には奈良の水平社博物館の前で"在特会"【註2】という右翼に所属する男がハンドマイクを使って「"エッタ"出てこい!」など差別発言を繰り返すという事件があったのですが、そんな演説を聞いていながらも、奈良県連の誰も出て行かずに言わせ放題だった。そういうことが続いて、解放同盟も舐められていると言われています。

西岡 信じられん......。事実とすれば、徹底糾弾ものだし、今の解放同盟はただのお人よし集団と見られても仕方ない。

上原 しかし、一方で糾弾という手段は、部落が怖いものというイメージを持たれる元凶という批判もあります。糾弾闘争をしてきた西岡さんはどう思われますか?

西岡 そもそも糾弾とは、差別者を解放者にするのが本当の糾弾で、ただ相手をやっつければいいというもんじゃない。教師と生徒の関係と一緒でね、相手に伝わらんかったら教える側に問題や責任がある。説得であり、教育なんや。僕の師匠である松本治一郎【註3】さんも言うてたけど、解放同盟から糾弾を除いたら、それは歌を忘れたカナリヤと一緒や。差別、迫害を受けてハングリー精神が出て、そこから解放のための糾弾闘争で人が育ってきたんやから。弱虫、泣き虫、本の虫だった僕も、解放運動の中で成長してきた。

上原 西岡さんは僕の生まれた松原・更池の隣、大和川を挟んだ向こう側にある矢田の部落出身ですよね。

西岡 そう、矢田部落(現在の大阪市東住吉区あたり)や。戦時中は愛国少年団の団長。もう1年戦争が続いていたら、神風特攻隊に志願していた。そんな愛国少年だった。労働は中学から。行商やくず買い。朝、学校に行く前に市場に仕入れに行くんやけど、その道中に自転車に乗りながら勉強した。リズムに乗ってよく覚えられる。今でも書く字が小さいのは、自転車の上で勉強してた時の癖や。その後、定時制の高校に通っている時に「戦争とは、いったいなんだったんだ」という思いや疲労から虚無主義に陥った。藤村操というエリート学生が(将来を悲観して)華厳の滝に飛び込んで自殺したやろ? 彼に憧れたりして自殺志願者が増えた時代で、僕もその傾向が出てきた。ただ、長男である自分がもし死んだら、父は体が弱かったし、母や弟や姉妹たちが困る。それで4~5回は自殺しかけたが、なんとか思いとどまった。

上原 まだまだ差別が厳しい時代ですよね。どんな差別体験がありましたか?

西岡 同じ地元に女優の山本陽子さんに似た初恋の人がおったんやけど、その人が東北の大地主のせがれと結婚する前に、相手の親が身元調査を行い、部落出身ということで別れさせられて、首を吊って自殺をした。その子のお父さんも、娘の自殺を悲観して野井戸に飛び込んでな。すごいショックやったよ。そういうことがあって、慶應義塾大学法学部の通信制に在籍していた頃、治一郎さんのところに駆け込んだわけや。住み込みの書生みたいな感じで。自殺願望もあったせいか、治一郎さんには「君はそのままだと死ぬぞ」と言われて鍛えられた。治一郎さんに教えられた「山より大きな猪は出ない【註4】」という言葉が、どんな時もずっと頭の中にあった。言うなれば、革命的楽観主義。治一郎さんは、僕の師匠であると同時に恩人や。

上原 西岡さんの地元・矢田支部ができたのは、大阪の中でもとても早かった。当時は、やはり仕事がなくて、グレてヤクザになるような人も多かったんですか?

西岡 多かった。あとはとにかく、ヒロポンやってるやつばかりやった。売人で「ヒロポンの王様」って呼ばれているやつがおって。そいつがヒロポンのやりすぎで体から膿がいっぱい出て、死にかけたのを助けてやった。病院に連れていって、ちゃんとした家に住まわしてね。それで、命が助かったそいつが「ご恩返しをしたい」と、これまで自分がヒロポンを売り歩いた家を一軒一軒「俺みたいになったらいかん」って言って回って、結果、ヒロポンは絶滅した。

上原 更池でも元極道の人が「わしのようになったらアカン」と言って回ってたと聞きます。

西岡 そうそう。それでヒロポンを止めさせた次にやったのが、自動車学校を作ること。

上原 車友会【註5】ですね。

西岡 その頃、西成が空襲で焼けてたやろ。だから西成でやっていた皮革製品の下請けを矢田でやるようになっていた。職人たちはその仕事で一本道を西成まで単車に乗って往復するわけやけど、みんな無免許やから、そこで張ってる警察にいつも捕まる。罰金は親方と若い職人が半分ずつ払うことになっていたから揉めごとばかり起こっていて、日当も罰金でほとんどなくなってしまう。それで、若い者たちに免許を取らす運動を始めたんや。それは若い職人と親方の双方の要求、つまり民衆の要求を組織したんや。すべて民衆のための奉仕。それが運動で一番大事な根本やろ。免許があればできる仕事も増えるし、警察としても、若い者が免許を取ってカタギの仕事をするようになればヤクザにならんでいいと、僕の運動を認めてくれて、時間制限で地元の公園を開放して運転の練習をさせてくれたよ。字が読めんやつには明星や平凡といった雑誌やマンガで勉強させたな。

上原 西岡さんは矢田教育差別事件【註6】など、教育問題に取り組んだのも早かったですね。

西岡 解放運動は、教育に始まって教育に終わると思ってるから。城は石垣、事業は人なりや。人がすべてを決定すんのやから。

■今こそ光るべき──解放運動の現状

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西岡智氏。

上原 事業といえば、大阪市長選で話題を呼んだ橋下徹氏に注目が集まっています【編註:本対談が行われたのは大阪市長選の結果が出る以前の11月15日】。僕も「新潮45」(新潮社)で、橋下氏の出自や生い立ちを追った記事を発表しました。

西岡 橋下さんは、民衆を扇動する名人やね。勘が鋭い。今の市役所見てみ、役人の3分の1は遊んでるよ。市民はもう信頼してない。二重行政もひどいもんや。彼は、そこをピシーッと突いてるわけや。大阪市は切開手術してがんを全部取り除かなきゃいかんちゅうことがわかってる。現職の市長はええ人やと思うけど、手遅れやなと。いざ選挙となって、今はものすごく闘志を燃やしてやってるけど、最初からあの調子でいかなあかん。橋下さんの選挙カー見たけどな、勢いが違ったよ。あれは勝つ車やね(笑)。大衆が、わかりやすい英雄を求めてるってことやろうね。僕は彼を独裁者やと思うけど、やらせてみたらええ。切開手術が必要なのは解放同盟も同じやけどな。

上原 うーん、どこまでも僕と同意見で驚きます(笑) だから西岡さんは組織内で煙たがられ、僕は一匹狼になってしまったのかもしれません。大阪といえば、近年では解放同盟は飛鳥会事件【註7】などで大きな批判を浴びました。

西岡 あの小西邦彦という男は、大賀正行さん【註8】に憧れて解放同盟に入ったという話だった。それを考えれば、あの問題は大賀さんにも大きな責任がある。小西は飛鳥支部長として10年の間、一度も支部大会やってないんやで。それは上の人間が、指示なり注意なりせなあかんやろ。大賀さんは、そういうことも一度もしてない。それと、市役所と銀行が彼を利用していたということも読まなきゃならんよ。市役所には、エセ同和やら利権を狙ったやつらがいろいろタカリに来るやろ。それを調整・整理してくれる人が欲しいわけや。それで小西を使ってた。銀行は銀行で、借金の取り立てをするのに小西に口利きを頼んでいた。(07年11月に小西が死去し)死人に口がないからって、飛鳥会の責任をすべて小西に押し付けるのはいかんと思う。

上原 それと最近で言えば、松本治一郎の孫で部落解放同盟副委員長でもある松本龍氏【註9】が岩手、宮城の両知事への失言によって、復興相と防災相を辞任するという事件もありました。

西岡 実は僕は彼が学生の時分、よう面倒見とったんや。彼は僕に頭上がらへんよ(笑)。だからって何も龍君の肩を持つ気はひとつもないけどね、あの発言については自治体が復興について"おんぶに抱っこ"で来てたから、「それは自治体も考えなければいかん!」ということを言うつもりやったんやろ。それを居丈高な態度で言うからね、マスコミに狙われたんや。もともとは素質のええ子で、環境大臣の頃は期待の星やった。責任感が強くて人間が真面目すぎるから、僕みたいな革命的楽観主義になれんで、いろいろ考えすぎたんや。それに、解放同盟の福岡県連にも責任はある。自分のとこの土壌が彼を作ったのに、失言後、何もしないで龍君にすべてを押し付けてんねん。ちゃんと自分たちの組織のあり方を、もう一度考えなあかん。今からでも遅くない。一兵卒になってガレキ拾いをするなら、僕もお供するけど(笑)。

上原 解放同盟の中でも「武闘派」として知られる西岡さんにとって、解放運動とはどうあるべきものですか。

西岡 井の中の蛙やなしに、大海を知って、より魅力のある活動をするべき。人の世に熱あれ、人間に光あれ【註10】の言葉通り、全人類解放の希望の星にならなきゃいかん。今こそね、解放同盟は輝くべきで、「ピンチはチャンス」なんや。あと、僕は武闘派じゃなくて穏健派。

上原 水平社宣言の頃の初心に戻れということですね。「ピンチはチャンス」もいい言葉ですね。

西岡 そもそも「実るほど頭を垂れる稲穂かな」というように、本来は謙虚な気持ちで運動をやってかないかんのに傲慢無礼になってるよ、今は。10年7月の参院選で(部落解放同盟中央書記長の)松岡徹君【註11】が落選したでしょ。あの時彼は「自分の不徳の致すところです」なんて通り一遍のこと言ってたけど、彼はずっと順風満帆で、地獄の底を見てないところがある。だからいつも高いところからものを言う。要するに傲慢。誰が見てもわかるよ。もっと民衆の中に入っていかな。治一郎さんは、ずっとそうやった。変革とか改革、革命っちゅうのは民衆が立ち上がったときに起きてるわけやろ? 松岡君の地元の西成の支部も、足元が全然固まってへん。全国的に民主党が負けたというのは外因。地元をちゃんとオルグできてなかったのが内因や。

■部落解放同盟は解体して出直すべし!?

上原 現在の若い世代では、解放運動や部落差別を知らないという人も多くなってきています。こうした若い人たちに対して、思うことはありますか?

西岡 若い人たちはええんよ。それより、若い人たちを引っ張るリーダーが問題。阪神淡路大震災や今回の東北の大震災でも、若者はボランティアに飛んで行ってるやん。そういう若者たちを引っ張って、震災復興から継続発展させて、町おこし、村おこし、人づくりの中心にしていかなあかん。僕が好きな言葉で言うと、若者という点を線にし、面にして一点突破、全面展開や。それができるリーダーがいないことがいかんねん。若い人たちに責任があるんやないよ。

上原 それは解放同盟についても同じことがいえると思います。

西岡 そう。それぞれの地域に、すごい若者もたくさんいる。それをバンバン引き抜いて出直さな。僕の持論では、解放同盟の中央は賞味期限切れや。解体的に出直さなあかんよ。本来なら運動家は民衆の中へ入っていって、差別され、圧迫されている人たちの側に常に身を置くもんや。ところが、今は上しか見ないヒラメ人間ばっかりや。組坂繁之中央執行委員長もね、調整能力は抜群よ。ヒゲも似てるしリトル松本治一郎みたいなもんや(笑)。ただ、洞察力や先見の明に欠けてるところがあると思う。

上原 僕も解放同盟が解散して、新たに組織されるような"解体的出直し論"は賛成ですが、そういうこと言うと、嫌われるんですよね。これは関係者から聞いたのですが、部落解放研究所の出版部門「解放出版社」と関係の深い小林健治氏にも嫌われてるらしいです。

西岡 小林健治さんも、ちょっとわかってないところがあるよな。ええ機会やから、「西岡のおっさんがそう言うてる」ってちゃんと書いとけ。文句あるならいつでも僕のとこに来いと。

上原 西岡さんにそこまで言ってもらえるとは思わなかったな(笑)。今後、解放同盟はどういった行動を起こすべきだと思いますか?

西岡 12年は解放同盟の90周年やろ。それを契機にして勇退の道を開いてね、上層部がみんな一回引いたらええ。お人よしのヒラメ人間ばかりじゃ、先はないよ。僕の信念でもあるんだけど、道のないところに道を開き、道ができたら後輩に道を譲るべき。もし失敗したら、その失敗から学ばせればええ。ただ、一部の解放同盟幹部が揉めていて、組織が真っ二つに割れる、という話も耳にしている。

上原 内輪揉めをしている場合ではないですよね。

西岡 もうすでに2つに分かれて揉めてる支部もある。

上原 これで来年、組織が割れたら、解放同盟は完全に終わりですね。

西岡 だから、そんなことにならんように、来年までにいろいろタマ込めて準備せんとね。

上原 西岡さんがそういう言い方すると、本気だけに迫力ありますね(笑)。

西岡 3~4年前か、大賀正行さんに「改革のために一期だけ書記長をやってくれ。僕が委員長になったる」なんて話したこともあったんやけどね。そしたら大賀さんも喜んで、普段彼はあまり酒を飲まないんだけど、祝いの乾杯したな。結局、その話は立ち消えになったけど......。

上原 西岡さんは、これからどのように運動にかかわっていかれるのですか?

西岡 タイのチェンマイに行こうと思ってるねん。ただの静養やないよ。昔の矢田みたいにヒロポンが蔓延しているところがあるというから、自分のかつての経験を生かして、そういう青年らを助けにいく。タイは微笑みの国なんていわれてるけど、本当に寛容の精神が高いところやねん。僕はそこに惚れてね。第二の故郷として現地の青年を救うことを受け皿にして、チェンマイから新たな解放運動ののろしを上げていこう思うてる。これからは、国際的な視野から見ていかんとダメなんや。

上原 確かにそういう意味での視野の広さというのは必要ですよね。活動は地道にやらなきゃいけないんだけど、視野はあくまでも広くないといけない。だけど西岡さんが海外に出てしまうのは、ちょっと寂しい。まだまだお元気ですしね。仕方ないのかもしれませんが。

西岡 僕は人に年を聞かれたら38歳って答えるようにしてるんやけど、そう言い続けてるとその気になってしまうねん。精神年齢はまだまだ若いよ(笑)。

上原 38歳ってというと、ちょうど僕と同い年ですね(笑)。

(構成/橋富政彦)

上原善広(うえはら・よしひろ)
1973年、大阪府生まれ。ノンフィクション作家。被差別部落からNYハーレムの路地まで、国内外のルポを寄稿。『日本の路地を旅する』(文藝春秋)で第41回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。主な著作に『被差別の食卓』『異形の日本人』(いずれも新潮新書)、『私家版 差別語辞典』(新潮選書)など。

西岡智(にしおか・さとる)
1931年、大和川に近い、矢田の被差別部落に生まれる。中学時代から行商しながら勉学し、松本治一郎宅に寄宿。慶応大学法学部通信課程中退。58年に部落解放同盟矢田支部を結成し、初代書記長に就任。以来、大阪府連書記長、副委員長、中央本部執行委員、書記次長などを歴任。狭山事件では狭山闘争中央本部事務局長として差別糾弾闘争を牽引するなど、戦後の部落解放同盟の運動における大きな功労者のひとり。

[注釈]
【註1】 鳥取ループ

「差別をネタに行政や企業にたかる行為全般を追うジャーナリスト」を自称し、同和地区、同和行政にかかわる情報の公開を求めて活動中。

【註2】 在特会
「在日特権を許さない市民の会」。在日朝鮮人、在日韓国人が"在日特権"を保有しているとし、その剥奪を目的とする右翼団体で過激な抗議活動で知られる。当該事件で在特会は「水平社博物館前の抗議活動は在特会としての活動ではなく個人のもの」と主張している。水平社博物館は、名誉毀損で男を提訴した。

【註3】 松本治一郎
政治家。戦前の全国水平社中央委員議長であり、戦後も部落解放同盟の初代委員長を務め、"解放の父"とも呼ばれた部落解放運動の指導者。66年に死去。

【註4】 山より大きな猪は出ない
ことわざ。その人の許容範囲を超える物事は、その人に起こらない。つまり、どんな試練でも自分に解決できるものしかやってこないの意。

【註5】 車友会
西岡智氏が55年に始めた自動車学校。学科の勉強は識字運動にもつながった。

【註6】 矢田教育差別事件
69年、大阪市の教職員組合の役員選挙に立候補した教師の挨拶状を、部落解放同盟の大阪府連矢田支部が「差別文書」として認定。解放同盟による教師への糾弾、教師による解放同盟への刑事告訴など事態は紛糾し、教師の側についた共産党が解放同盟を「暴力集団」と非難する文書を配布。この事件により、部落解放同盟と共産党の対立は決定的なものとなった。

【註7】 飛鳥会事件
財団法人「飛鳥会」の小西邦彦元理事長が、大阪市開発公社から業務委託された西中島駐車場の収益を不正に着服した業務上横領罪、暴力団元組長らの健康保険証を詐取した詐欺罪などの罪で06年に逮捕された事件。小西被告が元暴力団幹部だった経歴など、暴力団との癒着が大きく報道され、この事件を機に大阪市は同和行政全般の見直しに着手した。

【註8】 大賀正行
部落解放・人権研究所名誉理事。部落解放同盟大阪府連合会日之出支部長を32年間務め、大阪府連書記長、大阪府同和事業促進協議会会長、部落解放同盟中央執行委員などを歴任。

【註9】 松本龍
政治家。部落解放同盟副委員長。衆議院環境委員長、環境大臣(第15代)、内閣府特命担当大臣(防災担当)などを歴任。11年7月、東日本大震災の被災地入りした際の、岩手・宮城両知事への発言が問題視されて大臣を辞任した。

【註10】 人の世に熱あれ、人間に光あれ
22年に全国各地の部落代表者2000人が集まって結成された全国水平社による、解放のための決意「水平社宣言」の結びの言葉。

【註11】 松岡徹
政治家。部落解放同盟中央書記長。04年に参議院議員通挙に民主党公認で比例区より立候補して初当選を果たした。10年7月、参議院議選挙で再選を目指し、民主党公認で比例区より立候補したものの、落選する。

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「橋下徹は部落の鬼っ子」 部落解放同盟委員長に聞く

「週刊朝日」ハシシタ騒動はまだ終わっていない!
「橋下徹は部落の鬼っ子」 部落解放同盟委員長に聞く
  - Business Journal(12月30日)
http://www.cyzo.com/2012/12/post_12257.html
http://biz-journal.jp/2012/12/post_1242.html

 部落解放同盟(以下、解放同盟)といえば、被差別部落を中心として、あらゆる差別の撤廃を目指して活動している団体だ。「部落差別」と聞くと、今年の出来事で思い出すのが「週刊朝日」(朝日新聞出版)が10月に掲載した、橋下徹大阪市長の出自に迫った連載「ハシシタ 奴の本性」をめぐる騒動だろう。

 橋下市長が被差別部落出身であることに言及した佐野眞一執筆による同記事は、出自を根拠に人格を否定するという手法が、差別や偏見を助長するものだという激しい批判を浴びた。それを受け、すぐに朝日新聞出版は連載打ち切りを決定し、橋下市長に謝罪。編集長の更迭、社長の辞任など、厳しい社内処分も行った。

 しかし、解放同盟中央本部委員長の組坂繁之委員長は「騒動はいまだ幕引きしていない」と主張する。

「ハシシタ」騒動から見えてくる、さらなる論点とは何なのか? 

 解放同盟が考える、マスコミ、そして橋下市長の問題とは? 

 組坂委員長に聞いた。

ーー「週刊朝日」の記事に関しては、解放同盟としても抗議文を出されていましたが、それに対する反応はあったのでしょうか?

組坂委員長(以下、組坂) 我々には特にありません。朝日新聞出版は重い処分をしたと考えているかもしれませんが、我々にはなにもない。橋下市長に対しては謝罪をしたけれど、それだけで済ませるのではなく、これを教訓として、部落差別をなくすためにどういう取り組みをするのかを我々は知りたいんです。そういう点では、週刊朝日や朝日新聞出版とで学習会をやって、そこで問題点をあらためて明らかにしていきたいと思っています。今のままで終わっては、単に「世間からの風当たりが強いから」とか「橋下市長に取材拒否され続けると困るから」という理由で彼にだけ謝罪にいき、終わりとなってしまう。被差別部落地区として記事中に名前を出された八尾市の市長も抗議文を出していますが、そこにも謝罪にいっていないんです。それに、そもそも謝罪することより大事なことがあります。

 かつて司馬遼太郎先生は『龍馬がゆく』(文藝春秋)で「ちょうりんぼう」という部落に対する差別用語を無自覚に使い、それを解放同盟が糾弾するということがありました。司馬先生はそれを強く反省され、「自分は作家なので、単に反省文を書くだけでなく、作品で表したい」と言い、自身の小説『胡蝶の夢』の中にあるエピソードを入れられた。

 江戸後期の将軍侍医だった松本良順が、部落の頭だった弾左衛門の脈を取るというシーンがあるんです。当時、将軍の脈を取った同じ手で、穢多頭の脈を取るなどということは考えられなかった。それを松本良順は「医術に貴賎なし」と言い切る。司馬先生がこうした作品を通して、自分や社会の差別意識を乗り越えようとしたように、佐野さんや週刊朝日も、そういうかたちで真摯に取り組むべきだと思います。

ーーただ、長期連載が予定されていた中、1回目の記事だけで、佐野さんや週刊朝日が持っている部落問題に対する認識の甘さや偏見は理解できるものなのでしょうか。「連載打ち切りの判断は早すぎた」という声もありました。

組坂 佐野さんの連載の一番の問題は、部落問題の土台を理解していないことだったんです。部落問題と、橋下市長の父親が暴力団員だったことや、従兄弟が金属バット殺人を起こしたことなどを結びつけて、そこには部落出身のDNAが存在するかのような表現を平然とする。被差別部落出身者が差別と迫害と貧困という中で十分な教育を受けられずに、まともな仕事に就けないという状況下で、彼らは反社会的な集団に身を寄せるしかなかったという歴史的事実があるのです。それを戦前からの全国水平社の運動、戦後の部落解放運動を通して、多くの先人がまさに命を掛けて、状況を改善してきた。そんな歴史を無視して、佐野さんの連載では橋下市長のルーツを被差別部落に求めようとしていた。

 では、橋下市長のお父さんが暴力団に入ったことについて、なぜそうなったか、誰がそのように追い込んだのかという被差別部落の歴史性・社会性について深く掘り下げているかといえば、まったくしていない。前提として、差別的な認識があるからです。抗議文には具体的に書きましたが、そうした差別的な認識は、記事中の表現の端々から伝わってきました。例えば、被差別部落の具体的地名まで出して、現在そこに住んでいる人たちはどうなるんだ、と。もし、その土地出身の人間と、自分の子どもが結婚しようとしているという親なら、あの記事を見せますよ。「週刊朝日と佐野眞一という、それなりに名の通った媒体とルポライターが書いている通り、同和地区の連中はこんなに恐ろしいんだぞ」と。彼らが意図していなくても、そういう差別を助長する参考資料として使われる恐れがあります。

 佐野さんや週刊朝日編集部がそういった想像力が働かない中で、あの連載が継続されていたかと思うと、とても恐ろしい。「連載中止の判断は早すぎたのではないか?」という指摘もあるようですが、間違った土台の上で展開していては、何回続けても同じです。即時連載中止は妥当な判断でした。

ーー我々も自戒を込めて考えなければいけませんが、被差別部落問題をしっかり勉強し、そこまで想像力を働かせられるメディア人は多くないと思います。

組坂 今回のような問題が起こると、部落問題自体をマスコミで扱うことがさらにタブー化してしまうという懸念が強まります。しかし、しっかり学んだ上で、部落問題を論じたり、報じたりすることは結構なこと。ところが、それができないマスコミが多いので、我々は彼らに糾弾や学習会を通して、しっかり学んでほしいと厳しく訴えてきた。すると、「解放同盟は怖い」と、まるで圧力団体かのような扱いを受ける(苦笑)。それもあるので、最近は少し柔軟な姿勢をとってきましが、そうした期間が続くと、今回のような記事が出てくる。痛し痒しですが、これはマスコミ自身の問題として、どうあるべきかをもう一度しっかり考えてほしいですね。第三者として週刊朝日を批判するだけなら簡単なんです。同じマスコミとして、当事者意識を持って、自分たちはどうするのかを考えてほしい。私から言えることは、まずは「差別の現実に学ぶ」ことが重要ということです

ーー「現実に学ぶ」とは?

組坂 差別があるという実態を、まずは客観的に知らないといけない。マスコミが集中する東京では「差別なんてもうないですよ」という人が少なからずいます。ただ、そういう先入観で世の中を見れば、差別は目に入ってこないものなんです。

 例えば、長野などにいけば、依然として「差別戒名」や「差別墓石」があります。結婚差別も存在します。つい3年ほど前には、四国で結婚差別を受けた部落出身の青年が自殺をするという事件も起きている。全国に足を運ばなくても、インターネットを見ていれば、いまだ差別が氾濫していることはわかるのに、そもそも差別を見ようとしないから、見えないんです。同和教育などのおかげでずいぶんよくはなってきたが、まだまだ問題があるということをマスコミは積極的に知って、取り上げてほしいですね。

●部落出身者の誇りとは?

ーー一方で解放同盟は、橋下市長の政治手法についても異議ありという姿勢を取られています。少々意外に思えたのですが。

組坂 週刊朝日の記事によって、彼は部落問題における被差別者の代表のようなかたちになりましたが、私は彼の人権意識はおかしいと思っています。独裁的で、憲法改正を簡単に口にする。大阪市長としても、大阪人権博物館(リバティおおさか)や部落解放・人権研究所への補助金を打ち切ると決定した。大阪国際平和センター(ピースおおさか)に対してもそう。人権意識を磨き、差別や戦争をなくすための研究・啓発機関をつぶそうとは、とんでもないこと。こんなことができるということは、彼は本当の意味で部落差別を受けたことがない身分なのでしょうが、そうなれたのは、先人たちの闘いと努力の賜物です。私もそうですが、戦後、民主憲法と民主教育の中で順調に勉強でき、社会的活動ができるようになったのも、水平運動や解放運動があったからです。橋下市長は、自身のルーツが部落にあることに対するアイデンティティを、いまだ持てない状況にあるんでしょうね。だから、水平運動や解放運動も理解していない。

 私もかつてそうでした。部落民であることを知った時には親を恨んだ。こんなところに生まれたくなかった、と。ところが、部落差別の実態を学び、解放運動をする中で、親たちが差別の中で苦しみながら、よくぞ育ててくれたという感謝の気持ちがあふれ出てくるんです。そうなると、自分の使命は、その故郷をよりよい故郷にしていかなければならない、より差別をなくしていくために尽力していかなければならないとなる。それが部落出身者のアイデンティティであり、誇りなんです。本来、いわゆるエリートである橋下市長にはその誇りを持って、部落差別を含む、さまざまな差別をなくした、人権の確立した社会をつくってほしかったのですが、実際には逆の方向にいっています。新自由主義的な考え方のもと、効率重視で人権・同和行政を後退させいます。マイノリティを叩くことで、マジョリティの賛同を得る。これは、日本共産党が「同和迷惑論」を振りまいて、それで票を取ってなんとか党勢拡大しようとしたという戦略と似ています。

ーーそれなのに橋下市長は、過去の選挙などでは、自分は部落出身で弱者の気持ちがわかるという面もアピールしていたともいわれています。彼の二面性は理解できますか?

組坂 パフォーマンスでしょう。私は直接、橋下市長と話したことはありませんが、本当に弱者の気持ちを理解しているなら、先ほど言った部落解放・人権研究所への補助金カットなど考えられません。同研究所は単に部落問題をやっているだけではなく、性差別、障害者差別、在日差別、アイヌ民族差別、ハンセン病・エイズ問題など、幅広くやっている。予算の使われ方に異議を唱えるなら「予算を出す代わりに、この点をしっかりやれよ」と指導したり、「予算はここまでしか出せないから、対応策をしっかり考えろよ」と提案したり、リーダーとしてやりようがあるはずです。それをゼロにするのは、彼の部落問題などに対する考え方が非常に偏っている証拠でしょう。

 橋下市長は部落出身だから弱者の痛みがわかる、だから市政でも国政でも彼を支持すると国民が思ったとしたら、それはかつての小泉政権と似たような結果を招く可能性がある。小泉(純一郎)さんは総理就任早々の2001年、ハンセン病国家賠償請求訴訟判決に対して、控訴を断念し、国として正式に謝罪した。また、ハンセン病患者への補償も進めた。あれで、弱者の味方というイメージが一気に上がった。しかし、実際にやったのは、当時の福田康夫官房長官と坂口力厚生労働大臣、上野公成官房副長官です。福田さんは、地元の群馬県草津にハンセン病患者療養所があり、その中に福田後援会の支部もあったから、早くから正しい認識を持っていた。同じく群馬が地元の上野さんはお父さんが医者で、坂口さんは自身が医者。3人はハンセン病をよく勉強していたし、差別撤廃を信条としていたんです。つまり、小泉さんがこの3人に丸投げしたからこそ、実現したものだったんです。ところが、小泉さんは弱者の痛みがわかる総理だと国民は錯覚した。その支持を背景に小泉さんは「痛みを分かち合おう」などといって、強者がますます力を持つエセ改革をした。

 橋下さんも似たようなところがある。ある意味では、「部落の鬼っ子」みたいな感じでしょうね。ただでさえ、安倍政権は相当右傾化する可能性があるわけですから、橋下市長率いる日本維新の会が、その流れにどういう影響を与えていくのか、私はそれを心配しています。

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子どもの人権擁護機関:世田谷区が7月、発足

子どもの人権擁護機関:世田谷区が7月、発足 第三者が問題解決 学校などに調査や対策求める権限、弁護士ら委員に /東京

毎日新聞 2013年01月15日 地方版

http://mainichi.jp/area/tokyo/news/20130115ddlk13100100000c.html

 世田谷区は、いじめや体罰、不登校などに悩む子どもの話に耳を傾け、第三者の立場から問題の解決に取り組む「子どもの人権擁護機関」を7月に発足させる。弁護士や学識経験者を擁護委員として任命し、子どもの訴えによっては、学校や関係する機関に実態を調査させたり、対策を取らせたりする権限を持たせる。

 昨年12月の同区議会で子ども条例が改正され、7月から子ども・子育て総合センター(宮坂3)3階に新設されることが決まった。平日午後1〜8時、土曜日午前10時〜午後6時に、臨床心理士などの資格を持つ相談員2人が常駐する。電話や面談に加え、本音を話しにくい子どもの特性を考え、電子メールでも相談を受け付ける。

 例えば、いじめや体罰を子どもが自分で解決できない様子であれば、相談員はタイミングを見て学校に話をしてもよいかを確認。子どもがOKすれば、擁護委員が学校に実態把握や対策を求める。委員は調査や対策に不備がないか、本当に問題が解決されたかを継続的に注視していく。

 世田谷区は従来、子ども向けの電話相談事業などを実施してきたが、いずれも話を聞くにとどまっていた。新たな機関でも私立学校には委員の調査に対して協力の努力義務しかないなど限界もあるが、竹中大剛・区子ども家庭課長は「これまでは子どもが問題を抱えても言い出せなかったり、保護者と学校との当事者同士のやり取りでこじれがちだったりした。第三者が解決を図る点に意義がある」と話す。

 今後、子どもへの周知を兼ねて機関の愛称を募集し、2月7日には成城ホール(成城6の2の1)で区民向けのシンポジウムを開く。問い合わせは区広報広聴課(03・5432・2010)へ。







「子供の人権がまったく守られない我が国の司法の理不尽」【ドットコモディティ】
http://www.zaikei.co.jp/releases/82473/

交通事故などについてもそう言えるが、日本の行政や司法はおかしい。弱者に対して厳しく、法を犯したものに対しては緩い。犯罪件数が低いとか立派な法治国家とされている日本だが、最近特に首をひねってしまう事件が多過ぎる。

最近のニュースの中で、「おやっ」と思ったのは、大阪市立桜宮高校でバスケットボール部主将だった男子生徒が自殺した問題の処理。大阪市の教育委員会は、体罰を加えた男性顧問を懲戒処分する方針を固めたというが、強い違和感がある。

まず、これだけの事件なのだから、教育委員会は二度とこのような事件が起こらないよう緊張感を持って討議しなければならないにもかかわらず、またもお座成りの結論。本来、懲戒免職にしなければならないのに、懲戒処分にとどめた。まるで、「俺には関係ねぇ~」という体だ。

更に、事件を起こした教師は何発も人を殴っているのだから、それはどう考えても暴行という罪である。更に言うなら、殴ったことで間接的に人を殺しているのだから、それは殺人罪にもなろうかと思う。懲戒免職云々というより、刑事事件による逮捕禁固刑になってもおかしくないと思うのだ。

桜宮高校の佐藤芳弘校長とかバスケット部の副顧問らも同等の罪であろう。前にもバレーボール部の顧問が体罰で処分を受けたが、この学校の校長は体罰を教育委員会に隠していたことが発覚。体罰を受けた生徒はそっちのけで身内の教諭をかばう姿勢がありあり。生徒のことを一番に考えるのであれば、誰かが歯止め役となって然るべきだったと思うし、事実を知った時点ですぐ刑事事件として警察に届け出るべきだと思う。

最近の子どもをめぐる事件で、今なお記憶に残るのは大津中2男子生徒の飛び降り自殺。発覚直後、市教委は「いじめの見すごし否めず」としていたが、その後「過失責任はない」と主張。さらに自殺直後に実施した生徒アンケートには「教師が見て見ぬふりをした」「自殺の練習をさせられていた」などの記入があったにも関わらず、これを公表していなかった。この事件は、多額の金が巻き上げられていたこともあり、恐喝と殺人の重犯罪である。市の教育委員会で解消できるような性質のものでなく、司法にかけて子供だけでなく親にも重い刑事罰をかけるべき内容の事件であると思う。

この事件と並行して、日本初のいじめ国賠訴訟も始まっていた。2005年に自殺した女の子の両親が、市と国に対し「自殺の原因は、いじめならびに学校、市、国の不適切な対応にある」と訴えを起こしていたもの。しかし東京地裁は原告の主張をすべて棄却。「いじめがあったとは言えない」と理不尽な判決を言い渡した。

この判決で、子どもの人権を守ることは日本では至難であることが示された。だから学校に行きたくないという生徒の数も多いのだろう。文科省学校基本調査によると昨年の不登校数は全国で11万7458人。参考までに児童虐待数も増えて昨年は5万9862件、21年連続で過去最多を更新しているのだという。
・トーキョートレーダーズタイムズ代表取締役 小針秀夫

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「部落解放運動幹部でヤクザ」飛鳥会事件・小西邦彦の人間力『ピストルと荊冠』

  「部落解放運動幹部でヤクザ」飛鳥会事件・小西邦彦の人間力『ピストルと荊冠』

http://woman.infoseek.co.jp/news/entertainment/cyzo_20130104_397021

   2006年、同和対策事業の裏をかき、業務上横領と詐欺を繰り返していた男・小西邦彦が逮捕された。「飛鳥会事件」と呼ばれ、広く報道されたこの事件、何よりもスキャンダラスだったのは、部落解放同盟の支部長でありながら、暴力団構成員として裏社会と密接に関わってきた小西の経歴だった。ジャーナリスト・角岡伸彦が記した『ピストルと荊冠』(講談社)は、2007年にその生涯を閉じた小西の一生を描いたルポタージュだ。

 大阪府高槻市の被差別部落に生まれ育った少年は、刑務所への出入りを繰り返し、山口組系金田組の組員となる。その後、暴力団との関係を保ちながら、請われるままに大阪・東淀川区の部落解放同盟飛鳥支部の支部長に就任した。

 本来、被差別部落における差別をなくすために行われてきた同和対策。1970年代にその盛り上がりはピークを迎え、行政も予算を注ぎ込んだ。そして、その予算を利用し、小西は徹底的に金を儲けた。支部長としての立場を利用して政財界に絶大な影響力を築き上げ、巨万の富を得ながら夜の街で散財を続ける“飛鳥のドン”。「横綱・千代の富士を蹴り上げた」「月の飲み代は1000万円」など、小西の伝説は枚挙にいとまがない。犯罪歴だけでも、支部長の立場を利用した脱税の斡旋、横領、着服、違法金融や無届けスナックの経営……。著者も「小西を逮捕するには、罪状に困らなかった」というほどに悪行三昧を繰り返した。

 だが、悪人としての側面は、小西のほんの一面でしかない。

 そもそも「人の役に立て」という母親の教えを守り、解放運動に身を投じた小西。慈善事業にも積極的で、社会福祉法人「ともしび福祉会」を設立し、地域のために貢献した。子どもと老人には甘く、大勢の子どもを引き連れて水族館に行ったり、老人たちと慰安旅行を楽しんだ。もちろん、それらの金はすべて小西が支払ったものだ。金に困っている知り合いがいれば、ポンと数十万円の金を渡してしまった。短気な激情家で、すぐ暴力に及ぶ人柄ながら、その人間性に惚れ込んだ人々は多い。

 「同和対策の利権を吸い尽くしたヤクザ」と「慈善事業家」、一体どちらが本当の小西邦彦の姿なのだろうか? 著者は、その人柄をこう評価する。

「人間は単純に『善人』と『悪人』に二分されるわけではない。(中略)ただ、小西の場合、双方の『量』と『質』が尋常ではなかった」

 また本書には、メディアにおいてタブー視されている同和対策批判も盛り込まれている。

 飛鳥会事件を「エセ同和行為」として切り捨てようとする部落解放同盟。結果的にその立場を利用して罪を犯してきたものの、小西は40年にわたって、支部長として運動を続けてきた。また、空疎な報道批判を繰り返す同盟に対し「被害者、被差別者を前面に押し立てた報道批判は、真面目な同盟員や差別の助長・再生産にしか依拠できない部落解放運動の空洞化を如実に示していた」と苦言を呈し、「被害者意識ばかりを言いつのる運動団体は、もはや百害あって一利なしではないか」と、その存在意義を問う。著者もまた、被差別部落に生まれ育った一人だ。

 行政の事なかれ主義と、部落問題という“触らぬ神”の間の子として育った小西邦彦という怪物は、大阪の街を我が物顔で闊歩した。部落解放運動も下火となり、彼のような人間は、もう二度と出てくることはないだろう。しかし、その特殊な状況が生み出した人間くさい魅力には、どこか惹かれてしまうものがある。

(文=萩原雄太[かもめマシーン])

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人権委法案、再提出見送りへ=政権交代受け法務省 2

人権委法案、再提出見送りへ=政権交代受け法務省

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2013010600052

 法務省は6日、人権救済機関「人権委員会」を同省の外局として設置する法案について、28日召集予定の通常国会への再提出を断念する方針を固めた。昨年12月の衆院選で政権奪還を果たした自民党の政権公約を踏まえたもので、当面は法案の扱いを棚上げせざるを得ない状況だ。
 同法案は、人権侵害に対する救済や予防を行う人権委を、国家行政組織法に基づく「三条委員会」として設置する内容。民主党政権は昨年秋の臨時国会に提出したものの、審議入りせず、衆院解散に伴って廃案となった。 
 人権救済機関をめぐっては、自民党政権でも小泉内閣が2002年、設置を盛り込んだ「人権擁護法案」を国会に提出したことがある。しかし、報道機関の取材活動を制約する条項などに世論の批判が集まり、03年に廃案となった。その後、再提出の動きが起こったが、安倍晋三首相らが当時、「人権侵害の定義が曖昧」などと反対してその動きを封じ込めた。

 こうした経緯などを踏まえ、自民党は衆院選公約で「民主党の人権委員会設置法案に断固反対。個別法によるきめ細かな人権救済を推進する」と主張。法務省関係者は「少なくとも、昨年秋に出したそのままの内容での再提出は選択肢にない。じっくり腰を据えて検討するしかない」とあきらめ顔だ。

(2013/01/06-14:08)

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人権委法案、再提出見送りへ=政権交代受け法務省

2013年 1月 06日 15:00 JST 更新

http://jp.wsj.com/article/JJ12747423488545343923316850180023399779741.html

人権委法案、再提出見送りへ=政権交代受け法務省

 法務省は6日、人権救済機関「人権委員会」を同省の外局として設置する法案について、28日召集予定の通常国会への再提出を断念する方針を固めた。昨年12月の衆院選で政権奪還を果たした自民党の政権公約を踏まえたもので、当面は法案の扱いを棚上げせざるを得ない状況だ。

 同法案は、人権侵害に対する救済や予防を行う人権委を、国家行政組織法に基づく「三条委員会」として設置する内容。民主党政権は昨年秋の臨時国会に提出したものの、審議入りせず、衆院解散に伴って廃案となった。 
[時事通信社]

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