橋下・大阪市長:週刊朝日連載問題 毎日新聞
橋下・大阪市長:週刊朝日連載問題 同和問題への認識が欠落−−山田健太・専修大教授(言論法)
毎日新聞 2012年11月17日 東京朝刊
http://mainichi.jp/select/news/20121117ddm012010160000c.html
朝日新聞出版と朝日新聞社は、週刊朝日発売から、報道と人権委員会の見解を経て、橋下氏本人への謝罪と厳しい社内処分といった一連の対応を、約1カ月で実施した。これは、本人からの強い要請があったからとはいえ、メディアが自浄作用を発揮したという点では評価したい。司法や行政的な対応では、これほど迅速で実効的な結果は示せなかったと思う。報道機関の自主的な対応が個別救済のための社会的機能を果たしうることを示した例だ。
一般論で言えば、政治家の資質を問う場合、必然性があればいかなる領域であっても果敢に書くべきだ。2回目以降の連載でそれを示していくつもりだったのかもしれないが、初回の記事では示し得ていなかったのではないか。委員会や社の見解からうかがえるのは、週刊朝日編集部には同和問題を取り上げる際の最低限必要な配慮や出版後に想定される当事者側からの反発を受け止める覚悟が決定的に欠けていたということだ。
一方、委員会が週刊朝日の記事を朝日新聞と同じ編集・報道の基準で評価したのには違和感が残る。新聞とは別のメディアである雑誌の力を失わせかねないからだ。篠崎充社長代行が見解を受けて出したコメントは、委員会の検証結果をほぼそのまま受け入れた内容だが、もう少しせめぎ合いがあってもよかった。見解を重く受け止めることは当然だが、表現の自由の範囲を自らが狭め、表現の多様性を損ないかねない結果をどう克服するか。重い課題を背負うことになった。(談)
特集ワイド:「打ち切って終了」でいいのか 週刊朝日問題 橋下市長の言い分と識者の見方
毎日新聞 2012年10月25日 東京夕刊
http://mainichi.jp/feature/news/20121025dde012010013000c.html
「権力の監視」はメディアの仕事だ。ならば、今もっとも注目される政治家の一人であるこの人については、どこまで書くべきなのか。16日発売の週刊朝日に掲載された記事を巡り日本維新の会代表の橋下徹・大阪市長が抗議した一件は「おわび」「連載打ち切り」に終わった。とはいえ、ことは差別問題と知る権利の微妙な境界にかかわる。橋下市長が記者に語った「言い分」と識者の見方を紹介する。【江畑佳明、井田純】
◇「文春、新潮は選挙戦の範囲」
◇問題は表現取材拒否に疑問/他メディア萎縮/議論深まっていない
「今回の週刊朝日のやり方は有権者の判断のための情報じゃなくて、要は人格否定、もっと言えば家族抹殺。そういう意図がはっきり見えた」。22日午後5時過ぎ、大阪市内での囲み取材で、橋下氏は改めて同誌を批判した。言葉はさらにエスカレートし、筆者のノンフィクション作家、佐野眞一氏に対して「(佐野氏の)ルーツも暴いてほしい」、朝日新聞全体については、親族への取材方法や謝罪のあり方を取り上げ「人間じゃない」「鬼畜集団」とまで言い放った(後に「事実誤認」と陳謝)。
橋下氏が「家族抹殺だ」と憤った記事は「ハシシタ 奴の本性」と題した「緊急連載」の1回目。佐野氏と週刊朝日の記者2人が「本誌取材班」として名を連ねる。同和地区名を具体的に記述し、さらに橋下氏の実父の縁戚者のインタビューや家系図を掲載。実父が暴力団関係者だったなどと書いている。橋下氏は「一線を越えている」「血脈主義、ナチスの民族浄化主義に通じる極めて恐ろしい考え方」と激怒し、朝日新聞などの取材を一時拒否。週刊朝日が23日発売号で河畠大四編集長名の「おわび」を載せるに至ったのは周知の通りだ。
■
一つの疑問がある。橋下氏の生い立ちや父親の人物像などについては、大阪府知事だった橋下氏が大阪市長選にくら替え出馬しようとしていた昨年10月、「新潮45」「週刊文春」「週刊新潮」が既に報道している。この時、橋下氏はツイッターなどで<バカ文春><バカ新潮>と罵倒する一方、<直接僕に質問してこい。いくらでもその機会は作る>と呼びかけ、選挙戦に入ると「結構毛だらけだ!」とネガティブキャンペーンを逆手にとった。
今回の朝日への対応とは「温度差」があるように感じる。再び22日の囲み取材。その点を橋下氏自身にぶつけた。「僕はこういう立場ですから一定の情報が出ることは仕方がないと思ってます。(大阪市長選という)選挙戦において公人たる人物を判断するうえで、先祖だったり親を出すということは一定の範囲だったらありうる。文春、新潮だって落としてやろうという意図があったのは間違いないが、まあそれは、選挙戦の範囲の中で、有権者にそういう情報を提供するという……(略)頭にくるけど、まあ選挙戦」
週刊朝日の記事で、佐野氏は<この連載で橋下の政治手法を検証するつもりはない>と断りつつ<もし万々が一、橋下が日本の政治を左右するような存在になったとすれば、一番問題にしなければならないのは、敵対者を絶対に認めないこの男の非寛容な人格であり、その厄介な性格の根にある橋下の本性>と、両親やルーツを調べることの“正当性”を主張してはいる。
橋下氏はこう続けた。「文春、新潮の時にああいう抗議で収めたから、週刊朝日が調子に乗ったということがあるかもしれない。文春、新潮への態度も、もう一回考えなきゃ」
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大阪府在住の作家、高村薫さんは週刊朝日の記事を読み、<この男は裏に回るとどんな陰惨なことでもやるに違いない>といったどぎつい表現に「ぎょっとした」と語る。
「昨年の週刊誌の報道については、知事という職についている以上、出自について書かれるのは仕方がないと思いましたが、今回の連載は必要以上に個人を侮辱するものです。そもそもタイトルからして、あえて『ハシシタ』などと呼ぶ必要があるのか。橋下市長が怒るのは理解できます」
「同和地区が特定できるように表記した部分は確かにひっかかるし、問題だ」と指摘するのは、立教大メディア社会学科の服部孝章教授だ。河畠編集長自身、今週号の「おわび」で<ジャーナリズムにとって最も重視すべき人権に著しく配慮を欠くもの>だったと認めている。
しかし、「連載中止」という週刊朝日の判断が正しかったかどうかは別途、検証すべきテーマだろう。「記事内容が不適切だったのであれば、わびるべきはわび、正すべきは正すとしても、連載自体までやめる理由はない。政党の代表ともなればいろんなことを書かれるのは当然で、表現さえ気を付ければ、正当な取材に基づくノンフィクションとして継続してもよかった。いろんな力が働いたとしか思えない」と高村さんは言う。
服部教授は「週刊朝日の対応を“潔い”と評価すべきではありません」と強調する。
「連載1回目の冒頭、日本維新の会の旗揚げパーティーの模様を描いた部分などは内実をよく描写しており、興味深く読みました。2回目以降、まだ知られていない事実が明らかになったかもしれないのに、それが書かれなくなってしまった。国民の知る権利に資すべき報道をやめてしまったということです。抗議を受けて謝罪、連載中止に追い込まれたことで、他のメディアまで萎縮してしまう。橋下氏個人の周辺報道がしづらくなるといった悪影響を懸念せざるを得ません」
連載中止の真意を朝日新聞出版に尋ねたが「(不適切な表現で人権に著しく配慮を欠いたなどとした)『おわび』が全て」との答えだった。
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かたや橋下氏が、週刊朝日の発行元の朝日新聞出版のみならず親会社の朝日新聞社にも矛を向け、「見解を聞くまでは質問に答えない」と同社や関連の朝日放送の取材を拒んだことには「恣意(しい)的な取材拒否を招きかねない」との批判がある。「週刊誌と新聞は別媒体。坊主憎けりゃけさまでというのはどうか。ご本人は弁護士なのですから、取材拒否ではなく、出版差し止めの仮処分申請など法的手段を取るべきでしょう。裁判だと時間がかかるというのは理由にならない。市長のようにメディアを集めることができない一般の人であれば、それ以外の手段がないのですから」(高村さん)
メディア批評誌の月刊「創」編集長・篠田博之さんは「この件で『被差別部落問題に触れると何となくまずい』という空気だけが残る事態は避けるべきだ。週刊朝日が何に謝っているのかがあいまいなため、議論が深まっていないことが最大の問題です」と語る。
首相に望む声さえあるとびきりの「公人」橋下氏。今回の騒動が、有権者の「判断」の材料になることは間違いなさそうだ。
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