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人権救済法の意義と課題 山田健太 専修大学教授・言論法

<メディア時評・人権救済法の意義と課題>
表現規制防ぐ監視を 弱者を救う新規立法に

2012年10月13日  琉球新報

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-198006-storytopic-229.html 

 

 先日閉会した国会最終盤の9月、人権救済法案が公表され、次回国会での上程が事実上決まった。同法案は、紆余曲折を経ての再登板法案だ。
 もともと、国内の人権侵害事例を解消することに、反対があるはずがない。そのための方策として行政等による教育や啓発活動、差別禁止法といった立法規制、司法等による個別救済の制度が、各国において整備されてきている。日本でも、1994年の国連総会決議「人権教育のための国連10年」を受け、95年に国連10年国内行動を策定、翌96年には人権施策推進法が時限立法として制定された。これによって、人権教育・啓発に関する施策等を推進すべき国の責務が定められ、法務省に人権擁護推進審議会を設置し、この審議会答申を踏まえ議員立法で2000年に「人権啓発法(人権教育及び人権啓発の推進に関する法律)」が制定された経緯がある。
 では、どういった人権課題があるかといえば、軍隊・警察・行政などの公権力による人権侵害や、マイノリティーに対する社会的偏見や差別が、先進国か発展途上国かの差なく生じている現実がある。とりわけ社会的差別や身分差別といった歴史的・構造的な人権侵害に対しては、既存の国家制度では十分対応がとれないことから、1970年代後半以降、多くの国で新しい制度としての「国内人権機関」が模索されてきた。人権委員会やオンブズマンといった形の、政府から独立した人権救済システムがいまや120を超える国々で構築されてきている。
 1990年代以降は国連も同機関の設置を奨励し、92年には指針としての「国家機関(国内人権機関)の地位に関する原則」(パリ原則)を国連人権委員会が採択、国連作成の『手引書』もできあがっている(総会でも93年に採択)。

「報道被害」も対象
 日本においても、刑務所・拘置所や入管施設での職員による入所者への権利侵害事例が見られるほか、被差別部落、在日コリア・中国人、アイヌ等の先住民への根強い差別が社会的に存在してきている。こうした問題に対処するため、前出審議会の2001年人権救済答申を踏まえ、02年に人権擁護法案(旧法案)が上程された。ただし、この法案は国際基準に照らし、いくつかの点で基本的な欠陥を持っていたこともあり、強い反対を受け廃案となった経緯がある。
 その後、当事者団体等との水面下の折衝などを経て、2010年に法務省政務三役の「新たな人権救済機関の設置について(中間報告)」が出され、今年9月19日に人権委員会設置法と人権擁護法の一部を改正する法律案(合わせて人権救済法案)が閣議決定されたことになる。
 論点の一つが独立性で、日本における公権力による人権侵害事例は、主に法務省管轄下の施設で起こることが多いとされる。にもかかわらず、新しい機関を法務省の下に設置したのでは実効的な救済が見込めない、という強い意見である。これに対し、今回の法案では、独立性を高めるために「三条委員会」(国家行政組織法3条2項に規定された委員会)とするとし、一定の配慮を見せている。ただし、もう一つの独立性を担保するために重要な委員構成については、パリ原則が当事者団体や人権NGO等を入れて、多元性の確保を求めているものの、法案では触れずじまいで現職・OBの役人で占められる可能性が拭えない。
 そのほか、対象となる人権の範囲が不明瞭であり、例えば外国人参政権を批判する行為が、外国人の人権侵害と認定されるなど、在日外国人の権利拡大に繋(つな)がる可能性があり、法の趣旨に反するといった批判も、一部から強く出されている。
 そしてもう一つの大きな問題が、法案が持つ表現規制の側面である。とりわけ旧法案では、救済対象として「メディアによる人権侵害」(報道被害)を挙げ、主として週刊誌による名誉毀損記事や、新聞・テレビ等による集中過熱取材によるプライバシー侵害を取り締まりの対象とすると明記した。ちょうど当時、自民党は政治報道に関するメディア監視を強めており、取材・報道による政治家個人あるいは政党への権利侵害を問題視していた経緯がある。いわば、政治家への批判を許さないための制度作りを疑わせるに十分な環境が整っていたということだ。

差別表現の取り締まり
 こうしたことから、報道機関はこぞって強い反対キャンペーンを展開した。しかも、そもそもこの種の人権救済機関の対象として、報道被害を挙げる国は皆無であり、あまりに立法者のご都合主義ともいえる法案作りであるといえる。新法案で同条項が削除されたものの、運用上、報道被害を取り扱うことを排除していないだけに、隠れた狙いとして存在し続けているのではないかとの、根強い危惧が存在する。
 さらに厄介な表現の問題が、差別表現をどう扱うかである。日本はこの表現領域について、独特のルールを守ってきた。それは、差別表現を法によって直接・包括的に規制しない、という原則だ。それは例えば、人種差別撤廃条約で差別思想・表現行為の喧伝・流布が全面的に禁止されているが、わざわざ日本政府は「留保」という特別な手続きを踏んで、憲法の表現の自由と抵触する場合は、憲法を優先させることを決めている。もちろん、特定人への名誉毀損に当たる差別表現は法の取り締まり対象だが、集団的名誉毀損と呼ばれるような、特定のグループ(例えば「黒人」)に対する誹謗中傷は名誉毀損とはならない現状がある。
 そうしたなかで、ある種の差別表現規制にどこまで行政機関である国内人権機関が関与するのかという問題である。旧法案では、強制力を持った救済が予定されていたが、批判を受けて新法案では任意の調査に限定し、「説得」によって救済にあたることを旨としている。またもう一つが、部落年鑑や差別落書きなどのいわゆる差別助長表現の取り締まりが、差別表現一般に拡大解釈され、広範な表現規制に繋がる危険性を指摘するものだ。この点についても新法案では、「識別情報の摘示」という新しい用語によって、その拡張危険性の除去を試みているが、果たして十分かどうか、さらなる検討が求められている。

 新規立法に乗じた表現規制拡大を排除しつつ、いわば弱者救済のための新システムをどういう形で結実させるか、報道機関を含めた市民社会全体で考える必要がある。

(山田健太 専修大学教授・言論法)

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