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人権擁護法の問題の本質  西田昌司参議院議員

西田昌司参議院議員

機関紙showyou
http://www.showyou.jp/showyou/other.html?id=385

人権擁護法の問題の本質

過去廃案の経緯

人権擁護法は、過去にも何度か制定について論じられたことがありましたが、その度に廃案になってきました。その一番の原動力となったのはマスコミの猛反対です。そこで、今回の人権擁護法にはマスコミに関する規定が一切削除されて提案されてきたのです。そのため、かつては大反対をした多くのマスコミも、今回は産経新聞などを除いては、ほとんどその内容を報じておりません。これは非常に残念なことです。

人権擁護法が新たな人権侵害を生み出す

そもそも人権擁護と言いますが、人権とはいかなるものなのでしょうか。殆どの人は、きちんと答えることができないのではないでしょうか。それほど、人権という言葉は定義することが難しいのです。にも拘らず、その侵害があったという疑いがあるだけで、強権的な調査が可能になってしまうとするなら、まさに、人権擁護という名の下に人権侵害が恒常化されてしまうことになってしまいます。人権擁護法とはまさにこうした危険性のある法律なのです。

そもそも人権とは何か

そのため、人権擁護法を制定するなら、そもそも人権とは何かということをきちんと定義しなければなりません。しかし、それが事実上不可能なのです。たとえば、子供の教育について考えてください。
子供を教育するためには大人は全人格をかけて対応しなければなりません。そのため、時として子供に手を挙げることもあるでしょう。しかし、それが教育なのか、それとも虐待なのか、その判断は個別的に具体的に考えなければならないでしょう。このように人権侵害かどうかは、一概に判断できないということなのです。その場の具体的な状況を考えるしかなく、それを法律で一律に規定することには無理があるということです。また、人権は外国人にもあるはずですが、それと日本人の人権はどのような関係になるのでしょう。もし人権が普遍的なものであるとするなら、外国人も日本人も法律の前では完全に平等であるべきはずです。
ところがそうなれば、日本人の主権が守れなくなってしまいます。例えば、北朝鮮やイラク、アフガニスタンを見るまでもなく、貧困や戦乱の中で命が失われている国が、今なおたくさんあります。そのような国からすれば、日本など天国です。人権が普遍的なものだとするなら、彼らが日本に住みたいと言えば、これを拒否などできるものではありません。しかし、現実にはそれは不可能です。もし、無条件に受け入れれば、日本人がこの国で住むことができなくなってしまうからです。
では、なぜ日本人が外国人より優先されているのでしょう。その理由は、この日本という国を守り築いてきたのは我々の祖先であり、私たちは、その子孫としてこの国に関する優先的権利を持つということではないでしょうか。また、日本人の権利といっても現代と過去とでは異なります。私たちが、今、当たり前に思っている権利が、過去の時代においてもそのまま通用するはずがありません。このように人権は歴史により積み上げられてきたものであり、当然、時代や国により異なるということです。

法律よりモラルの優先する社会を作るべき

法律が社会のルールのすべてではありません。それ以前に、モラルや伝統や慣習というような規範意識があるはずです。
この規範意識をしっかり伝えることが、健全な社会を作る一番の方法です。最近の人権擁護法制定を唱える人の発言を聞いていると、なんでも法律を作れば解決するという思い込みがあるように思えてなりません。しかし、それは本末転倒なのです。なんでも法律で解決しようとすると、肝心のモラルが衰退し、不健全な社会を作り出すことになるのです。例えば、刺青の方お断りということがお風呂屋さんやゴルフ場などに書いてあります。勿論、刺青をすることは法律違反ではありません。しかし、日本の社会ではそれは伝統的に無法者の証であり、決して表の世界では通用するものではないはずです。この規範意識が社会を守っているのです。もし人権擁護法ができれば、刺青の方お断り自体が人権侵害となり、取り締まりの対象になるでしょう。
このような社会を誰が望んでいるのでしょうか。こうした状況を考えた時、私たちが目指すべきは、法律よりモラルが優先される社会を作ることではないでしょうか。
そのためには、国民がモラルや伝統や慣習という規範意識をしっかりと共有する必要があります。

普遍的価値と現実とのバランス

ところが、敗戦による歴史観の喪失のため、戦後の教育の現場では、歴史に根差したモラルや慣習や伝統というものが殆ど教えられることができませんでした。代わって、人権や平等や自由などの価値観が普遍的なものとして教えられました。勿論どれも大切なことです。しかし、先に述べてきた通り、普遍的な価値と思われている人権さえも、現実の具体的な事象とバランスをとることを忘れた途端、思考停止に陥り、逆に新たな人権侵害を生み出すことになるのです。人権侵害を防止し、健全な社会を作るためには、普遍的価値と現実とのバランスを保つことこそ必要なのです。

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