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社説 人権救済法案 権力監視機能なくては

社説:人権救済機関 身内で対応できるのか
http://mainichi.jp/select/opinion/editorial/news/20110822k0000m070119000c.html

 江田五月法相が、新たな人権侵害救済機関の基本方針を発表した。

 人権救済に当たる人権委員会は法務省の外局として設置するという。民主党は09年総選挙のマニフェストで、人権委員会を内閣府の外局とする方針を示していた。だが、党の検討チームが今年6月、「既存組織を活用することで新制度にスムーズに移行できる」として、人権擁護局を所管する法務省の外局案を示し、それに乗った格好だ。

 もともと国連規約人権委員会が98年、独立した人権救済組織の必要性を日本政府に勧告したのがスタートラインだ。そこで強調されたのは、刑務所などでの公務員による暴力や虐待の実態だった。

 法務省は刑務所以外にも、入管施設を組織に抱える。いずれも入所者や収容者から人権に関するさまざまな訴えが出される場所だ。国家行政組織法に基づく「3条委員会」として、政府からの独立性を高めるとはいえ、同じ法務省の組織に位置づけることには疑問が残る。

 昨年、当時の千葉景子法相が中間的な検討状況を明らかにした際は、内閣府に置くとの方向性を示していた。身内の人権侵害に十分対応できないとの懸念を残さぬためにも、その方が妥当だろう。

 また、調査は任意調査に一本化し、調査拒否に対する制裁規定を設けない方針も今回示した。

 もともと、人権委員会には立ち入り調査や、勧告、調査結果の公表などの権限が与えられる予定だった。調査の実効性を確保するためだ。

 しかし、救済すべき「人権侵害」の範囲があいまいで、拡大解釈されやすいとの批判が起きた。その上に人権委員会の権限が強ければ、制度の悪用を招きかねないとして、反対論が強まった。それに配慮した形だが、一律の任意調査では不十分ではないか。少なくとも、公的機関での悪質な人権侵害に対しては、一定の強い権限を残すべきだろう。

 いつ法案を出すか未定だが、しっかり練り直してもらいたい。

 一方、メディアの取材や報道を人権救済の対象にするのか長年、議論されてきた。かつて自民党を中心とする政権が国会提出した旧人権擁護法案では、取材を拒んでいる人を待ち伏せしたり、電話をかける行為を継続・反復することなどを人権侵害と定義した。だが、これでは自由な取材や報道が阻害される場合がある。

 社会の批判を受け、報道各社は集団的過熱取材(メディアスクラム)の改善や、苦情を受け付ける第三者機関の設置を進めてきた。こうした自主的な取り組みを尊重し、メディア規制の規定を設けない方針を改めて示したのは妥当だろう。


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毎日新聞 2011年8月22日 2時30分




社説2011年08月19日(金)
http://www.ehime-np.co.jp/rensai/shasetsu/ren017201108195108.html

人権救済機関 公権力の介入を防ぐ仕組みに

 紆余(うよ)曲折を経て法務省政務三役が、人権救済機関を法務省外局として設置し、政府から独立した権限を持たせるなどの基本方針をまとめた。
 憲法で保障される基本的人権を守り、差別や虐待の解決を目的とした中核組織だ。自民党政権時代からの懸案ではあるが拙速は避け、法案成立までの議論を注視したい。
 メディアによる取材活動に特段の規定を設けないなど、評価できる点はある。わたしたちも報道機関として、さらに襟をただしたい。
 ただ、依然として法務省外局案への反対論は根強く、恣意(しい)的な運用も懸念される。救済機関が新たな人権侵害の装置とならぬよう、なお慎重な内容の検討が必要だ。
 人権救済機関については1998年、国連の自由権規約人権委員会が、国から独立した機関として設置するよう政府へ勧告したのをきっかけに議論が始まった。
 これを受け自民党政権が2002年、「人権擁護法案」として国会に提出した。
 しかし、救済機関を法務省外局とすることに「独立性が保たれない」と野党・民主党などが強固に反対。メディア規制などに報道機関からも強い反発があり、結局は翌年に廃案となった。
 人権を守るべき機関が、国家権力による人権侵害に利用されかねない危険をはらんだ法案だった。国民が人権の意義を直視し、成立を阻止した歴史を忘れずにいたい。
 こうした経緯を経て09年、民主党がマニフェスト(政権公約)に「人権救済機関の設置」を盛り込んで政権を獲得し、再び検討が始まった。
 多様な論争と駆け引きの末に、各界の反対意見や批判をすり合わせ、着地点を見いだしたのが今回の方針だ。
 昨年の中間報告では設置が内閣府外局となっていた。独立性をめぐる議論は続くが、いずれにしても国家機関の外局となれば、肝心なのは組織運用の問題だ。職員の配置や選定など、人事や人材育成のあり方こそ監視したい。
 また、業務内容があまりに雑ぱくで、要領を得ない点も懸念材料だ。
 人権侵害の調査については任意とし、調停や仲裁という手段で救済を実現する。訴訟参加などの提起についても見送った。個人同士の紛争などへ過度の介入を避けるという意味で、理解はできる。
 ただ、何が人権侵害なのかをあいまいにしたままでは、運用次第で組織の暴走を許す恐れもある。一定の定義を示し、調査権限の及ぶ範囲を規定する必要があろう。
 議論が始まり13年。国連勧告は、「公権力による人権侵害是正」が本旨だ。人権救済機関が公権力の代弁機関になってはならない。あらためてそれを確認しておきたい。







社説  人権救済法案 権力監視機能なくては(8月17日)
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/editorial/312247.html

 小泉政権下の2002年に廃案となった人権擁護法案が、人権侵害救済法案(仮称)と名を変え、法制化に向け再び動き始めた。

 江田五月法相ら法務省政務三役が策定に向けた基本方針を先に公表し、来年の通常国会提出を目指す考えを明らかにした。

 旧法案で強い批判のあった、報道の自由を脅かすメディアの取材活動を規制する条項はなくなった。救済機関である人権委員会へ強制調査権を持たせることも除かれている。

 もとより、差別や虐待、プライバシーの侵害がまかり通る社会であってはならない。それらの是正に必要な法律をつくることに異論はない。

 私たち報道機関もこれまで以上に人権に配慮していく必要がある。

 だが、そうであってもこの法案には懸念すべき点が多すぎる。

 なによりも、公権力による人権侵害への対応が明確でないことだ。

 そもそも、人権法案を目指すきっかけは1998年、国連規約人権委員会から刑務所や入国管理施設などでの人権侵害が指摘され、改善を求められたことからだった。

 2008年には同委から、公権力の人権侵害に対応できる人権機関を設けるよう勧告を受けている。

 捜査機関の取り調べや、拘置所内で人権侵害を受けたとの報告は少なくない。抗議しても相手にされないとの証言は体験者からよく聞く。

 公権力による人権侵害の監視機能のない擁護法案では意味がない。

 93年に国連総会で採択された、人権機関を設置する際の指針「国内人権機関の地位に関する原則(パリ原則)」との兼ね合いも問題だ。

 パリ原則は人権機関の中立性を保つため、政府からの独立性を確保するよう強く求めている。

 だが、パリ原則に適合させるとしながらも結局、旧法案同様、法務省の外局に人権委を位置づけた。

 公正取引委員会並みの独立性を持たせるというが、実際の運用では各地の法務局などが窓口となろう。

 刑務所や捜査機関を管轄する法務省の外局という立場で、果たして政府の影響を排した判断や決定ができるのだろうか。疑問が拭えない。

 パリ原則を順守することが、法案作成に当たっての大原則となる。

 国内在住の外国人が人権委員に就任できない点も変わっていない。

 特定勢力の影響を受けないことは必要だとしても、これで外国人の人権がきちんと守られるのかどうか。そうした論議も欠かせない。

 多くの問題がいまだ整理されていない。法案を煮詰めるには法務省内だけではなく、幅広い国民的な議論の積み重ねが必要だ。旧法案の手直し程度で終わらせてはならない。

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