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瞠目すべき『異形の日本人』の生き様

2011年1月12日(水)
瞠目すべき『異形の日本人』の生き様
~合言葉は「くそたれめ、馬鹿にすなッ」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20110107/217853/

『異形の日本人』上原善広著、新潮新書、714円

 2010年11月、大卒の就職内定率が57.6%と過去最悪を記録したことが報じられ、「超就職氷河期」だ「就活デモ」だなんだと、年末にかけてテレビや新聞、あるいはネット上でやたらと騒がれた。

 そういうのを見ていると、「あー、オレらんときはこんなふうに構ってもらえなかった気がするなー」などと不貞腐れつつ、「生まれた時代が悪かった」とか「オレだってバブル期に就職してればよー」とか、そんなくだらないことをつい考えてしまう。

 けれど、2003年といういまに負けず劣らず氷河期に、どうにか中堅の出版社(エロ本だけど)に就職しながら、その後いろいろあって利の薄いフリーライターに落ち着いている己を省みるに、一応ここまでは自分のやりたい仕事を自分で選んできた結果であって、いつ生まれようが結局いまの状況と大差ないポジションに収まるんだろうなと、そんな気分も一方にある。

 さて、本書の著者・上原善広氏は、被差別部落出身のノンフィクション作家であり、前著にあたる『日本の路地を旅する』(文藝春秋)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞している。「路地」とは被差別部落のことで、そう呼んだのは中上健次である。『日本の~』に代表されるように、著者は路地について書くことが多いが、それと並行して各分野のマイノリティや「異端」とされる人たちの取材も行ってきた。

〈そうした人々の物語や、一種タブーとされてきた出来事の中にこそ、日本人の何かが隠されていることがあるのではないかと思ったからだ〉
春團治が看板に固執したワケ

 『異形の日本人』と題された本書は、近親婚により障害を持って生まれた「ターザン姉妹」、部落解放同盟に糾弾された劇画作家・平田弘史、無頼派アスリート・溝口和洋、筋萎縮症を患いながらワイセツ裁判を闘った女性、股から火を噴くストリッパー・ヨーコ、「古典落語の破壊者」といわれた初代桂春團治(かつら・はるだんじ)の、6篇の物語からなる。

 このなかで路地と直接のかかわりがあるのは、噺家の桂春團治(かつら・はるだんじ)。(※劇画作家の平田は部落差別をモチーフに『血だるま剣法』を描いたが、彼自身は路地出身者ではない)。本名を皮田藤吉といい、明治11年(1878)、大阪市高津に生まれた。本書によると「かわた」はもともと大阪の路地の者を指すのだという。

 藤吉は18歳で桂文我に弟子入りし、入門から8年目の明治36年(1903)に春團治を襲名した。本当は「春團治」などという無名に近い人の名ではなく、「名跡」と呼ばれるかつての名人たちの名を継ぎたかったが、「かわた」の彼にそれは叶わなかった。

〈春團治を襲名した頃から、春團治は看板の上位に異常にこだわるようになる。(中略)いくら噺家として工夫して笑いをとっても、春團治という名が名跡でない限り、看板は他の者が上にくる〉

 あるとき、二代目小団治という素人上がりの噺家の名が自分より上にあるのを見た春團治は、怒りに任せて彼の乗った人力車を襲撃したそうだ。しかし、小団治だと思ってぶん殴ったのが実は師匠格の文団治で、春團治はほとぼりが冷めるまで京都に潜伏するという見事な下げ(落ち)がつく。また、ある看板のお披露目会では、格下ながら名跡を継いだことで上位に書かれた噺家の名を、大きな筆で塗りつぶしたという。

 なぜ春團治はそこまで看板に固執したのか。やはり「かわた」という生まれから、格や身分に対して特に敏感だったのだろうと著者はみている。

「くそたれめ、馬鹿にすなッ」

 これは春團治の口癖だ。路地の者だからと虐げられてきた悔しさを、言葉にして吐き捨てることで前向きに転化し、落語家として大成することに傾けてきた。そして、とうとう「春團治」という何者でもなかった名を、一代で大名跡にしてしまったのだ。

 そんな春團治は、落語家としては当代一の稼ぎを誇りながらも、それ以上に浪費を重ね、膨大な借金を残してこの世を去った。享年57歳。大阪市天王寺区にある一心寺に葬られたが、墓もなく、無縁仏として他の遺骨とともに骨仏となって納骨堂の隅ですすけているそうだ。寺の僧侶にすら、春團治がそこに弔われていることは知られていないという。

ところで、この春團治の「くそたれめ、馬鹿にすなッ」的な精神は、カタチや背景は違えど、本書に登場する人たち(ただし昭和27年の毎日新聞の記事を追った「ターザン姉妹」は除く)に共通して備わっているように思われる。

 たとえば、現役時代からタバコを吸い、食事は「ホカ弁にラーメンライス」、引退後はパチプロに転身した“現”やり投げアジア・日本記録保持者の溝口和洋。彼は、当時のトレーニング理論をガン無視したオーバーワークや奇異な投擲フォームで異端視され、陸上界から黙殺されたが、「記録さえ出せばええやろ」というシンプルな信念のもと、やり一本で世界的な名選手になった。溝口はこうも語っている。

「ハングリーとか、たしかにそういう要素があったら『便利』やろうけど、べつに俺には必要ない。育った環境とかも関係ない。(中略)強いて言えば、なにくそーっていうのが俺の原動力。それだけで練習できる。それがエネルギーの元になる」
生まれた環境は選べないのだから

 あるいは、炎のストリッパー・ヨーコ。高知市にある彼女の実家は置屋(売春宿)を営んでおり、父がそこの主人(という名のヒモ)をし、母は色街で呑み屋をやっていた。そんな境遇にあったヨーコだったが勉強はよくでき、地元でも有名な私立小学校に入学。しかし彼女が6年生のときに両親が離婚し、母とともに親戚のいる大阪へ逃げることになったため卒業を目前に中退してしまう。

 大阪で公立の中学校に入ったヨーコは教師とソリが合わず、わずか3カ月で義務教育を放棄し、年齢を偽り13歳からショービジネスの世界へ。一方で、大学には行きたかった彼女は大検の準備をするが、母はまったく興味を示さず、高知の父に電話すると「どこにそんな金があるんじゃ。行きたかったら自分で働いて行け」と怒鳴りつけられた。それならばと、もっと稼げる新地の高級クラブでホステスをはじめた。

〈稼いだ金は母に預けて管理してもらっていたのだが、しばらくして金のことを訊ねると、全てパチンコと男に貢いでいて、一銭も残っていないことがわかった。(中略)ヨーコは「もうええわ、一人で生きてこ」と思った〉

 それから水商売を転々としたのち、花電車芸人としてストリップデビューを飾る。30歳になっていたヨーコは「これは天職だ」と思ったそうだ。著者は、前著『日本の路地を旅する』のなかで以下のように書いている。

《生まれた環境は選べないのだから、それを嘆くよりも、これからどう生きていくのかが最も重要なことになるのではないだろうか》

 自らの不幸の原因を差別や貧困、障害、家庭事情に求めることは容易い。けれど、自分がどのような知識を得て、誰に出会い、どこへ向かうのか、その選択権は自分自身にあると著者は続けている。これは著者が路地を歩く過程でふと巡らせた考えだが、路地の外でも、似たような複雑な問題は転がっている。

 本書『異形の日本人』は、それを具体的に例示するとともに、自らの選択に自ら責任を持ち、なり振り構わずタブーや偏見に突っ込み蹴散らしていった人たちの姿を生々しく描いている。

(文/須藤 輝、企画・編集/連結社)

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