« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »

2010年10月に作成された記事

日本の路地を旅する [単行本]上原 善広

日本の路地を旅する [単行本]上原 善広
内容紹介
かつて中上健次が「路地」と呼んだ被差別部落。その出身者である著者が、日本全国に存在する路地を旅する異色のノンフィクション。
内容(「BOOK」データベースより)
自身の出身地である大阪・更池から中上健次の故郷・新宮へ。日本全国500以上の「路地」をめぐり歩いた十三年間の記録。

登録情報

    * 単行本: 327ページ
    * 出版社: 文藝春秋 (2009/12/15)

上原善広 blog
http://u-yosihiro.at.webry.info/

|

「差別の事実」をどう掘り下げているのか。公教育が「部落の子」の自覚押しつけすべきでない

しらかば帳:古くて新しい問題 /長野
http://mainichi.jp/area/nagano/note/news/20101028ddlk20070086000c.html

 先日、部落解放や人権問題に取り組む実行委員会の総会を取材した。県内の特定の地区を「同和地区か」と問い合わせる事案は、今も後を絶たないという。関西では、不動産建設の際、調査会社などが予定地周辺の同和地区について調べ、地域の評価をしていたことが近年発覚した。

 総会で取り上げられたのは、これらの問題だけではない。例えば、生まれる前に子供の障害の有無が分かる「出生前診断」。障害があると判明すれば「産まない」選択をする親も出てくる。これは、人権問題なのか。科学技術の進歩が、単純に「善か悪か」で割り切れない新たな問題をもたらす可能性があり、今後ますます複雑化すると見られている。

 「21世紀は人権の世紀」と言われるが、そうした問題に答えを見いだすのは容易ではない。性急に答えに飛びつくより、まずは事実を知ること、そして考えることが重要だと思う。人権問題は、古くて新しい問題だと痛感した。【光田宗義】

毎日新聞 2010年10月28日 地方版





来春閉校の東山・弥栄中 最後の人権劇

http://www.kyoto-np.co.jp/education/article/20101028000066

 同和問題や平和をテーマに京都市東山区の弥栄中が長年取り組んできた人権劇が、今年で最後を迎える。近隣校との統合で来年3月に閉校するためで、29日の本番に向け、生徒たちが熱のこもったけいこをしている。人間の内面に巣くう「差別心」に向き合う内容で、「みんなで最高の劇を作り上げたい」と意気込んでいる。

 「お母さん実はね、差別を受けてきた地域で生まれ育ったの」。27日、校内でリハーサルが行われ、3年生たちが真剣な表情で演技を確認した。今回の劇は同和問題を取り上げたシリーズの完結編「生きる6」で、被差別部落出身の女性が中学生になった息子に悩みながらも出自を告げる物語になっている。

 劇中で女性と夫は「そっとしておけば差別はなくなるのか」「人の心の予断や偏見を、ゆがんだ形で放っておくことになるのでは」と考え、意を決して出自を打ち明ける。息子は「自分自身の問題に向き合い、恥ずかしくない生き方をする」と受け止め、成長する。

 人権教育に力を入れている弥栄中では、1996年ごろから文化祭で人権劇を取り入れた。1年生はいじめ、2年生は平和、3年生は同和問題と難しいテーマに挑み、他府県の学校から視察もあるなど注目されてきた。

 劇は今回で最終回となるが、脚本を書いた教諭の川島浩明さん(45)は「劇の中で生徒は『逃げたらあかん、考えなあかん』と、自分自身と向き合ってきた。他人の立場を尊重することを心に留めて、生き抜く力にしてほしい」と話す。

 3年平井実咲さん(14)は「無意識のうちに差別をしていないか、観客には自分を振り返って見てほしい」と話している。

 人権劇は29日、左京区の市国際交流会館で上演する。入場希望者は事前に弥栄中TEL075(541)0331に申し込みがいる。

【 2010年10月28日

|

部落解放同盟筑紫地協の「学習会」

人権擁護法案、外国人地方参政権など阻止、教育正常化オンブズマン活動、同和行政正常化のご支援のお願い   (なめ猫)

http://genyosya.blog16.fc2.com/blog-entry-1877.html

2010年10月27日 (水)

福岡市文学館でいま問題になっている尖閣問題と10月9日に筑紫野市永岡隣保館で開催された部落解放同盟筑紫地協の学習会について講演をしました。

|

『日本共産党vs.部落解放同盟 』

『日本共産党vs.部落解放同盟 』(モナド新書: 253ページ 、出版社: にんげん出版 2010/10)。

目次は、第1章蜜月の時代に生まれていた対立の萌芽、第2章同和対策は毒まんじゅうか―解放同盟内での対立、第3章矢田事件、八鹿事件―同盟と党の暴力的対立、第4章全面的な路線対立・組織対立へ、第5章部落解消論と利権問題、補論日本共産党と部落解放同盟対立の歴史的・社会的背景。

 筆坂秀世氏(2005年日本共産党離党)と作家・宮崎学氏の対談などでまとめられている。
「解放同盟には、自らを糺す力も残っていない」「自然消滅です」「共産党だって・・・倒産寸前ですよ」というのが結論。

「解同」が「麻生太郎の野中広務に対する差別発言」をなぜ糾弾しなかったのか。亀井久興(現・国民新党顧問)は事実だとして「ニューヨークタイムズ」(2009年1月15日付け)で証言しているにも関わらず、と指摘する。

 宮崎氏(1945年京都生まれ。父は伏見のヤクザ寺村組組長。早稲田大学中退。早大在学中は共産党系ゲバルト部隊隊長)の体験、補論を記した大窪一志氏も同様の体験も持つ。それは「自壊した闘争」との価値観を共有し、「差別」「覇権」「前衛」「革命」を論ずる。

 「部落解放理論」をめぐる「評価」は、日本社会と「部落」の変化をふまえてこそ導き出されるものではないか。「部落問題は社会問題として基本的に解決した」との考えを「差別はもうない」と単純化する論法には悪意すら感じる。

|

尖閣問題と部落解放同盟の糾弾集会

尖閣問題と部落解放同盟の糾弾集会に見る日本の状況~福岡修学院勉強会の動画

http://genyosya.blog16.fc2.com/blog-entry-1870.html

また、勉強会では、10月9日に筑紫野市永岡隣保館で開催された筑紫野市と部落解放同盟筑紫地区協議会の学習会のことも言及.

|

ヘルプマン!(1) (イブニングKC (70)) [コミック]。介護入門に最適。

ヘルプマン!

http://www.amazon.co.jp/

出版社/著者からの内容紹介

ジジババ介護に風穴を開けろ!
老人国・日本を描く介護マンガ!!
「介護は考える杖である」なんて言うとカッコ良すぎるけれど、介護の“介”は媒介の“介”なのだ。
小社刊『新しい介護』著者 三好春樹氏共鳴!!
人はなかなか死ねなくなった。
現実を真正面で受け止めなければならない介護の現場に入所した百太郎は、様々な体験を重ねて行く。
そして老人との交流の中で百太郎はひとつの答えに辿り着く。
「いい思いできねェんなら生きてる甲斐がない!!」
今まで誰も描かなかったリアルな「老人介護」漫画に反響続出!!

著者について
くさか里樹
本名:佐藤広子、生年月日:1958年6月9日。高知県高岡郡日高村出身。高知県立高知追手前高等学校卒業。高知市内の授産施設に勤務した後、1980年別冊少女コミック(小学館)にて、『ひとつちがいのさしすせそ』でデビュー。現在イブニングで『ヘルプマン!』連載中。

|

生活保護世帯、過去最多を更新

生活保護世帯、過去最多を更新=9年連続、現役世代が急増―厚労省
時事通信 10月20日(水)17時28分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101020-00000104-jij-soci

 生活保護受給世帯が2009年度に月平均で127万4231世帯に上り、9年連続で最多を更新したことが20日、厚生労働省の福祉行政報告例結果で分かった。前年度より12万5465世帯(10.9%)増と大幅に増えており、同省は「リーマン・ショック以降の不況で失業した現役世代の生活保護申請が急増した」とみている。
 報告によると、生活保護を受けた実人数は月平均176万3572人で、前年度より17万952人増加した。世帯類型別では、65歳以上のみで構成する高齢者世帯が前年度比7.5%増の56万3061世帯、世帯主が障害者・傷病者の世帯が7.1%増の43万5956世帯。65歳未満の現役世代失業者らの「その他」は41.5%増の17万1978人と急増した。 

|

京都市、「同和」要綱廃止

京都市、「同和」要綱廃止 解放同盟府連「差別撤廃が後退」

http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20101016000018

 京都市が、同和問題に関する差別落書きや発言に対し、現場調査や関係者への啓発義務を定めた要綱を3月末で廃止していたことが15日分かった。市はすべての差別に対処するガイドラインに切り替えたが、対応は重大な人権侵害の場合に限られ、部落解放同盟京都府連は「差別撤廃への取り組みが後退する」と反発している。

 要綱は1981年に施行。公衆トイレなどで差別落書きが見つかった場合には、市の担当課に調査と関係者への啓発を義務付けた。対応した件数は94年度以降、減少傾向だった。

 市は、同和行政終結後の施策をチェックした有識者の総点検委員会が昨年3月に同和問題に対する特別な対応は必要ないとする最終報告を提出したことを受け、要綱を廃止。「外国人や障害者などの差別にも対応する必要がある」(市文化市民局)として5月にガイドラインを策定した。

 調査対象や市内部の連絡態勢が縮小したことに対し、部落解放同盟府連の西島藤彦書記長は「差別撤廃に向けた市の動きが鈍くなっており、差別が見過ごされる」と批判する。

 一方、京都地域人権運動連合会は「市民感覚では廃止は当然」、自由同和会府本部も「同和問題の特別扱いに市民の支持は得られない」と廃止に理解を示す団体もある。

2010年10月16日

|

弥栄中の人権教育・読者の声に答えて。 果て無き出自教育ではないか

記者の目:弥栄中の人権教育・読者の声に答えて=林由紀子(大阪社会部)

http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20101013ddm004070237000c.html

 ◇学びと出会いが偏見取り去る

 同和地区や児童養護施設で育つなど、複雑な社会背景や家庭環境を抱えた生徒が多く通う京都市立弥栄(やさか)中学校(東山区、野里基次校長、72人)。長年、真正面から同和問題に取り組む同校を取材し、差別と向き合う生徒と保護者の姿を紹介した本欄(8月20日)に、全国の読者から約20通の投書が寄せられた。
 ◇「もう終わった」否定的投書4割

 「子どもたちの姿に感動した」「問題意識を薄れさせてはいけない」など、私の主張に共感する意見の一方で、「同和問題はもう終わっている」「無関心な人が増えていい」「逆差別や差別の利権化こそ問題」といった否定的な意見も4割あった。

 被差別部落の出身や血縁を理由に、不当に差別される同和問題。02年まで、30年余り続いた行政の特別措置は、同和地区の生活水準を一定レベルまで引き上げた。その過程で、一部の人間による利権行為が問題となったことも事実だ。しかし、結婚や就職など、偏見や誤解から生まれる差別は、利権とは関係のない人々を今も苦しめ続けている。

 同和問題を「もう終わった」とか、利権との関係だけでとらえようとする人にこそ、弥栄中の今春の卒業生に密着した本紙大阪本社版朝刊のルポ「弥栄のきずな」(毎日jp「http://mainichi.jp/kansai/reportage2010/archive/」参照)を読んでほしい。彼らは教えてくれる。正しい知識を持つこと、そして仲間を大切にする気持ちが、差別につながる偏見や誤解を取り去り、問題解決への近道になるのだと。

 私自身、弥栄中の生徒と出会うまで、同和問題には偏見さえ持っていた。利権や糾弾といったイメージが先行し、同和問題を色眼鏡で見ていたのだと思う。それが、今ここにある差別の現実を直視する邪魔をしていた。

 弥栄中の教師にも、赴任当初は偏見や誤解を持っていたと語る人が少なくない。現在は別の中学に勤める女性教師(26)も「言動には出さないまでも、心の中では偏見を持ち続けてきた」と語る。しかし、日々生徒と接する中で「この私の思いが、目の前の子どもを傷付ける、悲しませることになるんだ」と気付いた時、見方が変わったという。

 彼女は、地元の運動団体などが主催する啓発劇の舞台にも立った。「あんたの弟が部落の人と結婚したら、私まで部落の人間になるやんか」。役の上で、婚約者の弟が同和地区出身の女性と結婚することになった時のセリフだ。「あんたなんか幸せになる権利あると思ってるの?」「死んでよ」と相手の女性に詰め寄るシーンもあった。

 あまりに過激なセリフに、演じられるか悩んだが、同和地区出身の女性に励まされた。「先生があの役を思いっきり悪く演じてくれて、お客さんに『あの女、なんてやつや』って思わせてくれることが、この劇の一番の成功なんやで」。強烈な差別意識を持つ人物を演じた経験が、彼女を教師としても成長させた。
 ◇自分の目で見て判断する生徒ら

 一度とらわれた偏見をぬぐい去るのは容易ではない。しかし、それを変えるのが「学びと出会い」だと思う。弥栄中の教師は口をそろえる。「同和問題を教えたことで、逆に偏見を持ったり、差別者になった生徒は一人もいない」と。「部落はきれいごとだけやない」「大人になったらわかる」。家族からそう聞かされた生徒もいる。しかし、彼らは自分の目でしっかりと相手を見つめ、自分の尺度で判断する力を持っている。

 「親にはいろいろ言われることもあるけど、(地区出身でない)僕も(地区出身の)友達も何も変わらない」。男子生徒の言葉だ。同和地区の出身だと隠していた友から事実を打ち明けられた女子生徒は、当時の気持ちをこう表現した。「どこに住んでるって知る前から友達やったやん。私に差別されると思って黙ってたんやったら、失礼やわ」

 地区出身のある女子生徒は、在日の友達と出会い、差別を恐れる自分の中にも差別の芽があったことに気付き、全校生徒の前で訴えた。「国や名前で差別することが悪いことだと分かった。今まで、一緒になって悪く言ってきた友達や弟にも差別はあかんて伝えたい」

 生徒たちの姿は、子どものころから正しい人権感覚を身に着けることの大切さを教えてくれる。さまざまな環境の仲間と共に学び、育つことが差別をしない人間をつくる。記事への否定的な投書を読み、落ち込んでいた私を救ってくれたのも、ある女子生徒の一言だった。「私は、知らないから差別されないのではなくて、知っているけれど差別されない社会の方が、いいと思う」

==============

 ご意見をお寄せください。〒100-8051毎日新聞「記者の目」係/kishanome@mainichi.co.jp

毎日新聞 2010年10月13日 東京朝刊

|

人権力は養われたか?辛淑玉高知講演

人権力は養われたか?辛淑玉高知講演

http://www11.ocn.ne.jp/~jcpkochi/minpo/topic/2010/100725shinsugo.htm

7月13日、高知県立美術館ホールを会場に開かれた高知市・同市教委が主催する「部落差別をなくする運動強調旬間」講演会で辛口の論評で知られる辛淑玉氏の講演を聞いたが、なんとも後味が悪かった。

辛氏の講演は、在日朝鮮人の彼女が本名を名乗って生きてきた生い立ち、在日韓国人・故つかこうへい、オバマ米大統領、米兵とアジア女性の間に生まれたアメラジアン問題など、民族や人種差別をテーマにした話、抜群の話術とあいまって聞かせるものがあった。

だが本集会のメインテーマであるはずの部落問題については、残念ながらピント外れが多すぎた。一運動団体の主催であれば、それでよいかもしれないが、市民の税金で講師料を支払っている催しである。内容について紹介し、批判してみたい。

辛氏は「解放住宅」(地区改良事業で建てられた改良住宅のことを指していると思われる)に「一般」がどれくらい入っているのか、「部落」と「一般」の割合、混住率が一目で分かるという。

「今八割くらいとかね、当たるんですね」

彼女がそれを判別している理由について、客席の参加者にマイクを突きつけ、「何だと思う」と無理やり言わせ始めたのには驚いた。一方的にマイクを突きつけられた参加者はしどろもどろで、「洗濯物」とか「表札」とか言わされている。

辛氏はたたみかけるように「どういう洗濯物が一般で、どういう洗濯物が部落?」。このような気分が悪くなるようなやりとりが約10分間も続いた(嫌がって回答しない者もいた)。

辛氏は要するに「部落民」の見分け方を、客席を回って説いたわけであるが、彼女が開陳したその回答は、「一般」が増えると住宅が汚くなるということだった。「部落」の人は差別されてはいけないからと掃除をするが、「一般」の人はしないというのである。

不思議なのは辛氏は「部落」と「一般」の割合が当たると言っていたが、誰に正解を聞いたのだろうか。同和行政を根拠付ける法が完全失効した今日、いまだに住民に「部落民」のレッテルを貼ってカウントしている行政があるとすれば、まるで「壬申戸籍」であり、重大な人権侵害である。彼女はなぜそれを糾弾しないのだろうか。不可解としかいいようがない。

まして「一般」が増えると汚くなるなどとは、何を根拠に言っているのか。偏見としかいいようがない。

辛氏は平和問題などでは優れた発言をしてきたこともあるが、著書『差別と日本人』と同様、こと部落問題になると、少数民族問題と混同して「血」でとらえることしかできていないし、話にリアリティが乏しい。

講演会場にいた同市住宅課長に「混住が進むと住宅が汚くなるという実態があるのか?」と意地悪く聞いてみたが、首を横に振っていた。当然だろう。さらにこの講演会で開会あいさつをした市人権同和行政の責任者である副市長に「市主催の講演会で、こういう発言は不適切では」と指摘したが、「コメントする立場にない」という回答しかなかった。「人権力を養う」というテーマとは、ほど遠い講演会だった。(N)(2010年7月25日 高知民報)

|

旧態依然 人権研修で死語拡散 高知市

旧態依然 人権研修で死語拡散 高知市
http://www11.ocn.ne.jp/~jcpkochi/minpo/topic/2010/100905jinkenkensyu.htm

高知市健康福祉部のある課の職員がしたとされる「差別発言」を理由に、同部は8月25日から4回、当該職員が所属する課と隣接する二課の全職員を対象に「人権研修」を実施した。

「差別発言」とは、職員が自らのことを差して、賞味期限切れの食品を食べても腹をこわさないという趣旨で使った雑談に賤称語が含まれていたというもの。この職員は親がその言葉を使っていたのを聞いた事があったので、腹をこわさないということを意味する言葉として認識していただけで、部落差別の意図はまったくなかった。

このどこが差別なのか。発言が不適切であれば、職場で上司なりが教育的に指導すればよいだけのことだ。

部落問題に関する「差別発言」だけにやたら過敏に反応し、部落解放同盟高知市連絡協議会と一体となっての市役所をあげた大騒ぎ=確認・糾弾、研修にオートマチックに進むシステムが高知市では完成している。

エンドレスに繰り返される過剰反応には、少なくない市職員も批判を持っていて、今回の事例には解放同盟に好意的な幹部からも「ここまでやらなくてもいいのではという思いはある」という声が聞れた。とはいえ水面下で不満は言っても、公然と異を唱えることは今の高知市役所ではできないのが現実である。

当初は健康福祉部全職員を対象にするという話も聞こえていたが、同部は出先を含めると12課800人以上が所属し、多忙な現場を抱える大所帯。結果的には2課だけの「研修」になった。とはいっても約250人もの職員を、移動時間を含め午前中をつぶして「研修」させるのであるから、その人件費は膨大で、引っ張りだされる現場職員からは「何を考えているのか。たまった仕事を誰がやるのか」と憤る声が聞こえる。

それでは肝心の研修内容は、学ぶに値するものだったのだろうか。8月25日、同市塩田町の保健福祉センターを会場にした1回目の「研修」を取材した。

参加した職員は50人程度。年齢には幅があるが40歳以下の若い女性が目立つ。講師は森田益子・部落解放同盟高知市協常任顧問と竹内千賀子・同議長(現高知市議)の2人が務めた。当初の計画では森田氏1人であったが、急遽竹内市議が同行して共に壇上にあがった。市職員の公務研修の講師を現職市議がやるのは通常考えられない。同部は「講師は森田さんだけと聞いていた。竹内市議がくるのは想定外だが、議員ではなく、市協の議長としてきてもらっているのだろう」。

「研修」では竹内市議が30分、森田氏が60分ほど話をした。1980年代から昨年の消防局の「差別事件」まで過去に同市で問題になった事件を紹介し、森田氏が若い頃に見聞きした体験などについて話すもので、取材中の筆者を執拗に名指しする「不規則発言」が繰り返された。取材していて衝撃を受けたのは森田氏よりも、ある女性職員が感想を述べた言葉だった。

「私は50歳になるが、今日聞いた差別用語を聞いた事がなかった。知らなかったことが恥ずかしい。50歳の私が知らないのだから、若い世代はまったく聞いた事がないはず。これを語り継いでいくためには、これまでと同じ学習ではだめだ」などと高揚した調子で発言していた。

差別用語を聞いた事がないのが、なぜ恥ずかしいのだろうか。そのような言葉が死語になっていることは喜ばしいことではないのか。死語とすべき言葉を、なぜ若い世代に引き継いでいかねばならないのか。

部落差別の真の解消と無縁な死語を拡散するのが「研修」なのか。これが勤務中に血税を使い取り組まれていることを市民はどう感じるか。いいかげん目を覚ます時ではないだろうか。(N)(2010年9月5日 高知民報)

|

布川事件 等身大で ドキュメンタリー完成

布川事件の2人 等身大で
ドキュメンタリー完成 女性ディレクター14年の成果

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/ibaraki/news/20101004-OYT8T00121.htm

1人の女性映像ディレクターが14年間追い続けた布川事件のドキュメンタリー映画「ショージとタカオ」(2時間38分)が完成し、今月9日と16日、東京・港区で一般向けに初めて上映される。撮影、編集などをほぼ一手に手がけたのは、井手洋子さん(55)。1996年の仮釈放後から桜井昌司さん(63)、杉山卓男さん(64)の生活に長く密着し、そこで語られた本音から事件を描いた労作だ。井手さんは「悩みながら小さな幸せを見つけていく等身大の2人の姿を通じて、事件の問題を身近に感じて欲しい」と話している。

 映画は29年ぶりに社会に出ることになった、2人の仮釈放の日から始まる。井手さんのカメラは、電車の券売機の使い方がわからなかったり、仕事が見つからないなど、現実社会に戸惑いながらも、めげずに「普通の生活」を取り戻そうとする2人を追う。

 「梅が咲いているの見て、生きてて良かったと思う」とぽつりと漏らす桜井さん。仕事や交際相手を見つけるなど安定した生活を手にし、「今の生活が信じられない。また悪いことが起きるのでは、と不安になる」と語る杉山さん。2人の様々な本音が、事件が抱える問題を浮かび上がらせる。

 井手さんは企業の宣伝ビデオを制作しており、特別、冤罪(えんざい)に関心があったわけではない。しかし、知人から事件の支援コンサートの撮影を頼まれたのがきっかけで2人に興味を持ち、その強烈な個性に魅せられ、生活に入り込んで撮影するようになった。

 刑務所を出たばかりの2人に「最初は何を聞いていいかわからなかった」。しかし新生活に戸惑う2人の案内役になるうち、次第に打ち解け、2人はカメラの前で本音を漏らすようになった。

 その後は再審開始の先行きが見えない中、しばらく撮影から遠ざかっていたが、作品化への意欲を後押ししたのが、2008年の東京高裁の再審開始決定だった。桜井さんに誘われて決定に立ち会い、撮影を再開し、「ここまで撮ったら作品にするのが私の責任」と思うようになった。

 自宅に眠っていた仮釈放直後の映像を久々に見返すと、驚いた。「当時の2人の新鮮な表情や、心の叫びが素直に映し出されていた」からだ。撮りためた映像は14年で約250時間に上り、「何気ない本音が出ているところ」を拾いながら編集しているうち、2年が過ぎた。

 井手さんは、映像の整理を手伝ってくれた20代男性が「2人がこんなに頑張っているなら、自分も頑張らないと」と話すのを聞き、「14年もの間、撮り続けることができたのは、あきらめない2人の生きるエネルギーを伝えたかったからかも、と思った」という。

 「『冤罪(えんざい)』というと敬遠されてしまうかもしれないが、この映画は不正を告発する映画ではない。普通になりたい2人のおじさんの生きる力や人間の存在意義を、見る人に感じ取ってほしい」。井手さんは映画に込めた思いをそう話している。

 上映会は、▽10月9日午後6時、港区芝5の18の2の港勤労福祉会館。資料代1000円、定員100人で要予約▽10月16日午後1時半、港区芝浦3の2の22の田町交通ビル6階大ホール。前売り1000円、当日1200円で定員300人。問い合わせは上映委員会(03・6273・2324)。

(2010年10月4日  読売新聞)

|

京都市 旧隣保館の転用

http://www.city.kyoto.lg.jp/main/pubcomment/0000000015.html

京都市の考え方
 コミュニティセンター(旧隣保館)は,同和問題の解決に向けて大きな役割を果たしてきましたが,京都市では,旧同和地区の環境改善が大きく進み住民の生活実態やニーズも変化するなか,今日時点においてコミュニティセンターが従来の形態のままで存続する必要性はなくなっているとする「同和行政終結後の行政の在り方総点検委員会」からの報告を踏まえ,その歴史的な使命・役割を終えたとの認識の下,コミュニティセンターを廃止し,施設を市民共有の貴重な社会資源として,全市的な観点からより有効に活用していくこととしたものです。
 このたび,たくさんの市民の皆様からいただいた貴重な御意見,御提案をできる限り取り入れながら,より市民に開かれた施設への転用の検討を進めてまいります。
具体的には,コミュニティセンター等の施設については,施設の有効活用や具体的な転用等について市民の皆様からいただいた御意見も踏まえながら,市民共有の貴重な社会資源として,全市的な観点からより市民に開かれた活用を図るため,「京都未来まちづくりプラン」等に掲げる施策の実現や,福祉,教育などのさまざまな課題に対応した施設への転用を検討してまいります。
 また,同プランに掲げる,「自治・自立・協働のまちづくり」を推進するため,貸館機能の継続を求める多くの御意見も踏まえ,原則として,貸館機能を中心に,市民の自主的な活動を支援するとともに,NPO等によるこれまでの自主的な取組成果等を踏まえ,市民の活動・交流拠点としての機能を設ける方向で検討を進めてまいります。
 福祉センターについては,主に高齢者の憩いの場や地域の自治的活動による利用の現状を踏まえ,これらの機能を継続できるよう検討してまいります。
 なお,貸館等の利用については,無料を求める御意見もありますが,受益者負担の観点等から,原則として有料とさせていただいたうえ,併せて,夜間・休日の開所等,市民の利便性の向上を十分に検討してまいりたいと考えています。

http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/soshiki/6-2-3-0-0_11.html
コミュニティセンター転用検討
京都市コミュニティセンター転用計画(第二次分)の策定について [2010年7月27日]
京都市コミュニティセンター転用計画(第一次分)の策定について [2010年3月26日]

|

« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »