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京都・弥栄中学の「人権教育」?

記者の目:京都・弥栄中学の人権教育=林由紀子(大阪社会部)
http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20100820ddm004070131000c.html

 ◇心の内を語るみずみずしさ
 京都・祇園の市立弥栄(やさか)中学校(東山区、野里基次(のざともとつぐ)校長、72人)の今春の卒業生を、昨年10月から約半年間、追った。複雑な社会背景や家庭環境を抱えた生徒たちが、独特の人権教育を通して成長し、卒業するまでの姿を、大阪本社版朝刊のルポ「弥栄のきずな」(毎日jp「http://mainichi.jp/kansai/reportage2010/archive/」参照)で6月に16回にわたり紹介した。

 私が初めて同校を訪ねたのは03年秋。1カ月前の文化祭で、部落差別などをテーマにした人権劇が上演されたが、それらを通して感じたことを発表する研究発表会を取材した。生徒たちは、同和地区出身であることや養育院(児童養護施設)で暮らしている事実を堂々と告白し、心の内を自分の言葉で語った。そのみずみずしい感性に魂を揺さぶられた衝撃を忘れることができなかった。

 今回、6年ぶりに取材の機会を得た私は、生徒たちが内面と向き合い、将来を見据える中で、その思いを言葉にするまでの軌跡をたどった。管理教育で有名な愛知県で育った私にとって、時間を惜しまず生徒に寄り添い、内なる声を一つ一つ拾い上げる教師のひたむきな姿は新鮮だった。

 ◇同和地区出身を子に伝える苦悩
 取材の中で最も印象深かったのは、同和地区出身の生徒の多くが「将来、差別されるかもしれない」と不安に思っていることだ。ただそこに生まれたというだけで、なぜ、こんなに苦しまなければいけないのか、その不条理さに怒りが込み上げた。彼らは葛藤(かっとう)しながらも、自分の境遇を受け入れ、乗り越えていこうとしていた。その姿と肉声を多くの人に伝えたいと思った。

 02年、同和対策のための特別措置法が期限切れを迎えた。数十年にわたる行政上の特別措置は終わっても、心の問題はいまだに解決していない。むしろ、差別は見えにくくなったといわれる。「生徒たちは、自分は差別に遭ったことがないと言う。でも、実際は毎日遭っているんです」。弥栄中に勤めて23年になるベテラン教師は語る。彼らが生まれ育った環境や生活習慣、物事に対する考え方、そのすべてに部落差別の影響が残っているのだと。

 私がそれを理解できたのは連載後、同和地区出身のある男子生徒の母親に会った時だ。彼は中3だった昨年、初めて出身を知った。ショックを受け、自分を見失いかけた時、教師や級友に思いをぶつけた。人権劇の取り組みを通して現実を受け入れると、受験勉強にも励むようになった。

 母親自身が、同和問題と向き合うことに悩んでいた。大きな差別に遭うことなく育ち、同じ地区出身の夫と結婚、1男1女に恵まれた。同和問題を意識したこともなかったが、子供が成長するにつれ「いつか自分の出身を知るだろう」と思いながら「このまま知らずに育ってくれたら」と願った。出身を知ったことで命を絶ったり、結婚差別の末、親子の縁を切った人を身近に何人も知っているからだ。

 「私は産んだことを後悔していないけれど、子供は生まれたことを後悔するのではないか」。そう考えると、自分から伝える気持ちにはなれなかったという。「差別は、教えるからなくならない」と思うこともある。まだ出身を知らない長女とどう向き合えばいいのか、心は今も揺れ動く。私の前で、目に涙をためて語る母親の姿こそ、現代の同和問題そのものではないか。

 ◇無関心が増加
 市民運動や行政による啓発の結果、同和地区に対して明らかな差別意識や偏見を持つ人は、以前より少なくなった。しかし、私がそうだったように、学校で同和問題を教わらないなど、無関心な人は増えているのではないか。特別措置がなくなったことで、自分の出身を知らないまま大きくなり、ある日突然、悩みに直面する現実もある。

 法律の期限が切れたことと学力重視の風潮が相まって、同和教育は今、岐路に立たされている。来春の統合で名前が消える弥栄中も例外ではない。新しい学校で、部落差別の現実をどう教えるのか、同和地区の生徒をどう支えるのか。学力やルールを重視するあまり、困難な状況にいる生徒が置き去りにされることだけはあってほしくない。

 同和問題を考えることは、障害者や在日外国人問題など、すべての人権を考えることにつながる--今回の取材でそう教えられた。弥栄中の生徒たちは、自分を表現し、相手の気持ちに耳を傾けることで、思いやりの輪を広げている。さまざまな環境や立場の子供が集まる公教育こそ、人権教育の絶好の場だと私は思う。「教育とは何か」。弥栄中の教育は、その原点を問いかけているように思う。

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毎日新聞 2010年8月20日 東京朝刊

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