しかし、地元の若者はこうした広報にも苦しんでいる。 だれが「差別の苦しみ」をうけるか。
鳥取市広報シリーズじんけん Vol.367
部落差別は今 若者たちが語る
http://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1248756762232/html/common/4a6e861d009.htm#9
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広報は生きる力を与えず、該当地域内外の住民に偏見と誤解を与えてる。
時代逆行はなはだしい。
以下、よく読んでいただきたい。
(「地域と人権」8月15日号掲載)原文
鳥取県人権連 川口 祥一(28歳 仮名)
1、人権連に参加するに至った経緯
私は被差別部落出身者です。私の生まれた町には被差別部落が二つあり、小学生の頃から中学生まで、町の施設で毎週“学習会”と呼ばれる勉強会がおこなわれていました。この勉強会では時々、部落差別や被差別部落についての勉強もおこなわれます。学校でも道徳・HRの時間等に差別について勉強がおこなわれ、「差別はまだ残っている」、「だから、差別を解消するために戦っていかないといけないんだ」という、鮮明で強烈な意識(私本人が当事者であるため)を強く植え付けられました。
高校に入学すると同時に、「差別をなくしたい」という気持ちから解放研と呼ばれるクラブに自然と参加することになります。この解放研は学校側の同和教育の要であり、部落解放同盟(以下 解同)の入り口でもあります。解放研に属することで部落解放運動を強く意識し、活動は専門的な内容に変化していきます。同時期から地域の解同支部の高校生分野の活動が本格的に始まりました。
高校時代は解放運動一色で解同とともにあった気がします。日常的に解放運動に触れるなかで解同や同和教育の強い影響を受け、自分の中で「差別はまだ残っている」、「自分は差別されている側の人間なんだ」、「部落外の人は皆、差別者だ」という歪曲した意識だけが独走し始めます(これは後に、事件を起こす種となっていく)。
ある時、私と友達二人の計三人で下校途中に、「自分が権力者になったら何をするのか」という話で盛り上がっていました。友達の一人が私たちが想像できないことをするという趣旨の話をしたあと、もう一人の友達が、「そんなのできるはず無い、無理だ」と言ってお互いに笑いながら他愛も無い話をしていました。話を否定された友達が否定した友達に対して、「そんなこと言うなら、お前の住んでるところを被差別部落にしてやる」と笑い話の流れでいいました。
当時の私はその言葉を聞いた瞬間、冗談話ながら思考が停止し、間接的に差別をされたと思い込み、解放研と解同に相談するにいたります。
このほかにも、高校において差別発言や差別落書きがおこなわれていたことから、解同が高校の先生方を引っ張り出し、糾弾会をおこないました。百人以上の解同側にたいして先生方は二十人程度と少ない状況でした。解同による言葉の暴力、言葉のリンチが激しくおこなわれ大変でした。このとき解同の攻撃的な部分と、物事を客観的に捉えることなく感情をむき出しにする性格をはじめて知りました。
解同が差別をなくす、差別をしてはいけないと理想を掲げている団体なら、建設的に、どうしたらよいのか、どうしていかなければ現状を変えられないのかと、学校(事柄がおきた場所が学校であったため)、当事者等と時間がかかっても、まずは協議及びフォローしていく姿勢を打ち出し、取り組んでいかなければいけないのではないかと疑問を覚えました。そして、私の相談がもとで、友達の家族が職を失う結果となってしまったことに責任を感じて解放運動から身を引きました。
以来、部落差別・差別というキーワードは自分の中で最大の関心事項でありながら蓋をしましたし、信じたものに裏切られるのは怖いと人間不信になり、内面的な人との関わりも拒絶して暮らしてきました。
私の転機になったのは日本民主青年同盟(以下 民青)と人権連に出会ったことです。
民青では裏切られることも、価値観や考え方を押し付けられることもありませんでした。民青の仲間が私の心の底にある過去の暗い部分を否定すること無く受けいれてくれたこと、私の生まれを知っても差別をしなかったこと、嫌がらなかったことなどが私を救ってくれました(人間的に成長できました)。
また、青年達の置かれた状況を知ったことも大きかったです。青年たちは日々、過酷な労働条件で働かせられていたり、それぞれで解決しようのない悩みを抱え生きています。青年達には自分を取り戻せる“居場所”が必要なんだということが実感としてつかめました。
人権連では、民青で得た「青年達に居場所を」の確信を胸に、本来あるべき人権とはなにか、地域で何ができるのかを考えることができます。
また、被差別部落に対する社会的差別は終わったのだという基本スタンスに衝撃を受けました。最初はなぜ、そうハッキリと言えるのかとおもいました。学習などを通して、解同が行政からの金を欲するあまり「差別だ」、「差別だ」と騒いでいるからくりを知ることができ、過去の経験も踏まえてその論理が自分のなかに自然と落ちてきました。
今では、高校時代の友達の発言も「差別をしてやろう」とかいった悪意に満ちたものでも、「差別心」をもとにした発言でもなく、ただ知識を言ってみただけの何の意味の無いことです。発言の内容自体は適切で無かったかもしれません。しかし、彼も同和教育の中でそういった知識・イメージを植えつけられてきました。当然、それを無意味に発信していくことは考えられます。ある意味、同和教育の犠牲者であると感じています。これは社会的差別問題でも人権問題でもなく、人権教育を同和に固執する教育の問題であり、発信する側と受けとる側のコミュニケーションの問題だったのだと、現在では理解できます。
これからは古いしがらみ(差別・人権問題の主体が部落差別という考え方)にとらわれず、地域の人の力を取り戻していかなくてはいけない時代です。その力を取り戻していくために一人でも多くの人と関わり、話し、共に考えていくことを命題に活動していきたいと感じています。
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