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自公民らの再編にはずみか。小沢辞任。

まだ早い「さらば、小沢一郎」 乾正人政治部長 産経新聞
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/politicsit/252614/

2009/05/12 01:07更新

  11日午後2時50分過ぎ。ある有力議員から「小沢は代表を辞めるよ」と電話をもらった。驚いたが、正直言ってほっともした。

 答えは簡単だ。小沢一郎氏が民主党代表を辞任することによって、仮に民主党が次期衆院選で過半数を制しても「小沢首相」が誕生する可能性がほぼゼロになったからである。

  小沢ファンの読者には申し訳ないが、政治記者として20年間、彼を観察してきた身としては、「小沢首相」は、日本の議会制民主主義にとって極めて危うい選択肢だったと言わざるを得ない。

 議会制民主主義では、国会での議論が大嫌いな人に宰相となる資格はない。「13日にセットされた党首討論をやりたくなかったから辞めたのでは」と真顔で言う民主党議員さえいる。「小沢首相」なら、党首討論だけでなく、なんやかんや理由をつけて予算委員会もめったに出席しないはずだ。

 国会での議論が嫌い、というのは、国民や敵対勢力とじっくり対話して説得する自信がないことの裏返しでもある。西松事件では、鳩山由紀夫幹事長から「もっと説明責任を果たしてほしい」と迫られても応じなかった。党幹部さえ納得させられないのに、国民を説得できるはずはない。

 たとえ、建前ではあっても、違う考えや立場の議員が国会での論議を通じて妥協点を探るのが議会制民主主義の原点だ。参院での野党優位を利用した小沢流の「なんでも反対」の国会運営は、政局的には意味があっても国民生活には迷惑でしかなかった。

 自らの公設秘書を逮捕した検察はむろん、新聞やテレビに対する不信感も相当なものだ。11日の会見では、(1)メディアの批判の矛先が自分に向いた(2)報道の結果として党内が不安定になった(3)挙党一致で衆院選を戦うため自ら身を引く-との論法で辞任の理由を語った。自分は何も悪くないのに、メディアの報道はひどすぎる、というわけだ。そこには、西松事件への反省のかけらもない。

 それでは、政治家・小沢一郎は、このまま退場するのだろうか。答えは「ノー」だ。

 首相としての資質はともかく、昭和の終わりから現在まで20年以上にわたって、日本政治の一方の主役を張り続けてきた手腕は並の政治家には遠く及ばないものがある。曲がりなりにも寄り合い所帯の民主党を「政権交代」一歩手前のところまで育てあげたのも彼の功績によるところが大きい。

 本人が記者会見で、「挙党態勢の一員として新代表を支え、総選挙必勝のため最前線で戦い続ける」というように、新代表が要請すれば、選挙対策や資金を一手に握る「選挙対策本部長」といったポストに就く可能性は高い。

 だが、民主党は本当にそれでいいのだろうか。ゼネコンから多額の政治献金を受け、資金管理団体が高額の不動産を所有するという小沢氏の政治スタイルは、民主党が否定してきた「古い自民党」となんら変わらない。

 さらに問題なのは、小沢氏が「自発的辞任」に踏み切るまで、多くの議員が退陣を望みながら、公の席では口を閉ざしていたことだ。挙党一致とは聞こえはいいが、「長いものには巻かれよ」では、中央省庁の激しい抵抗が予想される「霞が関改革」など夢のまた夢だ。果たして民主党は、「小沢的なるもの」から脱却できるのだろうか。

 「さらば、小沢一郎」というのはまだまだ早い。

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