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太田農水相は即刻辞任すべき。

「問題ない」では済まない 太田農相
2008年8月27日 =2008/08/27付 西日本新聞朝刊=社説

http://www.nishinippon.co.jp/nnp/item/43783?c=181

 鳴りを潜めていた「政治とカネ」の問題がまた、正念場の臨時国会を控えた福田政権で噴き出した。

 太田誠一農相の政治団体が2005年と06年の2年間、東京都選挙管理委員会に当時の政策秘書で現在は農相秘書官の自宅を事務所として届け、事務所費など計約2300万円を経常経費として計上していたことが判明した。

 農相は閣議後の記者会見で「個人的には問題ないと思う」と述べ、次のように釈明した。

 政治団体の事務所は当初、議員会館にすることも考えたが、会館は資金管理団体以外の事務所を置けないので、次善の策で政策秘書が自宅を届け出た。

 活動の実態がないというが、その政治団体に寄せられた善意の寄付で賄われている活動は、政策秘書がやっている。秘書が議員会館、福岡の地元、自宅で実際に支出した経費を計上している。人件費は手伝ってくださる方々への実費、謝礼で、家賃は支払われていない‐。

 この説明で「なるほど」と納得できる人が、どれだけいるだろうか。具体的な使途や金額、時期などを問われると「確認していない」「覚えていない」などと答えており、何とも釈然としない。

 農相は「問題ないと思うが、それは人の見方だから、指摘をされれば受け止めて検討しなければならない」とも述べている。時期は明言しなかったが、領収書の公開も検討する考えを表明した。

 「潔白」を主張するのであれば、まずは農相自身が、保存している領収書の全面公開を含め、国民が納得する説明責任をきっちり果たすことだ。

 その責任すら全うすることができないようであれば、内閣の重責を担う閣僚としての資質を疑われても仕方あるまい。

 それにしても、「政治とカネ」の問題はなぜ、こうも繰り返されるのか。一連の事務所費問題では、安倍前内閣で佐田玄一郎行政改革担当相が辞任に追い込まれ、松岡利勝農相は渦中に自殺し、後任の赤城徳彦農相は事実上更迭された。

 「もう懲りたはずだ」という私たちの考えが甘いのだろうか。「政界とはそういうものだ」というような政治不信が増幅するのが何よりも怖い。その意味でも、今回の問題はあいまいな幕引きを許してはならない。

 太田農相は消費者の声を「やかましい」と発言して論議を呼び、それでなくても野党が臨時国会で追及する構えを見せていた。民主党など野党は早くも閣僚辞任を要求している。

 内閣改造で反転攻勢に出るつもりだった福田康夫首相にしてみれば、来月12日召集と決めたばかりの臨時国会に向けて出ばなをくじかれた心境だろう。しかし、ここは太田氏を起用した首相の任命責任も厳しく問われる局面である。

 対応を誤れば、政権の致命傷ともなりかねないと覚悟すべきだ。

「農相事務所は実態なし」 隣家の経済学者断言、農相ピンチ
http://news.nifty.com/cs/headline/detail/jcast-25760/1.htm
2008年8月27日(水)12時27分配信 J-CASTニュース

   経済学者でアルファブロガーとしても知られる池田信夫さんが、太田誠一農相の政治団体が事務所と届け出た秘書官の自宅が大家だったと明かしたうえで、事務所の実態がなかったことをブログで暴露した。池田さんは、「国会で証言してもいい」と述べており、農相はますます苦しい立場に追い込まれた。

「家族以外の人が出入りしたのを一度も見たことがない」
「私は隣に7年間住んでいるが、この家で政治活動が行なわれている形跡(ポスターなど)を見たことがない」
   2008年8月26日朝に新聞、テレビ12社から取材攻勢を受けたという池田信夫さんは、こう驚きを表現する。池田さんは、自らのブログの同日付日記で、大家さんが中里浩秘書官であると衝撃の告白をした。中里秘書官の自宅は、池田さんが借りている東京・目黒区自由が丘のテラスハウスの隣にあるというのだ。

   ところが、池田さんは、秘書官の自宅が太田農相の政治団体の事務所であることを知らなかったという。それもそのはず、「そもそも家族以外の人がこの家に出入りしたのを一度も見たことがない」からだ。

   太田農相は、秘書官に家賃を払っていなかったと明かしているが、池田さんは、人の出入りがないのに事務所費が何に使われていたか疑問視する。

「マイカー以外に選挙活動用の車を使っていた形跡はない」
   次に、太田農相が支出したとする事務所の備品・消耗品費だ。しかし、池田さんは、選挙カーのガソリン代について、「大家さんがマイカー以外に選挙活動用の車を使っていた形跡はない」と指摘した。さらに、人件費についても、「秘書報酬以外に出しているとすれば(家族以外に誰もいないので)奥さんを雇用したことになっているのだろうか。しかし彼女はごく普通の専業主婦として、昼間は買い物などをしており、政治活動しているのを見たことはない」と首をひねる。

   池田さんは、大家さんがそもそも太田農相の秘書であることを知らなかったという。「園芸が好きで、よく週末には庭いじりをしており、あいさつしていたから、普通のサラリーマンだと思っていた」。

   それほど、実態のない秘書であったわけだ。そこで、池田さんは、「週末というのは、選挙区回りなどで秘書がいちばん忙しいときだから、これもおかしい。彼の秘書官としての勤務実態があったのかどうかも調べたほうがいいと思う」とも述べている。もっとも、池田さんの印象としては、中里秘書官の自宅は、まさに「幽霊事務所」に間違いないそうだ。

   なお、太田農相は、8月26日の閣議後の記者会見で、経費はすべて実際に支出し、「問題はないと考えている」として、辞任を否定。詳細な使途については、「調べて答えたい」と述べるに留まった。

農相秘書宅、25年前から「主たる事務所」に…説明と食い違い

2008年8月27日(水)14時36分配信 読売新聞
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/yomiuri-20080827-00423/1.htm

 太田農相の政治団体「太田誠一代議士を育てる会」が農相秘書官の自宅を事務所として届け出て事務所費などを計上していた問題で、同会は1983年の設立当初から、中里浩・農相秘書官宅を「主たる事務所」としていたことがわかった。

 同会は2000~02年にも、計約2480万円の経常経費を計上していたことも判明。太田農相は26日の記者会見で、秘書官宅に事務所を置いたことについて「落選中のため」などと説明していたが、大きく食い違いを見せている。

 東京都選挙管理委員会によると、同会の前身となる「太田誠一君を育てる会」は1983年1月に設立を届け出た。主たる事務所は、中里秘書官の渋谷区内にあった自宅に置かれ、00年10月、目黒区にある現在の自宅に移転した。

 その後、会の名称を変えながら、太田農相が03年11月の衆院選で落選すると、事務所も港区六本木の太田誠一事務所に移した。


<農相事務所費>00~02年にも2483万円計上
http://news.nifty.com/cs/domestic/societydetail/mainichi-2008082700m148/1.htm
2008年8月27日(水)2時33分配信 毎日新聞

 太田誠一農相の政治団体「太田誠一代議士を育てる会」が東京都目黒区の政策秘書(現農相秘書官)宅を事務所として届け出ていながら、多額の経常経費を計上していた問題で、新たに00~02年の3年間にも計2483万円を計上していたことが分かった。既に明らかになっている05、06年分と合わせ、5年間の合計は4828万円に上る。

 東京都公報などによると、3年間で計上された2483万円の内訳は▽通信費などの事務所費947万円▽人件費813万円▽備品・消耗品費723万円。太田農相は26日の会見で、秘書宅を事務所とした経費計上について「だいぶ前からその状態だったはず」と述べていた。

 太田農相は03年11月の衆院選で落選し、05年9月の選挙で返り咲いた。03、04年の2年間については、港区のマンションの一室を会の事務所として届け出ている。太田農相は「落選中は議員会館が使えず、東京の活動拠点としてやむなく事務所を借りた」と説明した。

 太田農相は26日夜、「経費の詳細を示すと(会見で)話したが、めどとしては今週中に整理するよう事務所に指示している」とのコメントを出した。

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