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2008年7月に作成された記事

京都市点検委員会 やはり時代錯誤

2008年07月24日
日本共産党 京都市会議員団

http://www.cpgkyoto.jp/topics/docs/20080724.php
同和奨学金の返済肩代わり 総点検委員会が廃止決定
No.264

 第4回「市同和行政終結後の行政の在り方総点検委員会」が23日に開かれ、同和奨学金の返済を市が肩代わりする自立促進援助金制度の廃止を決めました。

 委員会では、新川達郎委員長が、自立促進援助金制度について、同制度をテーマに開かれた8日の研究会の結果から「無審査で一律に支給し続けたことは、住民訴訟における判決が指摘する通り、一定の時期以降は違法だったと言わざるを得ず、市は速やかに違法状態を解消し、市民理解を得られる状況に改める必要がある」と報告。参加した他委員も賛同し、自立促進援助金制度を廃止し貸与者に同和奨学金の返還を求めること、同時に返還免除の制度をつくることを決めました。
 返還を求める収入基準や範囲については結論を出せず、次回の委員会に持ち越しとなりました。

2008年07月23日
第4回総点検委員会開催
http://neo-city.sblo.jp/article/17263123.html

本日、京都市同和行政終結後の行政のあり方総点検委員会の第4回の委員会が開催されました。夏休みなのでしょうか、欠席された委員が数名いて8名の委員で審議されました。いつものように傍聴してきました。市民ウオッチャー・京都からは3名の参加です。
委員会は京都市が長年にわたって行ってきている自立促進援助金制度について、「援助金を無審査で一律に支給し続けてきたことは違法であり、早急に違法状態を解消すべき」との意見で一致しました。私たちがずっと裁判で訴えてきたことを確認したのです。当然と言えば当然ですが、京都市が裁判ではいまだに援助金の支給は適正だったと言っているのですから、委員会での上記の確認は大きな前進です。
委員会は自立促進援助金制度の廃止を打ち出しました。そして、新たに一定の資力基準に基づく同和奨学金の返済免除制度を創設することを検討しています。さらに、この資力基準を超えていても一定の者に対しては、京都市の違法な説明を信頼した受給者を保護するとして、新たに返済免除あるいは債権放棄をしようと検討しています。
委員会が自立促進援助金制度を違法として廃止を打ち出したことは大きな前進です。しかし、委員会が同時に創設しようとする新たな制度は、新たな不公平を生み出す危険性の大きなものであり、同和行政の終結に逆行しかねないものです。自立促進援助金制度の創設というかつての誤ちを再び繰り返すことがないように願うものです。



http://www.city.kyoto.jp/shikai/iinkai/machi/machi.html
京都市同和行政終結後の行政の在り方総点検委員会において改良住宅に関する検討項目に掲げられている課題への考え方について【資料】

「tokei2005-1.pdf」をダウンロード

http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000044492.html
京都市同和行政終結後の行政の在り方総点検委員会

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鳥取県と県教委、鳥取市も全研を後援。

「01.pdf」をダウンロード

「02.pdf」をダウンロード


鳥取市も後援に。

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解同の考えは「考え」。行政は公平な立場で多様な見解を市民に提供を。判断するのは市民。

広報あいしょう 08年8月号P11

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人はみな平等

「ロラ・マシン物語」

写真集が発売されます。

「ASARA_01.pdf」をダウンロード




わっしょい!!憲法9条ミュージカル山梨公演 in 2008 
http://wasshoi-musical.com/blog/?page_id=58

「ロラ」というのは、フィリピン語で「おばあさん」という意味だそうです。

アジア・太平洋戦争によって日本軍の性奴隷制被害にあったフィリピン人女性のことを、「ロラ」と呼ぶことが多く、その「ロラ」に、それぞれのニックネームをつけて呼ぶらしいです。なので、例えば3年前来日したピラール・フリアスさんのことは、ロラ・ピラールと呼んでいました。

1歳で母親を亡くし、13歳のときに日本兵によって目の前で父親の首をはねられ、その後2年もの間日本兵の性奴隷「慰安婦」にされたフィリピンの女性トマサ・サリノグ(愛称ロラ・マシン)の生涯を通して、人間の尊厳とはなにかを問いかける作品です。



「musical.pdf」をダウンロード


差別と戦争をなくすために
2005年5月16日
有馬理恵さん(舞台女優)

http://www.jicl.jp/hitokoto/backnumber/20050516.html

――― 有馬さんが演じる「釈迦内柩唄」(戦時中中国人が日本に強制連行され、秋田県花岡で課せられた重労働に対して蜂起した事件(花岡事件)を背景にしつつ、火葬場の家業を引き継ぐふじ子の思いを描いた物語。水上勉作。)からは火葬場で働く人や朝鮮人などを蔑まれ差別されることの問題点を感じさせられます。有馬さんがこの芝居を演じるようになったいきさつや思いからお話いただけますか。
(有馬さん)
私が高校2年生の時に父から強く勧められこの芝居を観に行ったんです。そうしたら芝居の最初から最後まで涙がとまらなかったんです。そして、私は一週間寝込んでしまったんです。

――― すごいことになったのですね。なぜそんな状態になったのでしょうか。
(有馬さん)

実は、私は昔の未解放部落で育ったんです。そのことが自分の中で一番大きな問題だったんです。私の父はもともとは違うんですが、未解放部落の人に育てられました。私が高校1年生だった時、私の母方の祖母が病気になり、私は母と見舞いに行くことになりました。母は未解放部落の人に育てられた父との結婚を反対され、実家とは縁が切れた状態でした。母は私を連れて10数年ぶりに実家に帰ったのでしたが、私たちは母のお父さん、つまり私の祖父から「玄関までで家には入ってくれるな」と言われました。私はめちゃくちゃ腹が立ちました。未解放部落には親切な人がたくさんいます。私もいろいろな人たちから本当によくしてもらいました。しかし未解放部落の出身という理由で多くの人が就職や結婚で差別されます。肉親からも拒否されるんです。母の実家に行った時のことから、私はこうした差別は絶対におかしいという気持ちがすごく強くなっていました。そんなことを考えている中で「釈迦内柩唄」の芝居を観て、ショックを受けたんだと思います。
――― 大変な経験をされていたんですね。その後有馬さんは役者となり、その「釈迦内柩唄」を演じるようになったわけですが、なぜそうなっていったのでしょうか。
(有馬さん)
その後自分の進路をいろいろ考えることになるんですが、たった一回の芝居で自分が凄まじい衝撃を受ける体験をし、父の影響で役者への興味もあり、その道を進むことにしたんです。芝居を通して未解放部落出身者への差別をなくしていきたいという気持ちもありました。
実は、この判断には母と私を家に入れてくれなかった祖父のことも影響しました。「釈迦内柩唄」を観てしばらくして、私は祖父に手紙を出し、会ってもらうことにしました。祖父に会って、なぜ家に入れてくれなかったのか聞かせてもらうことにしたんです。祖父とは長い時間いろいろな話をしました。私は最初は祖父に反感を持っていましたが、その後すごく仲良くなったんです。いろいろな話をするうちに祖父がすごく変わっていったんです。というか、私は祖父がすごく変わったと思ったんです。私は人間って変わるんだということを実感したんです。そのことと、私が「釈迦内柩唄」を一回観て衝撃を受けたことがダブって、芝居を通して人々に訴えたいという決断になったように思います。

―――有馬さんがご自分をめぐる様々な境遇や経験の中から自分なりの問題意識を探し当て、その人生を切り開いていることに多くの人たちが感銘するのだろうと思います。有馬さんが芝居の傍らに平和の運動をされていることも有馬さんなりの思いからだと思うのですが、どんなことをされているのか、お聞かせください。
(有馬さん)

「釈迦内柩唄」からも日本が中国などに対して戦争を起こした中で中国人などへの差別が生まれたことがわかります。差別が生まれる背後に戦争があるんだと思います。それで戦争の悲惨さを実際に感じてみようと、私は長崎で開催された原水爆禁止世界大会に参加してみました。そのことを「釈迦内柩唄」の原作者である水上勉さんにお話したところ、絶句して「ありがとう」と言ってくださいました。水上さんの晩年のことです。
戦争の問題は決して過去の問題ではなく、現在でも日々イラクなどで戦争状態になっています。私も戦争をやめさせるために何かできないかと考え、イラクに行く予定でした。航空券も買っていたんですが、イラクで人質事件が発生し、人質となった3人を救出するとりくみをすすめました。
未解放部落の問題=同和問題はいまなお深刻な問題として残っています。なんとしても差別をなくしていきたいと思います。同時に、私はなぜそのような問題が生じているのか、社会の大きな流れの中でそれを見極め、その解決をはかる必要があると思います。具体的にどうすればよいのか悩ましく、迷いながらなんですが、そう考えています。
―――差別や戦争の問題に大きく関わることとして憲法のことがあります。最後に憲法についての有馬さんのお考えをお聞かせください。
(有馬さん)
憲法は人々の人権を守るために政府を監視するものと言われます。私は、同時に、その政府を形づくり、世の中をつくっているのが私たち自分自身であるということも憲法には書かれているように思います。私は憲法の9条とともに、13条や14条が大変重要であると思います。そこには人がみな個人として尊重されること、人はみな平等であることが書かれています。それは私自身に対して自分の過ちや行き過ぎを気づかせ、セーブしてくれているように感じるんです。
憲法をもっと多くの人に知ってほしいと思います。それには憲法をわかりやすく伝え、自分のものとして理解していただけるようにする必要があると思います。その点、お国言葉で憲法を読んでみるのもよい方法だと思いました。和歌山出身の私は和歌山弁の憲法を聞いたとき、なるほど素晴らしいと感じました。

―――ありがとうございました。「釈迦内柩唄」は人間の弱さやたくましさを伝えており、そこから多くの人々が差別や戦争のない社会の重要性を感じる芝居だと思います。今後ともがんばってください。

◆有馬理恵(ありま りえ)さんのプロフィール

舞台俳優。劇団「俳優座」劇団員。「肝っ玉おっ母とその子供たち」「ミラノの奇跡」「ステッピング・アウト」など多くの作品に出演しつつ、「釈迦内柩唄」をライフワークとして全国各地で公演、その回数は100回を超える。2003年、文化庁から新進芸術家・国内研修生に選ばれる。日本平和委員会理事。


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鳥取の全国研究集会 解同利用の地域支配から脱却を

第5回地域人権問題全国研究集会のチラシ


「51.pdf」をダウンロード


「52.pdf」をダウンロード

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MOさんのご指摘のとおりです。 若者に不安しか与えない番組 誰のためにNHKは番組を作ったのか 中立公正ではないです。

2008年7月15日 
民主と人権 第50号

6月29日 NHK総合放映
 「ルーツを見つめて」を見て

 憲法のもと、思想・信条・結婚・居住の自由が保障されている。特別法も失効して6年が経過、個人情報保護がうたわれている今日なぜ地区名(日之出)を出す必要があるのか。
 映像のなかで、日之出地区の共同墓地を写しだし、墓地にまで「垣根」があるとナレーション、NHKは部落差別がまだ深刻で根深く残っていると強調したいのか。映像のなかで、名前と職業を明らかにしている3名の青年、25才(介護施設職員)、29才(大学職員)、35才(大学講師)は高校や大学を卒業し安定した職業についている。今、問題になっている「貧困と格差」にはふれない、同和=部落=差別という描き方をしているとしか感じられない。
 NHKは、今日の地域の変化・現状、部落問題解決の到達点を素直に見るべきではないか。差別を言うのなら、大阪における「府同促・地区協」方式(解同「窓口一本化」)のもと、解同と行政によって、「ゆりかごから墓場まで」あらゆる同和施策から排除され、差別されても部落問題解決のため、明るく前向きに生きている多くの人たちの声・姿も放映する責任があると思う。
 今の時代、別に思い切って飛び越えなくても、ルーツにこだわらなくても、普通に生活すればいいと思うけれど。(H・F)

       

 2008年7月2日
NHK    殿

     全国地域人権運動総連合
         議長  丹波正史

「その時歴史が動いた 〜全国水平社・差別との闘い〜」の放映についての再度の申し入れ
 貴職におかれましては、国民の真実を知る権利にこたえる公共放送として日夜ご奮闘のことと存じます。
 さて、5月2日付けの「『その時歴史が動いた〜全国水平社・差別との闘い〜』の放映についての申し入れ」に対して、貴職より5月14日付けでご返答をいただいたところでありますが、私どもの意味していることが十分組み入れられない内容になっていますので、改めて申し入れをいたします。誠意ある対応を要請します。

 なお、前回の申し入れをした項目を再度表示し、その内容をさらに詳しく表示する、という形式で申し入れします。

1、 番組全体は、水平社結成当時を再現させる映像や特定の個人、スタジオゲストの証言や評価を交えて、厳しかった部落差別の一面を強調し、現在もなお引き続いている、という流れに終始している。

 水平社宣言、高松裁判の映像の後、再びスタジオでのトークになります。そこで、松平氏が秋定氏に、「実際の差別についていえば、変わってない面もあるんですね」と問いかけ、秋定氏は「端的な例では、地名総鑑の例がある、それを利用して就職差別、結婚差別をいまだにやっている。・・差別は生きている・・・」と応えています。水平社時代の差別の厳しさをいろいろな角度から示した映像を示した直後に続くトークで、「変わってない」「なお差別は生きている」が柱となるトーク内容では、視聴者の多くは、なお厳しい差別が引き続き今日も戦前と同じように現存する、と理解するのが自然です。それでは、水平社の運動から出発した解放運動の成果と、今日の部落問題解決の到達点を無視することにつながらないでしょうか。
 5月14日の貴社から回答では、「被差別部落に住む人々からの聞き取り、研究者等からの取材」を経たうえでの放送、といわれています。その認識を示された「協力者」の方々は、特定の見解をもつ方に偏重されていませんか、という思いがこの番組を見たとき以上に増幅します。

2、 穢多、非人の呼称を用いながら、江戸時代と明治で問題は大きな変化はなかったかのごとく描いている。そして部落問題の捉え方についてその職業に重きを置き、あたかも部落問題が職業を起源とする差別の問題であるかのごとく理解される説明となっている。また、穢れを忌避する「社会的習慣」が問題の最大の要因であるかのごとく描かれている。

 番組の冒頭部分、穢多、非人について、「江戸時代、社会から特別視された、動物の皮をなめし、・・・、牢屋の番人など特定の職業を生業にしてきた彼らは決められた土地に住まわせられ、穢れたものとして・・・。後の被差別部落民に・・・」などと説明されていきます。しかし、部落住民につながる多くの賤民のなかには、確かに斃牛馬処理の役目をおわされていたとしても日常的にはいわゆる百姓を仕事・生業としていた人々が占める地域も多数存在しており、先の説明は史実を正確にしたものともいえない上に、職業を起源としたように誤解を招きます。
 また、松平氏が「解放令は部落の人々に何をもたらしたのか」と聞き、秋定氏が「法律的、行政的な差別はなくなったが、習慣上、社会では差別が持続していたのでそんなに変化はなかった」と応えています。このゲストの話を前提にして番組を進行させています。そして、番組では、「穢れたもの、血が汚れている」などとの表現も幾度かされます。穢多、非人の説明の場面をはじめ、戦前の女教師の場面も夫からの離縁の理由を「血がけがれるから」、戦後の広島の女性の結婚問題でもそれを阻害したのは「血がにごれるからな」と表現しています。
これら一連の流れを捉えて、部落問題に限ってみれば「穢れを忌避する「社会的習慣」が問題の最大の要因であるかのごとく」描いていると指摘しているのです。
5月14日の貴社から回答では、この指摘にたいして、「どこから引いてこられたのかわからない」といわれていますが、番組全体を通して捉えた場合、そう指摘されて当然の流れになっています。
また、松平氏が「解放令は部落の人々に何をもたらしたのか」と聞き、秋定氏が「法律的、行政的な差別はなくなったが、習慣上、社会では差別が持続していたのでそんなに変化はなかった」と応えていることにかかわってですが、法律上平等とされたことは大きな変化をうみだす背景となります。例えば、後の水平社創立につながるように各地で平等を求める諸運動が展開されるようになります。また、映像でも示されたように、高松裁判の誤りを団結して闘うその根幹ともなっていきます。その高松裁判の場合、差別裁判を取り消せ!さもなくば解放令を取り消せ!というスローガンがありました。
近代部落史資料集成 第二巻(三一書房、編者、原田伴彦、上杉聡)によれば、「賤民制廃止を受け村内に氏神の勧請を歎願」(明治5年一月、兵庫・滝野組森村)、「賤民制廃止により一村独立を豊岡県に歎願」(明治6年10月、養父村)など、解放令をよりどころに平等の取扱いを求める動きがありました。
封建時代から近代社会に移行するなかで、差別は許されないものであるという認識に部落住民を変化させることにつながってくるのです。番組は、その観点がまったく欠落したものに陥っています。

3、番組は、半封建制の残滓であるという部落問題の属性について正確な言及をせず、「差別」全体に無理やり連関させ、近代社会の「能力」による差別などと混同させてしまう内容となっている。それは、国民の「心」、「習慣」などの改変を呼びかけるもので、道徳的教訓にのみに陥る傾向を持っている。

番組は冒頭、「人種、国籍、民族、性別、職業」による差別が今日もあるとしながら、とりあげるのがその範疇にない部落問題となり、全国水平社、西光万吉に焦点が当てられます。そして、松平氏と秋定氏のトークで、「地名総鑑」の話題の後に、秋定氏は「さらに現在の差別はひろがっていて、職業の能力が加わってきます、近代社会は人間をそういうもので判断・・・、水平社宣言の精神はいきています」と続きます。これでは、部落差別の解消を念願した水平社運動の根本が薄められ、「差別」一般論に埋没してしまいます。差別問題にはそれぞれ固有の属性と性格があり、解決のありようも違ってくるものです。しかし番組は、「人間を尊敬する」ということを全面に押し出そうとする意図で、折角水平社運動を素材にしておりながら、その運動の成果さえも示されないものになってしまっています。
「2、」にかかわるところでも指摘しましたが、秋定氏のいう「習慣上、社会では差別が持続していたのでそんなに変化はなかった」という流れと、「差別はひろまっている」、「人間は尊敬されるもの」ということを結びつけて考えるならば、習慣を変えさせ、「人間賛歌」を唱えるなかで差別問題は解決するがごとくに受け止められるのではないでしょうか。そしてそれは問題の原因を権力ではなく、私人間にのみに求める結果になってしまいます。

4、 水平社の運動が、今日の日本国憲法の精神にいかに反映されてきたか、今日の人権確立にどういうかたちで結びついてきたのか、などが明確にされていない。その一方で、「地名総鑑」を現在も広範な被害をもたらしている問題として取り上げ、また50年前に差別を受けたという広島の女性を登場させてあたかも部落問題がいまなお深刻な問題であるかのごとく描き出している。
 
 水平社運動は人権確立に向けた多くの教訓を生み出してきたことは周知の通りです。そして、その取り組みは、「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とする14条や97条の「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」などに反映されてきました。これらへの言及が一切ありません。
5月14日の貴社から回答では、今回の番組の趣旨ではない、といわれます。普遍的な成果さえも示そうとしないからこそ、「あたかも部落問題がいまなお深刻な問題であるかのごとく描き出している」という批判に連動してきます。
「歴史が動いた」とする番組であれば、例えば、部落問題による障壁を乗り越えてきた事例などをとりあげることのほうが、それこそ水平社の精神が生きていることに共感を生み出すものになったのでは、と指摘しておきます。

5、 総じてこの間のNHKの部落問題の取り上げ方は、解決にむけて大きく前進した状況を正しく国民に知らせることを放棄し、問題や課題の背景に部落問題解決に逆行する「解同」の糾弾路線や「解同」言いなりの特別な対策と予算を継続する行政・教育のもたらす「逆差別」にあることも指摘しないなど、公正中立、真実の報道にほど遠い実態にある。かかる姿勢を全面的に見直すことを強く求めるものである。

 NHK大阪は、クローズアップ現代、岐路に立つ同和行政、地域発ルーツを見つめる若者たち・大阪などを放映してきましたが、私どもが取材をうけたこともありますが、映像はなかったり、1分程度であったりでした。新放送ガイドライン(NHK2006年)では、「意見が対立する問題を取り扱う場合には、原則として個々のニュースや番組の中で双方の意見を伝える」「裁判や論争になっている問題については、できるだけ多角的に問題点を明らかにするとともに、それぞれの立場を公平・公正に扱う」とあります。貴殿等と部落問題に対する見解を異にする研究者や運動団体の立場を公平・公正に扱っていないので、抗議の申し入れを行っているものです。話し合いは論点がかみ合わないから文書のやりとりを行いたい、というのは、非常に無責任な態度です。
 これらの番組は、関係住民にとりわけ若い世代に、国民を差別者と被差別者に対立して描くなどして差別への不安を煽るなど、まったく弊害でしかありません。

以上、改めて、この指摘したことにかかわって懇談をすることも含め、誠意ある対応を申し入れます。

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国の減免基準に合致する人をのぞき、全員に同和奨学金の返済を請求すること

Kyoto Shimbun 2008年6月5日(木)
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2008060500144&genre=A2&area=K00
同和行政終結後の在り方を総点検
京都市の専門委
 

自立促進援助金制度について協議した京都市の専門委員会(京都市中京区)
 京都市の同和行政終結後の行政の在り方総点検委員会の専門委員会が5日、市内で開かれ、自立促進援助金制度について廃止を含め見直した場合、受給者に奨学金返還を請求することが可能とする判断で一致し、6月下旬の総点検委に報告することを決めた。

 自立促進援助金は、旧同和地区の就学率を高めるため高校生や大学生を対象に国が設けた奨学金制度が給付から貸与に変わったのに伴い、1984年から市が独自に設けた制度で、返済額を全額補助する。2007年に援助金の一部を違法とする高裁判決が確定するなど制度の存続をめぐり議論になっている。

 専門委は制度を見直した場合、法的な課題整理などを協議していくため設置された研究会で、この日初めて開かれた。

 制度を廃止した場合、市は同和奨学金貸与者に返還を求めることになるが、援助金の受給者は、市からの給付と変わらず、返済が必要ないと説明されている。専門委は「受給者の立場を考慮すべき」としたが、「市と受給者は債権者と債務者の関係にあり、法的に返済を求めることは可能」と結論づけた。

 専門委では、貸与なのに実質給付としてきた市の姿勢を問う声も強く、総点検委では今後、過去の経過をどう整理するかが焦点になる。 


行政救済が帰着点か
Posted by: 寺園敦史 2008年7月14日 19:28 取材メモ

委員会の議論の行方が、怪しくなってきました。ひと言で言えば、これまでのその場しのぎの無責任行政を「救済」する方向に舵を切ったという感じですかね。

http://muhajirin.com/almarid/2008/07/post-11.html#extended



京都市同和行政終結後の行政の在り方総点検委員会
[2008年7月11日]
http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000043729.html

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大阪・四条畷市人権課長を懲戒免職

市人権政策推進課長を懲戒免職処分に 5月27日

08715







ハレンチ課長 勤務中にデート 大阪・四条畷市
2008.5.16 13:23
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080516/crm0805161326016-n1.htm

 大阪府四條畷市の課長級職員が半年以上にわたり、勤務中に無断で職場を抜け出す「中抜け」を繰り返していたことが16日、分かった。この職員はアルバイト職員の日当を水増し請求するなどして裏金を捻出していたことも判明。市も調査を進めており、近く、処分へ向けて本人に事情を聴く方針。

 関係者によると、この職員は総務部の50代の課長級職員。昨年夏ごろから、交際している臨時職員の女性と職場を中抜けしてはドライブやホテルに行っていた。今年2月下旬には、女性には資格がないにもかかわらず1泊の出張に同行させていたことも判明しており、女性は3月末に退職している。

 また、アルバイト職員への日当7500円を、1万2000円に水増しして請求。さらに講演会を開催したように装い、講師への謝礼などの名目で領収書を偽造して市に費用を請求していたという。

 市は匿名の通報を受けて調査。中抜けの実態とあわせ、こうした裏金の総額や使途などについて本人に説明を求める。

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しなやかな人権

人権教育教材ビデオ
http://www.manabi.pref.aichi.jp/general/10028245/0/index.html
君の勇気を待っている

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◆  見ないフリをした“いじめ”
◆  いじめた事がありますか?
◆  みんな違ってみんないい
◆  わたしと小鳥とすずと

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問うな・語るな 滋賀

http://tottoriloop.blog35.fc2.com/blog-entry-217.html

部落解放同盟滋賀県連大会の決議

6月30日解放新聞滋賀版

東近江市の差別行政を糾弾し部落解放・人権政策確立社会の実現に向けて全力で闘う決議

・・・『本人に差別する意図がないから差別ではない』ということがまかり通るようなことがあれば興信所が身元調査する事も、不動産業者が同和地区かどうかを問い合わせることもすべて差別事件ではなくなってしまう。市民や町民が市役所や役場に同和地区がどこか教えてほしいという問い合わせが急増していく。インターネット上で県内をはじめ全国の部落の地名が無差別に流され続けられる。・・・

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