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NHKは何を企んでるのか

「その時歴史が動いた 〜全国水平社・差別との闘い〜」の放映についての申し入れ

        全国地域人権運動総連合
                     議長 丹波正史
 

全国地域人権運動総連合は、全身の全国部落解放運動連合会の時代を通じ、国民融合にもとづき部落問解決を果たしていく運動を各地で展開してきた。同時に特権的同和行政や確認・糾弾路線のもと国民と部落住民の分断をはかる「解同」や権力に対して厳しく批判を行ってきた。
また、一昨年以来露になった関西方面での「解同」と行政の構造的癒着問題でも、公正・中立に背向くその報道のあり方にかかわり貴社に対しても幾度か抗議と申し入れを行ってきた経緯がある。
今回、08年4月16日に放映された「その時歴史は動いた〜全国水平社・差別との闘い〜」の放送についても、その資料協力者とゲストの配置、そしてなぜ今この時期の放送なのかなどについて多くの疑問を持たざるを得ない。これら番組編集の課題とあわせ、放送された内容について、以下の問題点を指摘する。

1、 番組全体は、水平社結成当時を再現させる映像や特定の個人、スタジオゲストの証言や評価を交えて、厳しかった部落差別の一面を強調し、現在もなお引き続いている、という流れに終始している。
2、 穢多、非人の呼称を用いながら、江戸時代と明治で問題は大きな変化はなかったごとく描いている。そして部落問題の捉え方についてその職業に重きを置き、あたかも部落問題が職業を起源とする差別の問題であるかのごとく理解される説明となっている。また、穢れを忌避する「社会的習慣」が問題の最大の要因であるかのごとく描かれている。
3、 番組は、半封建制の残滓であるという部落問題の属性について正確な言及をせず、「差別」全体に無理やり連関させ、近代社会の「能力」による差別などと混同させる内容となっている。それは、国民の「心」、「習慣」などの改変を呼びかけるもので、道徳的教訓のみに陥る傾向を持っている。
4、 水平社の運動が、今日の日本国憲法の精神にいかに反映されてきたか、今日の人権確立にどういうかたちで結びついてきたのか、などが明確にされていない。その一方で、「地名総鑑」を現在も広範な被害をもたらしている問題として取り上げ、また50年前に差別を受けたという広島の女性を登場させてあたかも部落問題がいまなお深刻な問題であるかのごとく描き出している。
5、 総じてこの間のNHKの部落問題の取り上げ方は、解決にむけて大きく前進した状況を正しく国民に知らせることを放棄し、問題や課題の背景に部落問題解決に逆行する「解同」の糾弾路線や特別な対策と予算を継続する行政・教育のもたらす「逆差別」があることも指摘しないなど、公正中立、真実の報道にほど遠い実態にある。かかる姿勢を全面的に見直すことを強く求めるものである。

以上の点について、責任ある担当者との話し合いを行うことを申し入れる。

(資料)

第322回
人間は尊敬すべきものだ
〜全国水平社・差別との闘い〜 
  http://www.nhk.or.jp/sonotoki/2008_04.html#03

放送日
本放送 平成20年4月16日 (水)
22:00〜22:43 総合 全国
再放送 平成20年4月21日(月)
17:15〜17:58 BS2 全国
平成20年4月22日(火)
3:30〜4:13 総合 全国(近畿除く)
平成20年4月22日(火)
16:05〜16:48 総合 全国(広島除く)
平成20年4月26日(土)
10:05〜10:48 総合 近畿ブロック(和歌山除く) 
※再放送の予定は変更されることがあります。当日の新聞などでご確認ください。

出演者
スタジオゲスト  秋定嘉和(あきさだ・よしかず)さん(大阪人権博物館館長)
主要著書『近代日本人権の歴史』(明石書房)『近代と被差別部落』(解放出版社)
『近代日本の水平運動と融和運動』(解放出版社)ほか
キャスター 松平定知

番組概要
その時: 1922(大正11)年3月3日 午後1時
出来事: 全国水平社創立大会が開かれる
この大会で日本最初の人権宣言とされる水平社宣言が発表された

「人の世に熱あれ、人間に光あれ」で知られ、日本最初の人権宣言とされる水平社宣言は、1922年京都・岡崎公会堂で開かれた全国水平社創立大会で読み上げられた。水平社宣言の起草者は、当時27歳で奈良県の被差別部落出身の西光万吉。西光は、差別から逃げ続ける青年時代を送っていたが、1918年シベリア出兵をきっかけとする米価高騰で極限まで追い詰められた部落の人びとが米騒動に参加、その後厳しく断罪されたことに衝撃を受け、部落差別撤廃に起ち上がることを決意する。
一方米騒動には政府も危機感を覚え、部落内外の融和を図る運動に力を入れるようになる。しかしその多くは部落の人々に生活態度の改善を求め、一般の人々の同情に頼ろうというものだった。これに対し、西光は被差別部落民の団結により差別撤廃を進めようと訴え、「人間は互いに尊敬すべきものである」という理念を掲げる。真の自由・平等とは何かを問いつめ、到達した普遍的な人権思想だった。そしてついに全国水平社の創立へと至る。こうして生まれた部落民自身による解放運動は、瞬く間に全国へと広がり、各地で部落差別撤廃に向けた活発な活動を行っていく。
その後、太平洋戦争下で活動の中断を余儀なくされた水平社運動は、戦後、部落解放運動に引き継がれるとともに、水平社宣言の精神は、幅広く人権問題に取り組む出発点となっている。番組では、日本における人権擁護運動の原点となった全国水平社結成のときを見つめる。
番組の内容について
水平社宣言
1922年3月3日全国水平社創立大会で発表、採択され、日本最初の人権宣言とされる。「全国水平社創立宣言」とも呼ばれる。番組で使用している筆文字の宣言は、創立大会で配布されたとされる宣言の文字を起こして作成、旧字体使用などもそれに準じている。
西光万吉
1895年奈良県生まれ、1970年没。本名は清原一隆。被差別部落にあった西光寺の跡取り息子として、村人に可愛がられて育つが、進学後は差別により、2度の学業放棄を経験、上京して絵の勉強をする。しかし東京でも差別に苦しみ、以後故郷と東京を行き来していたころに米騒動を体験した。

水平社創立大会
1922年3月3日午後一時、全国水平社創立大会開会。大会では、開会の辞、経過報告の後、全国水平社の綱領と宣言、決議が採択された。

不適切とされる表現について
番組では、歴史用語としての「穢多(えた)」や「非人」という言葉を使用しているほか、明治大正期の差別を表現するために「エタ」などの言葉を使っている。とりわけ水平社宣言には、「全国に散在する吾が特殊部落民よ団結せよ」「吾々がエタである事を誇り得る時が来たのだ」の文章があり、差別と正面から闘う姿勢を示そうとした歴史的な言葉として、そのまま伝えることが宣言の意義を伝えるために重要と考えた。

スタジオ右下のマスコットデザイン
「差別との闘い 全国水平社」の文字の下に敷いているデザインは「荊冠旗」からあしらった。荊冠旗は、全国水平社の社旗であり、西光万吉のデザイン。

えた
中世・近世における賤民身分の称。江戸時代には皮革業、警察的な役務などに従事。農村部では農業に従事しながら雑業を行うのが一般。特権として、斃牛馬処理権を持っていた。

非人
中世・近世における賤民身分の称。江戸時代には警察的な役務を課せられていたほか、芸能の仕事に携わる者も多かった。

当時52万人あまりとされた部落民
『明治初期各府藩県人員表』などを基にした。ちなみに日本の総人口は1872年で3480万人。

当時の部落差別の実状について
当時の人々の差別意識や部落の実状についての描写は、1915年刊行で奈良県が県下の村の詳細な調査を行った資料『奈良県風俗誌』などによった。

東京時代の西光の独白について
1968年12月12日NHK教育テレビ放送「 教養特集 部落 第2回 〜100年の歩み〜」より要約して引用。

米騒動での処分者について
検察まで回された検挙者8185人のうち部落民は887人。全人口の2%以下の部落民が検察による処分者の10%以上を占めている。とりわけ京都、三重、和歌山、岡山では被検挙者の3〜4割以上。死刑宣告された2名もいずれも和歌山県の部落民だった。(『米騒動の研究』(井上清、渡部徹編)より)

官邸の意見について
雑誌『大観』1巻6号に載録された貴族院議員で帝国公道会会長・大木遠吉の話より、要約して引用。帝国公道会は、部落への社会の同情をよびかける政府側の運動の中心で米騒動後、政府・内務省の意向を受けて部落への働きかけを行った。

西光たちに運動の道筋を示した論文
雑誌『解放』1921年7月発行に載録された当時早稲田大学教授の佐野学による「特殊部落民解放論」。部落民自らが不当な差別の撤廃を要求し、その後労働者と連帯すべきと論じ、感激した西光たちは東京に佐野を訪ねている。この後、佐野も2度にわたって奈良の西光たちを訪ねている。

西光たちが各地に送ったパンフ
『よき日の為めに』1921年12月初刷、この後数次にわたって増刷される。パンフレットは、創立メンバーの一人・阪本清一郎の父親が関わっていた部落改善運動団体「大和同志会」の機関誌「明治之光」の読者名簿を利用して、各地に送付された。東京で労働運動に関わっていた福島県出身の平野小剣なども、このパンフレットを受けとって、西光たちに合流したと考えられる。

水平社の名前に込めた意味
1982年NHKの取材の取材に対し、西光の友人で水平社創立メンバーだった阪本清一郎氏がインタビューに答えている。その中で、「水平社」の名前に、「自然によって作られた平等の尺度」という意味を込めたと語っている。

西光たちが訪問したジャーナリストについて
大阪時事新報の社会部長・難波英夫氏。西光達の訪問の後、全国水平社創立に協力、戦後に至るまで部落解放運動に関わり続けた。西光とのやりとりは、「西光万吉座談会」(阪本清一郎、木村京太郎、難波英夫、北川鉄夫)「一社会運動家の回想」(難波英夫)などを基に再現。

水平社宣言「人の世に熱あれ人間に光あれ」読み方について
番組では「人間」を「にんげん」と読んだが、「じんかん」と紹介されている場合もある。水平社創立大会のときに配布されたとされる宣言文にはルビがついていないが、大会の翌月関東水平社出版部により発行されたパンフレットで「にんげん」とルビをふったのが初出。部落解放運動のなかでは、一般的に「にんげん」と読まれてきた経緯もあり、番組でも「にんげん」の読みを採用した。

高松差別裁判事件について
部落民であると告げずに結婚しようとしたことを誘拐罪に問おうとした裁判に対し、全国水平社が闘いをおこした。1933年5月高松地方裁判所で開かれた初公判で、検事は「特殊部落民でありながら自己の身分を秘し」と数回にわたって、差別語である「特殊部落」の言葉を繰り返し、地裁は懲役刑を下した。全国水平社は判決取り消しを求めて抗議行動を組織。この結果、被告は刑期を残して仮釈放、担当検事は左遷された。

「部落地名総鑑」について
1975年11月「部落地名総鑑」の販売が発覚、現在までに10種類の存在が判明している。作成者は興信所関係者で購入者の大半は企業、採用にあたり部落出身者を調べるためだったが、なかには個人の購入者もあり、結婚にあたって使用する目的だった。番組内で紹介したものは一昨年、大阪市内の興信所で見付かったもの。

番組で使用した資料
「ドキュメンタリー 証言・水平社運動」(1981年3月3日NHK教育テレビ放送)より、松本吉之助さん、田中松月さん、米田富さんの証言を使用。
「シリーズ人権 第3回人の世に熱あれ人間に光あれ(1)〜水平社運動70年〜」(1992年3月25日NHK教育テレビ放送)より、西浦忠内さんの証言を使用。
皮なめしの絵『洛中洛外図屏風』 九州国立博物館
『太政官布告』『岩崎村触書』 水平社博物館 
主な参考文献
『西光万吉集』(解放出版社)
『西光万吉著作集』(濤書房)
『証言 全国水平社』(福田雅子 日本放送協会出版協会)
『近代と被差別部落』(秋定嘉和 解放出版社)
『日本庶民生活史料集成』第14巻、25巻(三一書房)
『部落の歴史と解放運動 現代編』(馬原鉄男 部落問題研究所)
『西光万吉』(師岡佑行 清水書院)
『米騒動の研究』(井上清・渡部徹編 有斐閣)
『写真記録 全国水平社』(部落解放同盟中央本部編 解放出版社)
『図説 水平社運動』(「(仮称)水平社歴史館」建設推進委員会編 解放出版社)
『至高の人 西光万吉』(宮橋國臣 人文書院)
『水平社の源流』(解放出版社)
『水平社の原像』(朝治武 解放出版社)
『全国水平社を支えた人びと』(水平社博物館編 解放出版社)
『部落の歴史 近代編』(秋定嘉和 解放出版社)
『三浦参玄洞論説集』(浅尾篤哉編 解放出版社)
『人権ブックレット 米騒動 水平社への道のり』(部落解放研究所)
※絶版となったものもあります。出版社などにご確認下さい。 
                                    

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