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結局議論を進めていることの実績にされるのか?

資料編・自民党人権問題調査会での主なやりとり (一部)
2008/03/01

http://abirur.iza.ne.jp/blog

西田昌司:法務省は説明をされたが、われわれ一般国民が感じているのとずいぶんかけ離れたものだ。2月17日に京都市長選があった。951票差で辛くも自民党が推薦する候補者が勝ったが、この争点は一体なんだったのか。まさに同和問題だ。同和問題の解消が問題になったのではなく、同和問題は実は逆差別的な、優遇的なことになっているんじゃないかという市民的感情が非常に強く、共産党の候補に951票まで迫られた。20年前にも京都市長選があった。このときは321票差。このときも勝ったが、これもそのときのテーマは同和問題。同和行政をもっとせい、というのではない。解消して、それが今現在も、終わっているのに、まだなおそれが残っているじゃないかというのが市民的感情であるわけなんです。そのことをしっかり認識していただかないと、人権という言葉を振りかざして、逆に、逆差別状態を助長させてしまう。

 具体的な人権救済制度の現状と(の資料が)あるが、見てますと、家庭内、施設内、ストーカーとか、要するに個人個人の人の付き合い方の問題だ。その根源となるのは、まさに家庭をはじめとする道徳意識、規範意識の低下が一番大きな問題であって、法律がないからこういう問題が出てきたんじゃない。また法律で救済できるものではない。そもそも道徳によって、道徳教育によって救済しなければならない。今回、教育指導要領も改訂になってきて、道徳教育を充実させるという話が出ている。まさに、われわれはそちらの方に主軸を置いてやっていかなければならない。

この「人権」というも、何なのかということはまったく答えられていない。その中で強制権のあるこういう法律をつくることは、まさに国民の意識と乖離したものであるばかりではなく、逆におかしな国民の対立をつくってくるし、結局はモラルの低下を助長させることになってしまうのではないか。

平沢勝栄:数年前に私が法務部会長をしていたときに議論したが、あのときやっていたような同じ議論がまたされている。あのときは、とてもじゃないけど、これは一本にまとまらないというか、反対が強くて、とてもじゃないけども出すことはできないという話で一旦お蔵入りした話だ。ところがなぜこの時点で、確かに一部修正してきていますけども、これがもう一回でていたのか。その間に、現場でこれを必要とするような情勢が出てきたのか。それがよく分からない。数年前に一旦結論を出たものが、なぜまたここで、ここでみんな忙しい、ギョーザ問題とかいっぱいあるときに、こういう問題を一生懸命やっているのかがよく分からないので、なぜこういうことをやろうとしているのか。

萩生田光一:頭からこの法律は要らないとは言ってない。現行制度で救済できない深刻な人権侵害はどんなものがあって、その人たちを救済するために法律が必要か否かを、議論しなければならないのだから、どういうことが大切なのかと聞いたら、今日、資料が出てきた。それぞれ確かに人権侵害がある事例なんだろうだが、現行制度でなぜ救済できないのか、という点が突然飛んでしまってよく分からない。例えば福祉施設の入居者に対して、虐待が起こるとすれば、これは措置をした地方自治体が責任を持って調査するだろうし、刑事罰に値するなら告発もされるだろう。また、障害を理由に入学を拒否する学校があるとすれば、これは教育委員会や文部科学省が指導せざるを得ない内容で、泣き寝入りしている実態があるのか、教えてもらいたい。

早川忠孝:人権侵害ということで看過できないのは、昨年の富山県のえん罪事件。刑務所から出てきてから無罪であることが判明した。これに対して人権擁護局はどういうことをしたのか。どういう機能がないために対処できないのか。鹿児島県の志布志事件についてもその通りで、それをえん罪だと言わないと法務大臣が言ったために、それが当事者にとっては大変な人権侵害だという認識が広がっていたことを考えれば、これに対して人権擁護局はどういう対処をしたのか。もともと白紙だと言いながら、すでに廃案した人権擁護法案を前提に議論するから分からない。

法務省:差別的取扱という問題がある。先ほど学校による入学拒否という話がありましたが、具体的事案においては学校側の事情を考慮しないということはありません。ただ、拒否されたからそれで違法になるということはございませんので、学校側の意見も十分に聞き、そして障害者の方の意見、話も経過も聞いた上で、十分に考慮したうえで、どういう解決があるのかというのを、現在の私どもの機関でいえばソフトな手法でそれを考えていく。しかし、最終的にあっせんなどがうまくいかなかったときには、結論は出さざるを得ないだろうと、そういった形でやっておるところです。

差別的取扱につきましては、個別法に基づく行政的救済は基本的にはありません。裁判で決着をつけるか、人権擁護機関がやるか、ということになる。差別的取扱というのは基本的に刑事罰にはなりません。例えば、入学拒否された場合、入学拒否された人が裁判で訴えることになる。しかし、入学は4月に入学ができないという状態で、結局、他の学校に行くかどうかを考えなきゃならないということになりますから、裁判では仮処分をかける、かけないというレベルになるわけですが、人権擁護機関では迅速にその点について一応対応することができる。しかし、現行の法務省の人権擁護機関はまったくの任意調査、そして任意の形でやっている。

また、高齢者虐待の問題については、現実に昨年千葉で起こった事例などを見ても、結局さっさとその施設をたたんで、就業者をどこかにつれていって分からなくなったという事例がある。千葉県などは、それをどういうふうに法律を適用して対応するか苦慮している。私どもの方では、具体的な加害をした個人、職員、あるいはそれを監督する理事長と折衝して、被害救済を図る方向で、いろいろ指導したということですが、そこについても、一定の判断自体についても、公正さが担保された機関が必要であろうということです。そういった機関は現在の個別法ではございませんし、これらの被害者は裁判所にそれを民事的に訴えるのは困難であろう。

下村:今は、人権擁護局長の答弁だったらまだいいが、これが国会で総理の答弁だったらこれは認められないと思う。最初の学校による障害者等に対する入学拒否について、だからこそ、こういう人権擁護法案をつくる必要があると言ってましたが、果たしてそういう切り口で、こういう問題を処理していいのかとどうかという問題はそもそも論としてある。確かに一般論から言えば、学校側が入学を拒否するのはけしからん話だが、しかし、もっと事情を聞くなかで、果たして障害者の人たちを受け入れるような施設整備なり、あるいは人的な配置なり、教育的な環境なり、ほかの部分におけるいろんな事情があるかもしれない。それについては本来は人権擁護法案で解決するのではなくて、教育委員会なり、そっちの方で解決しなくちゃいけないことかもしれない。
 ですから、人権擁護局長の答弁だったら分かるけど、政治家の答弁だったら、こんなこと言ったら、「馬鹿野郎」っていう世界ですよ。果たしてすべてをこういう人権擁護という法律で全部押さえてしまっていいのかという問題について、これは立法では政治家が判断しないといけないことだ。

古屋圭司:人権侵害に対する擁護は絶対なされないといけないというのはみんな論を待たない。現実にこの法案が、そうではない、新たに危険な方向に行ってしまう可能性が高い。前も指摘したように、人権擁護推進審議会の答申から乖離しているんですよ。答申は非常に抑制的に書いている。基本的に簡易な方法にしなさい、現行法をいろいろ活用しなさい。どうしてもダメな場合は積極的救済。でも、それでも定義を明確化するとか、強制権は付けないとか、そういうふうにしなさいというのが答申の全体の流れ。にもかかわらず、この法案が出てきてしまっていることはそもそもおかしい。どんな人権侵害が行われて、救済されないのは何なのか。現行制度ではだめなのか。そういうことをしっかり議論していきましょうよ。やっぱり、この法案は廃案になったんだし、この法案を議論することはここでストップするべきだと思う。

太田:ありがとうございました。さまざまなご指摘は共感できる部分も多々あります。いずれにせよ、最初の法案でお諮りをするという気はありません、それでやろうという気はありません。ぜひ、こういうものならば必要だというふうな、人権救済の法律をここでつくり、そして法務省の方もそれを受けてやっていただくということでお願いしたいと思う。また有識者の話を改めてお聞きをしたいので、ご協力をお願いいたします。(了)

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