テロ特措法が焦点か。貧困・人権等閑政権。
ハンセン病:高齢化…「残り時間少ない」 草津の「重監房」復元求める生き証人
国立ハンセン病療養所「栗生(くりう)楽泉(らくせん)園」(群馬県草津町)にあった入所者の監禁施設「重監房」の復元検討会が来年度、厚生労働省に設置される。同園に暮らし、施設を訪れた経験のある、数少ない生き証人の鈴木幸次さん(83)は「人殺しの事実があった。負の遺産を後世に伝えたい」と復元を心待ちにしている。
「人間が生きられる場所じゃなかった」。20歳の時、鈴木さんは担当者の代理で数カ月、重監房に食事を運んだ。60年以上たった今も当時の光景は忘れられない。
食事は朝夕の2食のみ。木箱に入った1人分は、麦に大根や白菜の切れ端を混ぜた主食に、たくあん2切れか、梅干し一つだけ。6人分をおけに入れ、給食棟から園の外れの重監房まで数分歩いた。
外壁をコンクリートで固められた重監房には4畳半の房が八つ。電灯はなく中は暗かった。分厚い鉄扉を鍵で4、5回開けて房に着くと、壁の低い位置にある細長い小窓から、木箱と1杯の茶を差し入れる。小窓からは便所の悪臭が鼻を突く。6人の名前は最後まで知らなかった。一度だけ、格子窓の光に照らされた骨と皮の体、伸びた髪からのぞく鋭い眼光を見た。「幽霊だ」。思わず逃げ出した。
満足な食事もなく、氷点下20度の冬も掛け布団1枚の環境で、22人もが死亡したのを知ったのは閉鎖後だった。
同園には今、重監房の基礎部分だけが残る。全国の入所者の平均年齢は80歳を超えた。鈴木さんは「我々に残された時間は少ない。国は早期に復元を実現してほしい」と訴える。【伊澤拓也】
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■ことば
◇重監房
1938年、全国13カ所の国立ハンセン病療養所で、規律違反を犯したとされる入所者の監禁施設として、栗生楽泉園に設置。国は「特別病室」と呼んだ。閉鎖される47年まで10年間に少なくとも92人が収監され、22人が死亡した。職員の指示に従わなかっただけで収監された人もおり、懲罰房の側面があった。戦後、実態が分かってハンセン病隔離政策の象徴となり、02年に復元運動が開始。復元を求める約10万7000人分の署名が04年、厚生労働省に提出された。
毎日新聞 2007年9月9日 東京朝刊
国賠ネットワーク
Support Network for State Redress Lawsuits
http://www.jca.apc.org/kokubai/index.html
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