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自分は部落民ではないと思う事が、すでに相手を差別していることだ

「日本一の無責任男」植木等さんが死去(読売新聞)

http://newsflash.nifty.com/news/tk/tk__yomiuri_20070327it12.htm

 映画「ニッポン無責任時代」や「スーダラ節」の歌などで、日本中に笑いを振りまいたクレージーキャッツのメンバーで、俳優の植木等(うえき・ひとし)さんが27日午前10時41分、東京都内の病院で呼吸不全のため亡くなった。80歳だった。

 告別式は故人の意向により、近親者のみで行う。連絡先は渋谷区神宮前4の2の12のワタナベエンターテインメント。

 三重県にある浄土真宗の寺の三男に生まれ、11歳で上京。東洋大学卒業後、いくつかのバンドを経て、ハナ肇さん率いるクレージーキャッツに参加。ハナさんや谷啓さんらとともに主要メンバーとして、斬新な音楽コントを演じ、注目された。

[読売新聞社:2007年03月27日 20時56分]

お寺の和尚 「植木 徹誠」
 

植木 徹之助、後の徹誠(てつじょう)という人は、皆さん良くご存知の植木 等の父親で、回船業・ 材木商の家に生まれましたが、結婚後、僧侶になった人です。

 徹誠 は、妻の実家の西光寺に身を寄せていた時、部落差別の現実を目撃して、これがキッカケとなって部落問題に取り組むようになりました。

 世の中の戦争熱が高まっている頃、招集令状を持って壇家の人が、徹誠に挨拶にやって来た時、「戦争というものは集団殺人だ。卑怯といわれても生き帰って来い。そして、なるべく相手も殺すな。」といって送り出したそうです。
 これは、徹誠 の「人間平等」、ひいては深い人権意識がしのばれるエピソードではないでしょうか。


 また、徹誠 は、「自分は部落民ではないと思う事が、すでに相手を差別していることだ」という信念を持ち、差別に対して即座に反応する感受性の強い人でした。

 徹誠の思想は、一貫して「絶対的平等が人間社会の根本である」ということであり、息子に「等」と名づける程「人間平等」を中心に置いていました。

 

参考図書:「夢を食いつづけた男」(植木 等著)
「父・徹誠を語る」(部落解放227号)

 わたし、新井は、故住井すえさんが学習会に招いた時、牛久で植木等さんにさんであうことができました。

夢を食いつづけた男―おやじ徹誠一代記 (文庫)
植木 等 (著)

文庫: 265ページ
出版社: 朝日新聞社 (1987/02)
ISBN-10: 402260431X
ISBN-13: 978-4022604316
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