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伴奏を命じることが一定の歴史観、世界観の告白の強要になるかどうか

君が代伴奏拒否判決 内心の自由に踏み込むな
2007/03/01(木) 本紙朝刊 総合2面 A版 2頁
http://www.ibaraki-np.co.jp/main/ronsetu.htm

 これが判例になると、憲法の保障する「思想、良心の自由」が軽視されはしないか。君が代伴奏拒否訴訟で最高裁が言い渡した合憲判決には疑念を抱かざるを得ない。
 東京都日野市の小学校で行われた入学式で君が代斉唱のピアノ伴奏をしなかったことを理由に戒告処分を受けたのを不服として、音楽教諭が東京都教育委員会に処分の取り消しを求めた訴訟の判決で、最高裁は「伴奏命令と処分は、思想・良心の自由を定めた憲法一九条などに違反しない」とする判断を示した。判決理由は「入学式では音楽教諭の伴奏は通常想定され、特定の思想の告白を強制するなどしたものではない」と述べている。
 個人の内心の自由は最も尊重されなければならない基本的な権利だ。校長らが安易にそこへ踏み込み、職務命令に従わない場合には処分まで行うようなことは極力避けなければならない。
 今回の判決は君が代をめぐる職務命令について最高裁が示した初判断だ。今回のケースでは、音楽教諭が校長から伴奏を命じられたのにピアノの前に座ったまま演奏をせず、代わりに学校側が準備した録音テープが流され、斉唱が行われた。都教委は「職務命令に従わなかったのは地方公務員法違反に当たる」として教諭を懲戒処分にした。
 判決は五人の裁判官のうち四人の多数意見によっている。判決理由は校長の伴奏命令について「君が代は過去の日本のアジア侵略と結び付いているとする原告の歴史観、世界観を否定するものではない」と述べたが、教諭ら地方公務員は「全体の奉仕者として公共の利益のために勤務するとされており、校長の命令は目的と内容が不合理とはいえない」としている。
 多数意見の柱となっているのは伴奏をするかどうかが思想・良心の自由を理由として個人的裁量に委ねられるのでは「学校教育の均質性、学校の秩序を維持する上で深刻な問題を引き起こす」とする考え方。入学式という公的秩序を優先させる立場だと言っていい。
 しかし果たして、それが妥当な結論なのだろうか。反対した藤田宙靖判事は「真の問題は、伴奏を命じることが一定の歴史観、世界観の告白の強要になるかどうかにあるのではない」と異論を唱え、「教諭にとってピアノ伴奏が信条に照らして極めて苦痛なことであり、それにもかかわらず、強制することが許されるかどうか」という点こそが問題なのだと核心を突く意見を述べている。
 もっともな指摘ではないか。実際に入学式では録音テープによって斉唱は滞りなく済んでいる。
 ポイントは、代替手段があるにもかかわらず、職務命令で強制したことの是非だ。最高裁はもう少し、きめ細かな判断を示すべきではなかったか。規律優先、管理優先の発想ばかりでは教諭らの反発を招くのは必至であり、現場の混乱は収めようがないだろう。

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