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弓矢裁判とはなんだったのか

(資料)
弓矢人権裁判闘争の終結にあたって

支援する会事務局長 前島格也
 2006年10月31日、上告申立を受理しないという最高裁決定により、3月に出された名古屋高裁判決が確定しました。
 私たち「支援する会」は、これまで7年間、全国の皆様に支えられて、本当に多くのことを学び、教えていただきました。このたたかいの経験と教訓を生かして、今後の運動を展開していかなければならないと考えています。
 今回確定した高裁判決の積極面は、公務員が確認・糾弾会に出席することは、公務の範囲を逸脱すると、明快に断じたことにあります。
 未だに確認・糾弾会を「差別の現実に学ぶ学習の場」と考えて対応している三重県教育委員会の見解は、即刻正さなければなりません。
 弓矢人権裁判は終わりましたが、三重県の偏向教育を正すたたかいはこれからが本番です。これまでのご支援の輪を力に、自策自励、一歩一歩とたたかいを前進させてまいりたいと思います。ともにがんばりましょう。ありがとうございました。


お礼のご挨拶
       弓矢伸一
 ご支援をいただいた全国の皆様、そして県内各地の皆様、ほんとうに長い間ご支援、ご指導をいただきましてありがとうございました。身に余る光栄と心から御礼申しあげます。
 私と家族がここまで裁判闘争をたたかってこれたのも、弁護団の皆様をはじめ、全国の真の人権と民主主義を守るために奮闘してみえる皆様方のご支援のおかげです。ほんとうにありがとうございました。
 この7年間、糾弾を受けた当時の自分を思うと、眠れなくなる日も何度かありました。しかし皆様方にささえられ闘いとおしてこれたおかげで、弓矢伸一としての自信と誇りをとりもどすことができました。
 まだまだ三重県の教育現場は「解同」との連携が続いています。この裁判闘争で得ることができた経験と教訓を力として、偏向した三重の教育を正すために、今後ともたたかいぬく決意を表明して御礼のご挨拶とさせていただきます。ほんとうにありがとうございました。
 2006年12月25日


裁判終結にあたってのご挨拶、お礼 
支援する会代表 落合郁夫

 21世紀の幕開けを前にした1999年の暮れでした。定年を3ケ月に控えた校長先生が自らの命を絶たれるという悲しい出来事が起こりました。居住地で交わした一教師の会話が「差別」と断定されて、学校を中心に確認・糾弾が繰り返されていたさなかのことです。
 私たちは、一カ月後に「県立松阪商業高校長自殺の真相を明らかにする県民の会」を立ち上げ、手探りのような活動に入りました。その過程で、事件の発端となった弓矢伸一先生ご自身から報告を受け、部落解放同盟(解同)、県教育委員会、校内の同和教育推進教員らによる極めて不当な支配の実態を知るようになります。「弓矢先生を支援する会」の結成は、「事件」化されて、すでに1年2ケ月が経過していました。
 三重県における同和行政・同和教育行政の歪みについては、熟知していたつもりの私たちでしたが、運動団体への屈服・迎合・癒着のひどさや、確認・糾弾というものがいかに人権を侵害し人間の尊厳を踏みにじる恐ろしいものであるかを改めて知らされます。
 支援する会は、三重県教育委員会による弓矢先生への懲戒処分の撤回を求め、さらに、確認・糾弾に携わった関係者に対する損害賠償請求という裁判に取り組みました。
 津地裁に提訴して4年3ケ月、中村亀雄弁護士のご尽力をいただき、2004年11月25日には、弓矢先生に対する反省文作成の強要や、確認・糾弾会出席の強要などを違法として、県当局に220万円の慰謝料支払いを命じる判決が下されました。その点では勝利でしたが、私人間の対話を差別発言として確認・糾弾を行ったこと自体についてはあえて踏み込まぬ不十分な判決でした。
 私たちは、その不十分さを正そうと、石川元也弁護士を団長とする26名の弁護団を結成し、名古屋高裁へと控訴しました。30回に及ぶ弁護団会議、6回の公判を闘って、2006年3月20日には、違法行為を一審判決以上に確定して、慰謝料を330万円に引き上げた判決を得ました。しかし、解同の確認・糾弾行為を、「限界」の範囲では許されるという重大な誤りは正すことができませんでした。
 その誤りの是正を求めて最高裁に上告受理申立をしましたが、最高裁は、憲法違反、法令違反など極めて門口が狭く、半年後の10月31日、民事訴訟法を根拠に上告審として受理しないと決定したため、この時点で高裁判決が確定しています。
 支援する会は、中央人権共闘会議、日本国民救援会、全国人権連、国民融合全国会議などとともに最高裁への要請署名のご協力をお願いしましたが、最高裁決定通知直前であったため、折角の皆さんの誠意が十分に生かされなかったことについて、誠に申し訳なく思っています。
 判決の確定によって、公務員の糾弾会出席は公務の逸脱であり、教育委員会が「学習の場」という名のもと参加を求めるなどが許されなくなったことをはじめ、解同の教育支配・介入や、行政の解同路線への屈服・癒着はいよいよ幕引きを迎えなければならない段階にいたっています。
 私たちの前には、7年に及んだ闘いの到達点を踏まえ、今、判決の積極的な意義をしっかり受け止め、三重県の歪んだ同和行政・同和教育行政をきっぱり改める新たな闘いが待ち受けています。裁判で断じられた違法行為に対する責任追及や、本裁判判決に基づいて出された文部科学省の8月1日付指示文書の完全遵守・実施、さらには、広く人権を守る運動、民主主義を発展させる運動に、勇躍して挑む所存です。
 私たちは、この闘いを着実に前進させることこそが、裁判で勝ち得た「財産」をより豊かにする道筋であり、ご支援をいただいた全国の皆さんのご友情、ご期待に応える道であろうと、いっそう決意をみなぎらせているところです。
 この間、全国の広範な組織・団体・個人各位から寄せられた物心両面にわたる大きな力添えが、私たちの闘いをどれほど励ましていただいたことか、お礼のことばを見出せません。ほんとうにありがとうございます。
 今、心からなる感謝の気持ちを込め、新たな闘いへ立ち上がる決意を申し述べて、弓矢裁判終結のご挨拶、お礼をいたします。


弓矢人権裁判の結果について
     弁護士 石 塚  徹(弁護団事務局長)

 最高裁(第3小法廷)は、平成18年10月31日、三重県の上告を棄却し、三重県と弓矢さん双方からの上告受理申立を受理しないとの決定を下しました。これにより、平成18年3月20日の名古屋高裁の判決が確定しました。この確定をふまえ、弓矢人権裁判の結果につき確認すべき点を整理します。

1 一審判決
  平成16年11月25日言い渡された一審判決は、同推教員森山・板谷の糾弾会提出のための「反省文」作成強要行為と県教委の確認会・糾弾会の出席強要行為を違法とし、三重県に対し慰謝料220万円の支払いを命じた。
  しかし、弓矢さんの自治会分離運動を「部落差別によるものと疑われるべき十分な事情があ」るとし、弓矢さんの「お嬢さんの将来にいいかもしれませんね」という趣旨の発言を「部落差別の意図から出た不当なもの」とした。
  弓矢さんと三重県は控訴し、名古屋高裁へと舞台が移った。

2 高裁判決
  平成18年3月20日、名古屋高裁は、一審判決に加えて、「反省文」に限らず「自分を見つめて」や糾弾会後の「感想文」の作成強要も違法とし、さらに、森山が弓矢さんの居住する団地住民に「自分を見つめて」を配布した行為も違法とした。
しかし、弓矢さんの上記発言を結婚に関する部落差別発言とし、自治会分離運動も含めて、一審判決以上に「比較的重大な部落差別事件」としたため、慰謝料は110万円増やし330万円とするにとどまった。
  この高裁判決は、
  ① 確認、糾弾会への出席強要の違法性を再確認し、それに向けての準備行為として「自分を見つめて」という自己批判文書や反省文・感想文などの作成強要や、それら文書を本人の意思に反して配布する行為などの確認、糾弾会をめぐる関連行為を広く違法と断じたこと
  ② 公務員が糾弾会に出席することは公務の範囲を逸脱すると明快に断じたこと
  ③ 学校教育法に定められている「校長が校務をつかさどり、所属職員を監督する」という校務運営の原則をふみにじって、森山・板谷ら同推教員が、ほしいままに、同僚教諭らを指導・監督するようなことは、「同推教員の地位や権限に問題があった」としていること
  ④ 確認、糾弾での追及につき、内心の自由やプライバシーの侵害は許されないとして限界のあることを示したこと
 などにより、その積極的な意義は大きい。
  他方、高裁判決は、生活改善のための自治体分離運動や不適切ではあるが当事者レベルで解決可能な失言を部落差別と断定し、解同の確認、糾弾会での追及行為を違法ではないとする重大な誤りを犯した。

3 今後の展望
  以上の高裁判決が確定したことにより、高裁判決の誤りを是正することはできなかった。
  しかし、積極的な意義をもつ面が確定したことにより、今後、同推教員や県教委による確認、糾弾会への出席強要、およびそれを前提とした準備行為は許されないことになった。
従って、解同が主導しても、確認、糾弾会の開催は事実上困難になると考えられ、運動面での意義は大きい。
以 上
(以上、弓矢先生を支援する会ニュース「はらから」 2006年12月25日NO19最終号より)


解同の確認・糾弾とのたたかい
寒川高校小野解雇事件、松坂商業高校弓矢事件報告
弁護士  則武 透

第1,はじめに
  この4年間で2件の解同による確認・糾弾の違法性が争点となった裁判を担当した。いずれも、解同が高校教諭の「差別事件」を確認・糾弾の標的とし、それを解同と癒着した教育行政が全面的に容認し、深刻な被害を引きおこしたという共通点を有する事件である。
  私は東京で7年、岡山で7年、計14年、弁護士業務に携わってきたが、2002年1月に寒川高校小野事件の相談を受けるまで、解同問題の事件を担当した経験はなかった。子どもの頃に八鹿高校事件などの新聞記事は読んだ記憶はあったが、21世紀となった今日でもこのような時代錯誤の解同による教育介入や、それを容認する教育行政が罷り通っていることを知り、驚きを禁じ得なかった。
  本日は、この2つの事件を紹介することで、いかに解同の糾弾路線やそれを容認する教育行政が深刻な被害を引きおこすものであるかを皆さんにご理解頂きたい。

第2,寒川高校小野事件
1,この事件は、香川県内の藤井学園寒川高校の小野教諭が、「差別発言」をしたとして確認・糾弾の対象とされ、それに従わなかったために最終的に解雇に追い込まれたという事件である。
2,解雇事件のきっかけとなった解同による教育介入は、2001年5月に学園、学事文書課、解同香川県連に各々なされたという「匿名電話」に始まった。この匿名電話は小野教諭の担当する社会科の授業で差別発言があったと決めつけるものであった。さらに、同年6月には「匿名投書」なるものが問題とされたが、これは同和地区出身の体育講師が起こした体罰事件を学園がもみ消しにしようとしていたことに対し、小野教諭が事実関係を明らかにし同種事件の再発を防止すべきだと主張したことが「差別発言」だとするものであった。こうして、同年7月には解同の主催する確認会への教員全員に対する参加強要へと発展した。その後も、学園の「小野差別発言問題」への対応が生ぬるいと決めつけた解同は、2度にわたり学園前や丸亀市内などでの街宣車やビラによる宣伝攻撃を行い、最終的に小野教諭らを解雇に追い込もうとした。
3,一方、香川県学事文書課は、こうした解同の動きをバックアップし、学園に対し、解同の主催する確認会へ小野教諭らを出席させるように、行政指導の形で一貫して圧力を掛け続けた。その後、学園の紛糾を改善するために学事文書課が乗り出したが、その紛争を収拾するために出した紛争収拾案の中で、学園理事の総入れ替えを行うと共に、「問題の2名の教員については、早い段階でしかるべき対応を図るものとする。」と小野教諭らの解雇を示唆するに至った。学園は、この学事文書課の紛争収拾案を全面的に受け入れる形で、新たな構成による理事会を開催し、小野教諭の解雇を内部決定した。
4,こうした状況の下で、小野教諭は解同主催の確認会への出席強要禁止を求める仮処分を申し立てるなどして、抵抗を試みた。しかし、同仮処分が弁護士の助力のない本人訴訟であったことなどが災いして、2002年1月、高松地裁丸亀支部は残念なことに小野教諭の仮処分申請を退けた。その10日後に、満を持した学園は小野教諭らを解雇した。学園は本件解雇により、解同の介入に批判的で学園の自主性と適切な運営を求めていた小野教諭らを学園から排除し、紛争の収拾を図らんとしたのであった。
5,解雇直後の2002年1月、小野教諭ら2名が不当解雇されたとの相談を受けた。これまで、解同関係の事件を担当した経験が全くなかった私は、解同問題に詳しい大阪の石川元也弁護士、伊賀興一弁護士、福山の服部融憲弁護士、林隆義弁護士、そして地元香川(現在は東京)の塙悟弁護士に呼びかけ、弁護団が結成された。その後、直ちに地位保全・賃金仮払いの仮処分の申立が行われ、2002年12月には、小野教諭の解雇を無効とする仮処分決定が下された。さらに、2003年2月には地位確認・賃金請求の本訴の提起が行われ、2004年10月6日、高松地裁(豊永多門裁判長)において、全面勝訴判決が下されるに至った。
6,高松地裁判決の主なポイントは以下の3点である。
 第1に、判決は真正面から解同の教育介入の不当性を断罪した。判決は解同の確認会が地対協で問題視され、法務省でも出席すべきではないと指導されていたことを前提に、「本件解雇に対し、解放同盟香川県連の思惑が少なくとも間接的に介入したものといわざるを得ないから、本件解雇の有効性を判断するにあたっては、当該影響についても考慮されなければならない」と明快に述べている。この点は、同じく小野教諭が勝訴したとはいえ、先行の仮処分では解同の教育介入に対する判断が回避されていたことと対照的である。
 第2に、判決は「被告に対し強く働きかけることのできる立場にある学事文書課をはじめとする関係行政機関も、このような被告の方針(解同の介入を排除しない方針)に異を唱えることなく、むしろ解同香川県連が介入するのを容認」、「被告を監督、指導すべき立場にある学事文書課をはじめ香川県の関係部署の職員らも、上記法務省の指導に従わず、いわゆる差別発言事件に関し、解放同盟香川県連が主催しあるいは解放同盟香川県連の関係者の参加が予定されている確認会であることを認識しながら、自らそれに出席し、あるいは原告に対し出席を要請」したなどと、香川県学事文書課が果たした負の役割についても論及している。
 第3に、以上のことを前提にすると、学園が小野教諭の解雇を決定した賞罰委員会の判断は「被告が解同香川県連の影響下にあったという事情も踏まえれば、同委員会における判断は、必ずしも公平になされたものとはいい難い」とし、他に学園が形式的に解雇理由として掲げたものはいずれも解雇の理由とはならず、結論として本件解雇には合理性が認められないと判示した。
7,その後、学園が高松高裁に控訴したため裁判が続いたが、2005年7月4日、学園が解雇を撤回するとともに解決金を支払うとの勝利的和解が成立し、事件は終了した。

第3,松阪商業高校弓矢事件
1,この事件は、1999年、三重県立松阪商業高校の弓矢教諭が行った居住地での町内会分離運動やその際の「お嬢さんの将来に良いですしね」との発言が解同、三重県教委、同和教育推進教員らにより「差別」とされた事件である。弓矢教諭は、「みずからの『差別心』を掘り起こせ」と、反省文(謝罪文)を書くことを強要され、400人が動員された「糾弾会」でつるしあげられるなど、長期にわたって執拗、陰湿な追及と糾弾を受け、心身共に疲弊し、本人も家族も自殺の一歩手前まで立ち至った。弓矢教諭とともに松阪商業校長も解同から追及の矢面に立たされていたが、校長はその渦中で自殺に追い込まれるという悲惨な結果となった。また、弓矢教諭も戒告・転勤処分にされた。弓矢教諭は、自分や校長に対する解同や県教委の追及が不法行為にあたるとして、三重県と解同幹部らに対して損害賠償(慰謝料の支払い)を求める訴訟を提起した。
2,2004年11月25日、津地裁において、弓矢事件の一審判決が下された。一審判決は解同の確認・糾弾会への出席を強要した三重県に220万円の損害賠償を命じたが、解同幹部の責任は一切不問に付された。津地裁判決を不服として、弓矢教諭は直ちに名古屋高裁へ控訴した。
3,しかし、一審津地裁での裁判を担当した三重県の中村亀雄弁護士が体調不良で辞任されたため、2004年12月、後任の弁護団が大阪の石川元也弁護士を中心に結成された。この時期は、小野事件が高松地裁判決での全面勝利判決を経て控訴審の高松高裁へたたかいのステージが移っていた時期であったが、小野事件で石川弁護士らの全面的なバックアップを受けていた私としては、弓矢弁護団への就任を断るわけにはいかなかった。最終的に結成された弓矢事件の常任弁護団は、大阪の石川元也弁護士、伊賀興一弁護士、地元名古屋の石塚徹弁護士、長谷川一裕弁護士、福山の服部融憲弁護士、神戸の山内康雄弁護士、姫路の竹嶋健治弁護士、そして岡山の私の計8名であり、解同問題のエキスパートをそろえた強力な布陣であった。
4,いかに強力なメンバーとはいえ、西は福山から東は名古屋までの全国にまたがった弁護団であり、しかも控訴審から事件を引き継ぐという困難な前提ではあったが、1,500回にも及ぶメーリングリストのやりとり、計26回の弁護団会議(1回の会議は5~6時間)を経て、集中的に討議を重ねた。こちらが名古屋高裁に提出した準備書面は9通、総計257頁にも及ぶ。その結果、2006年3月20日、名古屋高裁(熊田士郎裁判長)において、弓矢事件の控訴審判決が下されるに至った。名古屋高裁判決は、いくつかの問題を抱えつつも、津地裁判決を一部変更し、三重県の損害賠償金額(含む弁護士費用)を220万円から330万円に引き上げた一部勝訴判決であった。
5,名古屋高裁判決の評価すべき主なポイントは以下のとおりである。
  第1に、判決は、解同の主催する確認・糾弾会に公務員が参加することは、正当な職務の範囲に属するものではなく違法であると認定した。同判決に従えば、今後、三重県が解同主催の確認・糾弾会に教職員を参加させることは許されない筈である。
  第2に、判決は、確認・糾弾会への出席強要が違法であるとの大前提の下、その前後の行為を「準備行為」や「確認行為」として違法性の認定の範囲を広げた。その結果、同推教員の行った弓矢教諭に対する反省文(「自分を見つめて」と題されている)の書き直しについて、両親や祖父の「差別心」等の言及を強要したことを新たに違法と認定した。また、同和推進委員が弓矢教諭を連行して、弓矢教諭の自宅近所を戸別訪問させ、「自分を見つめて」を配布した行為も違法であるとした。
  第3に、判決は結論として、津地裁判決の慰謝料220万円を330万円に増額した。これも、この種の行政を被告にした裁判での慰謝料額としてはかなり高額のものとして評価に値する。
6,しかし、名古屋高裁判決には、以下の点での限界があることも事実である。
  第1に、高裁判決の最大の限界は、本件分離運動及び本件発言が「比較的重大な部落差別事件」であるとの大前提に立っている点である。この大前提が、原告の権利侵害の認定を後退させる強い論拠となっており、かつ結果的に一種の過失相殺のような形で慰謝料額の減殺要因ともなっている。これがなければ慰謝料額はさらに大幅に跳ね上がったと推測される。
  第2に、高裁判決が、同推教員により弓矢教諭が計10回にわたる書き直しを迫られた反省文の7回目以降の作成強要が違法であると認定したのであれば、もう一歩踏み込んで6回目以前の作成強要も違法であると認定すべきであった。前に述べたように、高裁判決の最大の特徴は確認・糾弾会への出席強要が違法であるとの大前提の下、その前後の行為を「準備行為」や「確認行為」として違法性の認定の範囲を広げたところにある。とすれば、正に、同推教員は弓矢教諭を確認・糾弾会へ出席させる「準備行為」として、当初からの反省文の作成強要を開始したのであるから、反省文の作成強要行為の違法認定の出発点はここにこそ置かれるべきであった。
  第3に、高裁判決がせっかく同推教員や三重県による弓矢教諭に対する権利侵害を肯定したにもかかわらず、解同幹部の関与について違法性を認定しなかったことは返す返すも残念なことである。高裁判決が解同のメンバーによる行為の違法性認定を様々な箇所で否定し、解同のメンバーを免責していることは、ある意味では司法が解同との正面対決を回避しているとも受け取られかねない。
7,その後、双方上告により、現在事件は最高裁に係争中である。
  結論として名古屋高裁判決は限界を抱えながらも、一審の津地裁判決よりも深く弓矢教諭の受けた被害の深刻さを受け止め、特に弓矢教諭が祖父や父母の差別性に言及することまで強要された反省文の作成強要行為、配布行為につき正面から権利侵害と認めたことの意義は大きい。

第4,まとめ
1,この2つの事件を通じて明らかとなった香川県、三重県の同和教育の異常な実態は、まことにすさまじいものであった。
2,例えば、三重県では、同和問題に積極的に取り組む人間になることが児童、生徒に対する教育の指導目標とされ、部落解放同盟が主催する様々な学習会や集会に生徒が参加することを奨励している。同和教育を推進するための教員配置のための予算も三重県が支出している。また、教員を解同が主催または共催する研修会等に参加させ、糾弾会にも参加させている。今回の弓矢事件でも、解同主催の糾弾学習会(事実上のつるし上げの場であった)には約400名が参加しているが、そのうち200名以上は、三重県下の教職員であった。名古屋高裁判決は、糾弾学習会への参加は正当な職務ではなく、違法であるとしたが、三重県教委は「糾弾学習会は研修と学習の場」と平然と述べる始末である。また、三重県では、民間団体との連携の名のもとに解同と教育現場、教育委員会との一体化が進められ、「差別事象」なるものが学校現場で発生すると、直ちに解同にも情報が伝わる仕組みになっている。こうした中で、教育現場では、部落問題について、自由に発言できない状況が作られ、「部落はこわい」、「解同を批判したら大変なことになる」という雰囲気が醸成されることになっていったのである。このような三重県の同和教育の現状は、直ちに是正されなければならない。
3,30数年継続した同和対策事業が2002年をもって終了したことに見られるように、今日、同和問題は基本的に解決の方向に向かっている。それは同和関係者を特別扱いすることは必ずしも部落問題を解決する上で適切ではないことを示すものである。こうした時代の流れに逆行する香川県・三重県の同和行政、解同による教育介入を許さないためにも、この2つの事件の判決で勝ち取られた成果を血肉にすることが求められている。


三重県における人権感覚のバロメーター
                     三重県地域人権運動連合会
                       書記長  橋本 進

国際的な動きでは人種差別撤廃・女子差別・子供の権利など戦争や内戦による餓死や難民問題など人権問題は深刻な問題とされています。このような背景から1994年の国連総会で「人権教育のための国連10年」が策定され、わが国でも1997年(平成9年)実施されました。
三重県では「人権教育のための国連10年」三重県行動計画が推進本部を設置し、全庁的に検討がすすめられました。1997年(平成9年)に「人権が尊重される三重をつくる条例」が県議会で承認、国連10年県行動計画専門部会の意見をふまえて行動計画を策定したのでした。三重県はこの計画で人権と同和問題とを混同してしまっているのです。
「人権=同和問題」「まず同和問題」「なによりも同和問題が優先」「差別事象が跡をたたない」など、三重県の文書上このような記述がそれこそ跡を絶たない状況です。
運動体・学識経験者・労働組合代表など「部落解放同盟」に組した代表委員で構成された部会が出したものです。県議会ではオール与党で議会が構成されているのも実態です。
2004年10月に第38回部落解放研究全国集会が三重県伊勢市で開かれ1万人(主催者解放同盟発表)参加の中で、地元報告「三重県における差別事件の現状と課題」と称し、野呂三重県知事も出席した集会での発表を紹介します。

『まず、確認したいのは、ここに差別があるのかないのかということです。差別があるから解放運動があり、同和教育がある。同和教育があるから差別が残るという人がいます。原因と結果のはきちがえです。傘があるから雨が降るのではない、消防車があるから火事があるのではない、逆立ちしています。いま同和教育から人権教育へという流れがあります。基本的には賛成ですが、しかし気をつけたいのは、人権が部落を素通りするおそれがある。人権教育の中に同和教育が埋没してしまう危機感がある。そのように感じてなりません。差別の現実から深く学ぶという精神を忘れてはなりません。・・・いま「人権侵害救済法」の制定運動に取り組んでいますが、これは非常に大事だと思います。「法は人の行為を変え、態度を変え、心を変える」といいます。今日は私、会場へ車で来ました。私がシートベルトをしはじめたのは、ペナルティが出来てからです。「法律で決められないと出来ないのか、弱い奴や」と言われるかもしれません。すみません、弱い人間なんです。でもその弱い人間もペナルティがあると、シートベルトをし、飲酒運転もしません。法律がすべてではないけれども、ものごとをする時の裏づけになり武器になります。「人権教育・啓発推進法」ができました。今度は「人権侵害救済法」制定をみなさんと共にめざしていきたいと思います』(部落解放同盟三重県連合会・松村智宏)

解同に近い関係者(三重県内大学教授)ですら、鳥取県の条例には異議を唱えているのに、三重県における人権条例については制定を急いでいます。
アンケート調査をよりどころに、よく三重県は同和(人権))問題の現状認識をいいますが、調査の目的を初めから「差別はまだある・している」を前提に設問しているから集計の答えは「まだまだ残っていて深刻で、他の差別より優先すべき」となっているのが三重県の感覚ではないでしょうか。

弓矢人権裁判について
1999年12月15日三重県立松阪商業高校校長の自殺という痛ましい事件がありました。週刊誌が「部落解放同盟」による確認・糾弾があったことも報道され社会的な問題となりました。
この校長先生の自殺により、その後は弓矢教諭や、学校側にも確認・糾弾は1度も行われていません。校長先生を自殺まで追い込む原因は何だったのでしょうか。
松阪商業高校教員であった弓矢伸一教諭が居住地の自治会分離運動の中での発言が「部落差別発言」と同和教育推進教員(同推教員)に認定されたことから話しは大きくなっていったのです。すぐに「解同松阪支部」(マニュァルに従い)に連絡、県教育委員会と一体になり、解同主導で松阪市や県行政も参加する中で校長先生をはじめ、弓矢教諭に確認・糾弾会がくり返されたのでした。  
校長先生の心労の原因は、同推教員や「解同」に全生徒の前で「差別者でした」と謝罪する「全校集会」の日程でした。解同から「早く開催しろ、冬休みに入ったら三年生がいなくなる、全校集会にはならないぞ」とおどされ、その全校集会をするかしないか決断をする職員会議の朝の自殺でした。
三重県では、差別事件と「解同」が判断すれば、県教委や自治体が全面協力する体制になっています。会場も自治体が段取りし、動員も出張費もつけて(研修という名目)参加動員する。差別したもの(解同が判断した差別事件)には人権はないのです。徹底的に確認・糾弾会に引きずられて「ぼろぼろ」にされるのが三重県でした。
解同の糾弾対象は、昔の落語に「風が吹けば桶屋が儲かる」方式で、全々関係のないところに飛び火するのが特徴です。今回の事件でも自治会での発言ですから地元自治会、町内会で解決できたものです。ところが、教員だったから学校に、校長に、学校全体に、町内に、たまたま二人の教員が居住していたのでその学校まで広がり(分離運動を阻止しなかったのは人権教育の先頭に立つ教貝として)糾弾会に参加させられています。
解同差別事件特集に同じようなケースがあります。ある自動車学校の教官が差別をした。すると、この教官の卒業した学校も糾弾の対象になり、果ては自動車学校の経営する関係会社にまで入り込み人権学習を行っている状況です。
差別か、差別でないかは三童県の場合「解同」(もしくは同調する行政職員・教師)が判断・認定する。「解同」が差別といえばすべて差別、というのが三重県です。
三重県同和教育研究会が県内の学校に「部落の子」の調査依頼をしました。この内容は部落民あばき以外なにものでもない重大な差別事件であることは明らかであるが、「解同」も県教委も何故か騒がない。糾弾会も開催しない。「大風吹いたが桶屋は儲からない」からか。このような感覚で県は人権施策をやっているので、県民はたまったものではありません。
最後になりましたが、弓矢人権裁判には、傍聴の参加をはじめ、署名、カンパ、パンフの購入など物心両面にわたりご協力を頂き有りがとうございました。

(以上、06年9月・第3回地域人権問題全国研究集会山口開催・第4分科会「人権侵害救済法の在り方」の報告から)

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