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最終段階における部落問題解決の諸課題

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最終段階における部落問題解決の諸課題
  
2007年2月1日 民主主義と人権を守る府民連合

 昨年は、大阪市、八尾市、奈良市、京都市などで、解同幹部や組織がらみの不正・不祥事が相次いで明るみに出ました。マスコミも同和問題をこれまでになく取り上げ、「解同タブー」はいよいよ崩れはじめました。不公正・乱脈な同和行政の震源地である大阪市の關淳一市長も「特別扱いしないことが差別の解消につながる」と言って、同和事業の見直しに着手し始めています。一方、これらの動きに解同幹部は、「部落解放同盟最大の不祥事であり、痛恨の極みである」「戦後最大の難局」と危機感を抱いています。地域のなかでは解同の支部員をやめる人が続出し、兵庫県の丹有地域では、「飛鳥会」事件以降連日明らかにされる問題に嫌気がさし、同盟員の三分の二が脱退した地域も生まれています。マスコミも解同の質問状に答えて、「解放同盟は部落問題のマイナスイメージの拡大を懸念する。しかし、同和行政についてこれほど広く関心が持たれたことはなかったのではないか」「差別解消に向けた正しい理解を広げるチャンスととらえるべきではないか」(12月29日産経新聞社会部長)とまで報道しています。こうした一連の状況をふまえ、大阪における部落問題解決の最終段階における諸課題の達成をめざして民権連の見解を明らかにするものです。

1、部落問題の解決とはいかなる状況をつくりだすことか
 まず、部落問題の解決とは何か、いかなる状況をつくりだすことか、この基本命題についての国民の共通理解が求められていると考えます。
 全解連(現全国人権連)は、1987年3月7日の第16回大会で、部落問題の解決すなわち国民融合を次の4つに定式化しました。
①部落が生活環境や労働、教育などで周辺地域との格差が是正されること、
②部落問題に対する非科学的認識や偏見にもとづく言動がその地域社会でうけいれられない状況がつくりだされること、
③部落差別にかかわって、部落住民の生活態度・習慣にみられる歴史的後進性が克服されること
④地域社会で自由な社会的交流が進展し、連帯・融合が実現すること、である。
 20年前に出されたこの命題はその歴史的制約もあり、今日的に見ればその後の情勢や運動の発展のなかで表現上一定の不十分さも見られますが、基本的に発展させるべきものです。全解連は、この4つの指標が基本的に達成されたという認識のもと、02年4月に終結大会と全国人権連創立大会を開き、大阪の全解連も同年6月に民主主義と人権を守る府民連合(民権連)へと発展的転換をおこないました。この国民融合論は、いまなお部落問題解決の唯一科学的な理論として燦然と輝いています。それは、解同綱領における「わが同盟の目的は、部落差別からの完全解放の実現にある」「われわれは、人間性の原理に覚醒し、人類最高のために突進する」という文言と現実の彼らの姿を見るとき、その値打ちは一段と輝きを増すものです。わたしたち民権連はこの国民融合論の立場をふまえ、最終段階における部落問題解決にかかわる諸課題について次のように考えるものです。
2、大阪府や解同はどう考えているのか
 01年大阪府同和対策審議会答申は、「部落差別は、…同和地区とその周辺が一体となったコミュニティの形成を図ることにより解消し得るものである」とのべていますが、ではそういうコミュニティを形成するには、具体的にどのような取り組みが必要かという肝心な点は明らかにしていません。わたしたち民権連が、「部落問題が解決された状態とは何か、そのために行政はどういう役割を果たしていくのか明らかにせよ」と繰り返し要求していることに対して、大阪府は府「答申」の文言を繰り返すばかりで、まともに回答できていません。
 解同幹部は次のようにのべます。解放新聞大阪版(06年6月26日号)には、「被差別部落の存在を曖昧にしてはならないー特別法失効と同和地区」という文章を掲載し、そこでは、特別法の失効は、「同和地区」指定がなくなったからといって、被差別部落いわゆる「同和地区」がなくなったわけではない、部落差別撤廃のための基本的な前提は、部落差別の存在を明確に認め、被差別部落の存在を行政的にも社会的にも認めることである、と主張しています。  
 特別法が失効した今日、「被差別部落の存在を行政的にも社会的にも認めること」が前提であるする解同のこうした主張は、時代錯誤も甚だしいものであり、自らの「運動」の自己否定にすぎません。部落問題の解決とは、行政的にも社会的にも「被差別部落」の存在そのものを無くしていくことです。それ以外にはあり得ません。

3、「差別意識」の問題にかかわって
 昨年来大阪府は、差別事象であるかどうかは「総合的に判断するもの」と言い始めています。これは、05年2月の府教委人権企画課指導主事が「旧同和地域」を「ムラ」呼ばわりしたことに「この発言は差別ではないか」という民権連の抗議に対して「差別ではないが不適切な発言である」と回答した問題、06年10月報道のNHKクローズアップ現代で特定の地域の地名をあげて「被差別部落」と報道した問題での我々の追及に対して大阪府より示されたものです。しかしこれまで、解同や大阪府、府教委が「差別事象」(子どもたちの未熟な言動もふくめて)と断定したものは、「総合的に判断」どころか一方的に「差別事象」と決めつけてきたものばかりです。自分たちに都合が悪くなれば「総合的に判断」とは開いた口がふさがりませんが、「総合的に判断する」ことは一歩前進であり、これまでの、解同が言えば差別になるというやり方を改めるべきです。
 また05年府民意識調査を分析した奥田均氏(近畿大学人権問題研究所教授)は、「答申時代の亡霊がよみがえったのではないか」「何が府民の忌避意識を煽り、何が忌避意識の克服に有効か」などとのべて、00年より05年調査の方が府民の人権意識は悪化していると言っています。しかし、05年府民意識調査が「差別誘発調査」であるというわれわれの批判を横に置いたとしても、奥田氏の分析そのものに厳しい批判が向けられています。05年府民意識調査を独自に分析した石倉康次立命館大学教授は奥田氏の分析を次のように批判しています。
①同和行政や同和教育の継続を否定する府民意識の強さを示唆するデータが随所に認められた。しかし、調査報告書では調査データの読み取り方に恣意性がつよく働いていることが認められた。②調査方法自体にも問題性をはらんでいた。③分析者たちが、同対審答申の時代認識から一歩も出ず部落問題の歴史的な変化や同和行政の成果も無視した教条的な観点に立っているために、変化を反映した府民の意識が、差別解消への接近としては読み取れずその抵抗物に見えてしまっていることが明確になった、④今問われているのは、部落問題が存在しているかどうかという判断ではない。その点で言えば大きく解決に接近しているが、なお完全に解消した段階にあるわけではないことは今回の調査データや00年に実施された実態調査からも明らかである。
 真に問われるべきことは、部落問題解決の仕上げの段階ともいえる今日の到達点を前進させるために、なされるべきことは何なのか、何をしてはいけないことなのかということなのである。さらに、奥田氏の分析は、「調査データ分析のイロハを無視して、自分の主観的な期待からデータを過大に判断している」とまで批判されています。この調査は大阪府の責任において、府の税金を使って実施されたものであり、奥田氏らの分析をもとに行政施策立案を図ろうとする大阪府の責任は免れません。

4、非科学的認識や偏見の克服について
 飛鳥会事件、旧芦原病院問題、丸尾事件など昨年相次いで明らかになった解同幹部の不正・腐敗、乱脈行政は、部落問題への正しい理解どころか「差別意識」「忌避意識」を増幅させました。かつて解同は、府民からの「逆差別」批判を「ねたみ意識」と攻撃してきましたが、今日ではもう通用しません。
 02年特別法の失効にともない国は、特別対策の廃止と一般対策への移行を決めました。その理由として、同和地区を取り巻く環境は大きく変化し、特別対策を続けていくことは差別解消にかならずしも有効ではない、人口移動が激しい中で同和地区・同和関係者に対象を限定した施策を続けることは実務上困難、をあげています。
 非科学的認識や偏見の克服を考える場合、まず確認すべことは、「国民の民主主義意識・人権意識が確実に定着してきているなかで、特に部落問題についての意識変革は、むしろ他の意識領域における以上に進行してきており、「部落」にとらわれない人が圧倒的多数を占めるに至っている」(杉乃原寿一神戸大学名誉教授)ということです。と同時に、解同による「確認・糾弾」行為がいかに部落問題への正しい理解を妨げてきたか、解同の「確認・糾弾」行為を社会的に排除することこそ、この問題を考える上での前提条件になることは言うまでもありません。 
 その上で、この問題にどのように対処すればいいのでしょうか。
①マスコミの報道では、解同幹部による不正・腐敗事件の報道にとどまることなく、部落問題解決の今日の到達点と今後の方向性を明確にした報道、不正・腐敗の根源にせまる報道、真実の報道・評論を貫くことが求められています。解同の言い分を代弁するかのごとき報道はきっぱりと止めるべきです。 
②行政は、一般対策の中に「同和」をもぐりこませようとする解同の策動を断ち切り、同和行政を完全に終結させること、これが一番の啓発効果となるでしょう。解同理論による「教育・啓発」を廃止し、府民の自主的な学習の機会を保障する条件整備に徹することです。もちろん差別を誘発する「同和調査」は一切おこなってはなりません。
③学校教育では、子どもたちの世界に存在しない「部落問題」の学習を廃止すること。児童・生徒の未熟な言動は事件視するのではなく学校教育の課題として学校が自主的に取り組むことです。
④いわゆる「差別落書き」では、行為者の不明なものは即刻消去し、以前の状態にもどすことです。行為者の明らかな場合は、その意図、被害、背景、影響などをそれこそ「総合的に判断」し、場合によっては法的手段もふくめて対応することです。発言問題への対応も同様です。もちろん行為者の不明の「落書き」等をとらえて、「組織強化」や利権獲得の道具にしようとする解同幹部のよこしまな策動を許さず、保存・流布をさせないことです。
⑤電子版「地名総鑑」問題について
 解放新聞大阪版(06年10月9日号)は、「大阪市内の複数の調査業者から9月末、解同大阪府連が回収した」と、報じています。解同は、「それらのデータがインターネット上に流出すれば、とりかえしのつかない重大な事態に発展」するとして、「実態解明へ可能な限りの運動を」「一刻も早く法規制を」と声を荒げています。しかしその一方で、「協力者の調査業者やその先の地名総鑑所持者の匿名性を保証し」「たどりついたのが電子版「地名総鑑」だと言うのです。しかしなぜ解同は作成者の特定をまず第一義の課題としないのか、なぜ「協力者の匿名性」を保障するのか、なぜ自らの手で法務局に提出し廃棄処分しないのか、電子版「地名総鑑」を解同が持ち続けることは許されるのか、こうした疑問に率直に答える責任があります。
 しかも「部落解放基本法」大阪版、「差別調査」規制に名をかりた府民糺弾条例という反対の声を押し切って解同が制定させた「大阪府部落差別事象に係る調査等の規制等に関する条例」(興信所条例 1985年3月))第5条「自主規制」には、興信所が遵守すべき事項として、(1)特定の個人又はその親族の現在又は過去の居住地が、同和地区にあるかないかについて調査し、又は報告しないこと、(2)同和地区の所在地の一覧表等の提供及び特定の場所又は地域が同和地区にあることの教示をしないこと、2 興信所・探偵社業者の組織する団体は、その構成員である興信所・探偵社業者に前項の規約を遵守させるため必要な指導を行うよう努めなければならない、という規定があります。今回の事例はこれに該当します。大阪府にはこの条項を厳格に適用する責任があります。一民間運動団体である解同に対して行政としての適切な対応をおこなうべきです。でなければ問題の信憑性すら疑われかねません。今回の大阪府の対応は、「興信所条例」の本質をもあぶり出すものとなっているのです。

5、自立の課題をどう考えるのか
 解同の手法は、40年以上も前に出された同和対策審議会「答申」(1965年8月)のなかの「部落差別が現存する限り同和行政は積極的に推進しなければならない」という文言を現在においても絶対視し、「差別」の確認と行政への特別対策の要求ということにあります。大阪府もこの解同に呼応し、府「答申」を根拠に今日もなお特別対策を継続しています。府「答申」は、「さまざまな課題を有する人びとの来住の結果、同和地区に現れる課題は、現代社会が抱えるさまざまな課題と共通しており、それらが同和地区に集中的に現れているとみることができる」として、「進学率、中退問題など教育の課題、失業率の高さ、不安定就労など労働の課題、府民の差別意識の解消が十分に進んでいない」などとのべて特別対策の実施を求めています。かつては府民からの「同和は逆差別」と言う批判に「ねたみ意識」と彼らは非難していたものですが、法失効後は、一般施策のなかに「同和」をもぐりこませる一般施策のなかの「同和枠」「同和優先」という、より巧妙なかたちで特別対策の温存を図ってきているのです。  最近の解同の論調を見ると、「部落差別は土地が基準」「被差別部落の存在を明確に」「部落にのみ実施されている事業が存在しているならば今後そのような施策はいっさい要求しない」(奥田均、02年10月2日解放新聞全国版など)と若干スタンスをかえてきています。「土地差別問題の解消は重要な課題」(06年2月6日解放新聞大阪版)とも言っていますが、解同幹部自身が自分たちの居住地を「被差別部落」と言って特別扱いしている以上は、問題解決の展望が見えてくるはずはありません。
 では自立の課題を考える視点はどこにあるのでしょうか。 まず第一に、00年調査で、「同和地区」居住者の67・8%が地区外からの来住者であり、流入・流出の移動が大きく、もはや「同和地区」と呼べない実態があきらかになったことであり、「同和地区住民」かどうかを特定できないまでに地域の変化がすすんだことです。したがって解同自身も「部落差別は土地が基準」と言わざるをえないのです。あれほど「部落民」の認定・判定を言っていたにもかかわらず。
 第二に、府「答申」では、「さまざまな課題を有する人びとの来住の結果」と言っていますが、なぜそうなったのか、その原因や要因には触れていません。触れられないと言ってもいいかもしれません。それは、「同和向け公営住宅」への入居権を解同幹部が独占してきたからです。住民の転出入の急激な増加、それにともなう「さまざまな課題を有する人びとの来住」という事態の進行は、実は、解同幹部による地域支配と利権追求の結果生み出された歴史の皮肉というべき現象なのです。
 第三に、こうした地域の変化が、特別対策の継続が部落問題解決に逆行するものであり、妨げるものに転化したのです。府「答申」の言う残された課題はいずれも「同和問題」ではない、これは客観的な事実です。
 第四に、大多数の住民は生活上のさまざまな困難をかかえながらも、実生活の上でも人間的にも自立を図ってきました。今後、必要な福祉施策は一般行政として拡充させていくべきものです。自立の一番遅れているのが解同の「運動」でしょう。部落問題解決は最終的には住民の自立への意欲が決するのであり、運動団体も例外ではありません。旧全解連は、全国人権連として02年に部落解放運動から卒業し、新たな運動団体へと脱皮したことは前にのべたとおりです。この間の解同幹部による一連の不正・不祥事をみても、特別対策の永続化を追い求める解同が、組織として部落問題解決の妨害者であることは明らかでしょう。
 特別対策から自立し同じ一般施策のもとで生活する、そして一般施策の引き上げ・充実を求める府民にあたたかい政治や行政の実現めざしてがんばる、ここに自立にむけてのわたしたちの課題があります。

6、自由な社会的交流を進展させる
 かつて地対協「意見具申」(1986年)は、「同和問題解決のために成し遂げるべき重要な今日的課題」として、行政の主体性の確立、エセ同和行為の排除、同和関係者の自立・向上精神のかん養、自由な意見交換のできる環境づくり、の4点をあげました。それを受けて、「啓発推進指針」(1987年地対室)は、「地域改善対策の今日的課題に関する事項」として、行政の主体性の確立、エセ同和行為の排除、自由な意見交換のできる環境づくり、差別及び確認・糾弾に関する考え方、差別事件の処理の在り方、同和関係者の自立向上精神のかん養に関する事項などを明らかにしました。
 大阪市や八尾市における乱脈同和、解同幹部による無法・暴力・利権あさりの姿は、これら政府方針が指摘した通りになっています。当時、解同が「啓発推進指針」を差別文書として大阪府や各自治体に政府への「返上」を求め、それに応じた行政の責任がいまなお厳しく問われます。解同の影響力の強い地域ほど、自由な社会的交流や国民的融合の進展が遅れているのです。この政府文書の示した課題が今日なお重要な意味をもっているのです。

7、さらに運動を前進させるために
 大阪における乱脈同和の根源は、解同と行政の癒着の構造である「府同促=現人権協会」方式にあります。この仕組みのもとで解同幹部の利権あさりが横行し、暴力団の行政介入が進められたのです。この同和行政のゆがみが、同和行政にとどまらず、行政全体をゆがめる根源となったのです。このことは、大阪市の例をあげるだけでも充分に理解していただけると思います。こうした行政のゆがみを根本から立ち直らせることが今後の運動の重要な課題となってきています。この点についてはすでに、杉之原寿一氏からも指摘され(00年11月第29回部落問題全国研究集会)、また長年、解同の無法や乱脈同和とたたかってこられた多くの人たちからも異口同音にのべられているものです。以下のべていきます。
 第一は、行政の主体性の原則です。「地方公共団体の執行機関」は法令、条例、規則、規程にもとづく事務を「自らの判断と責任において、誠実に管理しおよび執行する義務を負う」と地方自治法(第138条の2)に明記されているように、行政はすべて行政当局の主体性にもとづいて、その責任において策定・執行されなければならないことです。解同の利権・腐敗の問題の核心は、法があってあらずの無法状況に近いもとで起きてきたこと、無法行為の野放しという法治主義からの逸脱を許したところから起きたことにあります。もちろんその背景には、支配権力による革新分断のための解同泳がせ政策や暴力団の介入などがあります。
 第二に、行政の公平性の原則です。地方自治法によれば、「住民は、法律の定めるところにより、その属する普通地方公共団体の役務の提供をひとしく受ける権利を有し…」(第10条)と規定されています。1991年地対協「意見具申」のなかでは、「国民に対する行政施策の公平な適用という原則からしても、できるかぎり早期に目的が達成され、一般対策へ移行することが肝要である」とのべています。この行政の公平性の原則からいっても、法的根拠のない同和行政は完全に終結させなければなりません。
 第三に、行政の役割とその限界です。一般に行政がなしうることは、問題解決のための条件整備であって、行政的措置だけで問題を解決することはできません。同和行政も例外ではありません。大阪府や大阪市のように解同言いなりの行政をやっていれば部落問題の解決はありえません。昨今、關淳一大阪市長がしきりに「特別扱いをしないこと。長期的に考えればこれ以外の方法はない」と繰り返していますが、解同が求める「行政万能論」「行政無限責任論」「同和行政永続論」の誤りをしっかりと認識した上で解同の不当な要求を排除する意思があるのか、これまでの自らの責任とともに今後の方向性を明らかにすることが求められています。
 第四に、意識変革と行政の役割です。府「答申」は、「府民の差別意識の解消が十分に進んでおらず、部落差別事象も跡を絶たない状況である」とのべて、「府民の差別意識の解消・人権意識の高揚を図るための諸条件の整備」をかかげています。「まだ国民の意識には問題があり、部落問題は解決していないから、同和事業は終結させても同和行政(人権行政)は必要である」という意見が、解同との癒着構造のもとで、一部の行政職員や教職員の間に根強くみられます。府民を差別意識の持ち主と断定し、その意識変革をせまるこれまでの解同理論による「教育・啓発」は、部落問題に対する府民の認識を大きくゆがめ、そのマイナス効果ははかりしれません。本来、意識変革の問題は行政とは別個の問題であり、行政が関与すべきではありません。行政が国民の意識をあれこれ詮索・評価して「内心の自由」を侵害することは許されません。行政の役割は、社会教育法第3条に規定されているように、国民の自主的な学習活動のために必要な「環境を醸成する」こと(条件整備)に限定されなければなりません。
 このように、法令、条例、規則、規程にもとづく行政本来のあるべき姿をしっかりと確立させていく課題がますます重要となっています。

 さいごに 
 同和行政の終結は政治的課題でもイデオロギー問題でもありません。すべての自治体が取り組まなければならない行政上の当然の課題です。わたしたちは、府民のみなさんとの共同の力で、部落問題解決の最終段階におけるこれら諸課題の達成をめざし全力をあげて取り組んでいきます。さらに、府民にあたたかい府政や市政の実現をめざして府民運動の一翼としてたたかっていく決意です。

「民主と人権」 第33号    2007年2月15日

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