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行政の主体性と責任の放棄が利権あさりを生み出した  府連見解

      06年8月1日

   府民の共同の力で部落問題解決の最終段階を切り開こう

                  民主主義と人権を守る府民連合
                                                    
  大阪市における乱脈同和がいま市民から厳しく指弾されています。同和地区内外の格差が是正され同和行政が基本的にその役割を終えた今日、大阪市で吹き出している乱脈同和の数々。部落問題の解決をすすめるといってきた解同や行政は部落解放の名に隠れて何をしてきたのか。市民の疑問は募るばかりです。しかし、芦原病院問題、造園関連事業を巡る不正入札事件、飛鳥会事件など、大阪市における同和行政をめぐる問題に対する解同、大阪府・大阪市、マスコミ、警察等の対応は、これらの問題の本質や真の解決策を解明するどころか、解同擁護、これまでの体制擁護を基本になされているものばかりです。これではいつまで立っても部落問題の完全な解決は実現できません。そこで今回の問題のとらえ方および今後の展望について、民権連としての基本的な見解を明らかにするものです。

  はじめに
  水平社以来の部落解放運動は、封建的身分差別の残り物を克服し、「人の世に熱あれ、人間に光あれ」をめざした我が国における民主主義と人権を確立するたたかいでした。この部落解放運動は、内部に派生した「部落民以外すべて差別者」とする部落排外主義とのたたかいを通して前進してきました。とりわけ1960年代末に部落解放同盟指導部を略取した暴力と利権を特徴とする部落排外主義とのたたかいは、部落問題の性格を民主主義の課題として明確にさせ、日本社会における民主主義と人権の水準を引き上げ、国民融合による部落問題解決こそが本流であることを鮮明にさせました。
  私たちが、1970年に解同の間違った運動と決別し、部落解放同盟正常化全国連絡会議(正常化連)を結成して(76年全解連に発展的改組)36年になります。これ以降、解同幹部の無法な暴力・利権あさりは大阪府下中ふきあれました。警察は彼らを泳がせ、「赤旗」以外のマスコミはいっさい報道しようとしませんでした。こうした中で、私たちは、彼らの蛮行を許せば部落問題解決を逆行させる、といかなる暴力や迫害にも屈することなく敢然とたたかってきました。大阪は、解同の全国的拠点であり、反共、暴力、利権あさりの震源地でありました。
 私たちは、府下各地で、命をかけ、人生をかけた血のにじむような活動を展開しました。その特徴は、第一に、解同幹部の暴力、利権あさりに反対し、府民に理解・支持される部落解放運動をすすめてきたこと、第二に、大阪府をはじめとする不公正・乱脈な同和行政に反対し、「府同促・地区協」方式による「窓口一本化」行政の是正と同和行政の終結を求めてきたこと、第三に、解同幹部による教育介入に反対し、子どもと教育を守るためにたたかってきたこと、第四に、「矢田事件」をはじめとする裁判闘争を果敢にたたかい勝利してきたこと、第五に、地域の自治・連帯を広め、ふれあいのある町づくり、住んで良かった町づくりのために奮闘してきたことにあります。
 そして、2004年6月6日。私たちは、部落問題は基本的に解決されたとの認識にたって、水平社以来の部落解放運動から卒業し、①民主的な地域づくり、②「人権」の名による人権侵害から府民を守る、③公正で民主的な行政を求める、④解同の暴力、無法、利権あさりを根絶する、ことを目的にした新たな運動組織「民主主義と人権を守る府民連合」(民権連)を結成したのです。
  いま、これまで解同の暴力・利権あさりにいっさい手をつけてこなかった警察が動き、同和問題についてほとんど報道してこなかったマスコミも連日のように報道するようになってきました。大きな変化です。民主主義と人権を何よりも大切にしてきた私たちのたたかいの成果だといえます。
 歴史の審判は下りました。何が正しかったのか。誰が正しかったのか。部落解放の旗を汚し利権獲得に狂奔する解同、それに屈服し乱脈行政をすすめる大阪府と大阪市。こんな人たちに部落問題を語る資格はありません。

 「部落解放同盟」は差別をネタに利権をねらう暴力・利権集団である
  解同大阪府連は、6月20日小西邦彦「除名処分にむけて見解」の中で、「全国水平社創立以来の歴史と伝統を有するわれわれの運動は、部落解放の実現という社会正義の闘いである」「われわれは部落の完全解放という崇高な使命を忘れず、その責任を自覚し部落解放運動に邁進するものである」と胸をはっています。朝日新聞社説(6月2日付)は、「解放同盟  原点に戻る契機に」「差別の激しかった戦前に生まれた水平社を引き継ぎ、部落差別と闘ってきた解放同盟である」とこれまた解同を持ち上げ擁護しています。しかし「矢田事件」以降の大阪における解同の暴力、無法、利権、教育介入、マスコミへの介入など数限りない事実を想起するだけでもこれらの主張は崩壊します。解同は、「部落民以外は差別者」という部落排外主義をかかげ、暴力的糾弾で相手を屈服させ、行政には「同和行政の窓口一本化」を認めさせて解同を唯一の窓口にしました。これが同和施策をすすめる特権的構造であり、解同に莫大な利権あさりを許す仕組みとなりました。このように解同とは差別をネタに利権をねらう暴力・利権集団であり、今回大阪市で起きている一連の事件は、決して一部不心得者の仕業ではなく、解同の本質そのものからきているものです。このことをしっかりと見抜こうではありませんか。

 行政の主体性と責任の放棄が利権あさりを生み出した
  今回の飛鳥会事件に見られるように、解同元支部長や市職員が逮捕されるという異常な事態が引き起こされた原因はいったいどこにあるのか。それはいうまでもなく歴代の大阪市のトップが、解同の暴力的行政介入に屈服し、「同和事業は解同の協力を得て実施する」という確約を与え、巨額の同和予算が解同幹部による利権と腐敗の温床になったからです。その根源には、大阪府・大阪市が行政の主体性と責任を放棄して、解同幹部に同和事業の独占管理(窓口一本化)をみとめ、唯一の「協力・促進」団体(「市同促=地区協」方式)としてゆ着を深めてきたことにあります。その結果、同和対策事業のすべてを解同幹部が独占管理し、住宅・保育所をはじめ個人給付にいたるすべての事業の認定・判定権を解同幹部が牛耳るという異常な事態が生み出されたのです。行政の公認のもとに、解同による行政支配、住民支配がおこなわれ、住民の中に差別と分断が持ち込まれたのです。この「市同促=地区協方式」(大阪府の場合は「府同促=地区協方式」)は、解同を行政における特権的な地位に押し上げ、解同府連大会には太田知事が毎年出席する、解同府連との交渉にも知事をはじめ幹部職員が揃って出席し、解同の要求を丸飲みするという信じられない状況が今もなお続けられているのです。この行政のトップと解同幹部のゆ着の構造こそ不公正・乱脈な同和行政の根源です。いったいこの両者にどんな関係が存在するのか、その疑惑の解明こそが求められているのです。

 マスコミや警察に責任はないのか
  芦原病院問題、飛鳥会事件を契機に大阪市の乱脈同和の問題についてマスコミは連日のように報道するようになりました。これは大変喜ばしいことです。しかし報道の状況を見るとマスコミにおける「解同タブー」はまだ払拭されていないのではないか。
  例えばこれまで長年にわたって解同裁判で活躍されてきた石川元也弁護士が6月9日付で朝日新聞大阪本社編集長あてに、「同和問題、同和行政と部落解放同盟に関する報道の姿勢」について書面を送っています。その中では、「無法地帯とも言うべき状況が永く続けられた原因として」、①不法な暴力に対して警察権が適正に行使されず野放しにされたこと、②マスコミが事実を事実として報道する姿勢をとらず、報道放棄という状態で市民的批判の場を提供しないこと、の2点を指摘し、不退転の決意で真実の報道・評論を貫くこと、全記者に「同和問題回避」の傾向や意識を払拭し、事実を事実として記事にして送る姿勢をしていただきたい、社をあげて同和問題、同和行政について経過や変化、同和行政終結についての基本的な研修をおこなうことを求めています。この指摘と申し入れの内容は極めて重要だと考えます。
  飛鳥会事件でいえば、75年に共産党大阪市会議員が駐車場運営の実態を追及し、88年には小西理事長が暴力団幹部であったことも議会で明らかにしています。大阪市議会で共産党議員団がくり返し追及してきたは周知の事実です。何故これをマスコミは報道してこなかったのか。                               
 最近は民権連の事務所にもマスコミ各社が取材に訪れるようになってきていますが、紙面や報道を見る限り、解同追随、解同迎合の報道姿勢はそのままのようです。そこに登場するのは解同元幹部、解同系学者であり、「差別ある限り同和行政推進を」「強いマイナスイメージ」「誤解や偏見助長を懸念」「部落差別は、いまなお根強く残っている」など、解同を擁護する論調が目立ちます。これでは解同幹部に対する利権追及も腰砕けになるのではと心配されます。マスコミが「解同タブー」を払拭し、事実を事実として報道する姿勢、真実の報道を貫く姿勢に立つように強く求めるものです。

 もう「同和地区はない」を社会常識として
  今年4月25日、大阪府教育委員会の「同和地区学力実態調査」をめぐって、調査対象とされた子どもの保護者が調査の中止を求めて大阪地裁に訴えました。訴えの内容は、調査に法的根拠はない、法が失効しているにもかかわらずいつまで「同和地区」「「同和地区住民」扱いをするのか、ましてや調査することを対象者にも知らせないで個人の情報を行政が勝手に使うことはとんでもない、というものです。ご承知のように、2002年3月末で国の同和特別法が失効しました。ところが大阪府や大阪市は、「差別がある限り差別をなくす行政はやる」(太田知事)などといって、解同の要求に応えて法失効後も特別対策の継続を宣言したのです。そのためには、「同和地区」や「同和地区住民」の存在を大阪府・大阪市の手で明らかにしなければなりません。これまでは行政が認定・判定すれば差別になると言ってきたのですから自己矛盾です。無理を承知の上で解同の要求に屈服し迎合する、これが大阪府や大阪市の姿勢です。
  2000年5月に大阪府が実施した「実態等調査」では、「同和地区」居住者のうち67.8%が地区外からの来住者であり、高学歴・高収入層が流出し、30歳未満の若い世代では地区出身でない配偶者との結婚が70%をしめています。もう「同和地区」と呼べない実態が明らかになっているのです。「同和地区」は瓦解したのです。その上に国の特別法の失効です。国は、同和行政はその使命を終え、特別なことはやらないと決めたのです。同和地区を取り巻く環境は大きく変化し、特別対策を続けていくことは差別解消にかならずしも有効ではない、人口移動が激しい中で同和地区・同和関係者に対象を限定した施策を続けることは実務上困難、といったのです。この国の方向は、部落問題解決に向けた大切な流れであり、その促進こそが部落問題の解決につながるものです。
 いつまでも「部落ありき」ではなく、もう「同和地区はない」「同和地区住民なんていない」を府民の社会常識にまで高め合おうではありませんか。

 国民的融合をさらに前進させよう
  部落問題の解決は、生活上の格差を解消し「部落」とか「同和」ということがまったく問題にならない社会状況を作りだすことによって実現できます。1969年同和対策事業特別法制定以降、大阪では2兆8億円を超える同和予算が投入され、生活環境、労働、教育、福祉などの生活上の格差は解決しました。残るのは意識の問題になります。解同関係者は、05府民意識調査から「悪化への懸念ーなお厳しい差別のまなざし」といい、大阪府や大阪市は「差別が現存する限り同和行政をおこなう」といっています。まるで府民に責任があるといわんばかりです。解同幹部によるすさまじいばかりの利権あさり、大阪市の乱脈行政の現実を目の当たりにした府民が快く思わないのは当然です。部落問題の解決をねがう地域住民や府民の心を傷つけてきたのはいったい誰なのか。みずからの過ちを率直に認めることができない人たちには部落問題のステージから即刻退場してもらいましょう。    

 部落問題解決の最終段階を切り開くために
 私たちは、大阪府・大阪市との交渉、マスコミとの懇談、府民宣伝、労組・民主団体との連携強化のために全力をあげる決意です。そして府民のみなさんとの共同した力で以下の課題の実現をはかり、部落問題解決の最終段階を切り開きたいと考えるものです。
①大阪府・大阪市に、暴力利権集団=解同との関係をいっさい断ち切らせましょう。 
②大阪府・大阪市に、行政の隅々にまで及ぶ解同利権の構造を徹底的に明るみに出させま しょう。
③大阪府・大阪市に、行政の主体性と責任を確立させ、同和行政を完全に終結させましょ う。
④大阪府・大阪市に、「人権」の名による「人権抑圧」機関である「府人権協会」「市人 権協会」を解散させましょう。
⑤大阪府・大阪市に、解同の考えを一方的に注入する「教育・啓発」をやめさせましょう。
⑥大阪府・大阪市に、“法のもとの平等”の原則にたって、公平・公正で府・市民にあた たかい行政を推進させましょう。
⑦マスコミに、「解同タブー」を打ち破り、真実の報道・評論を貫くことを求めましょう。 民権連との意見交換も含め、多くの判例や政府関係文書の到達点に学び、部落問題解決 の最終段階におけるふさわしい報道を求めましょう。
⑧大阪府民の共同の力で、民主主義と人権が尊重される地域社会づくりを前進させ、いか なる暴力・利権にも反対し、部落差別がまったく問題にならない地域づくりをすすめましょう。

 

                                                    
                                          

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