« 差別禁止の条例は、企業には必要だが、「問題」とされるもの | トップページ | あらためて「東大阪市における同和事業の終結」の実施を求める »

『架け橋』 東野敏弘

 町民が主人公 開かれた黒田庄町をつくる会」(「つくる会」)より「資料集・住民が主人公 開かれた黒田庄をめざした10年のあゆみ」(「10年のあゆみ」・A4版・140頁・頒価800円)も出版されています。
 この「10年のあゆみ」には、「つくる会」が発行してきたビラや、「民主町政を妨害する活動-部落解放同盟を中心に-」として資料も掲載しています。
 「架け橋」は一冊1500円(送料290円)・「10年のあゆみ」一冊頒価800円(送料290円)、セット購入の場合2000円(送料340円)です。取り次ぎは、兵庫人権連のFAX(078)531-3740でご注文くださるようお願いいたします。

『架け橋』   

芹生公男(せりゅう・きみお=元黒田庄町教育長)
 東野敏弘さんは天性の教師です。中学校の社会科の教師として、HRの担任として、部活動の顧問として、ここに書き切れない多くの実績があり、生徒や保護者、更に広く地域住民にまで信頼される素晴らしい先生でしたから、当然、定年まで勤めてその職を全うするはずでした。それは本人の長年の夢であり、ご両親の強い希望でもありました。それが一転して、思いもしない政治の世界へ足を踏み入れることになるのです。
 それは一枚のビラから始まります。やむにやまれぬ思いから数人で始めたその訴えは、やがて良識ある住民を動かし、新しい黒田庄町への大きなうねりとなっていきます。常に指導的役割を果たしてきた東野敏弘さんは、ついに町長選への出馬を要請されるに至ります。若干四十三歳、好きな教職をなげうってまで立候補したところで、現職の町長と互角に戦えるはずもない、ほとんど無謀とも言えるその決断に踏み切ったのは、運動を共にした住民の方々の後押しがあり、何よりもなんとか町を変えたいという必死の思いがあったからでした。そして、感激の当選-第Ⅰ部のクライマックスです。しかし、それは苦闘の始まりでもありました。
 第Ⅱ部は役場への初登庁の場面から始まります。出迎えた職員の三分の一が新町長との握手を公然と拒絶します。議会はと言えば、はっきり新町長側に立ってくれる議員は共産党の一人だけ。何をするにも議会が反対し、解放同盟が執拗な妨害を繰り返すなか、それでも確実に公約を実行してゆきます。第Ⅱ部はその苦闘と感動の記録です。そして七年七ヶ月、西脇市との合併という苦渋の選択をもってこのドラマは幕を閉じます。しかし、「町民が主人公、開かれた町」づくりのための「架け橋」になろうという、東野敏弘さんの願いは決して終わりません。更に大きな視野で、例えば、西脇・多可の「架け橋」として、その力を大いに発揮してもらいたいと思います。住民の多くは第二幕の幕開けを待ち望んでいます。

「架け橋」読後感     

白川洋彦(しらかわ・ひろひこ=前黒田庄町教育長) 
 東野敏弘さんの「架け橋」は、同和地区の生まれと知って不登校になるまで苦悩した中学校時代、それを克服して「部落研」を立ち上げた高校時代、八鹿高校事件をきっかけに日本共産党に入党した大学時代などの生い立ち。
 彼にとっての天職ともいうべき教職を辞しての、無謀とも思われる町長選への立候補。共産党員でありながら(郡部では未だに「共産党」に対する根強い偏見があります)地域住民の圧倒的な支持を得て初当選するまでのⅠ部と、解同や地元選出県会議員の執拗なまでの民主行政への妨害や嫌がらせを、「町民が主人公」をモットーにその姿勢を貫き通して超克した、二期七年七カ月にわたる町行政のリーダーとしての実践を中心としたⅡ部とで構成されています。
 どの項の内容をとっても、見栄や衒いなく事実をありのままに記述しているだけに迫力があり、感動を呼び覚ましてくれます。まさに「誠意と情熱の人 東野敏弘」を目の当たりにする思いでした。
 特に、彼が「自己の人生にとっての運命の日」としている八鹿高校事件は、私自身にとっても、生き方のターニングポイントなった事件でもあり、当時をありありと思い出しながら読み進みました。
 彼はおだやかで人との対話を好む好紳士ですが、不正義を断固として許さない強さをもっています。その強さはどこからくるのかとかねがね思っていたのですが、天性のものに加えて、確かな理論に基づく実践の積み重ねで培われたものであることを、この書によって理解できたような気がします。
 東野町長は、国の地方交付税の削減等による町財政の行き詰まりによって、「本来、地方分権とは、住民自身の自己決定・自己責任の考えに基づくものであり、規模が小さければ小さい方がよい」という、「住民が主人公」の行政から遠ざかることを懸念しつつも、合併という苦渋の選択をせざるを得ませんでした。
 しかし、そんなときにでも彼の住民第一主義は変わりません。十分な住民の理解を得るための入念な説明会を何度も繰り返し、さらに合併を機会に、これまで不便を囲っていた周辺地区住民の利便のため、数カ所の「地域振興局」の設置を提起するなど、他地区の住民に対しても「住民が主人公」という姿勢を貫いています。残念ながら、私の住む町での合併説明会などは、実におざなりなものでしたから、なおさら東野町長の姿勢には頭が下がる思いでした。 
 国を挙げて国民不在の政治がすすめられている今こそ、一地方の小さな町の民主行政が、いかに住民を大切にしてきたか、また住民がいかにそれに応えてきたかを、一人でも多くの方々に是非知っていただきたいと念願しつつ読了しました。  

「架け橋」 

渡部 吉泰(弁護士)
 私は、東野さんの町長就任直後から、弁護士として黒田庄町主催の法律相談を担当させていただきました。時に、法律相談を終えた後町長室にお邪魔して雑談をさせていただいた頃のことが懐かしく思い出されます。
 「架け橋」を読んで、信念を貫いてきた東野さんのこれまでの歩みを知りました。東野さんが、天職とも言える教職を辞して、自らの人生を掛けた町長選に立候補された動機が初めて理解できました。この点を是非読んで下さい。そこでは、人の生き方を学ぶはずです。
私は、東野さんは、生徒から慕われたすばらしい教師であったと思います。しかし、こうした教師としての資質は、決して町長という仕事と矛盾しないことも知りました。
 少数から始めた解放同盟との闘いが、ついには町民の多くの指示を得るプロセスは感動的ですらありました。私は、そこでは東野さんの教師としての資質が大きく寄与したのではないかと推測しています。また、町長就任以後の敵対する議員に対する毅然とした姿勢にはしたたかささえ感じました。私が会った町長室での東野さんは、決して悲壮感漂う人ではなく、懇切で謙虚でありあくまで前向きでした。
 こうして多くの功績を残した東野町政でしたが、一点惜しまれるのは、合併によって、地域で生き闘ったこの東野さんが町長で無くなったことでした。私には、黒田庄町長東野の印象は余りに強いのです。
 是非、この書物を読まれて、地域で生きるとは何か、そして民主運動の原点を感得していただきたいと願います。


 全国人権連第2回大会討論
 兵庫県連・東野敏弘

 皆さんこんにちは。昨年、黒田庄町は隣の西脇市と合併し長年務めていた町長を退任しました。たった一枚の部落差別撤廃条例は黒田庄町には絶対に必要ない、と7人の連名で出したチラシから黒田庄町は大きく変わり出しました。そして私のようにまったく行政経験のない一中学校教師が1998年3月4日に第6代の町長として就任させていただきました。こうした力は黒田庄町の住民の方々が自分たちの故郷を部落解放同盟の横暴、圧政から何とか守ろうという闘いがあり、当時の全解連の皆さんから大きなご支援をいただいたお陰だろうと思います。在任中の7年7ヶ月は大変な思いをしましたけれども多くの皆さんに支えられて部落解放同盟の嫌がらせや妨害に行政は決して一つとして妥協してはいけない、部落解放同盟の圧政をきちっと断ち切る、これが私の使命だとがんばって来させていただきました。そして一方では同和対策事業にばかり使ってきた町のお金を何とか子どもたちの教育、高齢者の福祉に当てることが出来ました。人権連が長年推奨してきた、どう住民の福祉と暮らしを守っていくのかをとりもなおさず全国的な課題となっている生存権をなんとか守っていく。教育と福祉を守ることは憲法で保障された生存権を守るという闘いだろうと思っています。抽象的な人権ではなく、日本国民として生まれた人々が人間として尊ばれ、人間として当たり前の生活をしていく。これが地域づくりであり国づくりだろうという思いでいます。残念ながら合併して町長ではなくなりました。けれども皆様方と一緒にこれからも精一杯がんばっていきたいと思っています。
 『架け橋』という本をまとめることが出来ました。自分を振り返ってどうだったのだろうか。また黒田庄の町を振り返ってどうだったのだろうか。こうして文章を連ねていくと、やはり同和地区と同和地区外の垣根を取り除こう、部落差別をなくそうということが私が中学校3年生の時、同和地区に生まれたと分かった段階からの歩みだったように思います。同和地区と同和地区外の架け橋になろう。ずぶの素人が町長になりましたが、素人でも住民の方々の切実な願いを行政に届ける架け橋になれるだろう。合併という選択をしましたが、旧黒田庄町と旧西脇市の間に立った架け橋になれるだろう。こうした思いで『架け橋』というタイトルにさせていただきました。
 一方で10年の歩みとなっていますが、私の選挙母体で多くの住民の方々に結集していただいた「町民が主人公、開かれた黒田庄をつくる会」として資料集を出すだけでなく、当時の全解連、民報、様々な妨害を行った解放同盟の資料も証拠として集録をしてきました。解放学級の問題でもこういうふうにして子どもたちのためにしようとしていると証拠として資料集としてまとめ上げてきました。
 ただいまは次のステップへの充電期間をもらっています。全国で活動されている皆さん方、地域でたいへんな思いで活動されているのだと思います。けれども皆さん方の活動、また私が7年7ヶ月町長として行ってきた活動はとりもなおさず地域の人々の人権を守る、日本の国をもう一度国民が主人公の国に作り替える、そうした壮大な活動なのだろうなと思います。お互い体に気をつけあって精一杯がんばりあいたいと思います。今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。ありがとうございました。

|

« 差別禁止の条例は、企業には必要だが、「問題」とされるもの | トップページ | あらためて「東大阪市における同和事業の終結」の実施を求める »

つれずれ」カテゴリの記事