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確認糾弾会への行政の参加は違法とされた

弓矢人権裁判の名古屋高裁判決一部勝訴について(声明)
          2006年4月21日
  中央人権共闘会議
    全国地域人権運動総連合
   国民融合をめざす部落問題全国会議
 
   3月20日、名古屋高等裁判所で、三重県立松阪商業高校教諭(当時)弓矢伸一氏が、三重県や部落解放同盟(解同)三重県連などに慰謝料を求めた控訴審の判決がだされた。判決は、被告三重県に220万円の支払いを命じた1審津地裁判決を上回る330万円の損害賠償支払いを命じ、県と解同の控訴を棄却するなど、原告一部勝訴の内容である。 
 損害賠償額を引き上げた理由は第1に、被告の同和教育推進教員の「『糾弾を受けてぼろぼろになったらええんじゃ。』という不相応な発言や机を蹴るという暴力的手段」は「一審原告を畏怖させるに足りる脅迫であって、違法な行為といわざるを得ない。」としていること。第2に、弓矢教諭へ強要した反省文「自分をみつめて」の自治会住民への配布について、「その配布は、1審原告の意に反して行なわれた違法な行為」と断じたことである。第3に、「確認・糾弾会」について、「義務のないことを強要し、あるいは脅迫するなどの違法な手段を用いて行なわれる場合にはもちろん違法となる。」「動機や背景事情を超えて内心の差別をする心理に深く立ち入ったり」することなど、としており、内心の自由、プライバシーの権利、名誉権の各権利侵害として認定したことは積極的に評価することができる。
 しかし、高裁判決は大変な事実誤認を侵している点がある。それは第1に、「自治会分離運動」と弓矢教諭の発言を「差別事件、差別発言」であると一審の誤りを踏襲していることである。第2に、「確認・糾弾会」への出席強要が違法であるとして、その前後の行為を「準備行為」や「確認行為」として違法性を認定しながら、その範囲を限定したこと。第3に、県に対する違法性を認定しながら、解同の被告らに対して違法性を認定せず、判断を回避したことである。
 1審津地裁の判決は、「確認・糾弾会」への出席を、法務省通知に違反して命じたこと、同和教育推進教員らが反省文、感想文の作成を強要したことは違法であるとして三重県の賠償責任は認めたものの実行行為者である解同幹部、同和教育推進教員らの責任を免罪したものであり、控訴審でもまた同様の弱点を抱えたものになっている。
 この事件は、原告弓矢教諭の居住地での発言(「お嬢さんの将来にもいいですしね」)が一方的に差別と断定され、執拗に「差別者」としての追及が県行政や解同、同推などによって行われ著しく人権を侵害されたことに端を発している。原告は自らの「差別心」を暴くことを強要され、「反省文ー自分を見つめて」の作成と書き直しを繰り返し求められた。また、その「自分を見つめて」が学校内や居住地に配布されて「差別者」としてさらし者にされた。さらに解同の「確認・糾弾」の対象とされ、その糾弾継続のさなかに弓矢教諭が勤務していた松阪商業高校の校長が自殺に追い込まれるという痛ましい犠牲を生んだ。
 この、原告にたいする執拗で徹底した追及と糾弾は、内心の自由、プライバシー、名誉など人格権にたいするこのうえない侵害として重大であり、これらの行為は、同和教育基本方針と糾弾闘争基本方針とによって、解同、県教委の連携のもとに行われたものであり、原告の名誉は必ず回復されなければならない。
 そもそも一市民の発言を解同という一民間団体が「差別発言」と「認定」し、「確認・糾弾」と称して実質身体を拘束し、精神的苦痛を与えることは法治国家として許されざることである。さらに、たとえ「差別発言」と受けとめられるものであったとしても、その解決の筋道は当事者間の話し合いで理解と納得が得られるように互いに信頼関係を築きつつ合意に至るのが筋であり、原告はその場で「謝罪」し、しかも2度にわたって関係住民への釈明も行い、「問題」は解決をしているのである。これを教師としてあるまじき行為として「事件化」することは、見せしめに動いた関係者の陰謀であり、社会的犯罪と言える。
 これは、1969年の矢田事件以来の解同の暴力的「確認・糾弾」を断罪してきた判決が示す見解であり、旧総務庁の「指針」、法務省「見解」が部落問題解決の障害、啓発に適さないとして批判したものである。一度は、確認・糾弾の恐怖に屈した一市民である原告の言動を根拠に、「違法性を阻却する」ことは許されない。
 これら一審二審の弱点は、判決に示された積極的部分を活用しながら三重県内でのたたかいを中心に克服されなければならない。2004年10月6日から三重県で開催された部落解放研究第38回全国集会で解同三重県連の報告者は、「人権侵害救済条例」の制定運動にかかわって「ペナルティーがあるからシートベルトをするようになったし、飲酒運転もしなくなった。弱い人間は法律で決められないとできないものだ」という趣旨のことを放言している。三重では、このような基本的人権を軽視して憚らない勢力の策動を打ち破り、控訴審の闘いを通して得た財産を生かし、特権的同和・人権行政教育の終結、「確認・糾弾」の社会的一掃、新たな人権侵害を生み出す「人権(救済)条例」の制定を阻止するために「人権共闘会議」結成に向けての準備が進められている。
原告弓矢教諭は、高裁判決の一部勝利の意義を確認しつつ、消極部分について破棄を求め、4月3日最高裁に上告した(同日三重県も上告)。我々は、三重でのたたかいに連帯し、上告審でのたたかいを引き続き支援することを表明するものである。
                         

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