教育の困難は与党の責任 教育基本法を敵視してきた結果だ
【見解】2006/04/17
『父母・国民、教職員の良心を総結集し、「戦争する国」の人づくり、時の政府による教育支配をねらう教育基本法改悪法案国会提出を阻止しましょう―与党「教育基本法改正に関する協議会(最終報告)」について――』
http://www.zenkyo.biz/html/menu4/2006/20060418103739.html
2006年 4月17日 全日本教職員組合中央執行委員会
与党「教育基本法改正に関する協議会」は4月13日、「教育基本法に盛り込むべき項目と内容について(最終報告)」(以下、改悪案)を明らかにし、政府に対し、「教育基本法改正法案を速やかに取りまとめ、国会に提出するよう要請」しました。
改悪案は、2004年6月の「中間報告」で述べていた「教育行政は、不当な支配に服することなく」という文言を、教育基本法どおり「教育は」を主語として残したこと、教育の機会均等から「すべて」「ひとしく」を抜き去っていたものを復活させたこと、など、この間の私たちや国民の批判を受けて一定の手直しをおこなっています。しかし、後で述べるように、憲法改悪と一体のものとして教育基本法を変えるという本質的問題があるために、こうした手直しをすることによって、いちだんと深い矛盾をうきぼりにするものとなっています。また、改悪案は、ところどころに「個人の尊厳を重んじ」や「真理と正義を希求し」など、教育基本法と似た文言をちりばめています。しかし、結局は、それらを前文と目標で繰り返される「公共の精神」でくるみこんでしまおうとするものであり、9条改憲をねらう自民党「新憲法草案」と同様に、国民の権利としての教育を国家がおこなう教育へと根本的に転換しようとするものです。
これをはじめ、改悪案は以下に述べる重大な問題点をもつものであり、とても教育基本法などと名乗る資格のないものです。私たちは、教育基本法改悪法案の国会提出をゆるさぬとりくみを、広範な父母・国民のみなさんとともに全力をあげてすすめる決意をあらためて表明するとともに、以下、改悪案に対する見解を明らかにするものです。
1.憲法改悪と一体に「戦争する国」の人づくりねらう改悪案
そもそも教育基本法は、その前文で明らかなように、「憲法の精神に則」って定められ、「(憲法の)理想の実現は、根本において教育の力にまつべき」として、平和憲法と一体に定められたものです。しかし改悪案は、「(憲法の)理想の実現は、根本において教育の力にまつべき」という文言をすべて削除しました。これは、憲法と教育基本法の関係を切断しようとするものです。また、「真理と平和を希求する」という言葉を「真理と正義を希求し」に変更しています。侵略戦争が「正義」の名においておこなわれてきたという事実に立脚すれば、これも大変危険な変更といわなければなりません。
このように、改悪案は、憲法改悪をねらう動きと一体であり、それゆえ、重大な憲法違反の中身となっています。
第1は、「愛国心」押しつけの問題です。自民・公明の両党は、あれこれのいきさつをへて、結局「教育の目標」に「我が国と郷土を愛する」という言葉を入れ込むことで政治決着させました。「国を愛する」ということを強制力を持つ法律で決めること、しかもそれを「教育の目標」として子どもと教育、国民に押しつけること自体、内心の自由を定めた憲法第19条に明確に違反することです。
しかも「愛国心」は、戦前の侵略戦争遂行に子どもと国民の精神を総動員するための道具として使われてきたものです。それを、どういいくるめようとも、形を変えて教育基本法に入れ込むことは、教育基本法立法の精神に照らし、絶対にやってはならないことです。
このねらいは、私たちが繰り返し指摘してきたように、憲法第9条改悪によるアメリカとともに海外で戦争する国づくりと一体に、「戦争する国」を支える人づくりにあります。9条改悪というよこしまな野望にそって教育基本法を改悪しようとするので、重大な憲法違反とならざるをえず、その内容も、教育基本法の根本精神をくつがえすものとなっているのです。
第2は、国民の教育権を奪い去るという重大問題です。改悪案は、教育基本法第10条が規定する「教育は、不当な支配に服することなく」という言葉は残したものの、教育が「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべき」という文言をすべて削除しました。「不当な支配」は、憲法第26条が規定する国民の教育権にもとづいて、教育が国民に対して直接責任をもっておこなわれなければならないものであるからこそ、これを行政権力などが不当に支配してはならない、と定めたものです。「不当な支配」をしてはならないものの対象を抜き去れば、文字通り空文句となります。そのことを前提に、「国は…教育に関する施策を実施しなければならない」と述べているのですから、国が教育をおこなうのだとして、憲法が定める国民の教育権を事実上否定する重大な憲法違反となっています。
このねらいは、あとで述べるように、行政権力による教育支配にあります。
改悪案は、言葉のうえでは「憲法の精神にのっとり」という教育基本法の文言を残していますが、憲法9条改悪と時の政府による教育支配というよこしまな思惑によって改悪しようとしていることから、この言葉とはうらはらに、中身は憲法違反そのものであり、とても教育基本法などと名乗ることができないものです。憲法違反の教育基本法の存在は許されません。
2.教育基本法の中心的精神をすべて抜き去り、時の政府が思うままに教育を支配できるしくみをつくる
改悪案は、教育の目的に「人格の完成を目指し」という言葉は、ひらがなを漢字に変えて残したものの、憲法の理想を実現する国民の人格の内実として教育基本法が定めている「真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた」をすべて取り払って、「必要な資質」という、中身が空洞の、どうにでも解釈できる無価値な言葉に置き換えました。教育の目的から「真理と正義を愛し」をはじめとする平和・人権・民主主義を実現するために不可欠の普遍的価値を抜き去ることは、教育基本法からその魂ともいえる中心的精神を抜き去るに等しいものです。これは、「必要な資質」という空っぽの器に、「愛国心」など、時の権力にとって都合のよい「資質」を注ぎ込むことができるための受け皿づくりです。つまり、教育基本法改悪勢力がねらう憲法改悪後の国民の育成を想定したものといって過言ではなく、ここに教育基本法改悪のねらいが明瞭にあらわれています。
また、改悪案は、新たに「教育振興基本計画」という項目を起こしています。この部分のみ「政府は」を主語にして、「教育の振興に関する施策についての基本的な方針及び構ずべき施策その他必要な事項について、基本的な計画を定め、これを国会に報告する」としています。これは1で述べた問題ともあいまって、きわめて重大な内容です。つまり、行政権力による教育支配を前提に、時の政府が教育施策をすべて決め、しかもそれは法律をつくらなくてもよく、国会には報告するだけという規定となっています。これは、教育においては、政府がフリーハンドでなんら制約を受けることなく、何でもできるということを示しています。改悪案では、2004年6月16日に出された「中間報告」時点ではおかれていた「教育行政は、不当な支配に服することなく」は、言葉のうえではなくなっていますが、この「教育振興基本計画」の内容は、実質的には、教育行政が思うままの施策を国会審議も経ずに実施できるというものであり、中身の点では強化されて残されているのです。これは、行政権力による教育介入、教育支配に、教育基本法の名において法的根拠を与えるものです。
しかも、「教員」の項目から「全体の奉仕者」を抜き去っています。これは、時の政府による教育支配をすすめるために、国民のための教職員から、時の政府のいいなりで「教育振興基本計画」にもとづく施策を積極的に担う教職員づくりをねらうものです。1で述べた改悪のねらいから言えば、「戦争する国」の人づくりをすすめる教員づくりを推しすすめようとするものであり、許しがたいものといわなければなりません。
そもそも教育基本法は、戦前の「お国のために死ね」と教えた教育が、国家権力の支配のもとですすめられた、という痛苦の反省から、国家権力の教育への介入を厳しくいさめてつくられたものであり、これも教育基本法の中心的精神です。国民の教育権の事実上の否定と一体の「教育振興基本計画」は、形を変えた「教育勅語体制」ともいうべきものであり、断じて許すことはできません。この点からも改悪案は教育基本法を名乗ることなど絶対にできないものです。
一方で改悪案は、教育基本法第10条2項が、「教育行政は…教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」と述べ、教育行政の教育条件整備義務を規定しているにもかかわらず、教育行政の項目からこれをすっぽり抜き去り、「教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正かつ適正に行われなければならない」に置き換えました。
このことは、教育における国の責務とは何なのかが根本的に問われる問題です。1学級あたりの子どもの人数についても、50人学級から45人学級へ、そして40人学級へ、地方自治体では東京を除いて30人学級をふくむ少人数学級へ、と不十分ながらも前進させてきたこと、教科書無償配布を実現してきたこと、養護学校義務制をかちとってきたこと、など子どもの学習権を保障するための教育条件改善は、この教育基本法第10条2項に支えられてすすめられてきたものです。これをとりはらうことは、教育行政に義務として課せられていた教育条件整備を放棄するものであり、重大な問題をもつものです。
またこれは、「国から地方へ」のかけ声で、義務教育費国庫負担金をバッサリと削ったり、「小さな政府」論にもとづいて、教職員の自然減を上回る「純減」とまで言って教職員定数の空前の規模の削減まで打ちだしたりする「構造改革」路線をそのまま教育に持ち込むものであることについても指摘しておきます。
3.上記以外のいくつかの重大な問題点
第1は、「形成者」の概念を変質させていることです。改悪案は、「教育の目的」の項では一応「平和で民主的な国家及び社会の形成者」という言葉を使っていますが、「教育の目標」では「主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する」とすりかえ、「義務教育」の項目では「平和で民主的な」を削除して「国家及び社会の形成者」とさらにすりかえています。
そもそも「形成者」は平和・人権・民主主義の世の中を主体的につくりあげていく主権者国民、という意味であるにもかかわらず、「教育の目標」では、だれかがつくる社会に参画するという意味に変質させられています。これは、憲法9条を変えて「戦争する国」になれば、そうした国に「主体的に参画」するという意味であり、それゆえ「義務教育」の項では「平和で民主的な」をすっぽり抜いているのです。
第2は、教育基本法第2条の「教育の方針」を削除し、「教育の目標」におきかえていることです。「目標」とすると、どこまでできたのか、が問われます。この「目標」のなかに「我が国と郷土を愛する」を入れ込んだのですから、「愛国心」をはかるということになってしまいます。そうなれば、すでに大きな問題を広げている「日の丸・君が代」の押しつけや「愛国心」通知票などがさらに強められる重大な危険があります。
第3は、「男女共学」を削除していることです。これは「中間報告」時点でも指摘したように、復古的な価値観にもとづく男女観にもつながるものであり、この間のジェンダーの平等に対する攻撃とも軌を一にするものです。
第4は、義務教育制度から、「9年」という規定を抜き去っていることです。これは、義務教育段階からの学校制度の複線化も可能にするものと見て取れます。つまり、小学校入学段階からの「できる子」「できない子」の選別と、それをすすめる差別的学校制度に道を開く危険があるものです。また、規定の仕方によれば、自治体ごとに義務教育年限を違わせることにもつながり、教育の機会均等をこわすものとなりかねません。
第5は、「大学」という項目を置いていますが、驚くべきことに「学問研究の自由の尊重」ではなく、「教育及び研究の特性は尊重」としています。この間の政府・文部科学省の大学に対する施策は、大学教員任期制や国立大学の法人化など、学問研究の自由を崩し、大学もいっそう競争的環境におこうとするものですが、改悪案は「研究の特性」の名で、それをさらにすすめようとするものです。
第6は、家庭教育への行政権力の介入・干渉の危険です。改悪案は「家庭教育」の項を設けていますが、そこでは、「父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有する」として父母の教育権を捨象して責任のみを押しつけ、「国及び地方公共団体は…家庭教育を支援するために必要な施策を講ずる」としており、家庭教育への介入・干渉の危険があります。
4.教育という重要な国民的課題を、すべて密室協議し、国民不在ですすめてきたという重大問題
与党「教育基本法改正に関する検討会」は70回にわたって開かれてきましたが、その内容はまったく国民に明らかにされず、ずっと密室で協議されてきました。教育は、もっとも重要な国民的課題のひとつです。「国家百年の計」といわれる教育の、しかも戦後教育の出発点であり、「教育の憲法」であり、準憲法的性格をもつ教育基本法についての協議を、国民置き去りですすめてきたことは、主権者国民をないがしろにするものであり、あってはならないことです。こうして国民不在ですすめてきた教育基本法改悪案をいきなり国会に提出し、多数を頼んで強行することなど、断じて許されることではありません。世論調査の結果で、教育基本法を変えたほうがよいのでは、と考えている人の中でも、今国会で急いで成立させるべきではない、という意見が76%(3月14日NHK世論調査)にも及んでいるのは、こうした国民無視のやり方に対する厳しい異議申し立てです。改悪案の内容の重大性とともに、民主主義を無視した手続きの重大性もあらためて指摘するものです。
以上のことから、全教は、与党「教育基本法の改正に関する協議会」に対し、改悪案の撤回を強く求めるものです。同時に、政府に対し、教育基本法改悪法案の国会提出の断念と、教育基本法改悪法案の策定作業を即刻中止することを厳しく要求します。
日本の教育はさまざまな課題を抱えています。それは、教育基本法に問題があったからではまったくありません。逆に、一人ひとりの子どもたちを人間として大切にするという精神につらぬかれた、教育基本法にもとづく教育政策をおこなってこなかったことに根本的な原因があります。改悪案は、この事実をさかさまに描き出して教育基本法を変えてしまおうとするものであり、子どもと教育にいっそうの困難をもたらすものです。このことをふまえ、全教は、憲法・教育基本法にもとづく教育をすすめるため、父母・国民のみなさんとともに力を尽くす決意を、あらためて明らかにするものです。
子どもはその存在自身が未来です。子どもの未来を閉ざしてはなりません。全教は、「教え子を再び戦場に送るな」という歴史的スローガンを共有するすべての教職員との共同を広げ、平和を願い、子どものすこやかな成長を願う広範な父母・国民のみなさんとともに、憲法・教育基本法改悪をゆるさぬとりくみ、とりわけ、教育基本法改悪法案国会提出阻止のために、全力をあげてとりくむものです。
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