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片山知事と山田県議 12月12日

2005.12.12 :

平成17年11月定例会速報版(12/12 一般質問) 

◯5番(山田幸夫君)
 まず初めに、人権救済条例につきまして、再確認あるいは提起も含めまして何点か質問をしてみたいと、このように思います。
 まず、条例の趣旨の再確認でございます。
 去る10月12日、県議会で鳥取県人権侵害救済推進及び手続に関する条例が可決され、成立をいたしました。全般的な人権侵害救済に関する条例が制定をされるのは全国で初めてであり、歴史的な意義があると考えております。片山知事を初めとする執行部あるいは県議会の皆様、何よりもこの条例の制定を求めて粘り強い運動を展開された関係者の皆様に対しまして、改めて敬意を表する次第でございます。
 この条例が、その目的に掲げられているように、人権が尊重される社会の実現に寄与するよう、さらなる県民の理解と前進を推し進めるための思いで知事に質問をいたします。
 まず、この条例に対してはいろいろな意見が寄せられていますが、多くは懸念をされるマイナス面ばかり取り上げられ、県民の不信感をあおるような一面的な批判も見受けられるようでございます。先ごろ一部の団体が条例反対の署名活動を行っているものを見ました。その配布されているチラシには、この条例が、さも国民の権利を侵害をするもの、いわば文民統制、あるいは住民に対する国家統制、戦前の治安維持法を思わせるかのごとく書かれておるのでございます。私たちが目指してまいりました本条例の目的、趣旨から全く逸脱したこのような情報が県民の目に触れ、県民に誤解を与えかねないと思いますと、大変恐ろしいことでございますし、遺憾なことであると考えております。この条例は、あくまで人権侵害をなくしていくために双方の話をよく聞いて話し合い解決していこうというものでございまして、差別行為をした人を教育啓発し、反差別の立場になっていただく、こういう条例として制定をしたものと認識をいたしておるのでございます。執行に当たりまして、知事の考え方を改めてお伺いをいたします。
 2番目に、行政による人権侵害に対する救済についての件でございます。
 この条例に寄せられる懸念の中には、以前ニュースにもなりました、刑務所、警察等で人権侵害があった場合のような行政側による人権侵害に対して救済が十分ではないというものがございました。条例は、そのように官に甘く民に厳しいといったことのないよう条文上規定されているものと理解をいたしておりますが、この点につきまして知事にお伺いしたいと思います。
 3点目に、マスコミによる人権侵害があった場合についてでございます。
 この条例の運用に当たっては、報道機関のいわゆる報道の自由や取材の自由を侵すのではないかと懸念される声が、これまた寄せられておるのでございます。そのような配慮から条例31条では、報道機関の報道または取材の自由その他の表現の自由を最大限尊重し、これを妨げてはならないと規定されているところであります。その趣旨は、仮にマスコミの取材活動や報道によって県民の人権が侵害された場合には、この人権救済委員会がすぐさま動き出すのではなく、あくまで報道機関がみずからの責任において自主的解決をしていくことを期待いたしているところでありますが、執行に当たっての知事の考え方をお伺いをいたします。
 4点目に、人権救済推進委員の研さんについてでございます。
 さきの議会でも議論がなされましたとおりに、この条例が適正に運用されるかどうかは人権救済推進委員会にかかっていると言って過言でないのでございます。このため、委員には人権についての一定期間の研修の義務づけ、また、毎年度議会に報告される報告書には、単に相談、調査、勧告等の件数を羅列して報告するだけではなくて、それらの分析を踏まえた、また提言も踏まえた、そのような内容が望ましいと考えておるところでございます。もとより県民の意見を広く聞きながら以降の研さんに生かしてもらいたいと考えますが、知事の考え方をお伺いしたいと思います。

◯知事(片山善博君)
 最初に、いわゆる人権推進条例の件でありますが、山田議員からは、さきの9月県議会において成立しました人権推進条例について、県民の皆さんの不信感、不安感をいたずらにあおるような一面的な批判が多いのではないかという御指摘がありましたが、そういう面もあります。私も県民室などに寄せられた条例に対する批判を見てみまして、かなりの部分が事実に基づかない、ためにする議論であったり、誤解であったり、単に誹謗中傷を投げかけるだけの意味合いしかないようなものであったりする、しかもそれが同じような文面で組織的に届いているという、そういう傾向を読み取りました。ただ、しからばこの条例に寄せられた異論、反論、批判というものはそうしたカテゴリーに属するものばかりかといいますと、それは必ずしもそうではないわけでありまして、中には本当に真剣に考えて反対をするというようなものも、やはりあるわけであります。特にそういうカテゴリーに属するものは、1つは法曹関係者からの寄せられたものであり、もう1つはマスコミ関係者から寄せられたもの、その他のものもありましたけれども、いずれにしても、一面的で当たっていない批判と真摯な異論、反論とが混在しているというところに、この問題が混迷を深めている1つの背景があるのではないかと思います。
 まじめな方というと変ですけれども、真摯な方の異論、反論を見ますと、それはそれなりに理屈の通ったものもあるのであります。私なども、見て、なるほどなと考えさせられるものもあります。それは、今回議員立法によって条例を制定せられましたけれども、そのもとになった昨年12月の県議会に提案しました、これは執行部提案でありますけれども、例えばその提案をする前にその種の真摯でまじめな意見が寄せられていれば、ひょっとしたら、ないし恐らくは、執行部提案の前に多少なりとも何らかの修正を施していたであろう、そういう要素も実は意見、批判の中にはないわけではないというのが率直な気持ちであります。なるほどなというようなものとか、確かに言われてみればもう少しきめ細かい配慮を規定上しておくべきではなかったかとか、人権の2次被害などを引き起こさない公正な執行する自信はもちろんありますけれども、しかし、この種の懸念が生じるのであれば、本来執行にはやはりその懸念が生じないような規定上の配慮をもっとしておくべきではなかったかとか、念のためにもう少し詳しく書いておくべきではなかったかとか、そんなことを感ずることも、今回の一連のいろいろな意見や異論、反論の中から読み取ったような次第であります。
 いずれにしてもこの問題は、何回もここで御答弁申し上げましたように、でき上がった条例をどうやって運用するかということになりますので、その中で幾つかのポイントがありますけれども、わけても重要なポイントが法曹の協力が得られるかどうかということでありまして、その法曹の協力をできる限り得られるようにするためにどういう方途があるのか、まずは法曹の皆さんも含めた学識経験者、この問題に関心の深い方から執行部として意見を聞いてみる、そういう機会を設けたい、まずはそこから入っていきたいと今考えているところであります。
 その条例について幾つかの批判なり意見が寄せられたその中で、幾つかのポイントを山田議員の方が御指摘になって、そういう懸念は当たらないのだということをおっしゃられました。まずその1つが、刑務所などでの人権侵害のような行政機関による人権侵害について、そういう申し出があったときに行政機関の方で資料提供などを拒否する権限といいますか、判断といいますか、そういうものがこの条例上付与されている、それは官に甘く民に厳しいという批判があるわけですけれども、それは当たっていないはずだと、こういう御意見でありまして、立法機関の立法者がそう言われるわけですから、そうかなと思ってもいいのですけれども、客観的に見ますと、行政機関が他の一般の住民、国民の皆さんに比べるとやはり優越的なポジションを与えられているということは、これは否めないのではないかと私は思います。それはこの条例に限らず、いろいろな条例、法律でそういう行政機関が優越的なポジションを与えられるというのは日本では通例でありますから、もちろんこれだけが例外的であるわけではないのであります。それは例えば、先行します鳥取県の情報公開条例などでも同じような仕組みがとられているわけでありますから、この条例だけが何か異質なものを本県の条例の中に持ち込んだというわけではないのであります。
 何ゆえに我が国では法律や条例上、行政機関がある種優越的なポジションを与えられるかということは、これは官の仕事が非常にパブリックであって重要であるということが1つ背景にあるのでありましょうけれども、もう1つは、官の無謬性ということが背景にあるのだろうと思うのです。役所は間違いをするはずがない、しないものだと、こういう前提で我が国の国法、その他の立法はなされているのだろうと思います。例えば、かつての行政事件訴訟法などは典型的でありまして、役所が不法行為、違法行為などで民間、住民、国民に損害を与えるという可能性はもちろんあるのですけれども、まず法律の建前からしますと、役所のやることに間違いはないという前提に立っているのであります。したがって、間違った行政行為が行われて損害をこうむりますからやめてくださいというようなことが、実は従来は言えなかったわけです。やってみて損害が出たら、そこで初めて訴訟になると、こういう建前でありまして、役所は訴訟上、国民とは同等ではなくて非常に高い優越的立場であったわけであります。今でも実はそういう面はあるのでありますけれども。
 では最近、官が無謬かといいますと、実は現実を見ると無謬性神話はもう崩れているわけでありまして、官も大いに間違いをする、非常に人間的であるということが最近いろいろな面で証明されているわけであります。それは警察だって、北海道警などを見てみますと裏金だらけだったということでありまして、法の番人といいますか、法の執行者が実は法の裏をかいていたなどということはあるわけであります。やはり人間の組織というのは必ず間違いがある、そういう前提に立たなければいけない。といいますと、官は無謬であってほしいけれども、やはり官も決して無謬ではあり得ないということ、この前提に立たなければいけないだろうと思います。
 そういうことからしますと、例えば本当に国民の視点でバランスよく考えた場合には、例えば官が拒否する理由があると言ったときに、本当にそれは拒否する理由があるかないかをだれかがチェックするというシステムがあれば、恐らくこうした批判でありますとか懸念というものは相当程度払拭されるのではないか、完全にではないとは思いますけれども相当程度払拭されるのではないか。現行のこの人権推進条例の条文、先行します情報公開条例の条文は、拒否するのですよと言えば官の側だけが一方的に拒否できるという仕組みになっていまして、だれもチェックしないというのは、これはやはり官の無謬性を余りにも信頼しているということになるのではないかという、こんなことを私は思います。
 しからば昨年の12月の知事提案の内容はどうだったかというと、実は現行の条例と全く同じでありますから、私が今ここでこう申し上げるのはいささか内心じくじたるものがないわけではないのですけれども、改めてこのたびいろいろな意見、批判をいただいてじっくり一条一条考えてみたら、なるほど、それはやはり別の規定の仕方があったのではないかということを思い知らされている昨今であります。ですから本当を言えば、昨年の12月に提案する前の段階で、鳥取県弁護士会などからその点などもパブリックコメントの段階で指摘をしていただいておけば、多分何らかの手直しを私なりにしたのではないかと思いますけれども、それがないまま提案をして、提案した後でいろいろな御意見をいただいたので、ちょっと後の祭りといいますか、タイミングを得ることができなかったという、そういう恨みを残す分野であります。
 ちなみに、最近大分変わってきたなと思いますのは、実はことしの4月から行政事件訴訟法が変わりまして新しい行政事件訴訟法が施行されたのですけれども、そこでは官の優越的ポジションというのはかなり緩和されております。官の優越的地位というのは原則としてはまだまだ認められておりますけれども、以前の改正前の行政事件訴訟法に比べますと随分緩和されています。例えば差しとめ訴訟ができるようになった。従来は差しとめ訴訟はできなかったのです。行政行為というのはもうやってしまって、損害が出たら初めて訴えなさいという仕組みだったのです。いやいや、もうこのまま行政行為やられてしまったら損害が発生するのはわかっているから差しとめてくださいということが、今までは訴訟類型としては認められていなかったのです。それは役所というのは間違ったことをするはずがないからという前提を崩していなかったわけですけれども、役所も間違える可能性があるので差しとめ訴訟というのが認められるようになったなどというのは、非常に地味なのですけれども、随分大きな変化が起こったものだと私は思います。
 さらには、例えば原告適格を拡大する、原告適格といいますのは、役所を訴える訴訟当事者になり得る地位というものが非常に限定的に狭められていたのですけれども、これがかなり広く認められるようになったということも、これも大きな変化でありますし、執行不停止の原則が少し緩和された、これもややこしいのですけれども、先ほどの差しとめ訴訟と同じようなことなのですけれども、訴訟になっても役所は執行停止しなくてもいいという原則があるわけです。今でもあるのですけれども、しかし、例外的に執行を停止することを裁判所が命ずる、その範囲が従来よりもかなり拡大をされたということがあります。
 これら一連の行政事件訴訟法の改正などを見ますと、お役所も決して無謬ではなくて、間違いをよく行う極めて人間的な普通の存在だということの了解のもとにこの法律の改正が行われているのだろうと思いまして、私は非常に好ましいことだと思います。行政機関というのは国民に対して絶対的な優越性を持っているという、そういう時代ではなくて、法律上は普通のプレーヤーであるということに近づきつつあるのではないかなと思います。そんなことを思いますと、繰り返しになりますけれども、行政機関の主張することも何らかの形でだれかがチェックをする、もちろんこれは一般公開もできない分野が当然多いでしょうけれども、秘密会でもいいですからだれかがチェックをするというシステムがあれば、問題はかなり解決するのではないかと思います。
 マスコミの取材活動などについて、表現の自由を妨げることになるのではないかという懸念があります。それはこの条例に直ちに乗っかるのではなくて、まずはマスコミの自主的な取り組みによって解決が図られることを条例は期待しているのではないかとおっしゃられましたが、それはそのとおりだと思います。条例にはもちろんそんなことは書いていませんけれども、マスコミ関係は最大限の配慮をするということが書いてあるはずですから、ですからそれを具体化すれば、山田議員がおっしゃったように、マスコミの自主的な解決を期待するというのが恐らくは立法者の態度だろうと思います。そのとおりだと思うのです。
 ただ、そのとおりはそのとおりなのですけれども、では、マスコミ関係が自主的解決が図られる前に、この条例の枠組み、仕組みの中に乗っかってこないかというと、やはりこれは乗っかり得るわけであります。ですから、マスコミだからまず自主的解決してください、受け付けませんよというわけには多分この条例ではいかないと思いますので、この条例の仕組み、運用に乗っかってくる可能性は大いにあるわけであります。そうなりますと、例えば取材の制限などにつながるのではないかという危惧を関係者の方が持たれるというのは、一定の蓋然性といいますか、それはあるのだろうと思います。当然、この条例の運用のシステムに乗っかってきて、恐らく立ち上がるでありましょう人権委員会が運用上最大限の配慮をするということになりますから恐らくは問題はないと思いますけれども、でもその最大限の配慮とは何かということが具体的に条例上も書いていませんから、そこでやはり危惧の念は必ずしも払拭されないということにつながっているのだろうと思います。
 今回の条例、これは知事提案の条例案もそうですし、議会の皆さん方がつくられた今回の条例もそうですけれども、マスコミ関係でトラブった案件をこの条例で救済していこうというのが恐らく本意ではないのだろうと思います。そうではなくて、日常この社会で人と人との間に行われております人間関係の中で人権侵害が起こった、そういうものをできるだけ準司法的手続、すなわち司法による前の手続で救済、解決していこうというのが趣旨だろうと思うのです。しかし、たまたまざっと、網をかぶせるというとまた表現が変ですけれども、適用対象を普遍的に書いた場合にはマスコミ関係の事案もそこに入り込んでくるという、いわばマージナルな部分、周辺部分なのだと思います。そこが非常に先鋭的な批判を生んでいるということだろうと思うのです。
 そうであるならば、今申し上げたような事情であるならば、例えばマスコミ関係はもう例外扱いにして、すべてこれは刑法に任せると。マスコミ関係の事案で一番多いのは名誉毀損でありますから、名誉毀損というのは刑法に典型的な犯罪として書かれておりますので、刑事事犯的な扱いでありましたらもう刑法に任せてしまう。民事の場合も、それももう民事の裁判に任せてしまう。この司法の前段階、前段階といいますか、司法によらない準司法的機関の救済については対象外とするというようなことも、実は立法のあり方としてはあり得るのであります。たまたま昨年の執行部提案も今回の議員立法もそういう立法者の態度をとっておりませんけれども、普遍的な立法的態度でありますけれども、場合によっては例外扱いするということもあり得たのではないか。これは選択の問題であります。そんなことを考えているところであります。
 委員の研さんということでありますが、委員は人格、識見にすぐれて人権意識旺盛で、かつ当然の前提として法律知識に詳しいということが想定されておりますし、そういう人の中から選ぶということになりますので、研修などは不要といいますか、不必要なのではないか。逆に研修をしなくてはいけない人を選ぶということ自体に、恐らく最初に選任の矛盾があるのではないかという気が私はしております。どうしても委員には研修を受けてもらわなくてはいけないというなら、皆さんで御相談の上、そういうふうに研修義務を条例で課すというふうなことをされても結構ですけれども、それならばせざるを得ませんけれども、多分そこまでの必要性はないのだろうと思います。
 毎年度の議会への報告について、提言などを含めることが望ましいと言われましたけれども、その報告は、実は知事に課せられた義務ではなくて委員会に課せられた義務なのです。条例上、委員会に課せられておりますので、これは委員会が構成されて、その委員会において判断されることだろうと思います。知事があれこれと言うことではない。まさしく委員会の独立性云々ということがよくここで議論になりましたけれども、山田議員の御質問にうっかり乗っかって、はい、そういうことも委員会の報告に含ませるようにしますと言ったら、まさしくこれは独立性を毀損することになってしまうわけでありまして、これは立ち上がった委員会が自主的に判断されるべき問題だろうと思います。

◯5番(山田幸夫君)
  御答弁をいただきましたが、何点かお尋ねなり、あるいは提言なり、確認なりさせていただきたいと思います。
 条例廃止の動きの関係につきまして、いろいろ知事の方から所見をいただきました。大事なことは、やはり物事をいわゆる両面で見る、多面的に見る、トータルで見る、成果あるいは課題、こういう総合的な視点で物事を分析したり検証したりしないと一面的に偏るというふうなことがあるだろうと。したがって、今回の人権条例の関係は、法の必要性、差別の実態があるから法が必要だと。しかし、どちらかというと懸念の方が先行してしまったために、県民の皆さんから見ると、何かこの条例そのものが悪法的な扱いに映っておるというふうに私は分析しております。だから目的、趣旨をきちんととらまえて、それで成果はこうなのだと、しかし課題や懸念もこうなのだというふうな考察をやはり冷静にお互いがしないと、何か来年の6月に向けていい施行ができないような感じがしておるものでございますから、きょうもあえて知事の方にそういう思いを再確認なり、マスコミの関係で若干提言もさせていただきたいなと思っておりますが、そういうことでございますので、よろしくお願いしたいと思います。
 例えば、調査過程そのものが国民、県民の基本的人権を侵害するおそれというふうなことがよく言われております。いわゆる過料、氏名公表の関係です。これは確認なのでございますが、差別というのは、要するに社会悪からも犯罪と、こういう概念で来ておるということは、もう議会でも何回か議論させていただいておるというふうに思います。したがって、調査に協力しない当事者に対する過料というものは、現行法上、同種の規定としてDV法、例えばでございます、ストーカー規制法です。道路交通法なども広い意味ではそういうことになると思います。懲役、罰金の刑罰、こういうことになっています。DV、ストーカー、これなどは個別の人権のテーマかもしれません。しかし、これは国会全会一致で成立しているのです。よもや弁護士会の方はこれは行き過ぎでけしからぬということはないと思います。全くそういう声は出ません。出ていないです。これは刑罰です。懲役、罰金。ところが今、知事が言われますように、行政機関の命令で従わないケースは刑罰になる流れが、一般的に全国的にそのような流れになりつつあると。本条例は行政罰ということでございまして、改めてそのことを私は確認をしたいのです。
 しかし、大事なことは、あくまでも悪質で確信犯的な最後の手段、あるいは要件を限るという運用をしていかないと、何でもかんでも罰するということになりますと、いわゆる文民統制みたいな治安維持法的なことの誤解があるのではないかなと。ここのところをしっかりと運用でこれはきちんと対応していくということが大事である。差別は社会悪からも犯罪。したがって、DV法やストーカー規制法も、懲役、罰金という刑罰を国会の全会一致で国会議員あるいは法曹界の方も認められてこれを賛成しているわけです。そのことをひとつ執行者として県民にまた周知徹底を、あるいは運用上の配慮というものをこういうふうにすべきではないかなと考えを持っておりますので、よろしくお願いをしたいと。
 民には厳しく官行政に甘いと、知事の御所見も見識もいろいろ伺いました。要するに、刑務所や拘置所、県警本部長の判断による調査拒否、これは確かに指摘のところもあるのです。そのままではあろうかと思います。要は明文規定がなくてもあっても、そのような実態があるのに公益理由で調査ができないという、ここの運用が問題だと我々は考えているわけです。だから、委員会がどういう態度で臨むかということが極めて重要だということでございますので、運用上そういういろいろな規定があるわけでございますが、やはり実態を受けとめてそういう姿勢で臨むべきだ。しかし、施行後、重大な人権侵害が刑務所や拘置所や警察の中であるにもかかわらず調査ができないと、これはもう知事が言われております、あるいは議会も速やかに条例の改正をすべきだと、私はこういう見解を持っておるわけでございます。まず、条例については、知事はこのことについてどのようにお考えなのかお尋ねをしてみたいと思います。

◯知事(片山善博君)
  人権推進条例でありますが、この条例について、議会が議決をされて成立して以来いろいろな反響を呼びましたけれども、総じて懸念とか危惧とか異論、反論の情報がマスコミを通じて世間に出ていったわけでありまして、そういう意味で言えば、山田議員のおっしゃったように、そもそも何のためにこの条例をつくったのか、その条例の必要性についての説明とか情報というものが出ていかなかったということはあったのだろうと思います。その辺はどこに原因があったのかというのは今さら言ってもしようがないことでありますけれども、それは執行部が条例の必要性のPRしないからだと言われても、それは困るのでありまして、そこはやはりつくられたときに説明責任をまず果たされるべきは議会ではないですかという話を私は前から申し上げていたわけであります。
 いずれにしても、もっとバランスのとれた情報というものが本来出るべきであっただろうと思います。懸念の方が先行したと言われましたけれども、懸念だけが情報として出ていったと、こういうことだったのではないかと思います。やはり原点に戻って、なぜこの条例が必要だったのかというその議論、その説明というものが、今比較的冷静な時期になりましたので、そちらの方の議論がもっとなされるべきだろうと思います。
 そこで、過料の方が、これが行き過ぎではないかという批判が法曹界から出ておりまして、それについて山田議員の方は、それは他の立法にも幾らでもあることで、これだけが変なことではないとおっしゃられましたが、それはそのとおりなのです。過料というのはそもそも刑罰ではなくて、行政上のいわゆる秩序罰と法学上言いますけれども、刑罰ではないわけでありますし、他のいろいろな立法にも、これは法律にもそうでありますし、自治体の条例にも幾らでも出てくるわけでありまして、過料が直ちに行き過ぎとかというわけでは毛頭ありません。それはそのとおりです。
 今回何ゆえに過料の問題が出てきたかというのは、これは異論、反論を唱えておられる方の気持ちをそんたくするとすれば、それは過料を科すことに根本原因があるのではなくて、例えばそのもとになる人権侵害事案というのが、その定義があいまいではないか。したがって、非常に広く網をかぶせてしまう可能性がある、そこに1つの危惧があるのだろうと思います。その上なおかつ、私などとは全く縁のないことですけれども、この条例を例えば政治的に悪用して運用しようと思えば、広く網をかぶせて別件的に幾らでもできるのではないかという、そういう危惧が成り立つのだろうと思います。その辺があるので、そういう概念が非常にあいまいで、かつ別件的に悪用されるおそれのあるものについて過料を科すことができるということは危険性があるのではないかという、こういう推論ではないかと思います。ですから物事をそういうふうにネガティブな方にずっと見ていけば、今のような推論は成り立つのであります。ただ、私が鳥取県でこの知事の仕事をさせていただいていて、そういうことはあり得ませんので、ですから自信を持ってそんなことはないですよということは申し上げるのですけれども、一般論として、よく批判がありましたのは、例えば他の自治体で同じような条文で運用されたらとんでもないことになるといって東京の方のマスコミの方に言われましたけれども、そういうことはあり得るかもしれない、そういう危惧の念を持つことはあり得るかもしれないと、こういうことがあるのだろうと思います。その辺が論点だろうと思います。そうすると、事は、過料を科す科さないの問題というよりは、人権侵害という概念をもっと明確にすべきではないかとか、運用が恣意に流れないように、政治的に悪用されないような明確な規定を置くべきではないかというのが本当の批判の本意ではないかと、そんなふうにそんたくをしているところであります。
 行政機関の拒否の問題、これは私、先ほど自分の考え方を申し上げたと思いますが、山田議員は、行政機関が拒否するというけれども、それは人権推進委員会がもっと運用上、例えば行政機関に強力に働きかけなどをしてもっと実の上がる調査ができるようにすればいいのではないかと、こういう御趣旨だと思いますが、気持ちはわかるのですが、実はそれが、そういうことが出てくると、また実は危惧の念を生むのであります。それは恣意的に何でもできるのですねということになりかねないわけでありまして、行政機関だから恣意的に強硬に出てもいいけれどもということは、一般の住民の皆さんに対しても強硬に出てもいいことになるのではないかというふうな推論が成り立つわけでありまして、運用上配慮すると、私なども何回も言っていますが、これはどちらかというと非権力的な方向に運用上の配慮をする、できるだけ強権的にならないように配慮するという意味で使っているのですけれども、今さっきここで山田議員がおっしゃったように、行政機関に対しては強硬な方で、強権発動の方で運用上の配慮をするということになりますと、これはやはり危惧の念が現実化することになるのであります。強権を発動するといいますか、権力を用いるのはやはり法律で条例で定められた範囲内に限るという、これが法に基づく行政でありますので、立法上強い態度に出ればいいのではないかというのは、ちょっと私は賛同しかねるところであります。むしろ行政機関が一方的に拒否といったら、ああ、そうですかという今の体系ではなくて、それをだれかがチェックをする。それは秘密で結構ですけれども、だれかが行政機関の拒否理由が妥当なものであるかどうかをチェックするという、そういう仕組みを組み込んだ方がいいのではないかという気がするのです。
 ちなみに、民事訴訟法にヒントになる規定がありまして、民事訴訟法でも文書提出義務というのがあるのでありますけれども、その際に、やはり同じように行政機関、ここでは当該監督官庁と書いていますけれども、監督官庁が文書を提出しないというか、したくないと言ったときに、そこでしたくないと言ったらしなくてもいいということにならないわけで、この場合には裁判所が判断をする。すなわち提出できない、しないという理由が相当であると最終的には裁判所が認める。その場合には提出しなくてもいいですよということを裁判所が決めるということになっておりまして、これなどは合理性があるのかなと思います。こういう規定も、今回の人権条例でありますとか、既にあります情報公開条例などでの今後の立法上の改善の余地がある分野ではないかと思っております。

◯5番(山田幸夫君)
  人権条例の関係です。さすが知事だなというふうに私は思いました。民には厳しく官行政に甘い、これはチェック機関を新たに考える、なるほど新しい考え方があるなというふうに思いまして、私は、人権侵害が刑務所とか拘置所であった場合の対応がきちんとできていないではないかという懸念があったものですから、そうでなくて運用上はそういうことがある場合にはきちんと対応ができるようにという思いで、強権発動するという意味合いで言ったのではないということだけひとつ御理解をいただきたいと。知事の方のチェック機関の方がより適切な対応かもしれません。そのように私は受けとめさせていただきました。ありがとうございました。
 もう1~2点、マスコミ、報道機関の表現の自由を侵すおそれということでございまして、委員会でも私はこの問題について、表現の自由ということは本当に憲法上保障されておることでございますし、これは大切なことでございます。ただ、差別をするという表現も同時にありませんよと、これは相反するようなことでございますが、このことは両立することができるということはどうも国際的にもそういう見識があるようでございまして、ただ、問題は、報道機関15社からいろいろ議会に対しても来ております。私が今そのことについて一々回答する能力といいましょうか、そのものを持ち合わせておりませんが、1つ考え方として、これは仮にです。仮にマスメディアによる人権侵害が、一部倫理委員会的なことでそういうものをつくられているメディアもあるようでございますが、マスメディアの内部の自主的チェック機関というものを整備していただいて、いわゆる人権侵害に関する苦情受け付けとか適切な対処というものを整備をまずしていただくと。そうなると人権委員会との関係はどうなるかということでございますが、相談、申し立てを行ってきた県民に対してはその機関を紹介をすると、例えばこういう方法はどうかなと。こういう運用規定などを作成していけば、この問題というのは相当どこか歩み寄りができるのではないかなと。その際マスメディアのチェック機関と委員会とが緊密に連携をとって適切な対応をしていく。あくまでもマスメディアの自主的改善を促すというふうな方法ということは、これはやはりこれからひとつ検討してもいいような中身かなと私は考えておりますが、委員会で特別配慮条文規定、こういうふうなことも申し上げさせていただいて、こういうふうな対応の仕方もこれからのそうした懸念に対する1つの方法ではないかなというふうに考えますが、知事の御所見をお伺いをしたいと思います。
 いずれにしましても、人権侵害を救済する要諦というのは、やはり市民代理人的な、いわゆるパーソンというのですか、オンブズパーソン的な適任者をどれだけ確保するかという、今までの議会の中で議論されてきたそのことに尽きるだろうというふうに思います。制度を左右するかぎとなるというふうに思いますし、前段に返りますが、文民統制的なとか治安維持法的なとか、全くそういうことではない、双方の話し合いによっていわゆる自主的解決を図っていく、自己解決といいましょうか、自主的解決といいましょうか、そういう条例、教育啓発色の強い条例の内容、そして萎縮というより抑制です。このことがあることによって、萎縮してはもう何にもなりません。いわゆる抑制という方向にこの条例を持っていくということが肝要だろうというふうに考えておりまして、そういうオンブズパーソン、市民代理人的なことについての思いを、私はそういうふうに考えておりますが、知事の所見があればお伺いをしたいと思います。

◯知事(片山善博君)
  人権推進条例に関してでありますが、山田議員はオンブズマン的な仕組みとして機能させるのが目的であると、こういう趣旨のことをおっしゃられたと思いますが、そういう見方もあると思います。私は、この条例の必要性といいますのは本来補完的なものだと思っているのです。補完的といいますのは、もともとは人権侵害、例えば名誉毀損のようなものは典型例でありますけれども、こうしたものは本来は自主的に解決すべきもの。例えば民事、名誉毀損によって損害を受けたという場合には、本来当事者同士の話し合いで解決すべきものでありますし、それが解決できないケースは司法で解決を図るということで裁判所によって解決を図るという、これが原則でありますし、我が国の法体系はそうなっているわけです。ところが現実はどうかといいますと、もちろん自主的に解決するものがかなりあると思いますけれども、自主的に解決できないものが相当残っている。では、それは司法に円滑に流れていっているかというと、それがどうもそうなっていなくて、自主的解決と司法的解決のはざま、ニッチのところに相当滞留しているわけであります。そこで泣き寝入りでありますとか、そういう状態になっていることが多い。これを何とかしなければいけないというのが、そもそもの今回の人権推進条例の必要性が指摘された背景だろうと思うのです。ですから、そういういわば現状の我が国社会と司法制度の運用の実態から見て補完的につくられる仕組みだと思っております。
 そこで、マスコミとの関係についての御提言がありましたが、最大限に配慮するという規定に基づいた運用の具体的なイメージとして、マスコミについては業界か社内かに自主的解決の仕組み、装置をつくっていただいて、もし人権推進委員会の方にマスコミ関係の事案があったらそちらを紹介すると、こういうことでどうだろうかということ。それも1つのやり方だろうとも思うのですが、先ほど御答弁申し上げましたように、私なりの表現をすれば自主的解決と司法的解決とのはざまで解決をしていない案件が多いという、それを何とか解決に持っていこうというのがそもそも今回の条例の趣旨だとすれば、しからばそのはざまで解決していない事案の中にマスコミ関係があるのかといいますと、ほとんどないのではないかと思うのです。ということは、この条例がねらっているフィールドといいますか、条例がカバーしようとするフィールドの中にマスコミ事案というのはほとんど入っていないのではないかという気がするのです。ただ、法律とか条例というのは一般原則を書くものですから、普遍性を持たせるように規定を書きますと、どうしてもいろいろなものが入ってくる。ですから概念的、理念的に入ってくる中にそのマスコミがあるのだろうと思います。そこが実は大きな危惧、懸念をマスコミの皆さんに惹起して、そこでこの条例についてのハレーションをいやが応でも起こしていると、こういうことではないかと分析をしているのです。
 そうだとすると、今、山田議員がおっしゃったような仕組みがマスコミにおいて自主的にとられるとすれば、それならばそれを前提にして、条例上はマスコミをとりあえず除外しておくということも現実的な対応としてはあり得るのです。それは条例の美しさとか整合性とか普遍性とかというところからしますと、いささかちょっとでこぼこになる可能性はあるのです。ですから内閣法制局的に言えばなかなか難しい面はあるかもしれませんけれども、現実的にこの問題をとらえようとした場合には、そういう除外ということも当面の問題としてはあり得るのではないか。成り行きを見て、いや、やはりこの章の条例がないとマスコミ関係でもそのはざまが生じてしまって何らかの解決が必要だといった段階で立法上取り込むことを検討するかどうかという、そういうような立法者としての態度というものもあり得るのではないかなと最近思ったりもしています。これはまた皆さん方、それぞれ御議論いただければと思いますけれども、私なりの今の所見を申し上げておきました。

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