« 部落問題に特化した条例にすべきでない、廃止を | トップページ | 迎春 »

「差別事象」なぜ起きる、整理が必要

 本年、「差別事象」に対する「解同」らの「確認糾弾」闘争は、テレ朝の田原らの発言をもって行われ、以降、浅田などの牛肉偽装をめぐる報道はマスコミにでることはなくなった。
 「朝日新聞」は人権擁護法・早期成立の社説を2度も掲げ、「解同」らの運動を結果的に後押しする形になった。
 さらに、鳥取県では、人権救済条例について、県議会で真摯な議論が行われ継続審議となっていたものが、何らかの思惑から、条例案の公開や十分な議論と合意もなく、唐突に可決にいたり、いま県内外から批判にさらされている。また「解放月間」などの在りようについても批判が広がりを見せている。

自治体が、「解同」などの思考や運動と一定の距離をもって、部落差別問題解決の施策を実施することに、これまでも、行政の主体性・中立性・公平性の観点から、政府文書でも幾多問題が指摘されてきた。
 以下の資料でも明らかである。
 あくる年に、いかに不合理な差別を排除し真の言論・表現の自由を拡大してゆくか、課題は多い。

 
 平成17年(ネ)第19号慰謝料請求控訴事件、いわゆる三重県の弓矢氏が控訴人(一審原告)の人権裁判であるが、解同ら被控訴人の最終準備書面(05年12月1日)より。

 
ハ)全国市長会九州支部

 意見具申や大綱では、差別事象の発生に係わる「確認・糾弾」を否定し、法務局等の人権擁護機関に委ねるべきであるとしているが、しかしながら、これらの人権擁護機関は差別事象への対応・指導について有効に機能していないのが実情であるとの意見表明(乙ロ第106号証の頁21最下段)
ニ)三重県(同頁24最下段)
 いわゆる確認・糾弾行為について、61年意見具申においては「差別の不合理性についての社会的認識を高める効果があったことは否定できない……」と評価し記述しているが、このことに言及することなく、学習や啓発の場として行なうものまで否定的に捉えている。
 本県においては、確認・糾弾は学習・啓発の場であるとの考えのもとに「差別した者」の同和問題に対する理解・認識を深める、差別意識の払拭に向けて社会的認識を高めるものであると理解している。
ホ)京都府(同頁26最下段)

 このような状況の中で、送付された指針には、同和問題をめぐる実体並びに民間運動団体の自主的な行動への関与などについて、行政実務を超えた内容が盛り込まれており、啓発活動の推進に当たって、指針をそのまま行政実務上の参考とすることには問題があり、遺憾とするものである。
ヘ)京都府市長会(同頁26の2段目)
 地域改善対策協議会の意見具申と、昭和62年3月17日に総務庁長官官房地域改善対策室から出された地域改善対策啓発指針は、同和地区住民の置かれている現状についての適確な認識が不十分なまま、国の責務が明確にされず、部落解放のための基本的理念の欠如、啓発の為の公益法人の設立構想、並びに運動団体の行なう糾弾の否定など、同和対策審議会の答申にそぐわない点があるので、国におかれては、今後十分配慮されるよう強く要望する。
ト)大阪府(同頁27最上段、頁28中段)
 指針には、差別の実態や被差別者の立場に対する認識について一方的、断定的な内容が多く、同和問題の本質についての理解が十分とは言えない。(略)指針は、差別の不合理性についての社会的認識を高めるなど、いわゆる確認・糾弾行為が、これまで果たしてきた役割やそれに訴えざるを得なかった部落差別の現実があることに全く触れていない。
 又、指針は、差別事件について、法務省人権擁護局等の人権侵犯事件調査処理規定に基づいた事件処理等に従うことが法の趣旨に忠実であるとしている。
 差別事件に対する適切な救済と新たな差別の発生の防止がなされるとするならば、公的機関の処理に委ねることが望ましいあり方であろう。しかし、現在、個々の事件に対する行政的・司法的救済さえも十分になされているとは言い難い状況にあることが問題なのである。
チ)大阪市(同頁30中段)
 又、民間運動団体のいわゆる確認・糾弾に関し否定的であるが、これまでの本市の経験からすれば、確認・糾弾の場は差別事件の実態を把握し、差別が許し難い社会悪であることを明らかにし、差別者に対して自己批判を求め、差別意識解消に向けて話し合う場であり、その結果、相互理解を通じて差別解消に役立ってきたと理解している。
リ)大阪府下の各市30市と大阪府下の町村全部(同頁33上段)
 啓発指針は「民間運動団体の……啓発活動の中には同和問題解決に逆行する結果をもたらしているものがある」としているが、これらが今日まで国民に同和問題の認識と理解を深める上で果たしてきたことも事実であると理解している。
 又、いわゆる確認・糾弾について否定的であるが、意図的、悪質な差別事件については、厳しく対処することも必要であると考えられる。
なるほど差別事件に対しては、法務局等人権擁護行政機能の中で、被差別者の立場に立った的確な処理がなされるべきであると考えるが、行政的・司法的救済の体制が実質的に不十分であった中で、差別事件の実態を明らかにし、関係者に対する啓発効果を発揮してきたことや、企業・宗教界等啓発の取り組みが遅れていた方面についても、自発的な啓発活動積極化の契機になったこと等その果たしてきた役割については正当に評価されるべきである。
ヌ)広島県(同頁34上段~中段)
 差別事象の解決について、指針は、人権擁護行政機関において行なうべきものとしているが、これまでの差別事象の解決にあたっては、行政機関のかかわりや当事者の参加を含めた取り組みによって、在るべき解明、解決が図られてきた経緯がある。このことを全て否定されることになると、現実問題として、差別事象への迅速かつきめ細やかな対応は期し難いことになり、又、当事者双方が十分納得のいく解決を図るうえで疑問がある。
ル)香川県(同頁35上段)
 部落差別に対する被差別地域住民の自主的部落解放への手段である確認・糾弾に対する考え方については、参加者の学習の場として行なうものまで画一的に否定することには疑義がある。従って、差別事象の処理のあり方とその運用についてはさらに検討を要するものと考える。
>ヲ)徳島県(同頁35中段))
 又、確認・糾弾に対する考え方については、今日まで教育的要素を含んだものへと変化しており、本県では学習の場として認識している。
ワ) 高知県(同頁36下段)
 差別及び確認・糾弾に対する考え方並びに差別事象の処理のあり方についていわゆる確認・糾弾については、長い運動の過程において厳しい差別の現実のもとでその本質を明らかにし、差別の不合理性についての社会的認識を高めるなど同和問題の解決のための役割を果たしてきたものと認識している。
本県の差別事象の対応については、昭和55年の県の同和対策審議会答申の趣旨に則り基本的人権を相互に尊重し合う学習の場にするなど一定のルールが確立し、この基本方針における対応が定着しているものであり、今後ともこの方針を遵守してまいるものである。
>カ)福岡県(同頁38中段))
 又、行政的・司法的救済が確率されていない現状においては、部落差別の不合理性についての認識を高め、社会性のある確認糾弾行為の教育的効果までも否定することは出来ないと考える。
ヨ)京都法務局長の1987年10月の発言(同頁46上段)
 「差別事件については自治体や関係団体と協調協力し差別の土壌をとりのぞくべく取り組む」「糾弾については見解を述べる立場ではない」「解放同盟の活動も差別をなくしていく人権啓発の一環として重要なとりくみである」「同和関係者の自立向上などとは法務局としてはいっさい申し上げていない」「部落差別の解消は差別される側でなく差別する側の意識の改革が必要」「ささいな差別事象というものはなく、すべて重要だ」
タ)大阪法務局長の1987年9月の発言(同頁46中段~下段)
 「確認・糾弾については行政機関としては、本来意見を言うべきではない」「差別事件の処理にあたっては民間、自治体などと協力する」「同和問題の解決は一部落、一地方自治体だけで可能でなく、国全体の問題である」「部落差別の真の原因は部落出身者にあるのではなく、差別する側、社会の全体にある」「『ささいな』差別的表現というものは考えられない。差別を受ける立場にたって考えることが重要」

|

« 部落問題に特化した条例にすべきでない、廃止を | トップページ | 迎春 »

つれずれ」カテゴリの記事