人権擁護法案の動向と言論の自由、憲法『改正』問題
この稿は9月16日に全国人権連愛知県連主催の学習会で述べたものです。
人権擁護法案について3月以降、週刊誌、月刊誌等々マスコミなどでずいぶんと注目され、いろいろな方が問題を指摘する文章を発表されています。つい最近も週刊「新潮」に載っていました。327議席、全議席の68.1%を占める圧倒的数字、野党が今後どう論戦を挑もうがいよいよ恐怖の時代がスタート。人権擁護にサラリーマン増税、悪法目白押しというタイトルで取り上げられています。
この記事のなかで人権擁護法案に関わって上智大学の田島教授が触れています。民主主義の危機です。与党独裁体制で懸念されることは人権擁護法案です。人権擁護という名の下に言論弾圧を正当化するこの法案が与党の圧倒的な数によって成立する可能性があると懸念を表明されています。田島先生はマスコミ論の立場から法案の問題を指摘しています。
この法案には人権委員会の規定があり、ここに強大な権限が与えられています。例えばあるメディアが疑惑の政治家の取材を開始し、本人や秘書、家族などに取材を行おうとする。しかし政治家がこの行為を人権侵害だと委員会に訴え、委員会がこれを認定したら、メディアは取材しないよう勧告を受け、立ち入り検査まで受けてしまいます。これは政治家にとって不都合な報道はもちろん、公明党、いわゆる創価学会の池田大作名誉会長に対する批判を許さず、人権侵害を理由に取り締まろうとするものです。戦前の言論弾圧となんら変わらない状況が生まれてくることになります。
与党が議席の3分の2を占めたこの国会の中で、人権擁護法案、さらには憲法改正という問題、サラリーマン増税といった悪法が今後目白押しに、そして一気に与党の力をもって押し切られるのではないかと懸念を述べられています。
そもそも人権擁護法案の出発は、同和対策事業の終結にともない人権課題に移行するに際し1996年に作られた人権施策推進審議会が2001年5月に人権救済制度の答申をまとめたことによります。この答申を土台に作られたのが人権擁護法案です。もとより答申に問題があり、これが法案に反映しています。
経過を言いますと、この法案は2002年3月に閣議決定がなされ、参議院で先に審議となり法務委員会に掛かりました。参考人質疑も行われましたが、時を同じくして刑務所内での人権侵害問題が発覚し、法務省の外局に人権委員会を設ける政府案では公権力に関わる刑務所内や入管施設などでの人権侵害を、これら身内の職員には公平に処理できないとマスコミの批判も高まり、法務委員会での議論はストップし、国会のたびに継続審議を繰り返し、2003年10月の衆議院解散で廃案になりました。
これが今年の3月以降も自民党内の議論がまとまらず再提案されずにいる状況です。
この法案はどういう内容か簡単に触れます。
人権擁護法案の第1章には目的が書いてあります。第1条では人権の侵害により発生し、または発生する恐れのある被害の適正かつ迅速な救済、または実効的な予防を掲げています。第2条は定義。人権侵害とは不当な差別、虐待、その他の人権を侵害する行為をいう、というのみで、不当な差別についての定義が具体的ではありません。さらに第3条。ここが私たちは問題と捉えています。人権侵害等の禁止が書いてあります。不当な差別的取り扱い。具体的な例示では、公務従事者や不動産などを提供する立場の者、事業主が採用、または労働条件その他労働関係に関して人種等を理由とする不当な差別的取り扱いがあげられています。また特定の者に対して、その者の有する人種などの属性を理由とする侮蔑、嫌がらせ、その他の不当的な差別言動、これを禁止すると規定しています。さらに人種などの共通の属性を有する不特定多数の者に対して、当該属性を理由として不当な差別的取り扱いをすることを助長し、または誘発することを目的で当該不特定多数の者が当該属性を有することを容易に識別することを可能とする情報を文書の配布、掲示、その他、これらの有する方法で公然と摘示する行為、不当な差別的取り扱いをする意思を広告、掲示、その他、これに類する方法で公然と表示する行為、こういうものをあげています。
この法案の出発点の大きなウエイトは同和問題です。同和問題を念頭にまた、部落出身という属性をこれらの条文の頭に置いてみれば、どのような差別的取り扱いや差別を助長、誘発する言動を禁止するものかがよくわかります。法務省の人権擁護局長は先の参議院法務委員会で議論になっていた折り、この法案について、部落解放同盟の部落解放基本法を想定して部落差別規制法を取り入れたものだと答弁しました。これらの条文は同和問題を念頭に読むと非常に分かりやすくなります。
結論をいえば、この法案は人権擁護と耳障りのいい表現になっていますが、国民に対する公権力や社会的権力である大企業などによる人権侵害や差別の解消を実効あらしめるものではないということです。
また、特定の者に対してその者が有する人種などの属性を理由とするそれらの不当な差別的言動を第3条で禁止するとしています。人種などの属性、たとえば部落、在日を理由とした侮蔑や嫌がらせなどを取り締まりますが、これだけを取り締まりの対象にするのではなく、その他の不当な差別的言動が規定されており、これらも特別救済の対象にしています。つまりそれは、相手方を畏怖、困惑させ、または著しく不快にさせる事柄があった場合、それらも差別的言動とくくって強制捜査をしたり、罰金をもって強制的にそれらの資料の入手なども行えるようにしています。強制捜査権を持っているにも関わらず、その内容が侮蔑、嫌がらせ、畏怖、困惑、不快など、こうした場合に特別調査の対象になるとしているだけで具体的な例示になっておらず、本人の非常に主観的な受け止め方で特別救済が動き出す仕組みになっています。畏怖、困惑、不快などの外形的要因、どういうものを不快というか等がきちんと示されていないので、恣意的運用も可能となります。
私たちは、この法案の問題点を明らかにするために韓国の国家人権委員会設置法との比較を当初から行ってきました。韓国の国家人権委員会設置法は2001年11月にできました。ここでは人権の定義について、憲法および法律で保障する、あるいは大韓民国が加入、批准した国際人権条約および国際監視法で規定する人間としての尊厳と価値および自由と権利のことをいう、と書いています。しかし日本の場合には人権侵害とは不当な差別、虐待、その他の不当な人権侵害をする行為とあるのみで、何人も他人に対して人権侵害をしてはならないと、それだけしか規定していません。法律が作用する場合、どういう人権規範に依拠するかは非常に大事な問題です。日本は人権の概念について規定もしていません。ですから基本的人権を規定した日本国憲法をふまえてとかいう文章が入っていません。
対象となる人権侵害の範囲、差別の外形的要因も示していません。巨大な行政機関となる人権委員会という運用する側の恣意的な意図によって人権侵害行為の内容が決められてしまうものです。法律であるにも関わらず国民の守られるべき権利の内容が規定されていない。こうした根本的な問題がこの法案にはあります。この間の産経、読売、毎日新聞の社説をはじめ様々な人たちが、この法案に人権、差別の定義がなく権力的濫用が生じかねないと猛反対しているのはこういうことがあるからです。
最近政府与党から出てくる法律は、共謀罪新設に関わる問題でも具体的な対象を決めずに、外形的要因を明確にしないまま出してくるのが非常に増えています。共謀罪新設について政府は、国連国際組織犯罪防止条約批准のために国内法整備が必要であるという理由をあげます。2003年の国会から4国会に渡って刑法、刑事訴訟法、組織的犯罪処罰法などの関係法改正案をずっと継続してきました。
しかし先の国会では衆議院法務委員会で初めて委員会審議が始まりました。ここで何が問題にされてきたのかと言うと、いわゆる共謀罪が国際犯罪に限定されていないことと、死刑や無期懲役、4年以上の懲役、禁固の刑が定められている615種類に上る犯罪行為を共謀しただけで犯罪として最高で5年の刑を科されます。弁護士会をはじめ労働団体、市民団体は厳しく批判の声を上げ反対しました。
近代刑法では犯罪意思だけでは処罰せず、これが具体的な結果、損害として表れてはじめて処罰対象となる既遂処罰が原則とされています。しかしこの法律では実行行為ではない予備以前の行為だけで処罰できるもので、限りなく思想処罰に近づくものです。この共謀罪が新設されたならば、団体の活動として当該行為を実行するための組織により行われるものの遂行共謀することのみを構成要件としているので、団体活動としての労働組合活動や争議行動、市民の様々なPTA活動も含む分野での活動も犯罪とされ処罰されかねません。国際社会は共謀罪の対象として国際組織犯罪、テロ対策を念頭に置いていますが、日本は国際的な組織犯罪に関わる団体をきちんと規定しないで、テロに対するだけでなく、単に団体の日常活動に対して「共謀」が行われた場合に取り締まるというのです。暴力団であれ国際的なマフィアであれ労働組合運動も含む様々な団体活動のすべてが共謀罪の対象にされます。
不同意堕胎罪、さらには偽りその他の不正行為による市町村民税の免税罪、こうした国際的ではない、組織的犯罪集団が関与するはずのないものに関わっての相談も「共謀」罪の対象にされてしまいます。法の対象範囲が非常に広いことから国民の様々な活動に制約が生まれるものです。共謀罪が新設されれば例え犯罪行為が行われなくても犯罪行為の実行について何らかの形で相談しただけで逮捕、勾留、起訴の対象とされる危険があり、さらに共謀についての捜査の必要を理由に盗聴、盗撮、スパイ、虚偽の自白強要のために事情聴取など、さまざまな形で国民の団体活動全般が警察の監視下に置かれることになります。こうした憲法の人権規定の空文化や、労組活動を初め社会的市民的活動の圧殺は許されないと、私たちも多くの団体と一緒になって反対運動を進めているものです。
日本国憲法第19条は、思想および良心の自由はこれを侵してはならないと定めています。これは事実よりも思想を処罰した戦前の治安維持法の反省に立って内心の絶対的自由を保障したものです。無実の立証が困難な共謀罪の新設はまさに現代版治安維持法と言えます。盗聴法や有事法制、生活安全条例などいろいろな形で国が作ってくる法令は国民を管理、監視する社会へ向かう流れになっています。人権擁護法案もこうした国民を管理、監視する社会を強化してゆく流れに位置づけられる法案です。繰り返しますが、国民の権利を制限し処罰対象となる要件が非常に曖昧です。人権、差別の明確な定義がない。畏怖、不快という主観的な要因で人権侵害を定義する。国家による国民の言論、表現の自由の抑圧、人権救済の名を借りた内心への介入に繋がりかねないものです。
こうした内心の自由に関わる領域に畏怖、不快を生じさせるような差別があったら、この人権擁護法案の下での人権委員会や人権擁護委員が介入してきます。Tシャツの柄が気にくわない、Tシャツに何かのマークがあり、それが不快に感じたなどと言って、それを差別的言動の一種、さらに誘発、助長となる行為だと訴えることが可能となります。本来、Tシャツにどんな柄があろうが対人関係の間で人権侵害は生じないわけですが本人が差別を受けたように思う、不快に感じただけで差別的言動となり特別救済手続きの対象にすることが可能です。人権や差別の範囲をきちんと規定していないから生じる問題です。しかし、人権や差別を法律で定義すればいいのかという問題があります。 言論表現に関わる領域を「禁止」の対象とすることの是非が次の大きな問題です。
これまで同和問題の関係では、部落解放同盟が一方的に差別と断定認定したら差別事象とされ徹底的な差別糾弾闘争が行政を巻き込んで行われてきました。その結果、不幸にして自殺されるケースも往々にしてありました。人権擁護法案の下で人権や差別がきちんと定義されていないことは国民の権利が明記されていないということです。権力の濫用と共に解同の恣意的な運用もまた可能になるということです。
三重県松坂では高校の先生が生活上などの不便から町内会の分離運動を行い、その際に発言した内容が、同和教育推進教員や解同等により一方的に差別発言にされ2度の糾弾会が行政の庁舎内で公務員を400名ほど動員して行われ、その過程で校長先生が自殺に追い込まれました。今年から名古屋高裁で控訴審を闘っています。
この人権擁護法案は内心に介入し、実態的に差別行為がなくても「差別」とされ、またその恐れがあれば助長行為と規定され、告発や過料までとられます。出版物でも事前差し止めができます。解放同盟が熱心に人権擁護法案制定を働きかけるのは第3条の差別禁止条項を利用して自分たちの差別糾弾闘争を合法化してやりやすくし、利権の確保を維持する狙いがあるからです。
一方、解同に対する批判もこの法律は受けとめますが、解同は、具体的な運用に係わる人権委員会の人権委員、さらに2万人に及ぶ人権擁護委員の選任に関わって被差別部落や障害者など差別の当事者を委員に入れるべきだと主張し、法律の中でも人権問題に精通する団体の意向や推薦を受けると規定しているので、そうした一部の偏向した人たちが入りかねないので、まともにとりあげられるかは疑問です。解同が熱心に作ろうとしている意図がここにも表れていると思います。
言論表現に介入する人権擁護法案は、国際的にも異例です。
例えば韓国の国家人権委員会は紆余曲折を経てできました。当初は政府機関の外局に置くものでしたが3年間の国民的闘争の中で廃案にし、金大中大統領の公約の中で政府から独立した機関として作ると明記し、その下で、日本でいう会計監査院のような位置づけの機関としてできました。イラクに対する派兵について韓国政府に対し異を唱えたりしました。
韓国の人権委員会が対象とする差別の中身は、日本のように言論・表現を対象とはしていません。基本的には平等権侵害の差別行為しか扱いません。韓国の人権委員会法が平等権侵害の差別行為として規定しているのは、合理的な理由なくして性別、宗教、障害、年齢、社会的身分、出身地、出身国家、民族、容貌など身体条件、婚姻、妊娠または出産、家族状況、人種、皮膚の色、思想または政治的な意見、刑の効力が失効した前科、性的指向、病歴を理由にした行為。このように具体的に平等権侵害に関わる差別行為を例示して、それらの行為があった場合にこの人権委員会は調査、救済の対象にしています。
日本は救済する対象規定、擁護すべき人権規定、これらが欠落しています。欠落どころか言論・表現という自由のなかで一番優先されなければならない対象領域を法律で規制しようとしています。マスコミだけでなく国民の言論・表現を規制しようとするところに韓国や国際社会の機関と格段の違いがあり、これが大きな問題なんです。
こうした日本の法案は権力や解同に都合がよく大企業の様々な労働人権侵害なども免罪します。大企業の人権侵害をこの法案は取り扱いませんから大企業のやりいいようになっています。
法案は2003年10月に廃案になり、その後、法務省は多少修正したのは一定期間の後に組織の見直しをする、5年後といいます。マスコミに対する規制は一定期間凍結する。組織の一定期間後の見直しとは、人権擁護法案の下で設置される人権擁護委員会を法務省は法務省の外局に置き、民主党や解同は内閣府の外局に置けと言っていることに係わっており、先に参議院で議論になっていた折り、解同は野中などと裏交渉をしていましたが妥協の点を見いだせませんでした。そして今回法案として再提案するに際して考えられたのが一定期間の後に組織の見直しをするという点です。
前回マスコミは、取材報道の規制になると反対キャンペーンを張りました。マスコミの取材に関わって生じる人権侵害については問題があります。しかし、マスコミの自主的な取り組みがきちんとなされるまで凍結し、発動はしないというのが今回の案です。マスコミが権力にどういう顔を向けるかによって規制を発動させるか止めるかを決めるというものです。この2点だけを修正して通常国会に出すと自民党と公明党、民主党の幹部の間で合意ができたんですが、自民党の中で合意形成が終ぞできなかったものです。 3月の段階での閣議決定ができずに4、5月でも自民党内の推進派、異論派の妥協ができず、都議選後でも折り合いがつかず、国会への再提案は断念すると7月末に与謝野政調会長預かりとなり、8月8日の解散を迎えました。
自民党の中での推進派と異論派の間での基本的な論点は、私たちが以前から問題点としてとりあげてきたものです。1つは人権や差別の定義があいまいであり、例えば北朝鮮批判、朝鮮総連批判をするとそれが差別だとして言論規制の対象にされるので、人権や差別について定義がないのは問題だと異論派の人たちは主張します。
もう1つに2万人に及ぶ人権擁護委員の国籍条項の点です。今の人権侵犯処理規程の下での人権擁護委員は日本国籍に限られていますが、今度の人権擁護法案には国籍条項を設けないことで案がつくられています。人権擁護委員に外国籍の人たちがなると例えば、北朝鮮批判、朝鮮総連批判などができなくなる。しかも何か発言すれば強制調査権限を持つ人権委員会が罰金を含む拘束力をもって家宅捜査、事前差し止めになる。これでは言論の自由がない、ということで拉致問題に関わる国会や地方議員、新しい教科書をつくる会に関係する議員、靖国参拝を支持する議員等がこの法案の矛盾、問題だと指摘し、これらの点について修正改善がなければ法案は是とはできないという議論を法務省と自民党執行部相手に行っていました。
6月初めに異論派がまとめた修正個所について法務省と自民党執行部の回答が彼らに示されました。言論・表現を規制の対象にするというのは審議会答申で触れられていることであり、答申を尊重する立場からその点を除外することは法案の根幹に関わるのでできないというのが法務省等の回答でした。
また法務省外局に置かれる人権委員会の調査権限について、平沼氏や安倍氏ら異論派の人々はなるべく弱くしようとして審議会的な第8条機関にすべきではないかと意見を出しますが、第3条機関としての委員会でなければ政府からの独立性の観点から国際社会の批判を浴びかねない、これらの点は法案の根幹に関わるのでいっさい変更はできないと法務省等は、意見を突き返します。
異論派は、修正妥協の余地がないことから修正協議をうち切り、政局の問題にすると舵を切りました。一方で、郵政民営化法案に関わって党内民主主義を十分尊重されていない、人権擁護法案についても党内手続きを軽視したやり方で郵政と同様に扱われては困ると、異論派の議員は、郵政民営化法案に反対しました。結果、この選挙で自民党公認を得られず無所属で出るはめになり、異論派の事務局長を担っていた静岡の城内さんは落選しました。平沼、古屋氏らも復党が認められないだろうという事態になっています。
一方、推進派で自民党の人権問題等調査会の会長で、与党の自民党と公明党で作っている人権問題懇話会の座長を務めている古賀誠氏は、郵政民営化法案に反対だけれども棄権し、政局にはならないだろうと大勢を反対、棄権の方向へまとめ上げましたが、結果的には自民党公認が取れ、仲間には裏切り者と言われているようです。
この間、ずっとこの法案のとりまとめをしてきた熊代氏は以前、地域改善対策室長等をしてきましたが結果、公認を得られず10月初めに行われる岡山市長選に出ざるを得なくなりました。郵政大臣をやった福岡の自見庄三郎氏は郵政民営化法案に反対して刺客を放たれ落選しました。自民党の中で推進派、異論派とされてきた人たちがこの小泉ハリケーンのもとで双方ともばらばらになってしまいました。今後自民党の部会構成や役員構成がされるのかは分かりませんが、反対派が押し出された形になっています。
一方、マスコミは朝日新聞を除いて、平沼、古屋、城内氏らの国会内での異論派の行動を応援し、支えるような論点をずっと出し、特に産経新聞はずっとリードしてきてした。言論抑圧の法案は、廃案、出直しと新聞社説で強調するようになりました。
以前のマスコミは、マスコミ規制の問題と法務省所管の2点しか問題点をあげていませんでしたが、我々も働きかけをやりましたが、マスコミの論調は大きく変わり、法案そのものに欠陥があるとまで問題点を指摘するに至っています。しかし残念ながら山陰新聞や朝日新聞は、差別と虐待を解消するのに有効な人権擁護法案になぜ解同関係者や在日関係者が入ってはだめなのか、早期成立をさせるべきではないかという社説を出しています。全国人権連は朝日新聞にたいし批判見解を出しましたが、大方のマスコミ論調は今のままでの法案では廃案だ、一から出直せという到達点にあります。
こうした到達点を踏まえて私たちの今後の闘いを組んでいくことが非常に重要です。この法案は、国民の言論・表現の自由を守る規定が一切なく、人権、差別についての定義もなく、しかも不快、畏怖といった事柄が生じたらそれが差別的言動として規制することが可能だという、非常に重大な問題を持っているものです。
自民党のかつての異論派が指摘した点を修正すればいいのか、つまり人権や差別の定義が法案にあればいいのか。違います。言論・表現に係わる国民間の矛盾は、国民の間で自由な対話や司法などを通じて十分に解決できます。そうであるにも係わらず、国が強制捜査権をもって介入するのは、自由な言論を阻害し、国に都合のいい言論のみの流通を認め、それ以外を排除、異端視するもので、到底認められません。
言論・表現の領域にあらたな法的規制を必要とする「差別や虐待」の実態や根拠はありません。個々の人権が置かれている実態の改善のために制度の大幅な見直しは緊急に必要であっても、言論の規制は必要ありません。憲法改正も新たな人権の導入が切り口にされ、公共性が全面にでています。戦争ができる国にするのかどうかという問題です。 基本的人権に制約を設ける策動は、絶対に許されません。この法案を再提案させない取り組みを地方議会も視野にいれて、引き続き強めていきたいと思っています。
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